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U.N.オーエンの正体は彼女なのか  作者: 貞晴
【第二章】 失跡の交錯
18/21

一方、人里ではというと(3)



 壺振りの禄朗(ろくろう)(さい)の目を開示した瞬間、客の反応は明確に割れた。予想を的中させたことへの歓声、安堵に混じり、憤然としたため息、舌打ちが狭い会場内の空気を埋める。むせ返るような熱気が一段と高まった。つぎは、つぎこそは、もうひと勝負、と血気盛んに次試合をせっつく男達。空になったばかりの白地の布に、次々と賭け金が積み上げられていく。その金額に応じて、丁半の片方を彫った板が手元に行き渡る。


「もういねえか、いねえな。打ち切りですぜ。ようござんすね。――では、入ります」


 禄朗は不正のないことを示してから、賽を茶碗型の(ざる)に放った。賽の転がる固い音。否応なしに緊張が高まる。盆ゴザに笊の口が叩きつけられた。禄朗は手早く笊を取り払い、怒鳴る。


「――丁!」


 再び響く、落胆と愉悦の声音。男達は一様に目の色を変え、狂ったように博打を楽しんでいる。彼らにとって、投資がもたらす損害と、それに見合った収益の二面性を孕んだこの手の勝負ほど、熱中できるものは他になかった。適度な恐怖と緊張感が、単調な日々の繰り返しにすっかりと萎えつつあった興奮と感動を呼び覚ます。畢竟、勝負には勝とうが負けようが、その興奮から官能的な刺激を得ること自体に意味があるので、憂さ晴らしにはもってこいということになる。博打に嵌っている輩の、ほとんどがそんな心地に違いない、と禄朗は、配当金を数えながら客の顔色を窺う。勝負に負けた男ですら、歯軋りしながらもどこか快楽に身を震わせている風情があった。


「へい、張ったァ張ったァ」


 怒濤の如く小銭を握った手が押し寄せる。手は銭を投げ、禄朗が差し出す引換板をひったくり、引っ込む。そのさまからは、餌の時間、柄杓の飯に群がる家畜の群れを想起させられる。大方、禄朗が牧場主といったところか。


「おら、まだのるか、のる奴はいるか。もういねえな、切るぞ? ――切った!」


 と、賽を手中で転がす禄朗から目を背け、(ゆたか)は座席を立った。


「おや、すかんぴんかい」


 脇で銭を勘定していた男が声をかけた。豊はそれに「飽きた」とすげなく応え、顔も合わせず部屋を後にする。襖を閉じる直前、またどうぞ、と揶揄するような声が聞こえた。


 肥えた鼠が屋根裏を走り回る音、何箇所も腐り落ちた天井に巣を張る蜘蛛の視線に囲まれ、廃屋然とした長廊下を進む。鼠が撒き散らした糞を踏むたび、草履がぬるりと後ろに滑った。大豆を腐らせたような悪臭がする。時折、左右の部屋で歓喜とも悲鳴ともつかない声があがった。蝦蟹(えびかに)、ちょぼいち、チンチロ、十四九(とおしく)に熱狂する博徒の声だ。倫理上、博奕はひとのためならずといった理由から、稗田が禁止条例を出している。にも拘らず、こっそりと博打に手を染める輩は後を絶たない。日によって開催場所を転々とし、密会のような外形を保ち、条例違反のそれは生き続けている。これに稗田が勘づいていないはずがないのだが、いまや黙認されているのが現状だった。


 建物を出てからしばらく、豊は目が慣れるまで瞼を半分おろしていた。およそ丸半日、閉め切られた部屋に缶詰状態だった。手で傘をつくり、なにか変わったことはないかと辺りを見回してみる。屋外でも賭けは行われており、なかなかに白熱していた。


