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追い出された地図屋のおっさん、暇つぶしの迷宮探索配信で人類最強に専属ナビを頼まれる〜元クランが深層で迷子になり「戻ってこい」と懇願してきた〜  作者: さくらろ
第6章 握り潰された報告書

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第44話 参考人

 秋晴れの風が、事務所のブラインドを静かに揺らしていた。


 開け放した窓からは、迷宮管理公社の正門を行き交う探索者たちの足音と、輸送車の唸る駆動音が届いてくる。


 無償公開した『迷宮構造変動観測手順書』が現場に広まり始めて二週間。事務所の製図台には、各地から持ち帰られた野帳が整然と積まれていた。


「志賀さん、公社に提出する補足資料、こちらのファイルにまとめ直しておきました」


 桑原巧が、几帳面にインデックスの貼られた厚手のファイルを差し出してきた。


「ありがとう、桑原くん。助かるよ」


「午前中の浅層巡回の下見は私一人で済ませておきますので、先生はどうぞ会議に集中してください。第二層までの平坦な通路なら、この膝でもまったく問題ありませんから」


 桑原は作業着の上から右膝のサポーターを軽く叩き、穏やかに微笑んだ。その観察眼と段取りの良さは、すでに事務所の確かな土台になっている。


「志賀さん、ネクタイが少し曲がっています」


 端末から顔を上げた十和田結が駆け寄り、俺の胸元を手早く直してくれた。


「十和田さん、すまないね。滅多に着ないものだから、どうも落ち着かなくて」


「公社の本庁舎に入るんですから、きちんとしてください。今日の検討会、ただの意見聴取じゃないんです。公社が新しい測量基準を作るために、民間の専門家として志賀さんを『第一参考人』に呼んだんですから」


 十和田の声には誇らしげな響きがあった。


「専門家なんて柄じゃないよ。知っていることを話してくるだけさ」


「それが一番大事なんです。……でも、意地悪な質問をされても、無理に言い返したりしないでくださいね」


「はは、大丈夫だよ」


 苦笑いしながら鞄を抱え、俺は事務所を後にした。


◇


 公社本庁舎の第三特別会議室には、重々しい空気が漂っていた。


 楕円形のテーブルを囲むのは、公社の幹部職員や大手クランの代表、測量技術協会の理事たちだ。


 正面には区画測量課長の柏木隆が座り、その隣に宮原怜が控えている。宮原の斜め後ろでは、技術官の汐見航がノートパソコンを開いていた。


「それでは定刻となりましたので、第十七回『区画測量基準改定検討会』を開始いたします」


 司会の挨拶に続き、柏木課長が口を開いた。


「現場で急速に普及しつつある『志賀式観測手順』の考案者である志賀道久氏に、参考人としてご足労いただきました。現行の測量指針を見直すにあたり、専門的な見地からご意見を伺いたいと思います。まず、汐見技官より比較検証の報告を」


 促された汐見が立ち上がり、スクリーンにグラフを投影した。


「区画測量課において、志賀氏が公開した『十七項目+補遺三項目』の手順書に基づき、自動測量AI『オルタマップ』のログとの比較検証を実施いたしました。第七迷宮の第一層から第八層まで、過去三十日間のデータです」


 スクリーンに折れ線グラフが映し出される。


「第一層から第四層までの浅層においては、AIと志賀式手順の予測精度に有意な差は認められませんでした。双方ともに九割以上の確率で通路の変動傾向を捉えており、速度面ではAI測量が圧倒的に優位です。しかしながら――」


 汐見は淡々と次のスライドへ進めた。


「第五層以深の中層、特に魔素濃度が上昇し再編周期が短縮する領域において、両者の精度には著しい乖離が生じました。オルタマップの変動予測率が五〇パーセントを下回る中、志賀式手順による観測値は、壁面吸着圧および変形圧ベクトルの測定により、依然として八〇パーセント前後の確率で組み替えを事前検知しております。先週には、この手順を運用した浅層の新人探索者が、落盤事故の回避に成功した実例も確認されました」


 会議室がざわめいた。協会の理事と思われる男性が手を挙げた。


「汐見技官。その手順とやらは、結局のところ個人の『勘』を後から理屈づけただけのものではないのかね? 足裏の滑り抵抗だの、壁の吸着圧だの、主観に頼る数値を公的な基準に組み込むのは危ういのではないか」


 理事が俺を牽制するように見やる。柏木課長が「志賀さん、いかがですか」と促した。


 俺は姿勢を正し、落ち着いた口調で答えた。


「理事のおっしゃる懸念は、もっともだと思います」


 素直に同意すると、理事は拍子抜けしたように目を瞬かせた。


「感覚は主観になりがちです。だからこそ、あの手順書では『勘』で歩くことを一切禁じています。十七項目を定められた順序で測定し、規定を超える異常値や数値の矛盾があれば、即座に『判断保留』として立ち入らない。分からないという事実をそのまま記録して撤退すること、それ自体が手順の核心です。決められた順序を守りさえすれば、経験の浅い者でも同じように危険を避けることができます」


「しかし、それでは速度が落ちるのではないかね?」


「浅層の通常の巡回であれば、汐見技官のご指摘の通り、AIによる自動マッピングで十分です」


 俺は迷わず答えた。


「機材が正常に動く領域まで手作業を押しつける必要はありません。日常的な作業はAIに任せ、空間の歪みが大きくなる中層深部や周期の境目に限って、この手順を安全弁として併用する。それが最も現実的な運用だと考えています」


