魔理沙、苦悩にあえぐ
第二章スタートです。この物語にはオリキャラが当たり前みたいな顔をして多数登場します。これぞ二次創作のみに許された特権! っていうテンションで読んで頂ければ幸い。
【1】
霖之助の自室で見つけた灯油ランプに照らされ、魔理沙はカウンターの席に腰かけていた。一点に見つめる先には、中程まで開け放した香霖堂の表戸がある。扉の隙間から雪崩れこむ白い靄を見ると、魔理沙はある決心をして立ちあがった。
(アリスの家にいこう)
いまかいまかと霖之助の帰りを待って、店で一夜を越した。無論、夜になったらお邪魔すると約束していたアリスを裏切って過ごした一夜だった。罪悪感は吐き気がするほどある。きっと怒らせたか、あるいは軽蔑されてしまっただろう。いずれにしろ、不快な思いをさせてしまったのだから、許せとは言わないから詫びを入れたい、そう明け方前に思い、太陽が昇っても霖之助が帰ってこなければ店を出、アリスの家に向おうと決めていた。
まだ陽の光はないが、朝霧の量を見るに、夜明けは間近に迫っている。人影はおろか、動物の影もなかった。魔理沙は首を捻る。扉を開いた人物は、錠前を自由に開け閉めできる鍵を携帯する霖之助で間違いない。つまり彼は、いったん店に戻ってきたはずなのだ。それだのに、またしても雲隠れときた。どういうことなのだろう。
それに対する解答は、いちおう魔理沙のなかで導き出されている。商売道具を忘れたかで出張先から出戻り、また出張先にとんぼ返りし、そのさい、よほど焦っていたため鍵をかけるのを失念してしまったとする説である。それなら全ての辻褄が合う。入口が開いていたのも、彼が帰ってこないのも、やはり遠くに出かけているからなのだというのが、さしあたり最も蓋然性があった。
魔理沙には、心配性というほどでもないが、なにかと悪く見当をつける気があった。気苦労の絶えない癖だと思う。父親の性を受け継いでいるのだ。
父は、ことあるごとに娘を強く叱りつけるひとだった。不慮の怪我を負うと、それがたとえ掠り傷であっても大袈裟な騒ぎかたをし、溺愛するがために、愛娘を強く律する処置をとった。小言を延々と聞かせたり、反省文を書かせたり……。
それが厭でたまらなかった魔理沙は、居候の霖之助が独立してから、彼の後を追うようにして家を出た。以来、父には会っていない。実質、絶縁状態だった。しかし、仲がすこぶる悪いわけではなく、再会の場が設けられれば顔を合わせないこともないが、家出当初に比べ、父親が自分を躍起になって探すことはなくなり、その意欲も引き気味だった。父が捜索を打ち切ったのは、まれに用があって魔理沙は人里を出入りするのだが、それが里民を伝って耳に届いたからだろう。野垂れ死にはしていない、私は私で健やかにやっている、という間接的な生存報告が実を結び、彼を説得したのだ。
霖之助の身を案じ、行方を推察する時間はたっぷりとあった。ときには胸騒ぎに苦しめられることもあったが、いまはそれも割りかた沈着している。
寝不足で重い頭と眠気がつらかったが、アリスのことを考えればどうってことない。彼女の家に向かおう、といまいちど決意をして、商品棚のしたに横たえる箒を手にとった。なんとはなしに毛先を弄りながら、薄い膜が張っているかのように働かない脳で考える。手土産を持参するべきか、と。
プレゼントで機嫌をとる気はさらさらないが、形式として土産を用意しなければならない気がした。では、なにを用意すれば良いんだろう。彼女は幻想郷随一の人形使い。そういえば、人形に着せる服を手作りしていたっけ。小柄な人形に似合う洋服、――どこかで手に入らないものだろうか。
いや、それとも寄り道は控え、まっすぐアリスの家に向かうべきなのだろうか。形式云々に囚われず、なるたけ迅速に謝るに越したことはない気もした。昼間は寝ていると話していたっけか。そのことも踏まえ、そうだ、まっすぐ謝りに行こうと今後の方向性を定めた直後、魔理沙の視線は、朝靄がどんより漂った、二枚扉の隙間に向いて急停止した。赤い線が縦横に走る眼球がひとつ、白濁とした細い空間に浮いていたのだ。
驚いたが悲鳴はあがらなかった。ぎょっとしてよろけるように退く。その拍子に箒をとりこぼした。目は、あいかわらず浮かぶ眼球を捉えて離さない。というより、逸らそうにも、咄嗟のことに逸らせなかったというのが正しい。
