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追い出された地図屋のおっさん、暇つぶしの迷宮探索配信で人類最強に専属ナビを頼まれる〜元クランが深層で迷子になり「戻ってこい」と懇願してきた〜  作者: さくらろ
第3章 記録に残らない仕事

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第22話 幅のある的中

 審査会まで、あと五日。


 第七迷宮第四層の空気は、浅層の第二層に比べ明らかに重く湿っていた。ここ北工区四一二について、二日前に提出した封緘予告書に、俺はこう記していた。


『予測事案:第七迷宮第四層・北工区四一二』


『変動形態:十字路における、東側壁の水平スライド閉塞』


『発生予測時刻:提出から四十八時間後以降、五十時間以内』


 作業机の上で、業務用の電波時計がデジタル数字を刻んでいる。


 表示は――『13:58:50』。提出から五十時間となる予告枠の満了まで、あと一分。


「……志賀さん」


 背後で記録バインダーを抱える十和田が、硬い声で囁いた。


「大丈夫です。まだ、あと一分あります」


「ああ」


 短く応えたが、喉の奥はからからに乾いていた。


 十七項目の観測結果は、東側壁に異常な圧縮圧が集まっていると告げていた。迷宮の呼吸は、確実にここを押し潰そうとしている。二十年の経験から得た確信だ。


 だが――動かない。石組みは静まり返り、砂粒一つ落ちてこない。


「……十四時ちょうどです」


 机の脇の汐見技官が、眼鏡を押し上げ無機質に告げた。


「規定時刻を満了しました。十五分間の予備観測時間を設けますが、現象が確認できない場合、公社検証規定に基づき立会枠は終了となります」


「汐見技官、少し待ってください!」


 十和田が一歩前に出た。


「壁の反響音は明らかに詰まっていました。モルタル剥離も進んでいます。もうすぐなんです!」


「十和田さん、感情論は不要です」


 汐見技官は端末から目を離さずに切り捨てた。


「検証は客観的基準で執行されるものです。予告書には『提出から五十時間以内』とあります。数分であれ数時間であれ、枠から外れれば不的中です。公社の予算と人員に無制限の猶予はありません」


