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追い出された地図屋のおっさん、暇つぶしの迷宮探索配信で人類最強に専属ナビを頼まれる〜元クランが深層で迷子になり「戻ってこい」と懇願してきた〜  作者: さくらろ
第6章 握り潰された報告書

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第47話 恨みを語る役

 事務所の応接テーブルに、一枚の名刺が滑り込んできた。


『ダンジョンウオッチ編集部 特別取材班キャップ 相良啓介』


 黒いジャケットを着崩した三十代後半の男――相良啓介は、細い銀縁眼鏡の奥の目をギラリと光らせ、組んだ脚を小さく揺らした。業界最大手の探索情報メディアで数々の特ダネを手がけてきた敏腕記者だった。


「単刀直入に申し上げます、志賀先生」


 相良は声を潜め、テーブル越しに身を乗り出してきた。


「公社が過去の受領記録の不備について内部調査を始めたという確度の高い情報、こちらでも掴んでいます。四年前、アルゴノートが揉み消したとされる深層測量警告のレポート……作成者は先生ですね? うちと組んで、大々的な告発連載をやりませんか」


 お茶を淹れていた十和田の指先がピクリと止まり、強い警戒の眼差しで相良を見つめた。


「告発連載、ですか」


「ええ。『使い捨てられた熟練マッパーが暴く、大手クランの虚飾と安全軽視』。どうです? 先生がどれほど不当に扱われ、命を救う正当な警告を無視されて切り捨てられたか。その悲劇と組織の理不尽を世間に訴えれば、世論は完全に先生の味方になります。アルゴノートの欺瞞を白日の下に晒し、一矢報いる絶好のチャンスですよ」


 相良は自信満々に微笑み、胸ポケットから小型のボイスレコーダーを取り出した。


 世間が飛びつく勧善懲悪の物語。不遇をかこった孤独な職人が、自分を裏切った巨大組織を告発して復讐を果たす――そうしたわかりやすい台本を、あらかじめ用意してきているのがありありと伝わってきた。


 だが、俺は十和田が淹れてくれた温かいお茶に軽く手を添え、静かに首を横に振った。


「相良さん。お気持ちはありがたいですが、そのお話はお受けできません」


「……は? 断るんですか?」


 相良が信じられないといった様子で眉をひそめた。


「なぜです? 古巣に煮え湯を飲まされたんでしょう。十四年間尽くした挙句に突然解雇され、功績をすべて奪われたことに対する怒りはないんですか? 悔しくないんですか?」


「恨みではないので、恨みの記事にはできません」


 俺は迷わず答えた。


「俺が四年前にあの報告書を書いたのは、現場で仲間が無事に帰ってこられるようにするためでした。アルゴノートを潰すためでも、誰かを糾弾するためでもありません。事実と感情は別です。過去の鬱憤を売って耳目を集めるようなことは、俺の仕事ではありませんから」


 相良は数秒間、呆気に取られたように俺の顔を見つめていた。やがてフッと苦笑を漏らし、レコーダーをポケットにしまい直した。


「……なるほど。お人好しとは聞いていましたが、本物ですね。ですが志賀先生、あなたが語らなくても、世間は勝手に物語を作りますよ。誰かが作った悪役に仕立て上げられても、文句は言えませんよ」


 相良は鋭い捨て台詞を残し、足早に事務所を出て行った。


◇


 相良の警告は、翌朝すぐに最悪の形で現実となった。


 ネットの探索者系掲示板や動画サイトで、過去の配信を切り貼りした動画が一気に拡散され始めたのだ。


『元アルゴノート所属の志賀、メディアの直撃取材を拒否!』

『古巣を叩いて知名度を稼ぎ、今度は公社に取り入った男の正体』

『AI測量を時代遅れ扱いして怪しい手順書をばら撒く老害』

『利権争いの黒幕か? 大手クランへの組織的ネガキャン工作』


 悪意をもって編集された動画には、俺が過去の配信で何気なくこぼした言葉が都合よく切り貼りされ、あたかも裏で陰謀を巡らせているかのように仕立て上げられていた。


 さらに午前十時、予定されていた中堅クランからの浅層測量講習の依頼が、「上層部の指示により」と一件キャンセルになった。


「志賀先生、申し訳ありません……」


 講習会場の事前確認から戻った桑原が、痛む右膝をさすりながら悔しそうに顔を歪めた。


「下見先でも、心ない連中から根も葉もない噂を聞かれました。『志賀事務所は大丈夫なのか』と……。私の受け答えがまずかったせいで、先生にご迷惑をかけてしまいました」


「桑原くんのせいじゃないよ。気にしないでくれ」


 俺が声をかけると、奥のデスクから激しいキーボードの打鍵音が響いてきた。


「志賀さん、桑原さん。方針を決めました」


 立ち上がった十和田の目は、かつてないほど鋭く澄んでいた。


「十和田さん?」


「個別の誹謗中傷や切り抜き動画には一切反論しません。感情的な言葉で言い返せば、相手の思う壺ですから。その代わり、うちの公式サイトのトップに『事実経過の時系列』という固定ページを新設します」