「だ……誰だ!」
反射的に、指が魔方印を組んでいた。飛びかかってきたものなら、魔法で撃退してやる腹だった。魔理沙の自慢は魔力の絶対値が高いことで、消費量を気にせず攻撃魔法を繰りだすことができる。
「そこにいるのは分かってるぜ、姿を見せやがれ」
魔理沙が怒声をあげると、
「よせ、よせ、なにもしねえだ」
扉をいっぱいまで押し開き、たどたどしい足どりで入ってくるなりそう言った。魔理沙の知らない男だった。はだけた胸から覗かせる胸毛が、腕毛が、髪が、そうじて赤茶けている。猿のような顔をつっぱらせ、両腕を魔理沙に突きだした。
「よせよ、よせってば。怪しいもんじゃねえ。おれは善良だ。猿尾の柿昌ってもんだ。乱暴しねえでくれ」
猿尾とは山に棲む妖怪の一族で、猿が変化したものである。またの名を猿妖という。山に棲む妖怪のなかで、心身共に一、二位を争う軟弱な民族で、人間に悪さをする度胸も腕も持ち合わせていない。
「盗み見していただろう。なんのつもりだ!」
「違ぇんです。誤解だ。おれはなにも悪いことしてねえ」
「なら、どうして隠れてたんだ。そもそも、いつからそこにいた。答えろ」
魔理沙の迫力に、男は縮みあがったふうに肩を竦めた。それから違う、違う、と大仰に両手を振ったかと思えば、両手を合わせてへこへこと頭を下げる。
「違ぇんです、違ぇんです。ここにきたのも、つい先だってのことだ。おれはただ、ここのお店の主人様に御用があっただけで、お嬢さんをどうこうしようとするつもりはなかっただ」
魔理沙は、はっとして印を解いた。(お店の主人様に御用があっただけで――)男を凝視する。いいようのない焦燥感に胸が高鳴った。
「香霖を知ってるのか」
「はあ……香霖様、でごぜえますか」
「ああ、いや、霖之助だ、香霖堂の店主、霖之助。おまえ、あいつの何なんだ」
「へえ。何なのだ、と問われますと?」
「ああ、もう! いちいち訊き返してくんなよ、要領の悪いやつだな」
胃の腑から込みあげる焦りと苛立ちが、魔理沙の口調に険をもたせる。それが男を怯えさせ、会話を停滞させていることとも知らずに。
「すまねえです……」
「ホントだぜ。まあ、――まあいい」しょげる男を、魔理沙は睨みつける。「柿昌さんと言ったな。聞いてやるから、霖之助との関係性を教えろ。話はそれからだ」
「へ、へえ」
男は喉に絡まったタンを切った。おどおどとした表情で魔理沙を見やり、言葉を慎重に選ぶようにして語り始める。
男が語るにつれて、魔理沙の焦燥は次第に引き、やがて消滅した。彼が話し終えてからも、しばらく安堵と落胆の入り混じった複雑な感慨から抜けだせないでいた。結論からいえば、男は霖之助の行方を知らなかった。自分はただ、天狗一族が発行する新聞を契約者の家に届けているだけで、世帯主の私生活までは把握していないという。
「ここ六日ほど、主人様のお姿が見えないものだから奇妙に感じてたんです。だども、きょうはお店に明りが灯ってて、いつもは閉じてる玄関扉がちょこっと開いてただ。それでおれ、主人様が珍しく御在宅だと思って、好奇心というか、ちょっとした悪戯心からお店を覗いただ。で、そこを見つかっちまって……」
「おかげで、びっくりさせてもらったぜ。眠気が吹っ飛んだよ」
「申し訳ねえ。いくら謝っても謝りたりねえだ」
「もういいよ」魔理沙は手をひらひらと振る。「悪気があったわけじゃなさそうだし、私もいろいろ言いすぎた。――霖之助はいねえぜ。まったく、どこで油売ってんだか」
「さようでごぜえますか。いや、重ね重ね申し訳なかっただ。もうしねえよ。すまなんだ」
ぺこりとお辞儀をして、踵を返す男。それは魔理沙が呼びとめた。男は驚いて全身をひるがえす。
「な、何用でごぜえますか」
「あんた、天狗の下請けやってるんだよな。なら、鴉天狗の射命丸は知ってるな」
「へえ。射命丸様ですね。存じておりますが」
射命丸とは、お互いの顔を見知った間柄だった。守矢神社でひと悶着があった折りに、その異変を解決するため、神社への近道を利用する感覚――ほんの軽い気持ち――で妖怪の山に侵入した魔理沙を、追い返そうと迎撃したのが彼女だった。柔軟な頭をもつ天狗で、山を荒らす気はないと訴えた魔理沙の心中を汲み、武器を頑として手放さない仲間を説き伏せて道を譲ってくれた。そんな経緯があって、魔理沙のなかで射命丸の評価は高い。信頼にあたいする女である。