 正論だった。俺は十和田の肩に手を置き、首を横に振った。


「十和田さん、いいんだ。汐見技官の言う通りだ。俺が『五十時間以内』と書いたんだから」


 なぜ動かないのか。応力の量は合っている。魔素の循環の遅れか。


 分からない。理由を問われても、他人に証明できる客観的な言葉が出てこない。


「十四時十五分。予備観測時間、終了です」


 汐見技官が機材の電源を落とした。


「立会打ち切りを記録。志賀氏、撤収願います」


 十和田が唇を噛み、俯いた。


 認可配信カメラの向こう、端末のコメント欄には冷ややかな文字が流れていた。


『時間切れか』


『二層のはやっぱ偶然だったな』


『おっさんの勘なんてそんなもんよ』


 世間の評価など、一度外せばあっけなく消え去る。俺は静かに頭を下げ、機材を片付けた。


◇


 第四層坑口の公社仮設詰所。


 パイプ椅子に腰掛け、冷めた茶を啜っていた。十和田は膝の上のバインダーにびっしりと計算を書き殴っている。


「……私が見落としたんです。チェックを雑にしたから、時間が読めなかったんだ」


「十和田さん、自分を責めるな。間違えたのは時間を特定できると思い上がった俺だ」


 俺はずっと、「そろそろ崩れる」という大雑把な勘で生きてきた。それを書式に合わせて時間を区切った途端、技の底の浅さが露呈したのだ。


 汐見技官は奥の机で、淡々と報告書を打ち込んでいた。


 時計の針が回り、午後八時を過ぎた頃。予告枠の満了から六時間あまりが経過した時だった。


 ――ゴ、と。


 床下深くから、重く鈍い地鳴りが突き上げてきた。


「……え?」


 十和田が弾かれたように顔を上げた。


 トタン屋根がびりびりと震え、壁のランタンが激しく揺れる。岩盤同士が擦れ合う摩擦音。


「第四層、空間振動センサー反応!」


 当直員が叫んだ。


「北工区四一二! 局所構造変動、発生しました!」


 汐見技官の指がキーボードの上で止まった。


「十和田さん、行くぞ!」


 俺たちは詰所を飛び出し、北工区四一二へ走った。


 立ち込める土煙の奥。十字路の東側壁――厚さ三メートルを超える巨大な石壁が水平に滑り出し、通路を完全に塞いでいた。


 予告書に記した通りの『水平スライド閉塞』が、寸分の狂いもなく出現していた。


「合ってる……!」


 十和田が声を詰まらせた。


 遅れて駆けつけた汐見技官と、合流した宮原補佐がスキャンログを確認した。


『変形区画:北工区四一二(一致)』


『変位方向:東側壁・水平変位(一致)』


 完全な一致。だが、最下行のエラー表示が赤く点滅していた。


『発生時刻:提出後五十六時間十二分(予告枠上限+六時間十二分超過)』


「……汐見技官、判定は」


 宮原補佐の問いに、汐見技官は硬い表情を崩さなかった。


「区画および幾何学的方向の合致を確認しました。しかし発生時刻は予告枠から六時間以上遅延しています。現行の様式四号に照らせば、判定は『不的中』です」


「そんなのあんまりです!」


 十和田が食ってかかった。


「こんな広い迷宮で、壁の動きまで当てたんですよ!? 六時間ずれただけで全部なしにするんですか!?」


「十和田さん、六時間の遅れを許容すれば基準が崩壊します。探索者の命を預かる測量に温情は持ち込めません」


 汐見技官は冷徹に俺を見た。


「志賀氏。なぜ六時間遅れたのか、手順書で説明できますか」


 俺は一度深く息を吐き、目を伏せた。


「……説明、できません」


「志賀さん!」


「できないんだ。力が溜まる場所は見えても、引き金がいつ引かれるかまでは掴めていなかった。汐見技官の言う通りだ」


 当たったのに、届かない。制度の壁の前で、俺の勘はあまりにも無力だった。


◇


 翌朝。公社区画測量課の執務室。


 奥の席で、課長の柏木隆が不機嫌そうに茶を啜っていた。


 四十八歳。白髪交じりの短髪にくたびれた制服を着崩し、眉間に深い皺を寄せている。


「……汐見の調書を見たぞ」


 柏木課長は掠れた声で言った。


「第四層は時間超過で不的中。これで検証三件中、的中は第二層の一件だけだ。しかもあれはAIでも予測できた。これでは審査会で帯同許可を通すどころか処分も確定だな」


「課長、調書をよくご覧ください」


 宮原補佐が一歩前に出た。


「志賀氏は変動区画および変位方向を完全に的中させています。生じた誤差は時刻の六時間のみです」


「宮原補佐」


 汐見技官が口を挟む。


「現行の様式四号には的中か不的中の二値しかありません。時刻不一致は不的中と処理するのが規定の運用です」


「そうだな」


 柏木課長が頷く。


「今期は予算削減も噂されているんだ。外部の無登録者を庇って突っ込まれたらどうする。揉める記録は作るな」


「課長」


 宮原補佐がデスクに両手を叩きつけた。ダン、と鈍い音が響く。


「公社の観測史上、迷宮の局所組み替えで区画と変位の方向を事前に特定できた記録が過去に一件でもありましたか?」


「え? いや、それは……」


「ゼロです」


 宮原補佐は眼鏡の奥の眼光で課長を射抜いた。


「現行の様式四号が二値判定しか持たないのは、そもそも『場所と方向を当てる』ことすら不可能だった時代に作られた書式だからです。粗い網しか持たない制度で、網目をすり抜けた獲物を『存在しない』と切り捨てるのは測量部門の怠慢です」


 宮原補佐は一枚の申請書を机に叩きつけた。


『様式四号別紙・迷宮局所変動観測記録(暫定運用試行票)』


「予測時刻に幅を持たせた記録様式を新設起案します。変動規模と区画の一致を主判定とし、時刻は前後八時間の許容誤差を認める『幅つき的中』の区分を設けます」


「勝手なことを! 誰が責任を取るんだ!」


「起案責任者の私です。課長は決裁印を押すだけで結構です」


 宮原補佐は冷ややかに畳みかけた。


「この幅つき的中を受理すれば、当課は『迷宮構造の局所予測に世界で初めて成功した公的機関』になります。来期の予算要求で企画財政部にどれほど強力な武器になるか……お分かりになりませんか?」


 柏木課長の喉が鳴った。


「……予算要求の、武器?」


「ええ。AI測量運用費の維持どころか新規観測枠の増設すら狙えます。すべて課長のご英断による成果として報告書を上げますが、いかがですか」


 部屋を奇妙な沈黙が支配した。


 柏木課長は額の汗を拭い、調書と新様式を見比べ――。


「……ふん。現場の責任者がそこまで言うなら、試行措置として認めてやらんでもない」


 引き出しから取り出した公印が、決裁欄に力任せに押された。


「ただし! 本命の中層・第五層で無様な結果を出したら、全部白紙だからな!」


「ええ。承知しております」


 宮原補佐は淡々と書類を回収し、俺を振り返った。


「志賀さん。二件目、暫定区分『幅つき的中』として正式に受理されました」


「あ……」


 言葉を失った。役所の冷たい書式と官僚の計算。俺の言葉足らずな勘を、彼女は制度の中にねじ込んでみせたのだ。


 宮原補佐は俺の手順書を引き寄せると、赤ペンで余白に書き加えた。


『項目十八:時間的変動幅(暫定±八時間)』


「あなたの勘に足りなかったのは才能ではありません。誤差を認める枠組みです。自分の技を過小評価するのも、無謬性を気取るのもやめなさい。迷宮は生き物です。幅があって当たり前でしょう」


 赤ペンの文字が鮮やかだった。


「……はい」


「残るはあと一件。明日の第五層――蓄積データが存在せず、AIが沈黙する中層の検証です。あそこで外せばすべてゴミ箱行きです。覚悟しておいてください」


「はい。全力を尽くします」


 俺は赤字の入った手順書を胸に抱き、静かに息を吸い込んだ。

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