 ひよこに番号を当て、一着を競わせ走らせている一団に、飛び抜けて大きな後ろ姿が丸まってあるのを認め、豊は近寄った。男の顔のすぐ横からレースを覗き込み、豊は薄ら笑って尋ねる。


「どれに賭けてるんだい」


 すると剛志(つよし)は指を一本、六匹中四番手を走るひよこに向けて、


「このポンコツ野郎だ」


 腹立たしげに吐き捨てた。豊は失笑する。自警団長の息子が、非倫理的な遊びに興じているのも可笑しかったし、よりにもよって当人の口から「ポンコツ」の単語が聞けるとは。よく出来た自虐だと思った。顔の傷を見るに、また父親に稽古でしごかれたのだろう。それの腹癒せに博打を打ち、しかも負けが込んでいるのは明白だ。豊はあんま熱くなんなよと助言を施して場を離れた。


 厳格さを具体化したかのような男を父とする剛志のように、日常生活から、ある一定の振る舞いを強要させられている不自由な者ほど、賭け事に没入する嫌いがある。普段、溜め込んだストレスをそこで解放しようというのだ。豊にしてもそうである。豊は仕事仲間にも、家内にも心を開ける対象をもっていない。爪弾きにされているわけではないが、孤立しているのは確かだった。母親はといえば、再婚してから父方の伯母のご機嫌をとるのに忙しく、豊に構うことをしなくなった。義父の正春にいたっては、豊を肉親として把握しているのかすら危ぶまれる。とどのつまり無関心のそれだ。


 豊に味方はいない。それに対し、まったく寂しくはないといえば嘘になるが、誰ひとりとして自分に関心がないのだと思うと、寂しさより先に、怒りを含んだどうでにでもなれという自棄が、腑の底でカッと発火し、腹から口腔にかけて熱いものが込み上げ、豊を苦しめた。里を出たいと思えるようになったのは、いつからだったろう。豊は、なんの面白みもない、自分の居場所がない人里に、もはや何の思い入れも抱いていなかった。里から出ていきたいと、心から願っている。


 もともと飽きっぽい性格で、十五歳で成人後、自警団に勤めてから早数年、豊は酷く辟易としていた。襲来の兆しがない妖怪に備え、物見櫓から森や山を眺めているだけの毎日。家に帰れば芋を甘く煮ただけの飯を食い、意識ははっきりとしているが、これといって別にすることもないため、夜の帳が下りきる前に布団に入る。起床し仕事場に向かう。昨日と全く同じ大自然を、日の出から日の入りまで網膜に焼きつける。


 そんな生活が死ぬまで続くと思うと、深い絶望に立ちくらみがする。それら一切合切を考えまいとするのに、博打はうってつけだった。興奮が現実を忘れさせてくれた。しかしここ最近、その興奮にすら冷めかけている自分がいることに気づいてしまった。いったいこれからは、なにを楽しみにして、この無限とも思える平凡な日々を過ごしていかなくてはならないのだろう。豊はすっかり憔悴していた。


 空を見上げると、太陽が西山に傾ぎつつあった。帰宅するにしては早すぎる。家にはなるべくいたくない。しかし非番ともなると、豊はいよいよ行くあてを見失った。どこかで時間を潰そうにも、金がない。賭けに飽きたのも本心からだったが、また文無しなのも本当だった。豊は途方に暮れて、なんとはなしに周囲を見渡してみる。右手の外れで、鶏同士が戦っていた。いけ、殺せ、と物騒な言葉が飛び交っている。豊はそちらに歩を進めた。


 片方の鶏が、両翼を大きく広げて相手を威嚇していた。もう片方の鶏は怯んでいるのか、首を前後にせわしなく動かしながら、目玉を二転三転させ、敵から離れようとしている。逃げるなと男が怒鳴る。トドメを、と女が叫んだ。よく見てみると、恐縮している方の鶏冠(とさか)には赤黒い血がこびりついている。かなり深い傷を負っているようだった。勝利を確信しているのか、無傷の鶏は身を震わせながら、弱った獲物を闘技場の隅に追い詰めていく。ついに、手負いの鶏が相手に背を向けた。羽ばたくように翼をばたつかせる。戦えと再び男が怒鳴った。しかし鶏は完全に戦意を喪失していて、怯えきった声で鳴いてばかりいた。


