第18話
「―――妃殿下……いえ、母上」
消え入りそうな小さな声で、殿下は妃殿下に呼びかけた。
妃殿下が恐る恐るといった風情で顔を上げ、殿下の顔を見る
「私は――俺は、母上に憎まれていると、思っていました。でも、違ったのですね」
殿下が、泣き笑いの表情で、言う。
「母上、俺も母上を愛しています。誤解していて、ごめんなさい。」
殿下の言葉に、妃殿下はわっと泣き崩れた。
陛下も泣きそうな顔をしながらも、大きな声で楽隊に、音楽を、と指示した。
人々は改めて宴に戻って、第二王女の帰還を惜しみ、第六王子と妃殿下の和解を祝い始めた。
「……おい、何を泣いている」
リヴァプール師団長が私に声を掛けてくる。ティナ様も手帳に『大丈夫ですか』と書いて見せてくれた。
「すいません、不覚にも感動しまして……」
「まあ、そこらじゅうの人が泣いてるからね!大丈夫だよ、メイドのお嬢さん?ほら、ハンカチ。化粧落ちちゃうよ」
「ぐすっ、ありがとうございます……って!なんでいらっしゃるんですかガーファンクル様!」
驚いた!あまりにも普通に出てきて驚いた!
あ、でも涙も引っ込んだからお化粧が崩れなくて良かったと喜ぶべき!?
「御前を退出したあと戻って来たんだけど?一応、第一師団長としてじゃなく、貴族として招かれてもいる訳だからねー。あー肩凝った」
「そ、そうですか……」
軽く叩くように涙を拭いて、ハンカチを隠しに入れる。
「これ、洗って返しますね」
「ああ、別にいいのに」
「礼儀というか、メイドの性ですので」
「職業意識高いなー」
「ガーファンクル様こそ」
ふと壇上を見ると、殿下と妃殿下は一旦退出したようだ。そこだけぽっかり席が空いている。
「さっき奥に入っていったぞ。妃殿下の化粧直しとかがあるんだろう」
セルシウス様がむっすりした顔のまま教えてくれた。
見ると、彼の手には沢山のハンカチが。
「俺を見る度に渡して来やがって……ご丁寧に家紋だの名前だの入れてあるんだぞ?いっそ全て本人の家に送り返してやろうか」
「やめておいた方がいいよ?セルシウス君。変な騒ぎおこされたくなかったらね〜」
……変な騒ぎを、おこされたことがあるのだろうか……
なんとなく聞いてはいけない気がするので、気にしない事にする。
「そういえば、直にダンスが始まるが」
「そういやそうだな。面倒くさい」
「俺は第三王女様がいるから平気だよー?婚約者がいるといいよね〜。可愛いし」
「私はどうしましょう。ここまで大きな騒ぎになってしまったら、アルフレート様と一緒にいても多分意味はないでしょうし……」
「そうだな……ティナは俺と踊るのが決まってるしな。」
あ、一瞬にしてティナ様が真っ赤になった。ぽんって音が聞こえた気が……。アルフレート様、さらっとタラシな文句を……なんて人だ
「……んー、特に踊りたい気分でもありませんしね。壁の花にでもなってます」
「……うーん、多分壁の花は無理だと思うけどね?」
ガーファンクル様が上から下まで私を見て言う。……そりゃあ、気品とかその他諸々足りないかもしれないけど、口に出して言われると凹むじゃない!
「おいエリオット」
「何?」
「こいつ、鈍感か?」
「やだなぁ、今更気付いたの?」
「……」
……鈍感ってひどい……
でも突っ込みは面倒くさいし。もうしばらくしたらダンス始まっちゃうし、ここにいたら邪魔よね?
