↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
98/132

第98話 選ぶ側、選ばれる側

 PROJECT BABEL第一期軌道ターミナル職員養成生。


 募集定員、百五十名。


 応募者数、四百九十七名。


「……集まったな」


 選考会場となった人類居住区の公共施設。その入口へ続く列を眺めながら、蓮が呟いた。


 若者が多い。


 だが、若者だけではない。旅装の者、職人らしい者、農村から出てきたことがひと目で分かる者、上等な服を着た者までいる。


 人間の町を訪れること自体が初めてなのか、自動で開閉する入口の前で足を止め、後ろから来た者に押されるように中へ入っていく者もいた。


「黒沢さんのCM、効きましたね」


 隣に立つ美冬が言った。


「効きすぎじゃない?」


「百五十人募集で五百人近くですからね」


 BABELはまだ建設中だ。


 軌道ターミナルなど、今は設計データの中にしか存在しない。


 それでも、これだけのエルフが集まった。


 人間の技術を学びたい。


 新しい仕事をしてみたい。


 宇宙へ行ってみたい。


 理由はそれぞれ違う。


「蓮」


 聞き覚えのある声に振り返る。


 白い髪と褐色の肌。


 セレネだった。


 その後ろには、同じく褐色の肌を持つ若いダークエルフたちがいる。男が三人、女が四人。


「セレネも応募したの?」


「違う。付き添いだ」


「その七人の?」


「ああ。里から来た」


 蓮は七人を見た。


 人間の町を珍しそうに見回している者もいれば、既に受付の案内表示を読んでいる者もいる。


「全員BABELに?」


「そうだ。人間の技術を学びたい者は以前からいた。だが、人間の町へ来たことがない者もいる」


「それでセレネが一緒に来たんですね」


 美冬が言うと、セレネは頷いた。


「ここまで連れてくれば、あとは自分たちでやる。選ばれるかどうかも、自分たち次第だ」


 七人は既に受付へ向かい始めていた。


 セレネはその背中を見送った。


「私は終わるまで待っている」


「了解。またあとで」


「ああ」


 PROJECT BABELの人事担当者が、入れ替わるように蓮たちのところへやって来た。


「本日は医学的適性の確認、雇用制度の説明、第一次適性評価まで行います」


「例のVRですね」


「はい。ただし、人間側の技術知識そのものを問う評価にはしません。応募者ごとに馴染みのある文化、道具、生活環境を基準に仮想環境を構築します」


「知らない機械をいきなり触らせても、何が得意なのかなんて分からないからな」


「個人の医学情報と適性評価記録については、医療部門と選考担当者のみが扱います。PROJECT BABEL側へは必要な集計情報のみ共有します」


「それでお願いします」


 美冬も頷いた。


 蓮たちがここへ来たのは、誰を採用するか決めるためではない。


 BABEL側として、選考と養成計画が予定通り動いているかを確認するためだ。


 誰がどの検査に通り、どんな評価を受けたのか。それを二人が知る必要はなかった。


「じゃあ、邪魔になる前に行こうか」


「そうですね」


 二人は受付前を離れた。


 ここから先は、選ぶ側と選ばれる側の時間だった。


     *


 最初に行われた医学的な適性確認は、応募者たちが身構えていたほど大げさなものではなかった。


 頬の内側から、ごく微量の細胞を採取する。


 それだけだった。


 リシェルの前に結果が表示される。


《DH-ELF-5562系統適合率――高》


《軌道長期勤務基準――適合》


「よしっ」


 小さく拳を握った。


「これは長期間の軌道勤務に対する医学的適性を確認するものです」


 担当者が説明する。


「基準を満たさなかった場合でも、BABELで働けないわけではありません。地上ターミナル、地下輸送施設、地上管制、物流など、軌道上以外にも多くの職種があります」


「はい」


 リシェルは大きく頷いた。


 同じ検査が、応募者たちへ次々と行われていった。


 検査そのものに時間はかからない。


 四百九十七人という人数も、人間側の医療設備と自動処理能力にとっては、選考全体を何日にも延ばすほどのものではなかった。


     *


 待機場所の隅で、一人の青年が落ち着かなさそうに周囲を見回していた。


 粗末ではないが、明らかに農作業向けの服装。


 日に焼けた顔。


 受付端末を前にして、しばらく固まっている。


「ここさ座ればええんだが?」


 近くにいた案内担当者が頷いた。


「はい。そこへ座ってください」


「まだ何もしてねえべ」


「座れば自動で始まります」


「んだな」


 少し離れたところを通りかかった蓮が足を止めた。


「……初めて聞いたな」


「何がです?」


「訛ってる」


 美冬も青年を見る。


 蓮は小声で呼びかけた。


「IZANAMI。あれって翻訳されて、あれなの?」


『はい。翻訳処理では意味内容のみならず、地域差、語彙傾向、社会的背景、感情的ニュアンスを可能な範囲で保持しています』


「じゃあ、あいつが実際に東北弁みたいな言葉を喋ってるわけじゃないんだ」


『当然です』


「そこは即答なんだな」


 青年――ボルクは、そんな会話が交わされているとも知らず、恐る恐る椅子へ腰を下ろしていた。


     *


 医学検査を終えた応募者たちは、PROJECT BABELで働くための制度について説明を受けた。


 雇用契約。


 給与。


 勤務時間。


 休日。


 職務。


 安全規則。


 退職する権利。


 勤務時間外の私生活。


 説明が進むにつれ、応募者たちの表情に戸惑いが増えていった。


 やがて一人のエルフが手を上げた。


「では、主君は誰なのですか?」


「いません」


 担当者が答えた。


「……いない?」


 会場のあちこちで顔を見合わせる。


 担当者は少し間を置いてから、言葉を選んだ。


「皆さんは誰かの家臣になるわけではありません。契約する相手はPROJECT BABELという組織です。決められた職務を行い、その対価として給与を受け取ります。勤務時間が決められ、休日があり、契約を終えて辞めることもできます」


「創造神様にお仕えするのではないのですか?」


 別の応募者が尋ねた。


「違います。天城蓮はPROJECT BABELに参加していますが、皆さんを召し抱えるわけではありません」


 その説明には、先ほどより大きなどよめきが起こった。


 エルフ社会にも仕事はある。


 農業、狩猟、職人、商人、兵士。家や宮廷に仕える者もいる。


 だが、個人が大規模な組織と契約し、決められた時間だけ職務に就き、その対価として給与を受け取るという働き方は、多くの応募者にとって馴染みが薄かった。


 担当者は続けて、上司は主君ではなく職務上の指示を行う立場であること、危険な作業については安全規則に基づいて中止を求められること、病気や怪我への制度があることも説明した。