「いまよ、トドメよ。やれ、殺せェ!」


 両目を見開き、金切り声を上げる女、――それが雅美(まさみ)だと分かって、豊は足を止めた。自然を装って踵を返す。雅美の目は闘鶏の渦中に注がれており、すぐ背後まで豊が接近していたことに気づいた様子はなかった。なまじ顔見知りなのが災いして、絡まれると面倒なことになる。雅美は性格がかなりこじれていて、里のはぐれ者なのだった。避けられている人物と親しくしようものなら、あるいは親密な仲であると勘違いされようものなら、豊まで異端者扱いされてしまう。それは誰からも無関心であること以上に辛い気がする。


 背後で雅美の高笑いが聞こえた。どうやら決着が着いたらしい。


「あらまあ、なんてこと。目玉をほじくり出しちゃったわ!」


 南場の家屋で賭博は開催されていた。豊は無賃で休める場所はないかと思案し、あそこしかないかと呟く。そこまで歩いていくことにした。


 村の中心部へと続く小径を通り、大通りに抜ける。南場は、人里が里として機能する起源となった村であるため、ひいては昔ながらの廃屋同然の建物が多く残されており、住人も生気に乏しい年寄が大半ときたもので、どの家を見ても閑古鳥が鳴いているという按配だった。また、ただでさえ年寄がほとんどのうえ、里の外側に向けて設けられた関所は、あの毒霧渦巻く魔法の森と一本の道で繋がっている。それに恐れをなし、家族でまるごと南場から引っ越してしまう事例もままあった。南場の人口は着実に減少しつつある。いずれ完全に見限られるのも時間の問題ではないかと豊は思う。実際に、里を北上したところにある稗田の、さらに北を目指して土地開拓は滞りがなく進捗している。それが動かぬ証拠だ。南場は近いうちに必ず、地図からも、そして里民の記憶からも抹消されてしまうことだろう。そして、日に日に巨大化する毒の森に飲み込まれる末路を辿るのだ。


 ならばいっそ、と豊は時々考える。里の全土が森に取り込まれてしまえばいい。豊を飼い殺す里そのものが烏有に帰してしまえば、豊はきっと、この終点の見えぬ倦怠感にけりをつけ、第二の人生とでも呼ぶべき幸福への切符を手に入れることができる。当然、それなりのリスクは避けられないだろうが、少なくとも、今の境遇よりかは遥かに刺激的で充実した生活を送れるはずだ。もしもそれが現実に起こり得たならばと想像すると愉しかった。村がなくなり、自分を知る者が死滅し、豊という名を捨てて放蕩の旅に出る。妄想の世界では、豊は吸血鬼の良きパートナーとして紅魔館に身を寄せていた。というのも――。


 図書館にある「幻想郷縁起(げんそうきょうえんぎ)」を読むのが、豊の数少ない楽しみのひとつだった。物々しい書名のそれだが、噛み砕いていえば幻想郷の妖怪を紹介するための冊子といえよう。野良妖怪のみならず、山の妖怪のことについても詳しく記載されている。鬼、天狗、河童、猫叉(ねこまた)猿尾(えんひ)蛇狼(じゃろう)木菟(みみずく)等等。豊が見たことも聞いたこともないような種類の妖怪で一杯だ。それらの生態や歴史を読み解くたび、博打のときとはまた違った熱が腑の底で膨れ上がる。膨張した熱は豊の退屈を埋め、豊に一時的な充足感を与えてくれる。


