国外逃亡の校了(デッドライン)』――その愛は校閲(検閲)対象です
広場に響き渡った黄金の旋律、その余韻が王宮を包み込んでいる。カイルとリリアーヌは、静まり返った廊下を抜け、王妃イザベラの居室へと踏み入った。
そこには、かつての栄華の欠片もなかった。リリアーヌの放った『一括置換』の光は、この部屋のすべてを「真実の姿」へと書き換えていたのだ。
床に転がるのは、宝石ではなく、ただの河原の石ころ。壁に掛けられた名画は、白紙のキャンバスへと戻っている。そして――主の姿は、どこにもなかった。
「……あの女、逃げたのか」
カイルの絞り出すような声に、リリアーヌは無言のまま、床に落ちた一枚の羊皮紙を万年筆の先で拾い上げる。
「あら。物語の結末も見届けずに逃走ですの? 読者を放り出すなど、作者失格ですわね」
その紙に記されていたのは、見覚えのある獰猛な獅子の紋章。大陸随一の軍事国家――神聖ヴォルガ帝国の印だった。
「……母上は、以前からこの国と通じていたのか」
「ええ。この密書の筆致、あまりに傲慢で『独りよがり』ですわ。相手は帝国の第一皇子、アルフォンス・フォン・ザザーランド……。不倫という名の『無断転載』、私の目が届かないとでも思いましたのかしら」
カイルが悔しげに拳を握る。相手は大国。今この国が軍を動かせば、それこそ帝国の思う壺だ。だが、リリアーヌは万年筆を弄びながら、冷ややかに微笑んだ。
「カイル様、兵を動かす必要などございませんわ。大国の権威という『厚化粧』ほど、校閲(あか入れ)しがいのあるものはありませんもの」
万年筆を一閃させると、空間に黄金の文字が浮かび上がる。それは、イザベラが売り渡した国家機密と、帝国の裏工作をすべて網羅した『真実の記録』。リリアーヌの校閲眼は、隠蔽された事実さえも逃さない。
「さあ、まずは残された『ゴミ』の整理から始めましょうか」
リリアーヌの前に引きずり出されたのは、逃げ遅れた取り巻きの貴婦人たちだった。彼女たちは「私たちは悪くない」「命じられただけ」と、支離滅裂な弁明を書き殴る。
「主語のない言い訳は不要ですわ。貴女たちの存在自体が、この国の美しい景観を損なう『誤字』です。――さあ、真実を語りなさい。さもなければ、貴女たちの『人生』という頁そのものを、白紙に書き換えて差し上げますわ」
その瞳に宿る絶対的な意志に、貴婦人たちは悲鳴を上げ、泥を吐くように真実を語り始めた。
◇
同時刻。国境近くの深い森。漆黒の馬車が、砂埃を上げて猛スピードで駆け抜けていた。
車内では、王妃イザベラが銀髪の冷徹な男――アルフォンス皇子の腕にすがっていた。
「アルフォンス様……! あんな小国、もうどうなっても構いませんわ。私を……私をあなたの国へ!」
「案ずるな、イザベラ。お前はよくやった。あのアホな国王を毒に沈め、国を腐らせた功績は大きい。……次は私の力で、あの小癪な校閲女の喉元を掻き切ってやろう」
二人は醜い野望に目を輝かせ、甘い復讐の物語を妄想していた。――だが。
突如、馬車の窓に、鮮やかな黄金の「赤字」が刻まれた。
『※警告:不法入国および内政干渉を確認。』
「な、なんだ!? この文字は……!?」
アルフォンスが窓の外を見ると、夜空に、大地に、そして走る馬車の車体にまで、巨大な黄金の文字が「添削」として刻まれていく。
『神聖ヴォルガ帝国第一皇子アルフォンス殿下。貴方様の輝かしいキャリアに、特大の『汚点』を書き込みますわ。――校閲者リリアーヌ』
「ぎゃああああ! 消えろ! 消えろッ!!」
それはもはや言葉の形をなさぬ、ただの不快な音塊。追い詰められ、狂気に塗り潰されたイザベラの姿は、修正不能なほどに崩れ去っている。
遠く離れた王宮のバルコニー。リリアーヌは夜風に髪をなびかせ、優雅に扇子を広げた。
「舞台を移せば逃げられると? ……私の校閲範囲は、世界の果てまで続いておりますのよ」
彼女の瞳には、すでに大国の玉座すら捉えていた。
「次は神聖ヴォルガ帝国ごと、真っ赤に添削して差し上げますわ」
本日もご愛読いただきありがとうございます!
国外へ逃亡した王妃イザベラ、そして姿を現した神聖ヴォルガ帝国。
舞台が世界へと広がっても、リリアーヌ様の黄金のペンは止まりません。
「国ごと添削」という宣言通り、大国を相手にどのような校閲が行われるのか。
次回も、どうぞお楽しみに!