 AIの利点を認めた上で補完関係を示した。


 その淡々とした説明に、理事も反論を収めた。


 柏木課長が満足そうに頷いた。


「全面移行ではなく、補完的な安全基準としての導入であれば衝突しませんね。本検討会における第一参考資料として、引き続き精査を進めさせていただきます」


◇


 会議を終えて廊下に出ると、背後から足音が近づいてきた。


「お疲れ、志賀さん」


 宮原だった。手にしたファイルで自分の肩を叩きながら並んで歩く。


「見事な受け答えだったわよ。大手の連中が身構えてたのに、自分から『浅層はAIで十分』なんて言って梯子を外すんだから。おかげで変な横槍も入らずに済んだわ」


 宮原は自販機で温かい缶コーヒーを二本買い、一本を差し出した。


「喉乾いたでしょ」


「ありがとうございます」


 温かい缶を受け取り一口すする。宮原は壁に背を預け、周囲に誰もいないことを確かめてから声を潜めた。


「……ねえ、志賀さん。ちょっと気になる話があるの」


「気になる話?」


「今回の基準改定にあたって、過去四年分の提案書や公社の内部記録を洗い直してるんだけどね。……妙な符合があるのよ。四年前、第七迷宮深層における構造再編周期と、AI測量単独運用の危険性について、あんたが今日話したのと同趣旨の提案が提出されていた形跡があるの」


「え……?」


 俺は缶を持つ手を止めた。


「四年前……ですか」


「ええ。公社の管理システムに受付記録だけが残ってるのよ。でも中身の文書が添付されていなくて、目録だけがポツンと浮いてるの。普通の公的文書じゃあり得ない処理よ」


 四年前。アルゴノートが初期型オルタマップを導入した頃、地図のズレに危機感を覚えた俺は、測定データを添えて報告書をまとめたことがあった。


「……そういえば昔、似たようなものを書いた覚えはありますね。深層の組み替えが予想より早くて、自動マッピングだけに頼ると撤退できなくなるって、詳しく書いて上に提出したんです。でも通りませんでした。鷺沼さんから『余計な不安を煽るな』と言われてそれきりでしたから。公社に届いていたとは知りませんでしたよ」


「……通らなかった、ね」


 宮原は低く呟き、ため息をついた。


「あんたは本当に、どこまでお人好しなのよ。……ねえ、志賀さん。前にも言ったけど、早く公社の技術顧問を受けてちょうだい。中に入ってくれれば、内部資料を正規の手続きで全部閲覧できるようになる。あんたのためにも、絶対にいい話なのよ」


「あの第七条……事前協議義務がある限り、受けるのは難しいですよ。公社の見解と異なる意見を公表できない縛りがあったら、手順書の更新も自由にできなくなりますから」


「分かってるわよ。課長には条項の緩和を掛け合ってるから、修正案を持っていったら逃げないでよね」


 宮原はそう言い残し、足早に去っていった。


◇


 夕方、事務所に戻ると、十和田がパソコン画面をじっと睨みつけていた。


「ただいま。十和田さん、どうしたんだい?」


「あ……志賀さん、お帰りなさい!」


 十和田は慌てて画面を閉じようとしたが、悔しそうに眉をひそめた。


「検討会はどうでしたか……?」


「手順書を第一参考資料として扱ってもらえることになったよ」


「本当ですか! よかった……!」


 十和田はほっと胸を撫で下ろしたが、すぐに表情を曇らせた。


「……志賀さん、これを見てください」


 画面には、配信のコメント欄や掲示板のスレッドが映し出されていた。


『志賀とかいうポッと出、元アルゴノートの解雇マッパーだろ』

『クランを追い出された逆恨みで大手のネガキャンしてるだけ』

『AIを時代遅れ扱いして怪しい手順書を売り込む老害』

『公社の役人と組んで利権を作ろうとしてる』


 心ない中傷が並んでいた。無償公開した手順書が広まるにつれ、大手クランの熱烈な支持者たちからの反発が起きているようだった。


「ひどすぎます……!」


 十和田の声が震えていた。拳を強く握りしめている。


「志賀さんが人の命を思って無償で公開したのに……逆恨みだなんて、志賀さんは一度だってそんなこと言ってないのに……!」


「十和田さん」


 俺はそっと彼女の肩に手を置いた。


「悔しがってくれてありがとう。でもね、気にしなくていいんだよ」


「でも、志賀さんがこんな風に言われるのは許せません……!」


「俺はね、誰とも戦うつもりはないんだ」


 俺は静かに窓の外を見つめた。


「アルゴノートを恨んでもいないし、大手と張り合う気もない。ただ、迷宮で理不尽に命を落とす人が減ればいいと思って手順を書いただけだ。実際に君がアイリス隊の五人を救った。それがすべてだよ」


「志賀さん……」


「明日も明後日も、俺たちのやることは変わらない。依頼された通路を丁寧に測って、安全な退路を引くだけさ」


 十和田は何度も頷き、袖口で目元を拭った。


 だが、夜の事務所で一人図面に向かいながら、俺の胸には宮原の言葉が残っていた。


『四年前にも、同じ趣旨の提案が提出されていた形跡がある』


 自分はただの職人として目の前の仕事をこなしているだけのつもりだった。


 だが、無償公開された手順書は、俺のあずかり知らぬところで、この世界の大きな仕組みを確実に揺り動かし始めていた。

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