 そしてなかでも吸血鬼が、抜きん出て豊のお気に入りだった。吸血鬼。まず語感が麗しい。名前からして高貴な感じがする。また名は体を表すともいって、実際、吸血鬼が住まう家というのは、「外」の世界でいうところの豪奢であり西洋風な建物ばかり。豊の家とは百八十度違っている。そこに住んでみたいと豊は強く思う。泥臭く、代わり映えのない地味な生活はもう懲り懲りだ。もっと気品に満ちた暮らしをしてみたい。――そう、高貴で上品でお洒落な、吸血鬼と共に。


 そのためには里を出ることさえ厭わない。吸血鬼の館、紅魔館を第二の寝床とし、豊ではない別人として新しい人生の幕を開ければ良いのだから。


(いつかチャンスがあれば……)


 豊は産まれ育った家を出、西を目指そうと目論んでいる。遥か西方、山を幾つも超えた先に紅魔館は建っていると本には書いてあった。豊は若く身体は逞しい。たどり着くだけの体力はきっとある。あと必要なのは、豊に旅を踏み切らせるだけの契機のみ。人生の転換期となり足り得る出来事。その候補に里の崩壊があった。里が滅べば豊は死に、豊ではない新たな生命体としてここに誕生できる。そして豊は、晴れて里の束縛から解き放たれるのだ。だから、


(なにもかも、ブッ壊れちまえばいい)


 南場の関所に差し掛かり、豊はふと整体処の前で足を止めた。ここで雪絵は働いている。雪絵は豊の従姉妹である。豊の父方の伯母、佳寿子の娘だ。佳寿子は娘の美貌を誇り、店の看板娘にしたがったと聞く。しかし当の雪絵がそれを拒んだらしく、雪絵は佳寿子の反対を押し切って整体師の資格をとった。子煩悩な母親から、早く独立したいという焦りが起因していたのかもしれない。それにしても、よりにもよってこんなに萎びた村で、老人相手に介護まがいの職に就くとは、なにを思ってのことなのか。どうせ働くなら、母親の店で客寄せをやってくれた方が豊としても得がある。美人に酌をされて喜ばない男はいない。金があれば、通ってやらないでもなかったのに。雪絵も惜しいことをする。


 視線を整体処から外す。と、期せずして、表で座り込む駄菓子屋の店主と目が合った。店主の目は豊を、雪絵に群がる身の程知らずな若造のひとりと見做していた、――ように豊には感じられた。すると途端に苛立ちが降って湧いた。あわよくば雪絵と親しくなりたいがため、彼女をつけ狙う男は里中ごまんといる。しかし豊は、なにも下心ありきで立ち止まったわけではなかった。ただ何となくで足を止めたに過ぎず、雪絵に近づこうとしたわけではない。


 それを、なんだ、こいつは。この老店主は豊を軽んじている。女の尻を追ってばかりいる能無しと豊を、同等の価値と見定めていやがる。――豊はそんな気がして、顔が熱くなるのを感じた。


(……胸糞悪ィ)


 豊は店主をひと睨みし、関所を抜けた。林道は日陰が多く、たまに吹き抜ける風が心地良い。だが豊の怒りは収まらなかった。収まるどころか、すれ違う村人全員が豊を軽視しているような妄念に囚われた。


 いつも無関心のくせして、こういうときばかり得意になって豊を非難する。なんて根性が荒んだ奴らなんだ。きっと地味で根暗な環境で育ったからに違いない(――それに比べて吸血鬼のなんて品がよく貴いことか)。里の住人なんて大同小異、程度が低い輩ばかりだ。まるで救いようがない。足裏に憤懣を込めて豊は地面を踏みしだく。そのとき豊は、道の反対から妹が友達と歩いてくるのを見た。


(あれは……)


