第97話 宇宙で働きませんか
宇宙港を造る。
地上起点が決まり、人類居住区とそこを結ぶ地下真空輸送路の建設もBABEL本体と並行して進めることになった。
ならば、次に決めなければならないことがある。
誰が、そこで働くのか。
◇
「軌道ターミナルの基本運用は、ほぼ自動化できます」
PROJECT BABELの会議室。
運用担当者の言葉とともに、会議卓の上に完成後の軌道ターミナルが浮かび上がっていた。
中央をテザーが貫き、クライマー発着区画、旅客区画、貨物区画、管制施設、医療施設、整備施設が広がっている。
「クライマー運行、貨物搬送、軌道監視、設備診断、定型保守の大部分は自律機械で対応できます。ただ、完全無人にはしない方針です」
「人を運ぶ場所だからな」
柳原が言った。
「はい。旅客対応、医療、保安、緊急時の判断、複雑な保守作業。それにNOAHから降りてくる人々を最初に迎える場所でもあります」
「出迎えが全部機械っていうのもな」
蓮が言うと、美冬も頷いた。
「向こうは気にしないかもしれませんけど、こちらから迎える場所ですからね」
「問題は、その人員です」
医療・安全部門の担当者が表示を切り替えた。
軌道ターミナルが断面表示となり、区画ごとに異なる色が付けられる。
「居住区画や管制区画には十分な放射線遮蔽を設けます。太陽粒子イベントに備えた退避区画も用意します。ただし、宇宙船の接舷部、貨物区画、クライマー接続部、外部保守区画まで同じ水準で覆うのは現実的ではありません」
「質量も増えるしな」
「はい。乗客の短期滞在なら問題ありません。ですが、長期間働く職員は累積被曝を考える必要があります」
個人線量を管理し、勤務場所や時間によって地上勤務と交代させる。
安全上はそれでいい。
問題は、必要な人数だった。
「アマテラスでは問題にならなかったのか?」
柳原が尋ねた。
「条件が違います」
蓮が答えた。
軌道ターミナルの隣に、全長四・八キロメートルのアマテラスが浮かび上がる。
「アマテラスは長期間、恒星間空間で人を運ぶための船です。居住区や冷凍睡眠区画は船体の奥にあるし、水や燃料、備蓄物資、構造材そのものも遮蔽に使ってる。睡眠槽にも追加の遮蔽があります」
蓮が船首を指した。
「それに航行中は、船首の重力推進場で高エネルギー粒子の進路を逸らしてます」
美冬が軌道ターミナルを見る。
「じゃあ、その重力場をバベルにも使えば?」
「使えなくはない。でも、やりたくない」
蓮は即答した。
「テザーがある。クライマーが動く。宇宙船も接近する。貨物も動く。その真ん中で強い重力場を常時使うとなると、全部に補正が必要になる」
『実現は可能です』
イザナミが簡単なシミュレーションを表示した。
重力場が形成された途端、テザー、クライマー、接近する宇宙船に大量の補正表示が現れる。
『ただし、運用および安全制御は大幅に複雑化します』
「だろ?」
蓮は肩をすくめた。
「普通に遮蔽して、働く人間の被曝量を管理した方がいい」
クライマーも同じだった。
地上から静止軌道まで、およそ三十分。
乗客なら適切な遮蔽で十分だが、何度も往復する乗務員は別になる。
「つまり、人間だけで運用するなら交代要員がかなり必要になる、と」
柳原が確認した。
「はい」
人類の生存者は三千七百四十二人。
その中で働ける者の多くが、すでに都市の維持、生産、医療、教育、行政、研究など何らかの仕事を担っている。
NOAH受け入れ準備が進めば、さらに人手は必要になる。
『前提条件の修正を提案します』
イザナミが言った。
『軌道ターミナルの常駐職員を、現生人類に限定する必要はありません』
表示が変わる。
長い耳を持つ人体模型が現れた。
《DESIGN HUMAN》
《DH-ELF-5562》
「あ」
蓮が声を漏らした。
「エルフか」
『はい』
エルフは、テラフォーミング初期の不安定な環境でも長期間活動できるよう設計されたデザインヒューマンだった。
DNA修復能力、造血系の回復能力、損傷細胞の排除や組織再生能力。
現在のエルフにも個体差はあるものの、それらの特性は強く残っており、放射線への耐性は人間よりはるかに高い。
「そうだった」
蓮が額に手を当てる。
「知ってたのに、軌道勤務と結びつけてなかった」
『その認識で正確です』
「軌道勤務に向いてるってことか」
『適性が高い、が正確です』
「細かいな」
『重要な差異です』
美冬が小さく笑う。
『なお、エルフによる勤務を提案しているのではありません』
「まだ何も言ってないぞ」
『誤解を防止しています』
「最近、先回りするよな」
『学習の結果です』
「誰から学習したんだよ」
美冬が蓮を見る。
「たぶん蓮さんです」
「なんで?」
柳原が咳払いした。
「続けてくれ」
『募集対象をエルフ社会まで拡大することを提案します』
柳原は少し考えてから頷いた。
「それならいい。エルフだから危険な仕事を任せる、という制度にはしない。人間もエルフも本人の意思で応募する。同じ仕事なら、同じ職員として扱う」
「給与や勤務条件も職務基準で統一します」
人事担当者が答える。
「それで進めてくれ」
方針が決まった。
