表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
U.N.オーエンの正体は彼女なのか  作者: 貞晴
【第二章】 失跡の交錯
15/21

積もる圧迫




   【3】




 山中を飛行する犬走(いぬばしり)(もみじ)は澱のような憂いを胸に留めていた。


 鴉天狗の射命丸が訪ねてきたのは昨日の夕刻のことだった。勤務先から出張所に直行したと見え、疲労の色を醸していた彼女は椛を個室に呼び出し、前置きもそこそこにお願いを切り出した。


 同部署の女の子がストーカー被害に遭って困っている、犯人は確定していると言っても良いのだが、とある事情から一筋縄では処理できない、そこで戦力が必要だ、どうか力を貸してくれないだろうか、と頭を下げられた。


 鴉天狗は白狼天狗より格がうえだ。椛は慌てて射命丸に姿勢を正させ、とある事情とやらの詳細を尋ねた。そうしてその件に加担することがいかに危険であるかを認知したうえで頼みを聞き入れた。

 

 しかし憂鬱を拭い去れないのは、ストーカーの正体が上司の九劉であるためだった。そんじゃそこらの破落戸(ごろつき)を相手取るならともかく、争う相手が山の権力者とくれば否応でも気が重くなる。射命丸は犯人が潔白を取り繕うことのできない状況下で身柄を拘束したいと説明していた。穏便に話し合いで解決、というわけにはいかない。きっと荒事になる。そのうえ取り逃がしたとあれば、後日、彼は権力を振りかざして抗い難い口封じに動くだろう。山を追放されるのは当たり前として、それに加味して何か凶悪な罰が与えられる気がしてならなかった。椛はそれが恐ろしかった。その点、射命丸は気が楽でいいなと思う。射命丸は天狗族の一等星みたいな存在で、もしも彼女の身に危害が及ぼうものなら取り乱す天狗が必ず続出する。したがってそうそう酷い罰は受けない。いっぽう椛は、迎撃部隊の隊長補佐と身内ではそれなりの地位に属しているとはいえ、所詮は白狼天狗。まさか殺されてしまうことはないと思うが、失敗したときのことを想像するだに肝が縮んだ。


 正直、面倒事には巻き込まれたくない。懲罰なんてまっぴらだ。しかし射命丸は自分の力量を見こんで助力を求めた。椛が危険を承知で作戦に加担したのは、その信頼を(そこな)いたくなかったからだった。見栄を切ったといえばそうかもしれない。若干、後悔しているのもまた正直なところだった。


(……やりきれないなあ)


 椛は自宅を出てから、日課通り守矢神社で朝の勤行に参加し、その足で勤め先に向かっていた。出張所は樹のうえで枝を足場に建っている、木造建築の小屋だった。そこには迎撃部隊の隊員数名が、報告があればいつ何時でも出動できるよう、常時、数名は詰めている。出張所は山に複数あるが椛の持ち場はこの建物と決まっていた。一メートルほどはみだした足場に降り立ち、挨拶をしながら木製のドアを開けると、控室にいた六人の白狼天狗が椛に注目した。


「ああ、おはようございます」


 長方形の木机に備わった木目の椅子で、雑誌を読んでいた(かなう)が頭を上げる。それに続いて随処からちらほらと返される挨拶を浴び、椛は彼の二つ分隣りの席に腰かけた。


「珍しいですね、こんな早くから出勤されるなんて」


 今晩用事があって、と椛は答えた。叶の言うとおり、隊長に腕を買われており、何かと物騒な夜警に廻されることの多い椛は、昼前から出勤するのは久しぶりだった。勤務時間の変更は、隊長に願い出るか、都合が合う同僚に穴埋めを任せるかするかで容認される。椛は前者で、今日一日、昼前から午後にかけてに割り振ってもらうよう願い出ておいた。