 十和田は製図台のモニターに、作成したばかりのページを表示させた。


 そこには主観的な弁明や感情的な反論は一行もなく、ただ淡々と日付と事実だけが並んでいた。


・〇月〇日:『迷宮構造変動観測手順書(十七項目+補遺三項目)』の無償公開

・〇月〇日:迷宮管理公社区画測量基準改定検討会への参考人出席

・〇月〇日:公社区画測量課 特別技術顧問契約締結(第七条修正条項を含む契約書抜粋)

・〇月〇日:公社資料室における過去受領記録の照合作業(公社主導による公的調査)


「契約書の写しと公開日時、公社の公式リリースだけを並べました。反論も弁解も入れず、事実の記録だけを置いておきます。感情で殴り返せば泥沼になりますが、客観的な一次資料こそが最大の武器になります。現場で本当に命を懸けて迷宮を歩いている探索者たちなら、これを見ればどちらが本当か分かりますから」


 迷いのない、完璧な対応だった。


 十九歳の新人が、大人の悪意に怯むことなく、事務所と仲間を守るために最前線で防波堤を築いている。


「……十和田さん、本当に見事だよ。ありがとう」


「お礼なんていりません。私はこの事務所の主任ですから」


 十和田はきっぱりと言い切り、再び端末に向き直った。


◇


 夜八時を回った頃、事務所のドアが勢いよく開いた。


「志賀さん」


 入ってきたのは氷室灯だった。潜行用の上着を羽織ったまま、いつもは凍りついたように静かなその瞳に、明らかな怒りの炎が揺らめいていた。


「ネットの動画を見ました」


 氷室は大股で歩み寄ると、手元のスマートフォンを製図台の上に叩きつけるように置いた。画面には、彼女の名前まで巻き込んだ中傷コメントが流れていた。


『灯も所詮はおっさんの客寄せパンダ』

『専属ナビなんて名ばかりの広告塔契約だろ』


「この人たちは、何も分かっていません」


 氷室の声が震えていた。


「志賀さんが深層でどんな退路を引いているかも、私たちがなぜ生きて帰ってこられたかも、何ひとつ知らないくせに……!」


 あの単独最深記録保持者「灯」が、感情を剥き出しにして声を荒らげていた。十和田も桑原も息を呑んで立ち尽くしている。


「私の配信枠で、今すぐ全員の前で事実を話します。志賀さんの手順書がなければ私は第十一層から生還できなかったと、あんな嘘ばかり言う連中の前で明言します」


「待ちなさい、氷室さん」


 俺は彼女の細い肩に、しっかりと両手を置いた。


「志賀さん……!」


「怒ってくれて、本当にありがとう。君がそうやって俺たちのために怒ってくれただけで、胸がいっぱいだよ」


 俺は穏やかに、だが決して譲らない力強さで彼女の目を見つめた。


「でもね、氷室さんが配信で言い返したら、君の大切な探索者としての立場まで巻き込んでしまう。大手の支持者とファン同士の泥仕合になって、余計に現場が荒れるだけだ」


「でも、悔しくないんですか……!」


「悔しいよ。でもね、俺たちの仕事は言葉で戦うことじゃない。安全な地図を引き、現場で歩く人を無事に帰すことだ」


 俺は微笑み、氷室の肩から手を離した。


「こちらから騒ぐ必要はない。ただ、もし公の場で事実を聞かれたら、その時だけ淡々と本当のことを話せばいいんだよ」


 氷室はしばらく拳を震わせていたが、やがてゆっくりと息を吐き出し、怒りを鎮めた。


「……分かりました。こちらからは何も言いません」


 氷室は顔を上げ、静かに宣言した。


「でも、もし公社や公式の場で聞かれたら、私は見た事実だけをすべて話します。絶対に嘘はつきません」


「ああ。それで十分だよ」


 冷たい悪意の嵐が外で吹き荒れる中、事務所の小さな灯りの下で、四人の絆は静かに、だが誰にも砕けないほど硬く結び直されていた。

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