 あおいだと分かり、知らず豊の口は邪悪に歪曲していた。あおいはチビで餓鬼のくせに豊より立ち回りが上手く、家族に愛される術を心得ている。豊はそこが気に食わなかった。気に食わないから、八つ当たりもするし軽く虐めてやったりもした。豊は愛情を注がれていないのだから、猫可愛がりされている妹に少しぐらいなら強く当たっても許される。むしろ当然の権利だと豊は思っている。

 

 豊は妹の連れを確認する。男の子はなよなよとしていて、適当に脅してやれば言うことを聞く弱虫に見えた。親に告げ口する度胸はなさそうだ。もし大人が介入すると面倒なことになる。豊は前後を見渡した。豊たちの他には誰もいない(――よし)。豊は駆け出した。


 あおいは友達と話し込んでいて、前から来る豊に気づいてないようだった。豊はオイと声をかけ、ふたりが顔を豊に向けた瞬間、足元の砂を思い切り蹴り上げた。あおいとその友達は両目を覆い、小さな悲鳴をあげて蹲る。豊は哄笑した。


「悪ィな。足が滑ったんだ」


 酷い、とあおいが蚊の鳴くような声で言う。豊はなおも笑っていた。


「お前らも悪いんだぜ、急に顔を上げるから。まあ、どっちも悪かったってことで、特例だ、このことは誰にも言わないでおいてやるよ。だから、お前らも黙っとけよ。いいか! 親なんかに言ったらぶっ飛ばすからな!」


 豊は唾を吐き捨てて、その場から逃げた。幾らか腹の虫はおさまったが、中集落の関所を潜ったときには再び倦怠感が募っていた。豊は溜息をつく。妹に八つ当たりしても気が晴れた試しはない。後には虚しさと少しばかりの自己嫌悪だけが残る。豊は大々的に舌を鳴らして、東寄りに歩を進めた。またもや豊を軽蔑する目が飛び交った、――ような気がした。


 吉蔵もこんな心持ちだったのだろうか。変化も新発見もない、代わり映えしない毎日をだらだらと、ただ生き存えていることに飽いていたのだろうか。豊は人妖の共存支持者ではあるが、そう思うと、吉蔵の暴挙にもほんの少し共感する部分があった。吉蔵の暴走は、退屈という病がもたらした症状の一例であったのかもしれない。


 人間は動物と違うのだ。人間は退屈な事象に直面すればそれが自分にとって毒になることを認識し、どうにか打開したいと思考する。吉蔵もまた思考し、彼なりに弾き出した結論に従って行動を起こしたに過ぎなかった。その弾き出した結論というのが少々暴力的だったというだけで、影では野蛮だとか野獣だとか囁かれている吉蔵の心情を理解するのはそう難しいことではない。あるいは吉蔵こそが真の被害者だったのではないかとさえ思えてしまう。吉蔵は暇に精神を蝕まれ、見境がなくなってしまった。そう、彼こそが騒動の一番の被害者だった。――そんなことになりはしないか。


 道中、豊は気分転換しようと、意識してとりとめのない事ばかり考えていた。そうでもしないと胸を締めつけるだるみに耐えられる気がしなかったから。邪念を追いやって集中した。目的地までの移動が以前より長く感じられた。


 古色蒼然とした建物に入る。入ってすぐにカウンターがあり、司書の逸一(いつひと)が薄暗がりのなか、カウンターの台に乗せた本を食い入るように見つめていた。確か年は豊の義父と同じくらいだったか、それにしては年齢より老けて見える。真っ白な髪、極端な猫背が老けの印象の原因かもしれない。逸一はどこか他人を寄せ付けない孤高の雰囲気を纏っていた。この司書を解雇しない限り、図書館の客足が増えることはないだろうなと豊は思う。

 

 豊は図書館の奥へ奥へと進んだ。豊の他に利用者の姿はない。建物は息を止めたように静まり返っている。村人はおおよそ読書の習慣というものを定着させていない。たまに本に関心を示そうものなら、村人は稗田の書店に流れた。重厚な専門書に興味をもつ者が少ないのだ。