 宇宙で働くからといって、誰かの家臣になるわけではない。


 説明終了後、選考を続ける意思が確認された。


 そこで何人かが辞退した。


 誰も引き止めなかった。


     *


 第一次適性評価には仮想環境が使われた。


 人間の機械を操作させるためではない。


 応募者それぞれに馴染みのある環境の中で、何を見るか、何を優先するか、予想外の出来事へどう対応するかを見る。


     *


 リシェルが目を開けると、市場の真ん中に立っていた。


 三台の荷馬車が、ほぼ同時に到着する。


 一台は食料。


 一台は工房へ運ぶ金属材料。


 一台には急ぎで届ける必要のある薬草。


 倉庫では荷物の取り違えが起きた。


 荷役人の一人が足を傷める。


 その横では商人が、自分の荷物を先に運べと怒鳴っている。


「ちょっと待って! 一人ずつ!」


 最初こそ面食らったが、リシェルはすぐ近くにあった紙と筆を取った。


「薬草を先に運んでください。怪我した人はそっちへ。食料は傷みやすいものから降ろします」


「俺の荷物が先だ!」


「何が入ってるんです?」


「工房の金具だ!」


「いつまでに必要ですか?」


「夕刻だ!」


「だったら待てます! 薬草は待てません!」


 相手の要求を無視するのではなく、必要な情報を聞き出す。


 順序を決め、人員を振り分ける。


 ようやく混乱が収まりかけたところへ、新たに二台の荷馬車が到着した。


「まだ来るの!?」


 一瞬だけ固まる。


 それから腕まくりをした。


「……いいですよ。やってやろうじゃないですか」


     *


 ボルクの前では、水車が異音を立てていた。


「止めろ」


 水門が閉じられ、回転が落ちる。


 ボルクは軸の周囲へ潜り込み、摩耗した部分を確かめた。


「ここだけ替えたら駄目だな」


「そこが壊れているんじゃないのか?」


「今度はこっちさ力かかるべ。そしたら次はこっちが割れる」


 軸から伝わる力を追うように木組みを見ていく。


 限られた材料を組み替え、補強し、水路にも手を入れた。


 やがて水車が再び回り始める。


 村人たちが喜んで離れていっても、ボルクだけは残った。


 水路を見る。


 水車を見る。


 もう一度、水路を見る。


「……ここ、もうちっと変えれば楽になるな」


 回転する水車を眺めながら呟いた。


「人間の機械なら、こういうのどうすんだべな」


     *


 ザグは山の中にいた。


 狩猟隊が谷を進んでいる途中で、突然足を止める。


「下がれ」


「どうした?」


「崩れる」


 直後、斜面から石が落ちた。


 谷の一部が崩れ、仲間が負傷する。


 退路は二つ。


 一方は近い。


 もう一方は遠い。


「近い方へ行こう!」


「駄目だ」


 ザグは地面を指した。


 亀裂が走っている。


「また落ちる」


 迷わず遠い道を選ぶ。


 負傷者を支えながら進んでいる途中、一人が弓を落とした。


「待て!」


 取りに戻ろうとした男を、ザグが止める。


「捨てろ」


「まだ使える!」


「命より高いか」


 男が止まった。


 直後、弓のあった場所へ岩が落ちた。


 ザグはもう振り返っていなかった。


     *


 ミレアが立っていたのは、大きな屋敷だった。


 彼女にとって馴染みのある世界だった。


 三組の来客が、ほぼ同時に到着する。


 一人は約束のある身分の高い客。


 一人は急ぎの知らせを持つ商人。


 もう一人は遠方の村から歩いてきた老人。


「お客様を身分だけで並べないでください。まず、ご用件を確認してください」


「こちらのお客様にはお約束がございます」


「存じています。事情をご説明して、少々お待ちいただいてください」


 商人の話を聞く。


 急ぎの程度を判断する。


 使用人へ指示を出す。


「村からいらした方にはお茶を。ずいぶん歩かれたのでしょう」


 身分の高い客を粗末に扱うことはない。


 だが、身分だけで順序を決めることもしない。


