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U.N.オーエンの正体は彼女なのか  作者: 貞晴
【第二章】 失跡の交錯
19/21

二股道

 次回で第二章完結予定です。第三章に取り掛かる前に、これまでに投稿してきたぶんの手直しをと考えておりますので、続きの投稿が延滞するかと思われます。ご了承ください。それでは、良いお年を!

 追記。題名変更しました。




   【5】




 あそこ、と玄奘が雑木林を指差す。


「あのへんの幹に寄り添うようにして、こっちを見ていました」


 射命丸は悪心を堪えて窓を見やった。玄奘が指し示す樹から奈陀の私室は丸見えだ。そこから九劉が覗いていたと思うと怒りさえ湧いてくる。射命丸は自分のことのように敵意を覚えた。


「夜間、カーテンは閉めているんですか」


 射命丸の問いに奈陀は頷く。


「もちろん。気持ち悪いし……」

「開けて寝たことは」


 ないですと呟く。射命丸は顎を撫でて唸った。


「開けっ放しでは不審に思われてしまいますかね」


 玄奘が力強くそれを否定する。


「いや、そこまで頭は回りませんよ。着替えを覗ければ、しめたとは思ってもそれが罠だとは勘ぐりません」

「そうなんですか」

「そうですとも。男の俺が保証します」


 射命丸は苦笑した。玄奘も照れ臭そうに笑う。奈陀の緊張を少しでも解してやれればと考えているに違いない。玄奘の画策通り、奈陀は自然と頬を綻ばせた。


「いやな保証」

「そう言うなって。ま、大船に乗ったつもりでいてくれ」


 うん、といじらしく頷く。奈陀は玄奘に心酔していた。射命丸はその一途な恋心を守ってやりたいと思う。九劉の悪行もここまでだ。今夜中にけりを付けてやる。


 窓に鍵をかける。黄昏時のはずだが山にはすでに薄墨色が滲みつつある。椛がそろりと言った。


「そろそろ、移動しないと」

「もうそんな時間か」


 玄奘は奈陀の手をとって、力を込めた。


「絶対に守るから」


 奈陀は耳まで赤くして微笑んだ。それから奈陀だけを残し、射命丸たちは奈陀の自宅から飛んだ。向かう先は山中の川。そこで網を張る。不埒な男を捕まえるための包囲網を。


 協議の末、決まった作戦はこうだ。今夜も九劉は奈陀の自宅の近辺に現れる。そのとき奈陀はあえてカーテンを開いておき、九劉に無警戒であることをアピールする。駄目押しで着替えを覗かせてやれば九劉も警戒を解くだろう。奈陀が無防備であるのを九劉の心理にすり込めたなら、狙いは成功したも同然。夜、人目が絶えてから奈陀は川に向かい、何も知らない九劉を誘導する。最後に川でさも無警戒そうに行水をして見せ、物陰で息を呑む男を挑発する。効果は覿面だと射命丸は思う。奈陀の裸身にまず九劉は感情の昂ぶりを抑えられないはずだ。間違いなく襲いかかり欲情をぶつけようと動きだす。射命丸はそこを取り押さえてやる腹積もりだった。


 写真も証言も権力に揉み消されるなら、言い訳が利かない状況下で身柄を確保するしかない。危ない橋を渡ることになるが、他に方法が思いつかなかった。奈陀には屈辱的な役割を回してしまい申し訳ないと思う。しかし救いなのは、作戦の概要を話し合ったときにこれを本意から奈陀が承認してくれたことだ。むしろ渋ったのは玄奘だった。その気持ちは射命丸にも分かる。恋人の肌を視姦されるのは誰だって嫌だろう。奈陀が毅然とした態度をとらなければ、話し合いはもっと拗れていたかもしれない。


「強いひとです」


 速度を落として射命丸は呟いた。後ろを飛んでいた玄奘が横並びになる。


「奈陀がですか」

「ええ。仕事中は控えめな淑女って感じがしていたので、ちょっと意外でした。本当はとても大胆な方だったんですね」

「あれが怒ると怖いんですよ」


 玄奘は苦笑する。


「へえぇ、それはもっと意外ですね」

「ああ、いやね、泣き喚いて手がつけられなくなるとか、そういうんじゃなくて。無我を極めたみたいに冷静になるんです」

「ほう」

「で、俺がした粗相を第三者の見地から追求して、責めるでもなく、粗相が起きるまでの落ち度を解析する。くどくどといつまでも、本人が納得するまで。て、これじゃねちっこいみたいですね」


 玄奘は苦笑し、遠くを見つめた。


「でも、そのときのアイツの心情としては、俺に謝って欲しいんじゃなくて、俺の内省を促してるんだと思います。同じ過ちを犯さないようにって」

「お優しいんですね」


 射命丸の言に玄奘は誇らしげに頷いた。


「はい、本当に」


 射命丸は複雑に笑った。


「それを聞いて、なおさら失敗できなくなりました。もしも最悪のことになれば、私は自分を許せそうにない」

「負けませんよ。俺たちは」

「――ええ。そうですね」


 射命丸は己を奮い立たせた。玄奘も言っていたではないか、負けないと。微塵の気怖じにさえ足を掬われかねない、気後れするなと言い聞かせる。射命丸は心を今一度固めた。(絶対に負けない……)そう、正義は必ず勝つというではないか。自分で執筆した小説を思い出してみろ、主人公は悪に屈したのか、悪を見逃したのか。いや違うだろう、どれだけ大きな悪を前にしても逃げ出さなかった、勇気を振り回して立ち向かった。結果、痛手は被っても必ず勝利を収めてきた。だから――。