「これ、今日の分です。目を通しておいてください」


 叶から差し出された紙の束を受けとる。全部で二十枚ほどの報告書類だ。いつ誰が、何の用があって山を出入りするかが記されている。順に紙を捲っていく。顔写真を挟んだ報告書が大半を占めているが、山外から入山を希望する妖怪の写真までは補い切れていない代わりに、種族名と、身体的特徴が書かれた紙が幾らか交ざっていた。ざっとチェックし、束を整えて叶に返却する。


「はい、どうもです。――デートですか?」


 叶がにやりと笑うのに、椛は意味をとりあぐねて「はあ」と瞬いた。


「なんですか、藪から棒に」

「いやねえ、今晩、用事があるとのことでしたから」


 雑誌に再び目を落とし、叶は微笑を浮かべる。


「なんとなく、そうなのかなあって思って」

「違う。出かけるの」

「外にですか?」

「いいえ、山からは出ないわ。ていうか、あんまり詮索しないで欲しいんだけど」


 叶は苦笑して、すみませんと謝った。あまり会話もしたことないのに、馴れ馴れしいなと少し腹を立てて椛は席を立った。

 

 椛は憂鬱なまま自分の棚に向かい、奥から文庫本を引っ張ってきた。先程の椅子に座って付箋を貼ったページを開く。もう十数時間後には九劉との対決が控えているかと思うと時間が早く過ぎて欲しかった。濡れた綿で首を少しずつ絞められている気分だ。本に集中しようとする。と――。


「そういやお前、()っちゃんと最近どうよ」


 部屋の角で雑談する男たちの声が耳に届いた。意識的に振り払おうとするが、聞かんとすればするほど声は耳に響く。男は二人組で話をしているようだった。


「どうって別に、なんもねえけど。どうかしたのか」

「いやそれが、ここんとこどうも、あいつ、俺らを避けてる気がしてさあ」

「避けてる? 嫌われるようなことでもしたのかい」

「それが身に覚えがねえのさ」


 男の片割れが唸った。


「それだけじゃねえ。俺だけじゃなくて、つるんでた奴ら全員を避けてる感じなんだ。ばつが悪い思いをしているのはあっちなんだろうよ。何か俺らに顔向けできねえことでもしたのかなあ」

「はあん。よく分からねえが、一匹狼、気取ってるだけじゃないの?」

「いや、それが季っちゃん、孤独に酔ってるって感じでもないんだよな。実際、俺らのことは避けてても、他の連中の輪にはちゃっかり加わってるみたいだし」

「他の連中って?」

「俺やお前じゃ顔と名前が一致しねえような奴らだ。まあとにかく別グループの連中ってことさ。これまで親しい気振りなんて微塵も見せなかったのに、いまやあっちが昔ながらの友達とでも言いたげにつるんでやがる」

「まさかそんな。季っちゃんってかなりの人見知りだろう。いまさら鞍替えなんてするかね、普通」

「な、訳分かんねえよな。こんなのっておかしいぜ」


 片方の男がまた唸る。


「シフトも夜遅くばっかりに替えてるし、はてな、いったいどういう心境の変化なのかねえ」


 伝達部隊の隊員から報告がない限り、迎撃部隊は基本的に暇を持て余した。読書しようが無駄話に興じようが、文句を口にする者はいない。椛はページを手繰った。物語にのめり込めず、活字を視界に納めるだけの作業になっているが、手を動かしていないと思考は悪い方向にばかり傾ぐ。満腹なのに、無理矢理、食道に食べ物を通しているような心地だった。


 息苦しい時が流れるなか、時折、伝達隊員が入山、下山希望者を伴ってやってきた。その折りに椛たちは書類の記載事項と照合し、入山、下山の可否を告げた。山に変事が起こらない限り、山の出入りを希望する妖怪にそれ相応の資格と教養があるかを見定め、最終的な決断を下すのが迎撃部隊の仕事だった。


「お客さんですよー」


 と言って、伝達隊員が連れてきたその妖怪は椛がひとりで担当した。写真付きの書類を片手に、男の顔と名前を照らし合わせる。赤茶けた髪に髭。名は柿昌(かきまさ)。鴉天狗の手がける新聞を里や里付近に配達している猿の妖怪。柿昌は入山を希望していた。