 最後の客への対応が終わりかけた時だった。


「ミレア」


 低い男の声がした。


 父ではない。


 けれど、その声を聞いた瞬間、ミレアの背筋は父の前に立った時と同じように伸びた。


「何をしている」


「お客様への応対をしております」


「お前がする必要はない。使用人に任せなさい。それから、人間のところで働くなどという話も取り下げなさい。宇宙へ行く必要などない」


「……」


 いつもなら、頷けば終わる。


 自分より経験のある者が決める。


 父が決める。


 家が決める。


 それが当たり前だった。


「……承知――」


 そこまで口にして、止まった。


 ミレアは顔を上げた。


「……いいえ」


「何?」


「それは、できません」


「なぜだ」


 一瞬、答えに詰まった。


 窓の向こうに青い空が見える。


「見てみたいのです」


「何を」


「この星を」


 声はまだ小さい。


「人間の方々は、この大地も、森も、海も、すべて一つの星の上にあるのだとおっしゃいます。それを、空の向こうから見てみたいのです」


「そのために家を出るのか」


「それだけではありません」


 ミレアは両手を重ねた。


「わたくしは今まで、家のために必要なことを教えていただきました。何を学ぶかも、どこへ行くかも」


 男は黙っている。


「不幸だったわけではありません。父を嫌っているわけでもありません」


 一度、息を吸う。


「ですが、一度くらい……自分で選んでみたいのです」


 屋敷が消えた。


 庭も、窓の向こうの青空も、音もなく白へ溶けていく。


《第一次適性評価を終了します》


     *


 それぞれ別の仮想環境で評価を受けていた応募者たちも、順次、第一次適性評価を終えていった。


 だが、選考を継続した者たちはVR装置から出なかった。


 個別評価終了後、準備の整った者から共通の見学プログラムへ接続されていく。


 真っ白な空間。


 そこへ次々と人影が現れる。


 市場にいた者も、森にいた者も、工房にいた者も、それまで互いが何を体験していたのかは分からない。


 やがて広い白一色の世界を、大勢の応募者たちが埋めた。


《第一次適性評価は終了しました》


 空間全体へ声が響いた。


《これ以降の仮想体験は、選考評価には使用されません》


 ざわめきが少し静まる。


《引き続き、PROJECT BABEL完成後の勤務環境を体験していただきます》


 足元に一本の線が走った。


 それが広がり、床になる。


 巨大な柱が立ち上がる。


 壁が生まれ、頭上へ何層もの通路が伸びていく。


 案内表示が灯り、仮想の人々が歩き始めた。


 貨物が流れる。


 地下輸送施設へ続く区画が開き、その先から車両が到着する。


 ほんの数秒前まで何もなかった白い世界が、巨大な建造物へ変わっていった。


 最後に、正面の巨大な透明壁の向こうへ一本の構造物が現れる。


 地上から真っ直ぐ空へ伸びている。


 見上げても、その先は見えない。


《PROJECT BABEL地上ターミナル》


《現在の設計データおよび建設計画を基にした完成予測環境です》


 しばらく、誰も声を出さなかった。


「……でかい」


「これを、本当に造っているのか?」


「どこまで続いているんだ……」


 やがて、あちこちから声が漏れ始める。


 壁へ触れる者がいる。


 床を踏みしめる者がいる。


 見上げたまま動かない者もいた。


 目の前にあるものは、まだ現実には完成していない。


 だが、これから自分たちが働くかもしれない場所だった。


     *


 見学者たちは、地上ターミナルからクライマーへ案内された。


《実際の運行計画では、地上から静止軌道ターミナルまで約三十分です》


《本仮想体験では上昇行程を短縮します》


 扉が閉じた。


 クライマーが動き始める。


 最初は地上が離れていく様子が、そのまま再現された。


 建物が小さくなる。


 川が細くなる。


 森が一つの塊へ変わっていく。


