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追い出された地図屋のおっさん、暇つぶしの迷宮探索配信で人類最強に専属ナビを頼まれる〜元クランが深層で迷子になり「戻ってこい」と懇願してきた〜  作者: さくらろ
第6章 握り潰された報告書

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第46話 目次だけの報告書

 迷宮管理公社本庁舎の地下にある文書資料室は、埃っぽい紙の匂いと空調の乾いたモーター音に包まれていた。


 特別技術顧問としての初稼働日。俺は宮原怜、そして汐見航とともに、過去四年分のクラン提出資料が収められた鉄製ラックの前に立っていた。


「志賀さん、ここから先が四年前の第七迷宮関連の安全対策綴りです」


 汐見が棚から分厚いバインダーを何冊も抱え下ろし、閲覧用の長机に並べた。


「手分けして、各クランが迷宮の構造変動や再編周期について触れている箇所を抜き出します。基準改定の答申書には、現場からの要望や過去の警告事例を根拠として添付しなければなりませんから」


「了解です。……しかし、これだけの量を保管しているんですね」


 俺は一冊を開き、頁をめくった。


 中堅クランが提出した浅層の湧水変化の記録や、大手クランの機材トラブル報告。めくる紙の端々に、見覚えのある迷宮の断面図や手書きのメモが挟まれている。


「あ、これ……」


 あるクランの提出したルート図の隅に、細いペンで記された記号を見つけて、思わず声が漏れた。


「どうしたの、志賀さん?」


 隣で端末を操作していた宮原が顔を上げる。


「いえ、この『M―07―03』っていう図面番号の引き方、俺が昔アルゴノートで図面の共有台帳を作った時のナンバリング規則なんです。他のクランにも渡って、こうして使われていたんだなと思って」


「あんたの仕事は、思っている以上に業界中に染み出してるのよ」


 宮原は呆れたように小さく息を吐き、再びバインダーの束に向き直った。


◇


 作業が午後に差し掛かった頃だった。


 汐見が手を止め、棚の最上段から引き出した黒いハードカバーのファイルを開いて眉を寄せた。


「……宮原さん。これを見ていただけますか」


「見つかった?」


「アルゴノートが四年前の十月に提出した、『第七迷宮深層遠征における総合安全管理対策報告書』です。オルタマップの先行導入に関する公社への公式実績報告綴りですね」


 宮原が即座に立ち上がり、汐見の背後からファイルの中身を覗き込んだ。俺も手元のペンを置き、二人のもとへ歩み寄った。


 ファイルには、公社の公式受領印と当時の受付番号が明確に押されていた。表紙をめくると、端正な書式で目次と添付資料の一覧が並んでいる。


 その添付目録の三枚目、一番下の行で、宮原の指先がピタリと止まった。


『添付資料第八号:第七迷宮深層における構造再編周期と参照地図の失効に関する所見(作成者:志賀道久)』


 間違いなく、俺の名前だった。


「……これだわ」


 宮原が低く息を呑んだ。


「表題と作成者が完全に一致してる。……汐見くん、第八号の添付ページを開いて」


 汐見がインデックスを辿り、該当の仕切り紙をめくった。


 だが――そこに現れたのは、書類の綴り込まれていない、空っぽのプラスチックポケットだった。


「……え?」


 汐見が目を丸くし、前後のページをめくり直す。


「第七号の機材仕様書の次が……第九号の通信プロトコル案に飛んでいます。第八号の本文がありません」


「目録には記載されているのに、本文だけが丸ごと抜けている……? 受領印は?」


「第八号の個別受領印の欄は、斜線が引かれたまま空白になっています。公社側で受領した形跡そのものがありません」


 二人のやり取りを、俺はどこか遠い出来事のように聞いていた。


「志賀さん」


 宮原が振り返り、厳しい視線で俺を見据えた。


「これ、あんたが書いたのよね。中身はどうしたの? 提出を取り下げたの?」


「いえ……取り下げた覚えはありません」


 俺はかすかに首を横に振った。


「四年前、第十層から第十二層にかけてオルタマップの実証潜行をした時、魔素の流れで通路の組み替えが公社の想定より三倍以上早く起きていることに気づいたんです。参照地図の寿命は数時間しか持たない、AIだけに頼って退路を計算していたら全滅するって……。それで四十枚近い手書きの測定記録と所見をまとめて、団長室に提出しました」


「それを、鷺沼団長はどうしたの?」


「『現場の感覚で新機材の導入に水を差すな』と言われました。会議でも議題に上がらなかったので、てっきり俺の意見は採用されず、却下されたものだと思っていました。目録に載っていたことすら知らなかったんです」