「どうぞ。入山を許可します」


 と告げてから踵を返した椛を、柿昌はおずおずと呼びとめた。


「あのう……」

「あ、はい」


 椛は柿昌に向き直る。


「どうかしましたか」

「そのう……おれ、射命丸様へ宛てた言伝をお預かりしてるんです。だども、射命丸様がどこにいらっしゃるのかが分からねえ。こっちのお方も存じてねえそうでして」


 柿昌は伝達隊員をちらりと一瞥する。それから視線を椛に戻して、


「案内を乞いたいんだが、お願いできるだか」


 申し訳なさそうに眉を八の字に曲げた。


「……ああ、ええ、構いませんよ」


 椛は頷く。内心、妙な符合だなと驚いていた。椛は、夜になる前に彼女ともう一度会っておきたいと思っていた。それで少しでも不安を紛らわせればと望んでいた。なので柿昌の依頼は都合が良かった。椛は、叶に振り返って「ちょっと留守にするから」と断わってから、


「同行します。ただし、くれぐれもうるさくせず、私から離れないように。鴉天狗の皆様はお仕事中ですので」


 人差し指を立てて念を押す。柿昌はそれに大真面目な顔で頷いた。




 博麗神社の巫女、霊夢が幻想郷の窮地を救う。ときには異変の圧倒的な暴力に屈服してしまいかけるが、霊夢を支える仲間たちの援護もあって最後は勝利を飾る。異変の火付け役となった妖怪はこっぴどく叱られ、改心する。そして霊夢を取り囲む仲間が増える。しかし束の間の平和を脅かす妖怪は後を絶たず、主人公達は次なる異変を鎮めるために尽力する。――と、そんな按配に、射命丸の執筆する連載小説はもはや聞き古された王道のど真ん中を突き抜けている。それが大衆に高く評価されたのは射命丸にとって予想外のことだった。短期連載のつもりが、いまや幻想郷の数少ない娯楽のひと項目にまで成り上がっている。正直、浮かれている面もあった。それでも射命丸は至って真摯に作品と向き合った。こうなったら読者をとことん楽しませてやろうという闘争心に火が点いたのだ。そして夜毎、原稿用紙に筆を走らせてきた。が――。


 ここ最近、突然、筆が進まなくなることがあった。原稿用紙に文字を書き殴っていて、ふと気づけば、手が石化したように停止してしまう。そんな時は、いくらやる気を奮い立たせて執筆を強行しようとしても無駄だった。幾許かもしないうちに脳が摩耗したように虚ろになる。何故かは分からない。書こうとする意志さえも体外に洩れ出ているようで、思考が鈍麻する。


 玄奘(げんじょう)に昼飯を誘われたその日の晩も、手が止まった。明日のことを考えればそれどころではない、という気持ちもあっただろうが、核心的な理由は別所にあったと思う。そういうときには決まって倦怠感にも似たむず痒さに襲われた。何なのだろう、あれは。ただのスランプにしては悪質な気がする。


 射命丸は諦めて鉛筆を放った。文々。新聞を順調に仕上げ、自室で書けないのなら職場ではあるいは、と意気込んで適当な用紙に下書きを試みたものの、見事に撃沈した。胸にはもどかしさだけが残る。射命丸は深く溜め息をつき、頭を抱えて書机に両肘を置いた。


 部屋は夜明け前のように薄暗い。無双窓が板壁にふたつ設置されているが、そこから射しこむ陽光はあってないようなものだった。暗がりには程よい緊張感が溶けこんでおり、たまに思い出したかのように誰かが咳払いをするくらいで、鼻をかむのも場違いなほどの静寂が降りている。射命丸の溜め息に、向かい席の飛彦(とびひこ)が微かに反応を示した。射命丸の顔を一瞬だけ盗み見し、不快感を露わにしてまた机上に目を伏せる。集中の妨げになってしまったようで、射命丸は小声で非礼を詫びた。それから首を回し、何行か横書きにしただけのメモ用紙を改めて眺めてみる。


