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追い出された地図屋のおっさん、暇つぶしの迷宮探索配信で人類最強に専属ナビを頼まれる〜元クランが深層で迷子になり「戻ってこい」と懇願してきた〜  作者: さくらろ
第7章 行かせる者

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第57話 十和田の一隊

 正午を回った対策本部の作戦卓で、俺はインカムのヘッドセットを両耳に押し当てていた。


 卓上の大型モニタには、公社の中継網が辛うじて生きている浅層――第三層のトポロジー図が青白く光っている。


 スピーカーの向こうから、荒い呼吸音と金属装備の擦れ合う音が届いた。


『――こちら……公社避難誘導班……十和田です! 第三層西側回廊、避難者十一名と合流しました! 軽傷者二名、自力歩行可能です!』


 十和田の声だった。


 緊張で上擦っているが、芯のある明瞭な声だ。背後からは、怯えた探索者たちの囁き声や、避難誘導班員たちの低い指示が漏れ聞こえてくる。


「志賀だ、十和田さん。怪我人の容態は」


『一名が左腕の打撲、もう一名が足首の捻挫です。公社の救護員が添え木を当て、応急手当は完了しています。避難者の皆さん、不安で動揺していますが、パニックにはなっていません。これから公社の事前指定ルート、連絡通路C―4を通って中央昇降階段へ向かいます!』


「了解した。焦って急がせるな。歩調を怪我人に合わせろ」


『はい!』


 通信の向こうで、十数名の足音が規則正しく響き始めた。


 だが、そのわずか三分後だった。


 俺の手元の変形圧モニタで、第三層の局所的な圧力グラフが急激に跳ね上がった。


「……まずいな」


 俺は即座にログを拡大した。


「宮原さん、第三層のCブロックで局所的な魔素の逆流が起きている。主断層の余波が浅層の亀裂に吹き溜まっているんだ」


「何だと? C―4通路の真下じゃないか!」


 宮原が青ざめた顔で身を乗り出してきた。


「おい志賀、指示を出せ! 今すぐ引き返させろ!」


「待ってくれ」


 俺は唇を噛んだ。


 現場の細かな壁の軋み、魔素の匂い、空気の湿り気。それらは、地上本部の計器の数字だけでは絶対に判断できない。机上の指示で下手に動かせば、かえって落石の直撃を受ける恐れがある。


 何より、今この瞬間、現場で退路の寿命を測れる人間は、俺ではなく十和田結ただ一人なのだ。


「十和田さん、聞こえるか」


『――はい! 志賀先生!』


「君の目の前にある側壁の継ぎ目を確認してくれ。十七項目の第三項だ」


 無線が一瞬、途切れた。


 現場の十和田が、手袋を脱いで冷たい石壁に素手を当てる気配が伝わってくるようだった。


 数秒後、十和田の息を呑む音が返ってきた。


『……壁の隙間から、冷たい風が吹き出しています! 目地材のモルタルに、縦方向のヘアクラックが三本入っています! 指先を当てると、微弱な高周波の振動が伝わってきます!』


「その風の周期は」


『……ト、ト、ト……四秒間隔です! 講習で先生が仰っていた「余白を食い潰す波形」と完全に一致します! 粉塵の匂いも強くなっています! このまま直進すれば、あと十分でC―4通路は崩落します!』


「君はどう判断する」


 俺はあえて、指示を出さずに問いかけた。


 十和田が息を呑む気配が、耳朶を震わせた。


 十一名の命を背負った少女が、暗闇の中で自分自身の手帳を開く衣擦れの音が聞こえる。


『――迂回します!』


 十和田の声が響いた。迷いはなかった。


『旧式の資材搬入路B―2へ切り替えます! 距離は八百メートル伸びますが、岩盤が二重構造で強固です! 余白時間を二十五分確保できます!』


「班長は納得しているか」


『はい! 手帳のチェック項目とクラックの深さをお見せしたら、班長さんも納得してくれました! 班長さんも「公社の地図より、地図屋の弟子の言う通りにする」と決断してくださいました!』