 負けない。射命丸は奥歯を噛み締める。胸中で炎が渦を上げた。


 一行は川の畔に降り立った。川は穏やかなせせらぎを奏でている。深さはくるぶしまでしかない。両脇の砂利道に、五つばかり小石が積み上げてあるのを確認する。射命丸がつくった目印だ。奈陀は目印の場所で行水をする手筈になっている。目立たないように積んであるが、見落とすことはないだろう。天狗は夜目が利くのだ。さて、と射命丸は呟いた。


「もう日が暮れます。散会といきたいところですが」


 言って、青ざめた椛に向き直る。射命丸が肩を叩いても反応は薄かった。


「大丈夫ですか」


 はい、と椛は唇を微かに震わしたものの、心ここに在らずといったふうに目を足元に落としている。椛は恐れに縮み上がっていた。


 人選ミスだったかと射命丸は臍を噛む。射命丸と共闘経験があり、椛の模擬戦における技能の高さを知っているから、射命丸は椛に協力を仰いだ。しかしまさか、ここまで本番に弱いとは。椛は鬼に怯える幼児のように弱り果てている。とても戦力になるとは思えなかった。


 射命丸の判断ミスだ。迂闊だったがしかし、いまになって嘆いてみても仕方がない。とはいえ、足を引っ張るようなら切り離しておきたい。小さなほつれが、悪を捕らえる網目の決壊を引き起こしてからでは遅いのだから。


 茂みから溢れ出した闇が、夜の到来を告げている。非は射命丸にあると自覚しているが、言葉を選んでいる余裕はなかった。


「椛、ホントに大丈夫ですか」


 射命丸は言った。


「無理をするくらいなら、離脱してもらっても構いませんよ」


 椛は弾かれたように顔を上げた。玄奘が驚いて目を見張る。


「そんな、ここまできて」

「助力を頼んだのは私です。ここまで付き合わせてしまったのは申し訳ないと思います。しかしまだ引き返せます。今からでも遅くはない」


 棒のように立つ椛を睨みつける。玄奘は反論に詰まった。射命丸のそんな顔を見るのは初めてだった。


「射命丸さん……」

「はっきり言いましょう。軟弱者がひとりいればチーム全体の士気を下げ、のみならず過失を犯す危険まで抱えることになる。ですから私としては、むしろ椛には此度の作戦から降りてもらいたい」

「射命丸さん」

「玄奘、私は椛と話しをしているんです」


 あえてきつめな口調で椛を追い詰める。


「どうなんですか」


 椛は射命丸の顔を見れていない。


「黙っていても答えは出ませんよ。椛自身が決断しないと」

「は、はい」

「それは離脱するという意思表示なんですか」


 椛はしどろに手を振って逡巡する。正直、これは願ってもない助け舟だと思った。椛は白狼天狗で階級が低い。それは幾らでも代用が利くということで、椛そのものの価値が低いということだ。射命丸の作戦は単純明快で、しくじることはほとんど有り得ないと思うが、もし、――万が一にでもそのほとんど有り得ないが覆り現実となれば。椛はどうなるのか。どれだけ酷な仕打ちを受けるのか。想像するだに肝が縮む。とても平静ではいられない。


 椛は心を動かされかけていた。射命丸は椛に決定権があるような言い方をしているが、その実、離脱しろと命令しているのは明らかだ。それに従おうかと思う。なにも考えずに、見栄も体裁もこの瞬間だけは捨てて。なにせ一発勝負なのだから、椛には荷が重いというものだろう。射命丸もああ言っているのだ、ここで椛が逃げ出したところで後ろ指を刺されるいわれもない。それに、そうだ、そもそも椛は協力を頼まれた立場なのであり、それを一旦は引き受けたとはいえ、申請側が頼みを撤回するのであれば、結局は射命丸が全責任を負うことになり椛に負債は残らない。離脱しても椛はなにも悪くないのだ。


 ならば何故、離脱することにこんなにも気が咎めるのか。椛は思い煩う。逃げたところで椛に非はない。なのに躊躇う。心残りはないのに後ろ髪を引かれる。逃げ出したいと思う一方で踏み止まらなくてはという義務感が決して小さくない声を上げている。逃げるのか、それは卑怯だ(――自分に非はない)と自我が訴える。いや卑怯じゃない。椛は巻き込まれただけなのだから。卑怯者呼ばわりされる筋合いはない。


 椛は目頭が熱くなるのを感じた。射命丸の提案には込み上げてくるものがある。それは助かったという安堵感故なのか、見限られての無念が故なのか。それとも全く別方向からの感情なのか。椛は頭を抱えた。


 なにが正解なのか分からなかった。


「――もう時間が」


 と玄奘の一声。山には闇が積もりつつあった。猶予は残されていない。視認できる形で時間が椛を追い詰める。闇が混乱をより深いものにする。


「椛」


 射命丸は言った。


「迷ってくれて、有難うございます。椛の葛藤、手に取るようでした」


 椛は顔を上げられなかった。射命丸がどんな表情でそれを口にしているのかは分からない。


「責任感のない者ほど即断しがちです。しかし椛は本気で迷い、悩んでくれました。それだけで充分です。椛の正義、無駄にはしません。九劉の悪事はこの手で必ず白日の下に晒してやります。約束です」

「………」

「あとは、我々に任せてくれませんか」


 椛は嗚咽した。なにかしら返事をしようと努力したが、それでもしばらく言葉を見つけられずにいた。








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