 そこから感じとれるのは、とりとめのない違和感。いわば曖昧模糊とした不具合。混沌。これじゃない、という本能的な訴え。しかし違和感の核心を突くとなると難しい。射命丸は顎に指を添える。この執筆の歯止めとなる感情はどこから生みだされ手を止めるのか。……やはり分からない。目を凝らせば、細い霧の合間から違和感の輪郭はおぼろげに見えてくるのだが、それを築いている肝心の支柱が、濃密な白霧に覆われていて判然としない。分かるようで分からない。そんな心地だった。


(……いまは悩むだけ無駄かもしれない)

(モチベーションが回復するのを待とう……)


 副業は一旦捨ておき、雑誌の編成に着手しようと思った。空っぽの(すずり)に朱墨を垂らした。横手に寄せておいた紙袋から分厚い資料集を取りだす。


 資料には、過去に発行した雑誌の売上と、記事内で取り扱った内容が統計的に保存されており、時期に応じて購入層の関心を引く話題を的確に押さえられるようになっていた。几帳面な射命丸のお手製である。重要と思われる情報に朱い線を足していく。他部署に業績で劣るとチームで連帯責任を負わされるのだ、本業には一層、気を使わなければならない。


 三分の一ほど見直したところで、部屋の呼び鈴が甲高く鳴らされた。八人は一斉に顔を上げる。どちら様ぁ、と怠そうに声を上げたのは妙鬼暗(みょうきあん)だった。例のように全身から強烈な香水の香を放ち、戸口の方に上身を捻った。


 誰か、という射命丸の声に応え、すっくと立ち上がって出入口に向かったのは奈陀(なだ)だった。物腰の柔らかな彼女は応接に適性だ。仕事部屋に鍵は掛かっていない。戸を開くと、外には椛と見知らぬ妖怪が立っていた。


「お忙しい中、失礼します」


 奈陀にお辞儀をして、椛と男は顔を見合わせる。


「文さんはおられますか」


 椛が問うと、奈陀はひとつ頷いて部屋の奥に目を向けた。


「文さん、犬走さんが」

「――はい」


 椛が自分を訪ねてくる理由は何となく察しがついた。いま椛の胸中では不安が渦を巻いているはずだ。射命丸と接触することによってそれを発散できればと考えているに違いない。奈陀には自席に戻るよう指示し、射命丸は広縁に出、後ろ手に戸を閉じる。部屋を変えてから話を開始してもよかったのだが、その前に射命丸は初対面の妖怪に会釈した。


「初めまして、射命丸文です」


 手を差し出すと、妖怪は狼狽を顔色に滲ませ、畏れ多くもといった態でその手を握った。


「お、お初にお目にかかります。猿尾の柿昌っちゅうもんだ」

「椛のご友人?」


 いえ、と椛は否定した。


「ついさっき顔を合わせたばかりです。検問所で、柿昌さんにここまでの案内を頼まれまして」


 射命丸は手を離して男を見た。


「私に何か」

「そのう、伝言をお届けにお伺いした次第でして……」

「ほう。それはそれは、わざわざご苦労様です。どちらからでしょう」

「あいや、おれより、こちらのお方の御用件を先に」


 柿昌は椛に顔を向ける。


「いや、私は後回しでお願いします。少々、長くなると思いますので」


 椛の用件とは今夜の件だろうな、と踏み、射命丸は小さく頷く。伝言はどちらから、と柿昌に再度、問うた。


「へえ。そのう、キリサメ様からでごぜえます。御存知でしょうか」


 霧雨霧雨、と射命丸は口のなかで復唱する。すぐに若い魔法使いの快活な笑顔が思い浮かんだ。魔理沙から連絡を寄こすのは初めてだった。射命丸は「ああ、魔理沙さんですね」と手をポンと打つ。