「射命丸様に、なにか御用で」
「言伝を頼みたいんだ。誰とどこに行くか、霖之助から聞いていないか確認してみてほしい。まあ、たぶん何も聞いてないとは思うんだけど、念のためにな」
「射命丸様は、ここの主人様を御存知で?」
「ああ。何度か面識がある。頼まれてくれるか」
「うぅん、まあ、いちおうお引き受けしますけども、あまりご期待に添えた返事がくるとは思えねえだ」
「わかってる。だから念のためだぜ。それに、何も聞いてなくても、少なくとも山にはいないってことになるだろう」
男は殊勝顔で頷いた。
「了解しただ。お伺いするだけしてみます」
「手間かけさせるな」
「いんや、さきに無礼な振舞いをしたのはこっちです。せめてもの償いってことで、気にしねえでやってくだせえ。それで、ご報告はいつがよろしいだか」
魔理沙は少し迷った。報告は早ければ早いだけ助かるのだが、これから急いでアリスの家に向わなければならないので、香霖堂にとどまることはできない。自宅の場所を教えたとしても、森には猛毒の胞子が渦巻いているから、化け物茸が活動を中断する夜にならないと、足を踏み入れるのは危険だろう。しかし、暗くなってから使いに走らせるのも気が引ける。
「明日の今頃、またここに来てくれ。どうせ新聞を配りに、こっちまで来るんだろう」
「へえ。よござんす。では、明日のこの時間帯に、射命丸様のご返事を賜って参ります。――失礼ですが、お名前は」
「霧雨魔理沙」
「キリサメ様ですね。しかとうけたまわっただ」
扉に触れながらへこへこと頭を下げて、男は店を出ていった。それを期待半分と諦観半分で見送った魔理沙は、霖之助の自室を再び物色した。
抽斗から紙とペンを見つけ、手紙を見たら連絡をくれるよう書き捨てをしたためる。目立つよう、手紙は重石のしたに敷いておく。ところどころ中途半端に散らかった室内を見渡し、まず手にかけたのは乱れた煎餅布団だった。四隅を揃えて畳み、あとは気になったところを心持ち整頓し、魔理沙は部屋を後にする。箒を拾い直し、香霖堂の外に出た。
白い靄はひんやり冷たく、林に円く縁取られた草原は、血の気を失ったかのように暗い青色で染まっていた。ともすると肌寒いくらいで、日中の茹だるような猛暑より過ごしやすい。しかし、もう幾許もしないうちに朝日が大地を焼きつける。悠長に構えている暇はなかった。過ごしやすい気温もいまのうちだけだ。なにより太陽が昇れば、アリスは布団に潜ってしまうのだから、時間は一秒たりとも無駄にできない。
(アリスに謝ろう)
箒に跨り、ふわりと飛んだ。青白い草原から、色黒の木の葉が犇めく森へ飛び移ろう。化け物茸が活動を再開させていると見え、すでに蛾の鱗粉じみた胞子が空気中に漂っていた。
胞子は猛毒の成分を含んでいる。ひとたび体内にとりこめば、人間であれ妖怪であれ分け隔てなく死に至らしめるほどの毒である。森で達者に暮らすためには、その毒に耐えられるだけの抗体が必要不可欠だ。魔理沙は、それを後天性免疫として接種していた。胞子を体内で無害に分解する魔法の薬を飲んだのだった。なので、毒がまわって身体に変調をきたすことはないが、だからといって白濁とした視界が明瞭になるわけではなく、いくら急ぎたくても、ある程度、速度を落とすことを余儀なくされた。
仄かに白い空気を切り裂くようにスピードをあげた。箒の柄をしっかり握り、太腿に力を込める。突発する事故に注意を払いながら、またスピードを上乗せする。最短ルートを駆使した。
目的の建物に到着したとき、気を張っていたせいで微妙な気怠さを覚えた。
ひとひとりが住むには申し分ないだけの広さがある洋館。深紅のスレート葺き屋根で、壁には乳色の漆喰が塗られている。嵌め殺し窓にはいずれもクリーム色のカーテンが引かれており、内部の明暗は定かではない。寝ているようなら出直すつもりだったが、家の外からそれを判別するのは難しかった。
箒から降り、門柱に立てかける。やや引き締まった心持ちで玄関先のベルを鳴らした。ドアが内側に向かって開かれる。そのチェーンをかけた隙間から片目を覗かせた少女の正体に、魔理沙は意表を突かれた。てっきり出迎えてくれるのは、少女の操る人形だとばかり思い込んでいたから。
少女はじいっと見つめてくる。感情の起伏がほとんどない顔である。魔理沙は帽子を脱いで、ごめん、と頭を下げた。それいがいに、かける言葉が見つからなかった。