 雲が近づき、窓の外を白く覆った。


 そこで景色が淡く消えた。


 次に視界が戻った時、空の色はもう青ではなかった。


「……え?」


 リシェルが窓へ近づいた。


 黒い。


 どこまでも黒い空に、無数の光が浮かんでいる。


 そして眼下には、青い巨大な球体があった。


「……あれ……」


 海。


 大陸。


 白い雲。


 そのすべてが、一つの丸い世界の上にある。


「これが……EDEN?」


 知識として説明されたことはある。


 大地は巨大な球体の一部であり、自分たちはその表面に暮らしている。


 だが、聞いて知ることと、自分の目で見ることは違った。


 ミレアは窓の向こうから目を離せなかった。


「……これを、本当に見ることができるのですね」


 ボルクも黙っていた。


 しばらくして、ようやく口を開く。


「……でっけえな」


 誰も笑わなかった。


     *


 再び視界が切り替わった。


 クライマーが減速を始める。


 窓の向こうへ、巨大な人工構造物が浮かび上がった。


 細長いテザーを中心に、いくつもの構造体が広がっている。


 宇宙船の接続設備。


 貨物設備。


 巨大な放熱構造。


 外部作業区画。


 そして中央には、クライマーを受け入れる軌道ターミナル。


《PROJECT BABEL静止軌道ターミナル》


 クライマーが接続され、扉が開いた。


 応募者たちは次々と外へ出ていく。


 リシェルも数歩進んでから、足元を見た。


「こんな高いところなのに、地上と同じように立てるんだね」


 床を軽く踏む。


 それ以上は気にせず、すぐに顔を上げた。


「わあ……」


 目の前には、これまで見たこともない巨大な宇宙港が広がっていた。


 人が行き交う。


 貨物が流れる。


 巨大な機械が音もなく動く。


 遠くには宇宙船が接続され、そのさらに向こうには青いEDENが浮かんでいる。


     *


 応募者たちは思い思いに宇宙港を歩き始めた。


 旅客を扱う場所。


 大量の貨物が行き交う場所。


 クライマーを管制する場所。


 機械を整備する場所。


 医療を行う場所。


 研究を行う場所。


 宇宙船と人や物資をやり取りする場所。


 リシェルは右を見て、左を見て、また上を見る。


 黒沢のCMで見た未来の施設。


 だが、その中を自分の足で歩くと、映像で見た時とはまるで違った。


 一方、ボルクは早くも別のものに捕まっていた。


 貨物搬送設備だった。


 巨大な荷物が床に接触することなく、滑るように移動している。


「……車輪ねえぞ」


 しゃがみ込む。


 下から見る。


 反対側へ回る。


「綱もねえ」


 仮想の外装へ手を触れた。


「中、どうなってんだ?」


 問いかけに反応し、外装が透けた。


 内部構造が露出する。


「おお……!」


 さらに駆動部の働きが分かるように表示が変わった。


「……こんなんで動かすのか」


 EDENを見るより、こちらの方が気になるらしい。


 少し離れたところでは、多くの応募者が巨大な窓の前から動けなくなっていた。


 ザグもその中にいる。


「俺たちの里は、あの中か」


《はい》


「どこだ」


 窓の一部に小さな印が現れた。


 ザグはそれを見つめた。


 しばらく黙ったあと、一言だけ呟く。


「……小さいな」


 里が小さいのではない。


 世界が、あまりにも大きかった。


     *


 見学は、美しい景色だけでは終わらなかった。


 管制では、長時間の監視が必要になる。


 貨物では、同じ確認を何度も繰り返す。


 整備では、小さな異常を見逃さないことが求められる。


 交代勤務。


 定期訓練。


 安全確認。


 緊急時の手順。


 宇宙で働くからといって、毎日窓の外を眺めていられるわけではない。


 黒沢のCMが見せたのは、宇宙で働くという夢だった。


 この見学が見せるのは、その場所で実際に生活し、働くという現実だった。


 最後に、応募者たちの前へ一つの表示が現れた。