「へえ。左様でごぜえます」

「で?」

「香霖堂の主人様を見なかったか、とお尋ねになられていただ。というのも、主人様、長いこと店に戻ってなくて。主人様をお探しになられているだ」


 射命丸は顎に指を添え、「ふうむ」と唸った。香霖堂の主人、――森近霖之助のことだろう。対座して正式に会話をしたわけではないが、顔や身形、職業は心得ている。確か魔理沙の古馴染みとかで、彼の経営する店では「外」の界隈から仕入れた物珍しい商品も扱っているのだとか。


「残念ですが……」


 射命丸は首を振る。


「私は見ていません」

「ああ、左様でごぜえますか」

「ちなみに椛は?」

「見てないと思います」


 椛も首を横に振った。


「そうですか。しかし、だとすると魔理沙さんが気の毒ですね」

「へえ、お気の毒です。なにぶんにも今日でぴったし七日目だ」

「えっ」


 射命丸は目を丸くする。


「七日目?」

「へえ。主人様がいなくなられて、もう七日も経つんです。それで霧雨様、おいたわしや、随分とぴりぴりしておられただ」

「それはそれは、気を張られるのも詮方ないというものです」


 射命丸は苦々しく頷いた。


「七日間も音沙汰がないなんて普通じゃありません。半日あれば、どの妖怪でも大概は幻想郷の両端を行き来できます。それは人妖(じんよう)の霖之助さんにだって難しくないことです、なのに」

「外に出ているという可能性は」


 椛が口を挿んだ。


「幻想郷の外まで商品を仕入れに出ているというのは、考えられないんですか」

「霖之助さんは外に出ることができない」


 射命丸は再び首を振る。


「霖之助さんがどのような経路を利用して外界の品を手に入れているかは知りませんが、あのひと自身は幻想郷の敷地を越えることはできません。無理に越えようものなら博麗神社で展開する結界が緩んでしまい、幻想郷の内外が混濁してしまい大混乱を招きます」

「しかし七日ですよ。まだ幻想郷内に滞在しているというのは考えにくいのでは」

「ええ、椛の意見はもっともです。私も、霖之助さんは幻想郷の外に出ているものと思っています。彼ひとりなら結界の突破は不可能でも、守矢神社の諏訪子(すわこ)さん、神奈子(かなこ)さん、紅魔館のパチュリーさん辺りの妖力、魔力を借りれば、不可能とも断言できません。――あくまで推論の域ですが」

「まさか、外出先で事故にでも遭ったんじゃ。郷内に引き返そうにも怪我で動けないとか」


 椛の言葉に射命丸は不安心を誘われた。


「いんや、それは有り得ねえはずです」


 柿昌が言った。


「店は表戸にも勝手口にも、窓にも全部鍵が掛かっていただ。だども霧雨様がおっしゃることには、昨朝、表戸の鍵が開けられていたとかで、どうやら主人様、いったん店に帰ってきたみたいなんです。何でも表戸を開く鍵は主人様が店を空にするときに持ち歩いている一本きりとかで、スペアはないそうだから、鍵を開けたのは主人様に間違いねえって」

「はあ。ということは、霖之助さんは一度、帰宅したはいいものの、ろくすっぽ戸締りもせずにまた出て行ったということですか」

「たぶん」

「ふうん。なんだか道理に合わない感じがしますねえ」

「表戸を開けっ放しにしていることがですか?」


 と、椛。


「それもそうですが、なにより肝心の本人を、誰も目にしていないことが引っかかります。要は鍵さえ持っていれば、霖之助さんじゃなくても扉の開け閉めは可能だということになりますから。それでは霖之助さんが店に戻ってきた証拠にならない」


 そんな、と柿昌は声を上擦らせる。


「射命丸様、つまりそれって、主人様ではない別人が店の鍵を使って、香霖堂に出入りしたってことでごぜえますか」

「ええ、まあ。あくまで推論ですが、可能性はゼロではないかと」

「でしたら、やはり主人様は幻想郷の外で事故に?」

「その可能性もゼロではありません。ただ、それもまた推論です。確かなのは、霖之助さんは七日も姿を消しているということ。明らかに異常事態でしょう。それに魔理沙さんのことも気になります。――椛」