「却下じゃないわよ!」


 宮原が声を荒らげ、机を掌で叩いた。資料室の静寂がびりびりと震える。


「目録に載せておきながら本文を抜いて提出したのよ。公社に対しては『安全対策の所見も作成して検討済みです』というポーズだけを見せ、現場からの重大な危険警告を丸ごと握り潰して隠蔽したのよ、アルゴノートは!」


「宮原さん、声が大きいです」


 汐見が慌てて周囲を窺うように制止した。


「隠蔽だなんて……」


 俺は戸惑いながら言った。


「まともに取り合ってもらえなかっただけでしょう。当時はAIの導入でクラン全体が沸き立っていましたし、俺のような一介の地図屋の意見なんて、取るに足らないものと判断されただけですよ」


「あんたねえ……!」


 宮原は怒りに肩を震わせ、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。


「制度の側から見ればね、提出されなかった安全警告は、事故を引き起こしたのと同じ重さの背信行為なの! もし四年前にこの所見が公社に届いていれば、中層以深での測量基準はとっくに見直されていたはずなのよ! オルタマップの不具合で負傷者が出ることも防げたかもしれないの!」


 宮原はそこまで言って息を整えると、ファイルを力強く閉じた。


「公社内部にもね、伏せられている深層測量のエラー報告があるの。それと今回の件、絶対に無関係じゃないわ。……課長に上げて、この文書の欠落について正式な調査を立ち上げるわよ」


「宮原さん、大ごとには……」


「大ごとなのよ。あんたがどれだけお人好しでも、命に関わる記録の隠蔽を公社が見過ごすわけにはいかないの」


 宮原の頑なな横顔を見つめながら、俺はそれ以上何も言えなくなっていた。


◇


 その日の帰り道。揺れる電車の窓に映る自分の顔を眺めながら、俺は四年前のあの夜のことを思い出していた。


 第十一層の冷たい通路。突如として始まった構造再編。


 最新鋭の端末が示す現在地と、目の前の岩壁が完全に食い違い、隊員たちがパニックに陥る中、俺は冷え切った指先で方眼紙に新しい壁の位置を書き殴っていた。


 全員を生きて地上へ連れ帰った後、徹夜で書き上げたあの報告書。


 もしあの時、俺がもっと分かりやすく、論理的に説明できていたら。


 鷺沼さんを怒らせず、納得させられるだけの言葉を持っていれば、誰かが怪我をすることも、こんな歪んだ形で過去が暴かれることもなかったのではないか――。


 気付けば、いつものように自分を責める思考に沈んでいた。


 夜九時。重い足取りで事務所のドアを開けると、室内の照明が落ちており、窓際のソファのスタンドライトだけが灯っていた。


「おかえりなさい」


 暗がりの中から、静かな声が響いた。


 氷室灯だった。ソファに深く腰掛け、膝の上に保温マグカップを置いている。


「十和田さんと桑原さんは?」


「十和田さんは浅層の報告書をまとめ終えて二十時半に帰りました。桑原さんも明日の講習準備を済ませて退社しました」


「そうか。……氷室さん、待たせて悪かったね。潜行の日程の相談かい?」


「いえ。志賀さんの顔を見に来ただけです」


 氷室は立ち上がり、製図台の横にある電気ケトルから湯気を立てるカップを取ると、俺の前に置いた。温かいほうじ茶だった。


「顔を見に……?」


「疲れた顔をしています。公社で、何かありましたか」


 普段は戦闘以外に何の関心も示さないはずの少女が、じっと俺の目を覗き込んでいた。


 俺は迷った末、お茶を一口すすってから、ぽつりぽつりと話した。


 四年前に書いた報告書のこと。目録に名前だけが残り、本文が公社に届いていなかったこと。


「……あの時、俺の伝え方が悪かったんだと思う。もっとちゃんと説明していれば、鷺沼さんたちも分かってくれたのかもしれないのにね」


 自嘲気味に笑った俺の言葉を、氷室が遮った。


「違います」


 その声は低く、だが鋼のように硬かった。


「氷室さん?」


「説明しなかったのは、向こうです」


 氷室は迷いのない瞳で俺を見据えた。


「志賀さんは命を守るための事実を書いた。それを読まなかったのも、捨てたのも、全部向こうの都合です。志賀さんが自分を責める理由は、ひとつもありません」


 短く、容赦のない一言だった。


 十四年間、古巣に対して抱き続けていた言い訳のような自責が、その言葉によって音を立てて砕け散っていく気がした。


「……ありがとう、氷室さん」


 俺が小さく息を吐いて笑うと、氷室は「お茶が冷めます」とだけ言って、再び静かにソファへ戻っていった。


 夜の事務所に、静寂が戻る。


 捨てられたはずの過去の紙切れが、四年という時を経て、静かにこちらへ歩み寄ってきていた。

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