《PROJECT BABELの勤務環境を確認しました》


《選考を継続しますか》


 答えは、それぞれが自分で選んだ。


 もちろん、全員が残ったわけではない。


 一人の狩人は、しばらく表示を見つめてから辞退を選んだ。


「宇宙は見てみたい。でも、ここで毎日働きたいかって聞かれたら、違うな」


 その顔に後悔はなかった。


 他にも何人かが同じ選択をした。


 宇宙を見たいことと、宇宙で働きたいことは同じではない。


 それを理解した上で選んでもらうための見学だった。


     *


 午前から始まった選考が一段落した頃には、まだ日のある時間だった。


 医学検査。


 雇用条件の説明。


 第一次適性評価。


 そしてBABEL完成後の勤務環境の見学。


 四百九十七人から始まった最初の選考は、数時間で終了していた。


 蓮と美冬のところへ届いたのは、個人の評価記録ではなく全体の集計だけだった。


 医学的適性。


 第一次適性評価。


 選考継続者数。


 適性分野の分布。


 BABEL側がこれから必要とする職種との対応。


「順調みたいだな」


「そうですね」


 美冬が集計表示を閉じる。


「今日はここまでです」


「第二次は?」


「明日ですね。今日の結果を整理した上で、残った応募者が次の選考へ進みます」


「一日で百五十人まで決めるわけじゃないんだな」


「そんなに急いで決める必要もないでしょう」


「まあ、そりゃそうか」


 まだ初日が終わっただけだ。


 誰が選ばれるのか。


 誰がどこで働くことになるのか。


 それは明日以降に決まっていく。


     *


 選考会場を出たところで、セレネがこちらへ歩いてきた。


 里から来た七人の付き添いとして、人類居住区に残っていたのだ。


「蓮」


「ん?」


「一つ、聞きたい」


「七人のこと?」


「ああ」


 セレネは少し考えてから言った。


「人間の町に慣れていないことは、不利になるのか」


「ああ、そういうことか」


 蓮は首を振った。


「そこは大丈夫。人間の機械を知ってるかどうかじゃなくて、その人が元々何をできるかを見るようにしてる。人間の技術は採用された後に覚えてもらうことになってるから」


「そうか」


「ただ、俺は個別の結果は見てないし、採用にも口は出さないよ」


「分かっている」


 セレネは蓮の右腕を掴んだ。


「特別扱いを頼むつもりはない。ただ、あの七人にも同じ機会があるなら、それでいい」


 真剣に話すため、一歩近づく。


 その結果、大きな胸が蓮の腕へ押し当てられた。


「うん。それなら大丈夫」


 少し離れたところにいた美冬の視線が止まった。


「……蓮さん」


「はい」


「何ですか、その状況」


「俺にも分からない」


 そこへ選考を終えたリシェルが通りかかった。


 セレネを見る。


 蓮を見る。


 掴まれている右腕を見る。


「私も蓮さんにお願いがあります!」


「え?」


 リシェルは蓮の左腕を掴んだ。


 そして、セレネと同じように身体を寄せる。


「だから、なんで?」


 リシェルは自分と蓮の腕の間を見る。


 次にセレネを見る。


 もう一度、自分を見る。


「……おかしい」


「何が」


「同じことしてるのに」


「何の比較してんの?」


 美冬が歩き出した。


「あ、美冬?」


「知りません」


「なんで!?」


 セレネがようやく蓮の腕を離した。


「美冬はどうした」


「俺に聞かないで」


「そうか」


 セレネは美冬を追いかけた。


 リシェルは最後にもう一度だけ、自分とセレネを見比べる。


「……やっぱりおかしい」


「だから何が?」


 リシェルも二人を追っていった。


 一人残された蓮は、遠ざかっていく三人の背中を眺めた。


「……今回、俺絶対何も悪くないよね」


 誰も答えなかった。


第九十八話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。