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5話

環生舎で働いていると言うと、だいたい二種類の反応をされる。


「大変でしょう」


か、


「楽しそうですね」


だ。


どちらも少し違う。


大変ではある。


楽しくもある。


でも、私たちがやっているのは、もっと地味で、もっと専門的な仕事だ。


私の名前は佐伯佳代。


四十一歳。


児童発達を専門にしている。


環生舎に来る前は、私立小学校で九年間働いていた。


現在、私には十人の担当児童がいる。


四歳から十二歳まで。


その十人を育てるのが私の仕事――


という説明をすると、必ず誤解される。


私は母親ではない。


母親の代わりでもない。


保育士とも少し違う。


教師とも違う。


環生舎では「発達担当」と呼ばれている。


私の仕事は、


この十人について、


「今、この子に何が必要なのか」


を知っていることだ。


*


午前八時十分。


最初に見るのは数字だった。


睡眠。


食事。


体調。


昨日の活動。


今朝の様子。


七歳の航平。


睡眠八時間四十三分。


食欲正常。


体温正常。


特記事項。


《昨夜、就寝前に泣く。理由を尋ねるが「分からない」と回答》


私はそこに印をつけた。


泣いたこと自体は、どうでもいい。


七歳なら泣く。


問題は、


「分からない」


だった。


九時。


航平を見つけた。


「おはよう」


「おはよう」


「昨日泣いた?」


顔が固まった。


「誰が言ったの」


「記録」


「言わなくていいのに」


「嫌だった?」


「別に」


別に。


七歳から十七歳まで、もっとも信用できない言葉の一つだ。


「じゃあ聞かない」


私は言った。


「今日、体操でしょう」


「うん」


「行けそう?」


「行ける」


「分かった」


それで終わり。


環生舎へ来たばかりの職員ほど、子どもと話したがる。


どうしたの。


何があったの。


先生に話して。


でも、話したくない子どもに話させることは、理解ではない。


大人が安心したいだけのこともある。


私は記録に一行だけ追加した。


《本人、会話を希望せず。経過観察》


*


十一時二十分。


三歳児区画から連絡が入った。


担当ではない子だった。


食事をほとんど取らない。


こういうときは担当者同士で相談する。


一人の大人の解釈だけで子どもを決めない。


「最近、偏食が強くなってる」


担当のリナが言った。


彼女はカナダ出身で、日本に十五年いる。


「体重は?」


「問題なし」


「口腔は?」


「昨日診てもらった。異常なし」


「じゃあ食べたくないんじゃない?」


「私もそう思う」


二人で記録を見る。


三日前。


朝食六割。


昼食二割。


夕食八割。


二日前。


朝食七割。


昼食一割。


夕食九割。


昨日。


朝食八割。


昼食一割。


夕食八割。


私は笑った。


「昼が嫌なんだ」


「たぶん」


献立を見る。


共通点があった。


「豆?」


「豆だ」


問題解決。


大人が百人以上いると、こういうことができる。


誰かが、


「好き嫌いはいけません」


と言って終わらせない。


栄養士に渡す。


必要なら医師にも聞く。


調理法を変える。


それでも嫌いなら、別の食材で栄養を取る。


三歳児と豆の戦争に、大人の威厳を賭ける必要はない。


*


午後一時。


私の担当する十人について、週に一度のミーティングがある。


小児科。


心理。


教育。


運動。


語学。


生活担当。


必要に応じて音楽や芸術のスタッフも来る。


最初は十一歳の梨花。


ピアノ。


「また増えてます」


音楽担当が言った。


「何が?」


「自主練」


「何時間?」


「先週、合計十三時間」


私は眉を上げた。


「やりすぎ」


「本人はもっとやりたいって」


「手は?」


「問題なし」


心理担当が記録を見る。


「学校生活も問題なし。友人関係も維持」


私は少し考えた。


「じゃあ止めなくていい。ただし週二日は一時間まで」


音楽担当が笑う。


「怒りますよ」


「怒らせて」


才能のある子どもを伸ばす。


言葉にすると美しい。


でも子どもは、自分の限界を知らない。


好きなものなら、なおさらだ。


伸ばすことと、壊さないこと。


両方が私たちの仕事だった。


次。


八歳の直人。


水泳。


嫌い。


体操。


普通。


バスケットボール。


大好き。


算数。


得意。


読書。


嫌い。


英語。


問題なし。


中国語。


最近伸びている。


