【※注閲】不要な誤字、偽りのハッピーエンドを塗りつぶせ
闇市の扉の向こう側。
インクの瘴気が渦巻く場所に、世界から見捨てられた物語の墓標があった。
佇む一人の老婆。
濁った水晶玉をコレットへと差し出し、枯れ木のような声で告げた。
「禁書を望むか、朱マスクの異端者よ。
ならば覗いてみるがいい。
お前という『ノイズ』が消え去った先に辿り着く、ステラリアの『正史』を」
迷うことなく、コレットは水晶に手を触れた。
瞬間、視界が真っ白に染め上げられ、意識は強制的に別の時空へと引きずり込まれた。
――そこにあったのは、完璧なまでの幸福。
リリアーヌは王妃として慈しまれ、カイル陛下の隣で柔らかな微笑みを浮かべている。
かつて命を奪われた悲劇も、引き裂かれた運命もない。
誰も死なず、傷つかない、眩いばかりのハッピーエンド。
「……これが、ママの望んだ物語?」
コレットの胸に、甘美な毒のような誘惑が突き刺さる。
自分が物語に顔を出さなければ、ママは一生、愛する人と穏やかに添い遂げられるのではないか?
自分が存在し続けることが、最大のバグなのではないか?
その時、天を衝くような威圧感とともに、無機質な声が響き渡った。
『消滅したお前が、今さら顔を出すな。
IFの世界こそが、リリアーヌにとっての最適解。
貴様というノイズは、消えてなくなるのが正当なプロットだ』
圧倒的な論理。
しかし、コレットは偽りの平和に、母の本当の「溜息」を見抜いた。
リリアーヌという女性は、どんなに完璧な幸福の中にいようとも、心の中の「欠落」を自覚する。
コレットは首を横に振った。
「いいえ、違いますわ」
コレットの指先に、黄金の魔力が宿る。
愛おしそうに世界を眺めながら、「不要な誤字」として切り捨てる決意を固めた。
「ママは、私という『喪失』を抱えて、一生どこかで自分を責め続けるわ。
完璧な幸せなんて、ママの執筆する物語には不要です。
私という娘を愛したという記憶があるなら、最高傑作の物語なんですもの!」
コレットが禁忌の魔力を解放する。
空間がメキメキと音を立てて剥がれ落ち、偽りのハッピーエンドがインクのシミのように滲んでいく。
「……私の物語に、ママを一人にするという悲劇は書かせない!」
『悪魔の校正』――。
コレットが赤ペンを振るうと同時に、水晶の中の「平和な世界」は光の霧となった。
激しい衝撃とともに、現実に引き戻される。
荒い息をつくコレットの前で、水晶玉は砕け散っていた。
老婆は厳格な表情を崩し、深い敬意を込めて|禁書『コレット・エピローグ』を差し出した。
「……迷いなき校閲者にのみ、真実は開かれる。行け、朱きマスクの姫よ」
震える手で、物語を受け取る。
表紙に触れた瞬間、温かな黄金の熱がコレットの全身を駆け巡り、消滅しかけていた魂の輪郭を鮮明に焼き付けていく。
開かれたページに、新たな文字が浮かび上がった。
『――たとえ世界が、その名を忘れても――』
コレットは仮面の下で、心からの微笑みを浮かべた。
神々が敵に回ろうとも、迷いはない。
母リリアーヌを、最強のハッピーエンドへと導くための「修正劇」なのだから。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
偽りのハッピーエンドを「誤字」として塗りつぶし、自らの手で「最高傑作」を描くつもりのコレット。
『コレット・エピローグ』は、母と娘を繋ぐたった一つの希望です。




