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追い出された地図屋のおっさん、暇つぶしの迷宮探索配信で人類最強に専属ナビを頼まれる〜元クランが深層で迷子になり「戻ってこい」と懇願してきた〜  作者: さくらろ
第6章 握り潰された報告書

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第50話 事実だけ

 公社本部ビルの大会議室へ続く廊下は、異様な熱気に包まれていた。


 朝十時前。区画測量基準改定検討会の控室で、俺はパイプ椅子に腰を下ろしていた。


「志賀さん、緊張してる?」


 向かい側の席で、宮原がネクタイを締め直しながら訊ねてきた。横では汐見技官がノートパソコンを開き、検証グラフの最終確認を進めている。


「多少はね。人前で喋るのは配信くらいなものだから」


「今日のヒアリングは公開よ。委員だけじゃなく、主要クランの渉外担当も、メディアの記者もテレビカメラも入るわ。でも、恐れることはないの。聞かれた事実だけを答えればいい。挑発されても、怒る必要も告発する必要もないわ」


「分かっていますよ。俺は怒るために来たんじゃない。自分の書いた数字を確認しに来ただけです」


「……そうね。あんたは、そういう人だったわ」


 宮原は短く笑い、立ち上がった。


「時間よ。行きましょう」


◇


 大会議室の扉を開けた瞬間、幾重ものカメラのフラッシュが一斉に焚かれた。


 コの字型に並ぶ長机の中央に公社の検討委員が居並び、右手の参考人席に俺と宮原、汐見が着席した。


 通路を挟んだ左手には、黒いスーツ姿のアルゴノート団長・鷺沼恭平がいた。


 四年ぶりに間近で見る鷺沼は傲岸な佇まいを保とうと背筋を伸ばしていたが、濃い隈と引き結ばれた唇にここ数日の憔悴が滲む。隣には証人として出頭した榊副団長が、視線を落としたまま座っていた。


 ふと傍聴席の最前列を見ると、黒いパーカーのフードを目深に被った氷室灯が腕を組んでこちらを見つめていた。一切の表情を動かさず、静かに座っている。


「定刻となりましたので、第七迷宮深層における過去の観測記録に関する照合ヒアリングを開始いたします」


 委員長の声がマイクを通して響いた。


「本件は、四年前にアルゴノートより提出された安全対策報告書の目録に記載がありながら、本文が欠落していた文書について、実在性と経緯を確認するものです。宮原課長補佐より説明を」


 宮原が立ち上がり、受領簿の拡大画像をスクリーンに投影した。


「四年前の十一月十二日、アルゴノート団長室より提出された定期安全報告書の添付目録です。ここには『第七迷宮深層における構造再編周期と参照地図の失効に関する所見・作成者志賀道久』と記載されていますが、本文が抜き取られ受領印も空欄でした」


 会場にざわめきが走る。


「これに対し先日、榊現副団長より当時作成された原本のカーボン複写の控えが公社へ任意提出されました。鑑定により四年前の同一品と確認されております。そこで作成者の志賀道久氏に伺います」


 委員長が俺に向き直った。


「志賀参考人。スクリーンに表示されているこの報告書は、あなたが作成したものに間違いありませんか」


 俺はマイクを入れ、静かに口を開いた。


「はい。間違いありません。四年前に私が第十層遠征から帰還した直後に執筆したものです」


「提出先はどちらでしたか」


「当時のアルゴノート団長室です」


「その後、この報告書が公社へ提出されたかどうか、あなたに報告はありましたか」


「いいえ。私は公社への提出については知らされておりませんでした」


「内容について伺います。主張した要点は何ですか」


「深層における再編周期の規則性と、参照地図の失効についてです。当時導入が進められていた自動マッピングAI単独の運用では、組み替え時の変形圧を検知できず、退路閉塞の判断が遅れるという懸念を観測ログに基づいて報告しました。現在無償公開している手順書十七項目のうち、中層以深の基礎となる九項目と同趣旨の内容です」