「バスケの時間増やせません?」


運動担当が言った。


「まだ」


「かなりいいですよ」


「だからまだ」


「本人もやりたがってます」


「九歳までは今のまま」


少し意見が割れた。


こういうとき、環生舎では急いで結論を出さない。


才能を見つけた大人は興奮する。


本人も興奮する。


でも、八歳の得意が十八歳の人生になるとは限らない。


「来年もう一回見よう」


それで終わった。


そして最後。


航平。


「昨日、泣いてますね」


心理担当が言った。


「うん」


「何かありました?」


「まだ分からない」


生活担当が手を挙げた。


「昨日、実母の彩さんが帰ってきています」


私は顔を上げた。


「出張?」


「シンガポールから。三週間ぶり」


少しつながった。


*


夕方。


航平は中庭にいた。


一人でボールを蹴っていた。


私は隣に座った。


何も言わない。


五分くらいすると、向こうから来た。


「佳代」


「何」


「彩、また行く?」


やっぱり。


「来週からドイツ」


「何日?」


「十二日」


航平はボールを蹴った。


強すぎて植え込みに入った。


「嫌?」


「別に」


また、それ。


私はボールを拾った。


「十二日は長いね」


航平は黙った。


「でも帰ってくる」


「知ってる」


「電話もできる」


「知ってる」


「それでも嫌なものは嫌か」


航平が頷いた。


こういうとき、


環生舎について外から言われる批判が頭をよぎる。


母親と子どもを引き離している。


親子の絆を軽視している。


子どもは本当は母親を求めている。


半分は正しい。


子どもは母親を求めることがある。


父親を求めることもある。


私を求めることもある。


友達を求めることもある。


一人にしてほしい日もある。


環生舎は、


母親を必要としない子どもを作る場所ではない。


母親しかいない状態を作らない場所だ。


「佳代」


「うん」


「今日、一緒にご飯食べて」


「いいよ」


「二人で」


「それは無理」


「なんで」


「私、十人いるから」


航平が笑った。


「じゃあ十人で」


「それなら」


「彩も?」


「誘えば?」


航平は少し考えた。


「誘う」


*


夜。


十一人で夕食を食べた。


私と担当の十人。


途中から彩が来た。


航平は何も言わず、彩の隣へ移った。


彩も何も言わない。


ただ、航平の皿からブロッコリーを一つ取った。


「それ俺の」


「食べないでしょう」


「食べる」


「じゃあ返す」


そんな会話をしていた。


私は少し離れた席から見ていた。


環生舎には、ときどき誤解がある。


全員で育てれば、


親子という関係が薄くなるのだろう、と。


十年ここで働いて、


私は逆だと思う。


親子でいなければならない時間が減るから、


親子でいたい時間を大切にできる。


彩は明日の朝、


航平の朝食を作らなくていい。


洗濯もしなくていい。


学校への送迎もしなくていい。


宿題を全部見る必要もない。


十二日間ドイツへ行っても、


航平の生活は崩れない。


だから今、


ただ隣に座っていられる。


*


午後九時。


担当児童の記録を確認して、仕事を終える。


航平の欄を開いた。


《昨夜、就寝前に泣く。理由不明》


私はその下に追記した。


《実母の海外出張予定を確認。本人、離別への寂しさを表出。異常なし。》


少し考えて、


最後の三文字を消した。


異常なし。


そんなことを書く必要はなかった。


寂しい人がいなくなるから寂しい。


それは、正常か異常かを判断するようなものではない。


代わりに書いた。


《彩との夕食後、機嫌安定。次回帰国予定を本人と確認済み。》


保存。


これでいい。


明日になれば、


別の子が泣く。


誰かが喧嘩する。


誰かが初めて二十五メートル泳ぐ。


誰かがピアノを嫌いになる。


誰かが中国語で夢を見たと言う。


誰かが恋をする。


誰かが、


ここを出たいと言う日も来るだろう。


その全部を、


私たちは管理できない。


するべきでもない。


私たちの仕事は、


十人の子どもを、


思い通りの大人にすることではない。


十八歳になったとき、


それぞれが自分で行き先を選べるところまで、


できるだけ多くの道を残しておくことだ。


私は端末を閉じた。


廊下へ出ると、


向こうから彩と航平が歩いてきた。


手はつないでいなかった。


でも、肩が触れるくらい近かった。


私は声をかけず、


二人とすれ違った。

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