『設定開示』――世界の余白は、物語で埋め尽くされる
私が引いた一本の削除線。
黄金の棺にこびりついた「黒いインク」を消し去るだけでなく、世界の「閉ざされていた記述」を物理的にこじ開けた。
ギィィィ、と。
遥か昔から一度も動いたことのない蓋が、呆気なく滑り落ちる。
「……あら。空っぽ?」
お母様がスコーンを片手に覗き込む。
そう、棺の中には何もなかった。死体も、財宝も、遺物すらも。
ただ、底の見えない『真っ白な空間』が、無限の余白のように広がっていた。
……いいえ、違いますわ。
『校閲』の瞳が、空白に浮かぶ膨大な情報の奔流を捉える。
「これは棺ではなく、世界の『プロット保管庫』ですわ……!」
その瞬間、世界が揺れた。
棺から解き放たれた「行き場のない物語」たちが、光の柱となって空へと噴き出す。
各国の王都、辺境の村、そして戦場のど真ん中へと降り注ぎ、『意志を持つ本』として実体化していった。
――後に「世界全集・強制公開イベント」と呼ばれる、物語の氾濫である。
*
一方、その頃。
神聖ヴォルガ帝国の国境付近では、かつてない重圧が大地を震わせていた。
「……アルフォンス様を辱めた不届き者、リリアーヌ・アストレイド。こいつの首を獲るまで、我が精鋭騎士団に休息はない!」
帝国の威信にかけ、仇討ちに燃える精鋭部隊『鉄血の六刃』。
彼らがアストレイド領へ向けて進軍を開始しようとした矢先だった。
「……止まれ! 何だ、あれは!?」
行軍を阻むように、空から巨大な『本』が大地に突き刺さった。
ページは勝手にめくれ、悍ましいまでの魔力で戦場を侵食していく。
「……臆するな! このような魔法の類、我ら『鉄血の六刃』が束になれば塵も残らぬわッ!」
団長の号令とともに、六人の精鋭が同時に跳躍した。
彼らが放つのは、帝国の最高機密にして最大攻撃魔法――『滅陽の爆炎』。
大地を焼き、山を削るはずの超火力の奔流が、本へと叩きつけられた。
だが、爆音も衝撃も響かない。
「な……魔法が、吸い込まれて……消えた……!?」
巨大な本のページが、ゆらりとめくれる。
白熱する魔法の炎は、本に触れた瞬間に「黒いインクの文字」へと変換され、白い紙面を埋める記述へと成り果てた。
『――愚かにも、騎士たちは火を放った。しかしその熱量は、新たな章の幕開けを飾る「挿絵」に彩りを与える程度の価値しかなかった』
「バカな! 我が一族の奥義が……ただの『文字』にされたというのか!?」
絶望に染まる団長の足元で、突然ページが大きく口を開ける。
それは底なしのインクの沼。
重力ではなく、「物語上の退場」という確定した事象が、抗えぬ力で彼らをページの内側へと引きずり込んでいく。
「ひ、ひぎぃ! 足が、体が……文字に変わっていくぅぅ!!」
「助けてくれ! まだ、死ぬわけには――ッ!!」
精鋭たちが必死に伸ばした腕は、ページに触れるたびに黒い文字列へとほどけ、物語の一部として固定されていく。
馬のいななきも、鎧が擦れる音も、すべてが「擬音語」として紙面に書き込まれ、最後には静寂だけがその場を支配した。
バタンッ、と。
数千の軍勢を飲み込んだ本が、一冊の完結した「悲劇」として閉じられる。
荒野に残されたのは、表紙に『鉄血の六刃・最期の遠征』と記された、冷たい本だけだった。
ご愛読ありがとうございます!
リリアーヌ様が掃除した「書き損じ」の一点から、世界を飲み込むほどの物語が溢れ出しました。
帝国の精鋭すら、問答無用で「文字」へと変えられ、一冊の本に閉じ込められる……。
現実が物語に侵食されていく異常事態に、リリアーヌ様はどう立ち向かうのか。
次回も、どうぞお楽しみに!