 豊も本を読むことが特別好きなわけではなかったが、図書館には定期的に足を運んでいた。幻想郷縁起を読むためである。貸出を禁止しているこの本は、豊が読もうと思うと必ず所定の位置に置かれていた。それを手に取り、書架のすぐ横に腰を下ろす。鬼の項目から吸血鬼の欄を手繰った。そして自分の憧れが本物であることを噛み締め、豊は胸がすく思いで想像する。闇夜を統べる高等種族、吸血鬼の仲間入りを果たした豊自身の晴れ姿を。




 広場は子供の遊び場だ。もともと開拓地だったのが、妖精の邪魔が入って頓挫して以来そのまま放置されている。切り倒し積み上げた丸太や、梁が丸見えの家とも呼べない中途半端な建物は遊具になった。寺子屋帰りに広場で道草するのを習慣とする子供は大勢いる。


 圭介、あおいと名乗る少年少女はそこに向かう道すがら砂をかけられたのだという。南場に住む主婦が、ふたりを南場の駐在処まで連れてきてそう説明していた。いま子供たちは自警団員に付き添われ、裏手の川で水浴びをしている。冷たい水が嬉しいらしく、駐在処のなかまで黄色い声が響いてきた。


「これも吉蔵の仕業だったりしてな」


 椅子に凭れる伸平(しんぺい)が冗談っぽく言った。違いないと苦笑気味に相槌を打つのは東吉郎(とうきちろう)である。


「謹慎を抜け出して、弱いモンに八つ当たりしたってところか」

「ああ。まるで野犬だよ。誰にでも噛みついちゃうんだ」

「分かり易い憎まれ役だね。そのうち背中から刺されることになるよ、きっと」


 東吉郎は鹿爪顔で伸平を指差した。


「仮にお前が吉蔵を闇討ちしたとしても、俺は素知らぬ顔をしてやるぜ。だから、な。安心して事に動いてくれ」


 伸平は苦笑した。


「やめてくれよ。俺はそんなに肝が太くない。それに俺が手を下さなくても、恨みを募らせてる奴は掃いて捨てるほどいるんだ。ほら、同期の平次(へいじ)なんて如何にもだろう」

「平次って、東場の平次かい」


 東吉郎はきょとんとする。


「女を殴られたんだっけ」

「いや寝取られたんだ。吉蔵に強引にひん剥かれてな」

「はあ。おいおい、それって」


 東吉郎は目を丸くする。


「しょっぴかれても文句言えねえぜ、そりゃあ」

「ところがどっこい、それでも吉蔵は、酒に酔ってた、記憶にないを逃げ口上にお縄を躱したんだ」

「しかし平次と、その女が黙ってねえだろう」

「だから寝取ったんだっての」


 伸平は厭らしく笑った。


「女は吉蔵の荒い運転に、すっかり心を奪われちまったんだ。損をしたのは平次だけってことさ。嫁を取られて、いまじゃ子持ちの男やもめよ」

「な……」東吉郎の笑いがひきつる。「なんだそりゃ、ぞっとしねえ」


 席を立ち、東吉郎は水を汲んだ湯呑を片手に落ち着きなく歩き回った。それを見て伸平は意地悪そうに笑う。


「こんな話もあるぜ、稗田のとある若い女――これも人妻なんだが――夜中、店じまいにしようと戸締りをしていたんだ。折しもその日、旦那は家を出ていて女は独りだった。でまあ、独りだったのが運の尽きさ」