 はい、と椛は反射的に背筋を伸ばした。


「白狼天狗の皆さんに、森近霖之助という男が入山希望者のなかに紛れていなかったか聞きこみをしてみてください。私はその他の妖怪を当たってみます」

「はい、了解です」

「それから柿昌さん。魔理沙さんに伝言のお返しをお願いします」

「へえ」

「――射命丸は山中を探す、山外は任せられたし。以上」

「へえ。確かにうけたまわっただ。もしさらにご返信があるようだったら、明日にでも、また仕事場にお邪魔することになるかもしれませんが、よろしいだか」

「もちろん。大いに結構です」

「了解しただ」


 柿昌は力強く頷き、射命丸と椛に一礼してから立木に飛び乗った。猿のような身のこなしでするすると枝から枝へ両手を交互に運び、山の奥へと消えていった。残った椛が「あの」と口を開く。


「聞きこみの前に、私も一件、お話が」

「――今夜のことですね」


 射命丸が自然と声を押し殺して問うと、椛はどこか面目無さそうに、はい、と答える。


「それでしたら立ち話もなんだから、場所を変えますか。残りの二人も呼んできましょうか」

「あ、いえ、そこまでしていただく必要は」

「まあまあ、少し待っていてください」


 射命丸は仕事部屋に戻り、机に向かう玄奘と奈陀の肩を黙って叩いた。部屋の外を促すと、二人は射命丸の心中を汲んで素直に従った。


「こっちへ」


 奈陀と玄奘が初対面の椛と挨拶を交わし、四人は広縁から、鎖で木の板を連結し、手摺の代用として太い綱を伸ばしただけの吊り橋を渡り、休憩室に入った。部屋の中央には丸テーブルが据えてあり、それを囲んで着脱可能な切り株が椅子代わりに設置されている。壁にはひとつ、嵌め殺しの丸窓がある。そこから射しこむ陽光は案の定あってないようなもので、部屋は薄暗い。仄かな脂臭さが嗅ぎとれるのは、飛彦か清光(せいこう)がここで煙草を吹かしたからだろう。


 仕事部屋より二回りも狭い造りのため、全員が切り株に腰を下ろすと四人は手のやり所に窮した。たとえばテーブルに乗せると肘が隣りと接触し、横に投げ出してもやはり指が当たる。はたして誰から言いだすでもなく、四人の両手は自分の膝のうえに乗せられた。


 さてと、と射命丸は一同を見渡した。顔色の優れない椛に、俯いて毛先の一本も動かさない奈陀。各々、思うところがあるのだろう。玄奘は努めて毅然と振舞っているようだったが、射命丸に差し向ける視線には救いを縋るような念が込められている。


「で、椛からの話というのは」


 射命丸が水を向けると、椛は言いにくそうに「作戦の確認を」とだけ言った。射命丸は、はい、と頷く。


「やり直しのきく作戦じゃありませんからね。くどいぐらい話し合っておいて損はないはずです」


 射命丸の言に、一同は畏まって頷く。


「作戦の全体を包括すれば、とどのつまり私達の最終目的は九劉の捕縛にあります。それもただ捕まえるのではなく、奈陀さんへのストーキングを彼自身が認めざるを得ない状況下でお縄にすることが条件。――いや、絶対条件です。そのためには、この場にいる全員でまとまりのある連携をとることが必須となってきます」


 それを切口に始まった会議は中々に長引き、椛が去り、射命丸が業務を再開させようとした頃には昼になっていた。三人で仕事部屋に引き返すと、妙鬼暗の姿がなかった。


「彼女、独断で中休みに突入してしまいまして。いまは食事に出ています」


 苦笑気味に清光が言った。射命丸はやれやれ、と肩をすぼめる。仕方なく妙鬼暗を除いたメンバーに休憩するよう指示を与えてから、一服しに行こうと腰を上げた飛彦と清光を呼びとめ、射命丸は霖之助を見なかったかと問うた。


