【校閲】文字の檻と、深淵のインク。~たとえ地獄の頁でも、ティータイムは邪魔させません~
リチャードが吸い込まれた本の中。
天地も定かではないインクの深淵だった。
周囲を埋め尽くすのは、「削除」や「消滅」といった、対象を存在ごと抹消せんとする呪詛の文字列。
「ふむ……。記述の密度が高すぎて、空気がインク臭いですね」
リチャードは、迫りくる「死」の文字を平然と無視し、まずは愛用の執事服の埃を軽く払った。
たとえ終焉を綴る地獄の頁だとしても、紳士が身だしなみを崩す理由にはならない。
「独りで茶を啜るのも、寂しいものです」
リチャードが指を鳴らす。
アイテムボックスから現れたのは、磨き抜かれた白磁のティーセットと、この世のものとは思えぬ芳香を放つ茶葉。
「さあ、お仕事の時間ですよ。『愛読書』から、お出まし願いましょうか」
リチャードが神力を込めて本を開くと、三つの異質な影が実体化する。
一目見ただけで発狂しかねないほど強大な、概念の化身たち。
「リチャード、こんなインク臭い場所に……。私の羽衣が汚れたら、ナニワ印の聖女洗剤で洗ってもらうわよ」
ふわりと舞い降りたのは、天空仙女・ハクア。
羽衣を翻すと、重苦しいインクが、陽炎のように中和され、色鮮やかな水の都が現れた。
「リチャード、お腹空いた! この『絶望』って漢字、結構美味しい。次は『滅亡』を食べてもいい?」
次いで現れたのは、小さな体にドレスを纏った異界の暴食姫・ベルゼ。
周囲を漂う「滅びのプロット」を、お菓子のようにつまみ、むしゃむしゃと口を動かす。物理攻撃も魔法も効かぬ「世界の仕様」を、ただの栄養分として処理していく。
「ヒッヒッヒ! リチャード、今日の賭け金は何だい? 世界の『結末』か? それともあんたの『給料』かい?」
最後の一人は、派手なスーツに身を包んだ、胡散臭い笑顔の男。億万長者のギャンブラー・オールインだ。
黄金のコインを弄び、物語の外のカイルの頭上に浮かぶ「生存率0.1%」という非情な数字を眺めて、愉快そうに肩を揺らした。
「私の給料は高いですよ。……賭けるのは、この本を閉じた後の『未来』にしておきましょうか」
リチャードは優雅な手つきで、三人のカップに紅茶を注いでいく。
背後では、ハクアが空間を清め、ベルゼが敵意を食らい、オールインがチップを積んで絶望的な確率を書き換えていく。
「執事の嗜みとして、最高のティータイムをお約束しましょう」
絶望の頁のど真ん中で。
リチャードは不敵に微笑み、静かに紅茶を口にした。
第084話をお読みいただき、ありがとうございます!
カイル様を飲み込むはずだった「絶望の記述」に、単身ダイブしたリチャード。
ですが、彼にとっても「お茶会会場」に過ぎなかったようです。
召喚された「天空仙女」「暴食姫」「ギャンブラー」。
果たして、オールインが賭けた「未来」はどちらに転ぶのか。
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