 伸平は肩を揺らして笑う。


「もう大体、分かるよな。そこに酒で正体を失った吉蔵がやってきて、女を見つけるや押し倒してよ」

「ああ、もういい、もう分かったから」


 東吉郎は手を振った。


「素敵な話はどうもありがとう」


 皮肉っぽく言って、湯呑の水を飲む。そのとき戸口が軋みながら開き、左之助(さのすけ)が半身を覗かせた。


「どうした」


 伸平が問うと、左之助は無骨な顔に疲労感を浮かべて、


「子供たちを広場まで連れていくことになった。しばらくここを離れる」

「はあ、どうしてわざわざ」


 伸平が言うのと同時に、左之助の後ろで彼をせっつく声が飛び交った。左之助は肩をすくめる。


「なつかれたんだ……」


 ぽつりと言って、左之助は戸を閉じた。伸平は苦笑する。


「流石は左之助お父さんだ。餓鬼に好かれるのがお得意だと」

「俺もそろそろ身を固めてえなあ」


 東吉郎は切実に呟いた。


「俺も綺麗なお嫁さんが欲しい。あと、そうだな、子育てにも挑戦してみたい」


 伸平は鼻で笑った。


「どうせ寝取られんのが関の山だって」

「うるせえ」

「悪い悪い、本気にすんな」


 伸平は笑って、それから口元を引き締めた。


「まあ、それはそれとしてだ。ちょいと、自警団員らしい真面目な話をしようじゃないの」


 東吉郎は瞬く。


「なんのことだい」

「惚けんな。餓鬼に悪戯してずらかった奴のことだよ。どこのどいつが何を思ってのことかは知らねえが、放っておくのも寝覚めが悪いだろ」

「まあ、そうだな。聞き込みでもするか」


 ああ、と頷いて伸平は腰を上げる。


「場所は、南場と中集落をつなぐ正道だったな。俺が行って現場を見てくる」

「了解。同行しようか」


 伸平は気怠そうにかぶりを振った。


「詰所を空にするのも不味いだろう。それに見てくるだけだ。独りで事足りる」

「そうか」

「ま、任せとけって」


 伸平は尻を掻きながら駐在処を出た。日差しを浴びた途端、体中の生気を搾取されたかのように身体が重くなった。外は日射が厳しく蒸し暑い。思わず息が漏れる。


 まったく、くだらないことをする輩もいたもんだ。伸平は呆れる思いで犯人像を脳裏に描く。被害に遭った子供たちは犯人の顔を見ていないと話していた。だとすれば事件の目撃者を探したいところだが、そう都合よく見つかるものでもない。これは勘だが、犯人は男だと伸平は思う。それもとびきり捻くれた、卑屈な野郎だ。そう、例えば吉蔵のように身勝手で、自己中心的な。荒っぽくはあるが、しかし子供を標的に選ぶだけあって度胸がない小物。そんな男。――そいつが犯人だと伸平の勘は訴えている。




 しばらくして豊は集中を途切れさせた。なにか物音を聞いたような気がしたのだ。まるで誰かに声をかけられたような、肩に手を置かれたような感じ。豊の他に利用者はいないのに。奇妙に思いながらも豊は座り直し、再び本に集中しようとした。物音の原因に合点がいったのはそれから少ししてだった。


 司書の逸一の話し声を聞いた。入り口付近だ。豊は首を傾げた。逸一は読書中、話しかけられてもそれを無視するか、ぞんざいな反応しか示さない。対人が苦手な男のはずだ。それがどうしたことだろう、長々と言葉の応酬をしているから気になった。


 話し相手は女のようだった。まさか嫁がいるのかと思ったが、それにしては声が幼かった。娘というのはもっとありえそうにない。まさか愛人か、逢引の最中なのか。豊は本から目を離し、耳を澄ました。逸一が朴訥した調子で少女の質問に答えている。リンノスケという単語が繰り返し発言された。少女はひとを探しているようだった。


 ――リンノスケ。


(はて。そんなやつ、村にいたっけか)


 やがて会話は途絶え、微かに表戸の開閉する音がした。豊は大きな欠伸をひとつする。こんな暑い日に人探しとは、ご苦労なことだ。豊は再び本に目を落とし、自分の思い通りに躍動する世界に浸った。











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