「承認する。班長に先導を任せて進め」


『了解! 皆さん、私についてきてください! 慌てずに、前の人の足元を見て!』


 通信が切れた。


 俺はヘッドセットを握りしめたまま、モニタの青い点を見つめ続けた。


 それから八分後。C―4通路のセンサーが落石により沈黙した。


 十和田の判断は、完璧だった。


 もし直進していれば、十一名は崩落した土砂の前に閉じ込められていた。彼女自身の目と手で、迷宮の呼吸を読み取り、安全な退路を選び取ったのだ。


◇


 午後二時過ぎ。第七迷宮の地上エントランスに併設された緊急搬送区画。


 冷えた曇天の下、赤色灯を回した救急車と公社の大型搬送車両が何台も並んでいた。


 その中央で、蛍光ベストを着た桑原巧が、松葉杖を脇に挟みながらテキパキと指示を飛ばしていた。


「第三班、そちらの担架を二号車へ! 毛布は足りていますか! 温かいスープの配給も始めてください! 公社医療班への引き継ぎ票、十一名分すべて揃っています!」


 俺が本部の作戦室から駆けつけると、桑原が気づいて駆け寄ってきた。


「志賀先生!」


「桑原くん、状況は」


「区域Aの十一名、全員無事に地上へ帰還しました! 軽傷の二名も公社病院への搬送手配が完了しています。受け入れ先の病院のベッドも確保済みです」


 桑原は手に持った厚手のバインダーを俺に手渡した。


 そこには、十一名の氏名、年齢、所属、負傷の程度、退出時刻、現場で観測された変形圧の数値が、極めて詳細かつ整然と記録されていた。


「素晴らしい段取りだ、桑原くん」


「いえ、俺にできるのは地上で書類を回すことくらいですから。……でも、先生の手順書通りに記録を残しておけば、後で公社の検証が入っても絶対に文句は言われません。現場に入れない分、俺がここで防波堤になります」


 桑原は誇らしげに笑った。


 右膝の故障を抱え、深層へ入れないことを嘆くのではなく、今自分が立っている場所で、救助の速度を極限まで引き上げる。その徹底した職人気質が、この混乱した現場を支えていた。


「十和田さんはどこだ」


「あちらの救急テントの裏です。誘導班の報告書を書いています。手が震えてペンが持てないって言いながら、必死に数字を書き写していました」


「分かった。ありがとう、桑原くん」


◇


 午後三時。地上管理棟の渡り廊下。人気のない冷え切った場所で、俺は壁にもたれながら缶コーヒーを口に含んだ。


 ポケットの携帯端末が小さく震えた。


 画面には、十和田の名前が表示されていた。


 俺は通話ボタンを押した。「十和田さん」


『……先生』


 電話の向こうから聞こえたのは、先ほどの無線とはまるで違う、小さく震える十和田の声だった。


『十一名全員、公社の車に乗せました……。怪我も、大したことないって、お医者さんが……』


「ああ。桑原くんから報告書を受け取ったよ。見事な迂回判断だった。君が十一名を救ったんだ」


 褒める言葉を口にした瞬間、受話器の向こうで、ぐす、と鼻を啜る音がした。


『……怖かったです』


 絞り出すような一言だった。


『手帳を開いて、壁に手を当てたとき……もし私の読みが間違っていたら、十一名全員を生き埋めにしてしまうんだって思ったら……足がガクガク震えて、止まらなくて……』


 涙声の十和田に、俺は静かに答えた。


「怖くていいんだ、十和田さん」


『え……?』


「迷宮の壁の前で、他人の命の責任を背負って震えない人間は、ただの鈍感か嘘つきだ。怖いと思うからこそ、手帳の手順を愚直に守り、二重三重に余白を確かめることができる。君のその怖さが、十一名を生きて地上へ連れ帰ったんだ」


 俺は息を吸い、言葉を続けた。


「怖いのが、正常なんだよ」


 受話器の向こうで、十和田が小さく息を呑む気配がした。


 そして、袖で涙を拭うような擦れ音が響いた。


『……はい。ありがとうございます、先生』


「休んでいる暇はあまりない。区域Aの観測ログと、迂回路の判断時刻を、五分単位で野帳にまとめておいてくれ。本部の正式記録に組み込む」


『はい! すぐやります!』


 十和田の声に、いつもの張り詰めた職人の響きが戻っていた。


 通話を終え、俺は携帯端末をポケットに収めた。


 十和田は、人を導く側の責任の重さを、その身をもって知った。


 それは成長の証であると同時に、取り返しのつかない重荷を背負ったということでもあった。


 そして――。


 俺は本部の作戦室へと続く階段を見上げた。


 浅層の区域Aは片付いた。


 だが、本番はここからだ。第八層の区域B、第六層の区域C。


 そして、救助を後回しにされた区域D。


 冷たい決断の果てに何が待っているのか、俺は確かめに行かなければならなかった。

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