 俺の声は静かに響いた。


 四年前に自分がやった事実だけを四点、淡々と述べた。


 委員の一人が身を乗り出してきた。


「志賀参考人。あなたはその後、アルゴノートを解雇されていますね。ご自身の安全警告が握り潰され、不当な扱い、あるいは不当な解雇を受けたというご認識はおありですか」


 会場の空気が張り詰める。


 カメラのレンズが一斉に俺へ向けられた。誰もが古巣への怒りの告発を期待していた。


 だが俺は首を横に振った。


「解雇の当否や組織の決定は、私が判断することではありません。私はただの地図屋です。現場で測った数字を紙に書き、提出した。私が知っているのは、その事実だけです」


 会場に静かな息を呑む音が広がった。


 糾弾しない。誰かを悪者にする言葉を一切口にしない。その平然とした佇まいが、逆に部屋の緊張感を極限まで引き上げた。


 たまらず、左手の席から椅子を引く激しい音が響いた。


「発言を許可願いたい!」


 立ち上がったのは鷺沼だった。その顔には焦燥が張り付いていた。


「鷺沼団長、簡潔にお願いします」


 鷺沼はマイクを掴み、早口で捲し立てた。


「当時の状況について補足させていただきます! 四年前、当クランは最新鋭の探索支援AI『オルタマップ』の本格導入を進めておりました! 志賀氏の提出した書類は、一個人の主観的な体感や再現性のないアナログな勘に頼った記述が多く含まれておりました! 公的機関への正式な報告書に不確定要素を混入させることはかえって現場の混乱を招くと、団長である私の責任において総合的に判断したまでです! これは悪質な隠蔽などではなく、組織としての正規の取捨選択であり――」


「鷺沼団長」


 冷徹な声が鷺沼を遮った。


 立ち上がったのは汐見技官だった。


「あなたが『再現性のない主観』として提出を止めたとお認めになったその報告書ですが――」


 汐見がキーを叩くと、二つのグラフがスクリーンに並んだ。


「左側が四年前の志賀氏の報告書に記された空間錯乱時の壁面吸着圧予測値。右側が過去四年間にアルゴノートが深層遠征でオルタマップの測位エラーによって撤退、負傷者を出した全八件の事故ログから抽出した実測データです」


 会場の息が止まった。


 二つの波形グラフは、八件すべてが四年前の予測範囲の内側に収まっていた。


「志賀氏の手順に従っていれば、これら八件の異常はいずれも、発生の三十分前後には検知できていたはずです。団長個人の取捨選択でこの知見が公社に届かず、改定が四年遅れた結果、現場でどれほどのリスクが支払われたか。数字がすべてを証明しています」


「な……っ」


 鷺沼は絶句し、マイクを握ったまま立ち尽くした。


 自分の口で「判断して止めた」と認めた直後に、その判断が現場を危険に晒していたというデータが突きつけられたのだ。


 隣の榊副団長は、ただ静かに目を伏せていた。


 勝負は最初からついていた。四年前の紙切れと現場の数字だけが、過去の過ちを決定的に浮き彫りにしていた。


◇


 正午過ぎ、ヒアリングは閉会した。


 記者会見場へ向かう鷺沼には、報道陣から容赦ないフラッシュと質問が浴びせられていた。


 俺はその喧騒から離れ、裏手の通用口へと向かった。


 外へ出たところで、建物の陰から業界メディア『ダンジョンウオッチ』の相良記者が歩み寄ってきた。


「志賀先生。……お疲れ様でした」


「相良さん。取材ならお断りしますよ」


「いえ、コメントを取りに来たんじゃありません」


 相良は苦笑して両手を広げた。


「ただ、呆気にとられてね。なぜあそこで鷺沼を叩かなかったんですか? 『不当な扱いで追い出された』と一言口にすれば、世間から完全な被害者として同情され、アルゴノートにとどめを刺せたのに」


 俺は少し冷たくなってきた秋の風に息を吐いた。


「俺の仕事は迷宮の地図を描くことです。誰かを叩くことじゃありませんよ」


「……」


「事実以上のことを言ってしまえば、現場で測ってきた数字まで嘘っぽくなってしまう。俺は、自分が測ったものだけを信じてもらえれば十分なんです」


 相良は眼鏡を押し上げ、深く息を呑んだ。


「参りましたよ。分かりました。告発記事にするのはやめます。『現場の知見を組織が握り潰した、制度の四年の空白』――そういう角度で書かせてもらいます」


 相良が頭を下げて去っていくのと入れ違いに、背後から足音が近づいた。


 フードを脱いだ氷室灯が、紙パックの緑茶をストローで飲みながら立っていた。


「氷室さん。傍聴に来てくれたのか」


「はい。暇だったので」


 彼女は相変わらず淡々と言った。だが瞳は澄んでいた。


 その時、通用口から飛び出してきた数名のテレビクルーが、氷室を見つけて色めき立った。


「あ、氷室選手! 本日のヒアリングについて一言お願いします! 志賀氏の測量手順についてどう思われますか!」


 マイクを突き出された氷室は、カメラのレンズを真正面から見据えた。


 そして、一切の躊躇なく言い放った。


「志賀さんがいなければ、私は二度死んでいます」


 それだけ言うと、氷室はクルーを押しのけて俺の隣に並び、歩き出した。


「行きましょう、志賀さん。事務所で十和田さんが待っています」


「……ああ、そうだな」


 背後で立ち尽くす記者たちを残し、俺たちは秋晴れの街へと踏み出した。

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