「森近霖之助、……香霖堂の店主の方でしたよね。何かあったのですか」


 清光が問い返すのに、射命丸は「ええ、まあ」と濁して答える。七日間姿を眩ましているとありのままを打ち明けるのは気が引けた。


「山まで配達に来たと小耳に挟んだもので。どうせだから取材をさせていただけないかと、ちょうど探していたんです」


 ああ、と清光は納得顔で頷く。


「そういえば、里中に名が知れているわりに、店主に取材を申し込んだことはありませんでしたね。それは美味い記事になりそうだ」

「やっぱりそう思いますか。ずばり幻想郷の外側についての見識をお尋ねしたいと企んでいます」

「へえぇ。きっと人間のみならず、妖怪にも注目されることでしょう。でも彼のことですが、私は聞き及んでおりませんので。申し訳ない」

「ああ、そうでしたか。――飛彦さんは、なにか?」


 知らん、と飛彦はぶっきらぼうに答えた。清光は苦笑する。


「というわけで、申し訳ないが価値のある情報は提供できそうにありません。私たちより、麓を警備している白狼天狗が何か知っているかもしれませんよ」

「ええ、それもそうですね。あいや、お呼び止めしてすみません」


 山の妖怪は滅多なことでは下山しない。清光と飛彦もまた然り。山から出ないということは、山外の住人である霖之助の行方を把握していなくてむしろ当たり前だった。二人の回答は予測の範囲内で、射命丸はあまり気落ちしなかった。この場にいない妙鬼暗も似たような回答を寄こすことだろう。二人が部屋を出てから、射命丸は輔丸(すけまる)の書机に向かった。不健康そうな青白い顔で文字を綴る彼は、射命丸の質問に対して弱々しくかぶりを振った。


「僕は、なにも……」

「そうですか」


 玄奘と奈陀には休憩室で、あらかじめ詳しい内容は伏して同じ質問をぶつけてある。何も知らないとのことだった。あと聞きこみをしていないのは……。


 射命丸ははたての机に向かう。きっと彼女もまた何も知らないに違いない、と半ば惰性で霖之助を見なかったかと繰り返した。


「――知りません」


 するとはたては筆の運びを止め、正座したまま射命丸を見上げ、語勢を強めて一答した。射命丸は、おや、と思ってはたてを見返す。眦を鋭くしたはたては隠す気のない敵意を剥き出しにしていたが、その射命丸に向けて穿たれた敵意に紛れて、どことなくそれとは別種で含むところがあるのを感じとれたような気がしたからだった。それは敵意という分かり易い形式で塗り潰され、有耶無耶にされようとしている。射命丸に見抜かれたくない感情の起伏。平たくいって動揺。それを誤魔化そうとしている、――そんな気がした。


 そう、と射命丸は釈然としないまま話題を打ち切った。はたての動揺は明らかだったが、かといってそれが今回の案件に絡んでいるとは思えなかった。はたても山の妖怪で、滅多なことでは下山しない。したがって山外の住人である霖之助の行方を把握しているはずはなかった。はたては射命丸を疎ましがっている。この動揺は、憎悪している相手から話しかけられた一種の嫌悪感が発端となって表に出たものなのだろうと思われた。


 それから射命丸は、玄奘と奈陀を連れて食事処に飛んだ。食欲はなかったが空腹感はあった。とにかく食べてエネルギーを温存しておく。射命丸は万全の体調で、荒事になると予想される今晩を迎えたかった。なにせ失敗は断じて許されないのだから。




 三三五五とメンバーが部屋から出ていくなか、はたてだけは机に齧りついて雑誌の下書きを続けていた。筆先は細かく震えている。その揺れに根負けし、落下した墨の粒が半紙に飛散したとき、はたては射命丸を欺ききったことにやっと安堵し、ほっと胸を撫で下ろした。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