チェーンロックの外される音がして、自分の名を呼ぶ声がした。魔理沙は弾かれたように顔をあげる。ドアは閉鎖されていて、一瞬、追い返されたのかと思ったが、次の一瞬でそれを否定すると、思い切ってドアノブに手をかけてみた。――鍵はかかっていなかった。
「遅かったわね」
昨晩と似たような姿勢で、扇げば消えそうな弱々しい火を焚く吊りランプのしたで、椅子に低く腰掛けた少女が言った。違うのは、昨晩、編み物をしていた指で頬を包みこみ、机に肱を突いていることだった。
「あの、アリス」
と、また謝罪の言葉を口にしかけた魔理沙を手で制し、ふっくらとした唇に人差し指をかざした。謝るな、ということだろうか。所望通り沈黙する。それにまた沈黙で応えるアリスの感情が読みとれず、魔理沙がどぎまぎしていると、
「口約束とはいえ、一発目から反故にするその勇気には恐れ入るわ。私はいま、とても御冠よ」頬杖を突いたまま、どこか突き放すように言う。「――傷ついたわ」
「悪かった」
眦をキッと鋭くし、アリスは魔理沙を睨みつけた。
「謝らないで。余計に腹が立つの」
「あ、ああ……」
「まず、どうして約束を守ってくれなかったのか、そこを正直に教えてほしいわ。いい? 正直によ。無論、隠し立てするなんてもってのほかだから」
猿尾と自分の置かれた状況を重ね合わせ、魔理沙は心の奥底で苦笑する。追及する側からされる側への転落、――皮肉が利いてるなと思った。また、そんなことを考えたのは、胸にずっしりとこたえたアリスの発言を、無意識のうちに緩和しようとしたのかもしれなかった。
「……香霖堂に泊まった」
こうりんどう、と手探りするように呟いて、アリスは腑に落ちない顔をした。
「香霖堂って、森近霖之助が経営してる雑貨屋のことかしら。森の手前にある」
「そうだぜ」
アリスは少し間を空けて、
「店主とはどんな関係なの」
「幼馴染だぜ。いぜん、ちょっとした経緯から、うちの実家にあいつが居候することになって、そのときの馴染みがまだ続いてる」
「ふうん」と頬杖を解き、蝋細工のように滑らかな指を十本組む。そこに顎を乗せた。「男を優先させたのね」
「それはそうだけど、私も好きでそっちを優先させたわけじゃないんだ。七日前から霖之助の姿が見えなくなってて、それで、留守番ってわけじゃないんだけど、店で帰りをいまかいまかと待ってたら、離れようにも店から離れられなくなって」
「――七日も?」
アリスは瞬いた。魔理沙が更にかいつまんで事の顛末を話すと、顔はいよいよ険しくなる。解せない、という顔つきだった。七日間も知人が行方を眩ますのは、誰にとってみても並大抵のことではないらしいと思った。
魔理沙が話し終わっても、アリスは姿勢を正し、しばらく思案するように虚空を見据えていた。
眉尻ひとつぴくりとも動かさない彼女は、本物の西洋人形と見まごうほど作り物めいており、どことなく哀愁を漂わせる。端正といえば響きは良いが、身動ぎしないアリスは絵画の一部のようで、どこか過度に現実離れした貫禄を備えているのだった。アリスが人形を手作りするように、またアリス自身も、縫師何某かの手腕によって緻密に具現された人形なのではないかとさえ感じられる。
「外泊先に心当たりは?」
(心当たり……)
魔理沙は少し返答に困り、「あるにはある」と曖昧に答えた。
「たとえば?」
「まあ、何ヶ所かあるけど、こうも長期滞在となるとかなり絞られてくるな。里の図書館の司書とは珍品収集家どうし縁深いし、紅魔館にも得意客がいるとかで、たまに幻想郷のはずれまで出かけることもある。でもまあ、七日間宿泊するとなると、図書館も紅魔館もないだろうな」
魔理沙は苦笑した。
「だから、どこにいるか見当もつかねえんだ」
アリスは不思議そうに瞬いて、首を傾げた。
「あら、心当たりはそれだけかしら。肝心なあのひとを忘れてない」
「えっ」
「わからないの?」
どきっとした。わからないもんか、アリスの言う「あのひと」とは、「あいつ」のことに違いない。しかし――。
「博麗神社の巫女、博麗霊夢よ」
その名を聞き、魔理沙の平静は水面に石を投じたかのように揺れ動いた。胸がぎゅっと締めつけられるように痛み、刹那的に息苦しくなる。そんな魔理沙の動揺を、アリスは見逃さなかった。
「なにか心当たりがあるようね、魔理沙」




