『聖絶の儀』――ヴェロニカによる、完璧なる婚約破棄
暗転。意識が千切れるような衝撃の後、次に目を開けた瞬間――。
鼻を突くのは、本棚の埃っぽい匂いではなく、むせ返るほどの百合の香。
大理石の床に、ステンドグラスの極彩色が残酷に降り注いでいる。王宮の大広間、居並ぶ貴族たちの冷笑に包まれて、王子アーサーは膝をついていた。かつて帝国の希望と呼ばれた彼の瞳は、絶望と困惑に濡れている。
「ヴェロニカ……嘘だろう? 君だけは、僕の潔白を信じてくれると言ったじゃないか!」
アーサーが縋る視線を向けた先。そこには、純白のドレスを身に纏い、氷の女神のような美しさで立ち尽くす聖女ヴェロニカ――その肉体を借りたリリアーヌがいた。
(……なるほど。これがこの物語における『王道』の構図。信じていた愛に裏切られ、男は復讐鬼へと変貌する。実につまらないテンプレートですわ)
リリアーヌはヴェロニカの意識の表層をなぞり、物語が求めている「冷酷なヒロイン」の仮面を被った。彼女は扇子を閉じ、その先端でアーサーの顎を冷たく跳ね上げた。
「……潔白? アーサー様、まだそんな夢想に浸っていらっしゃるの? 帝国の秩序にとって、貴方の存在はすでに『不純物』。掃き捨てられるべきゴミにすぎませんわ」
「なっ……ヴェロニカ! 君が、君がそんな言葉を口にするなんて……!」
「婚約を破棄させていただきます。今日この時をもって、貴方は私の人生から、そしてこの世界の光ある場所から『削除』されました」
リリアーヌは、ヴェロニカとしての台詞を吐き捨てながら、背後に隠した黄金の万年筆で、世界の理に鋭い赤を入れる。
【※校閲注釈:因果逆転】
『アーサーの憎悪の矛先を「ヴェロニカ」から、この悲劇を強いた「帝国の血筋(書き手)」へと再定義。復讐の炎を真の敵へ向けさせます』
「さあ、アーサー様。私を憎みなさい。裏切った世界を呪いなさい。……その燃え盛る憎悪だけが、この閉じられた物語(檻)を焼き切る唯一の燃料になりますわ」
「……あ。ああ、あああああッ!! 許さない……! 僕を貶め、君を狂わせたこの帝国を、血の一滴まで残さず焼き尽くしてやる!!」
アーサーの絶叫と共に、大広間にどす黒い霧が立ち込める。「王子の失脚」は、リリアーヌの添削によって、帝国そのものを滅ぼしかねない「復讐者の覚醒」へと書き換えられた。
崩れゆく幻影の中、リリアーヌは冷ややかに微笑む。
「……いい。実に『読み応え』のある復讐劇になりそうですわ。さあ、カイル様を隠した不届きな執筆者を引きずり出しに参りましょうか」
ご愛読いただき、誠にありがとうございます。
リリアーヌ様が演じるヒロイン・ヴェロニカによる、一切の慈悲を排した断罪劇。信じていた愛に裏切られ、膝をつくアーサーの姿は、まさに帝国の歴史が求めた「残酷な王道」そのものでした。
しかし、リリアーヌ様がただ大人しく、用意された台詞を喋るだけの「操り人形」で終わるはずがありません。
絶望の底に沈んだアーサーと、冷徹な仮面を被るリリアーヌ様。歪んだ物語(檻)の静寂の中で、黄金のペン先は一体何を「校閲」しようとしているのか。
リリアーヌ様の真骨頂は、ここからです。どうぞ、お楽しみに。