とりあえず、話し中の彼らを置いて、壁の方へ向かうことにした。
‡ ‡ ‡
「お嬢さん、私とダンスを……」
「僕と一緒に踊ってよ!」
「邪魔をするなお前ら!彼女には私がふさわしいんだ!」
「俺と踊らない?」
「……すいません、あの……」
「俺だよね!」
「僕に決まっているだろう!」「私だ!」
「自分に決まっている!」
「俺以外の誰と踊るんだ!」
なにこのひとたちうっとうしい……
一人でいたら、何人かの男性がダンスの誘いをかけてきたんだけど、暑苦しい上にしつこい……
「あの!私、ダンスの誘いを受けるつもりはありませんから!」
「何で!?」
「誰かと約束してるの!?」
「俺の方がいい男に決まってる!君を一人にするような相手より俺と……」
「いや、私と!」
ああもう、うざったい!
いっそ怒鳴りつけてやろうかしら……
と、腕を掴まれた感触が。
「ああ、リリアナ。こんな所に居たんですね。エリオット達と離れないようにと言ったじゃないですか」
「え、殿下!?」
誰かと思って振り向くと、騎士団の制服を着替え、礼装に身を包んだ殿下が居た。
……礼装だと、三割増しで格好いい気が……
「あ、だ、第六王子がお相手、だったんですか」
「す、すいません」
「じゃあ、俺はここで……」
殿下を見た途端に、私に言い寄っていた男性達が散っていく。
良かった、助かった……
「殿下、ありがとうございます。礼装、とても格好いいです」
「リリアナも、とても綺麗ですよ。……ああ、もう曲が始まってしまいますよ。手を」
「え!?」
殿下に手を引かれて、あっと言う間に広間の真ん中に連れ出される。
うわ、なんだかすごく注目されてる……!
「で、殿下……」
「サファロニアと呼んで下さい」
「でん……」
「サファロニア」
「……………………………さふぁろにあ、さま……」
「何ですか?」
「何で、広間の真ん中で踊ることに……」
「初めて公の場で踊るなら、リリアナと、と心に決めていましたからね」
ニコニコ嬉しそうな顔で言う殿下。
答えになってない!
「ほら、始まりますよ」
「……はい」
緩やかに流れ出す曲。殿下のリードにあわせて、ステップを踏み、くるくる回って、揺れる。
殿下が予想以上にダンスが上手いのに驚く。
「……上手ですね」
「エリオットに鬼のようなしごきを受けましたから」
「そんなに厳しかったんですか?」
「普段からは想像できないくらいに厳しかったですよ」
クスクス笑っていると、ちょうど隣で踊っていたガーファンクル様にべーっと舌を出された。大人気ない。
楽隊が最後の音を鳴らし終えると同時に、盛大な拍手が巻き起こった。
ガーファンクル様達に倣って、私達も礼をする。
やがて拍手が止み、二曲目を踊るペアが入ってくる。
さすがに二曲連続は疲れるので、私と殿下はバルコニーに出て休む事にした。
向かう途中に給仕さんから飲み物を貰って、人混みを掻き分けていく。
殿下がさりげなく私を守るようにしてくれたのが嬉しかった。
「はぁ、やっとバルコニーに出られた……!」
「やはり人が多いですね」
「かなり沢山の貴族が招待されてますからね〜」
しばらく、どうということのない話をしながら、夜景を眺める。
夜空の下で、家々の灯りがきらめいて見えた。
「……サファロニア様は、あの街を守っているんですよね」
「そうですね。街も、人も。」
「すごいです。私には、到底出来ません」
「……リリアナは、俺を守ってくれてますよ」
「嘘」
「嘘なわけ、ありません」
殿下が綺麗に笑う
とても、とても綺麗。
「リリアナは、俺の一番近くにいて、俺を愛してくれる、俺の帰る場所になってくれる人です」
「サファロニア様……」
「リリアナ、愛しています。世界中の誰よりも。……リリアナも、愛してくれませんか?」
その問いかけの答えは、もう決まっている。
「サファロニア様、世界中の誰よりも、あなたを愛して、愛されたい。……あなただけの、私になりたい」
その言葉に、答えはなかった。
彼の優しい口付けが、答えの代わりだった。
私は、彼と生きていく幸せな未来を思って、ゆっくりとまぶたを下ろしたのだった―――――