『平穏な一節(スローライフ)』――休息もまた、物語には不可欠です
魔女ヴェロニカが霧と共に消え、街道にはようやく本来の陽光が差し込んだ。カイルの再構築という激動の時間を経て、リリアーヌたちの前に現れたのは、商業都市『タイポ・グラフィ』の巨大な城門だった。
「……ようやく、まともなインクの香りがする場所に着きましたわね」
リリアーヌは扇子で陽光を遮りながら、街の活気を眺めた。先ほどまでの殺伐とした戦場が一変し、通りには焼きたてのパンの香りが漂い、露天商たちの威勢の良い声が響いている。
「リリアーヌ、まずは宿を確保しよう。君も、体を休めた方がいい」
カイルが優しく声をかける。守護騎士となった彼は、今やリリアーヌのわずかな表情の変化も逃さない。
「ええ、そうですわね。……ですがカイル様、あちらの看板をご覧になって?」
リリアーヌが万年筆の先で示したのは、大通りに面した一軒のカフェだった。そこには華やかな文字でこう書かれている。
『当店の自慢は、とろけるような“幸せ”のハピネス・ケーキです!!!』
「……“幸せ”に二重の強調表現。その上、ビックリマークが三つ。……くどいですわ。美味しさに自信があるのなら、形容詞に頼らず、中身で勝負すべきですわよ」
「はは……。まあ、そう固いことを言わずに。味を確かめてから校閲しても遅くはないだろう?」
カイルに促され、二人はそのカフェのテラス席に腰を下ろした。運ばれてきたのは、色鮮やかなベリーが載ったマカロンと、最高級の茶葉を使ったアールグレイ。
「……あら」
リリアーヌが一口、マカロンを口に運ぶ。その瞬間、厳しい校閲者の瞳が、ほんの一瞬だけ、年相応の少女の輝きを見せた。
「……悪くありませんわね。生地の食感 (フォント)も適切ですし、クリームの甘さ(行間)も程よいですわ。……これなら没にはしませんわ」
「それはよかった。君が満足そうだと、俺も安心する」
カイルが微笑みながら、リリアーヌの口元に付いたクリームをそっと指で拭う。そのあまりに自然な動作に、リリアーヌは「あ……」と声を漏らし、頬を赤らめた。
(……カイル様、再定義してからというもの、『積極的』すぎませんこと?)
リリアーヌはカップの縁を指先でなぞり、一息に紅茶を啜った。
しかし、そんな穏やかな時間の中でも、「校閲者の眼」はある違和感を捉えていた。
街を行き交う人々。皆が皆、あまりにも完璧な笑顔を浮かべ、規則正しく挨拶を交わしている。
「……カイル様。この街の『平穏』。過剰演出が過ぎると思いませんこと?」
「ああ。……不自然なほど、生活感がないな」
リリアーヌは黄金の万年筆を指先で弄ぶ。
この美しすぎる商業都市。その裏側に潜む、誰かが無理やり書き連ねた「偽りの平和」の匂いを、彼女の鼻は敏感に嗅ぎ取っていた。
「……よろしいですわ。今夜はゆっくり休んで、明日はこの街の『裏設定』を添削して差し上げましょう」
リリアーヌは最後の一つになったマカロンを、どこか楽しげに口へと運んだ。
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今回は「箸休め」の街歩き回でした。どれだけ毒舌なリリアーヌ様でも、マカロンとカイル様の優しさには甘くなってしまうようです。カイル様も「守護者」としての自覚が強まったのか、以前より距離が近くなっているような……?
しかし、リリアーヌ様が気づいた「完璧すぎる平和」。商業都市『タイポ・グラフィ』に隠された秘密とは。
次回も、どうぞお楽しみに!