だが、別の問題がある。
「応募してくれますかね?」
美冬が言った。
「宇宙だぞ」
蓮は腕を組んだ。
「怖がらないか?」
「むしろ若いエルフなら、かなり興味を持つんじゃないですか?」
「そう?」
「最近、人間の町へ来る若いエルフ、増えてますよ。映画を見たり、ゲームをしたり、人間の機械を見たり」
「ああ」
「人間の技術を学べる。人間の町で訓練できる。新しい仕事ができる」
美冬は軌道ターミナルを指した。
「しかも、宇宙ですよ」
蓮は模型を見上げた。
「……来そうだな」
「でしょう?」
「募集するなら、今からです」
教育担当者が言った。
「施設が完成してから教育を始めたのでは間に合いません」
新しい表示が現れる。
《第一期軌道ターミナル職員養成課程》
管制、旅客業務、貨物管理、設備保守、救命、医療。
必要な知識と技能は、人類側で教育する。
BABELを造りながら、そのBABELで働く人材も育てる。
PROJECT BABELの新しい仕事が始まった。
◇
「軌道ターミナルの職員募集?」
黒沢は渡された資料をめくった。
「はい。エルフ社会からも募集します。映画館の上映前に流す募集映像をお願いしたいと考えています」
「時間は?」
「二分から三分程度です」
「それくらいは欲しいな」
黒沢は資料へ視線を戻した。
地上ターミナル。
地下真空輸送路。
テザー。
クライマー。
軌道ターミナル。
アマテラス。
NOAH。
第一期軌道ターミナル職員養成課程。
「現行の完成予想モデルは使っていい?」
「はい。変更の可能性がある箇所だけ分かるようにしてもらえれば」
「アマテラスとNOAHも?」
「問題ありません」
「制服はまだ決まってないな」
「はい」
「じゃあ仮で作る」
黒沢は資料を閉じた。
「役者はいらない。全部生成でやる」
「全部ですか?」
「まだ存在しない場所を撮るんだ。人物も生成した方が自由に作れる」
黒沢にとって、それは特別なことではなかった。
「ただ、本物みたいに作ること自体はどうでもいい」
「では、何を見せます?」
「そこで働いてる自分を想像させる」
黒沢は地上から宇宙へ伸びるテザーを指した。
「宇宙港がすごい、人間の技術がすごい。それだけじゃ求人にならない」
少し考える。
「見終わった奴に、自分もあそこへ行きたいって思わせる」
◇
制作室の中央で、黒沢は一人、椅子に身体を預けていた。
机も画面もない。
代わりに、黒沢を取り囲む空間そのものが編集環境になっていた。
右手を動かすと何もない草原が広がり、指先で空間を引き上げれば、そこから一本のテザーが青空へ伸びていく。
視点を掴んで雲の上へ運ぶ。
EDENを遠ざける。
軌道ターミナルを出現させる。
別の手で時間軸を引き寄せ、音楽をずらし、不要な場面を摘まんで消す。
制服姿の人間やエルフも生成し、完成後の施設へ配置していった。
「最初から宇宙港を見せるのは違うな」
黒沢が呟く。
軌道ターミナルが消えた。
テザーも消えた。
何もない草原だけが残る。
「ここから始める」
地上。
空。
宇宙。
そして、その先で働く人々。
二分あまりの映像を、黒沢は何度も組み替えていった。
映像そのものを作ることは難しくない。
黒沢が考えていたのは、どの場面を見た時に、観客が初めて「あそこへ行きたい」と思うのかだった。
◇
数日後。
エルフの町にある映画館。
リシェルは友人と並んで座っていた。
目的は、これから上映される映画だった。
照明が落ちる。
本編前の宣伝映像がいくつか流れ、やがてスクリーンが暗くなった。
星空が現れる。
その中央に、青いEDENが浮かんでいた。
『空の向こうへ行ってみたいと、思ったことはありませんか』
視点がEDENへ近づいていく。
大気を抜け、雲を抜け、大地へ降りる。
最後に現れたのは、風に草が揺れているだけの広大な平原だった。
『ここには、まだ何もありません』
草原に光が走る。
巨大な地上ターミナルが姿を現した。
その地下には、人類居住区へ続く高速輸送路。
そして中央から、一本のテザーが空へ伸びていく。
『けれど、私たちはここから――宇宙への道を造ります』
視点がテザーを追った。
青空。
雲。
やがて空の色が黒へ変わる。
眼下の地平線が丸くなり、青いEDENが宇宙の中へ浮かび上がった。
その先に、巨大な軌道ターミナルが現れる。
クライマーが到着する。
扉が開く。
制服姿の若いエルフが歩いてくる。
隣には人間がいた。
場面が変わる。
管制室で軌道交通を管理するエルフ。
貨物区画で自動搬送機を扱う人間とエルフ。
到着した人々を迎える職員。
設備を点検する技術者。
医療区画で働く者たち。
誰もが、同じ宇宙港の職員として働いていた。
『宇宙で働いた経験は必要ありません』
今度は訓練施設だった。
若いエルフたちが、人間と一緒に軌道設備を学んでいる。
『必要な知識も、技術も――これから学ぶことができます』
再び軌道ターミナル。
大きな窓の向こうに青いEDENが見えた。
『人間の技術を学びたい』
人間とエルフが並んで歩く。
『新しい仕事をしてみたい』
若いエルフが顔を上げる。
『まだ見たことのない景色を、自分の目で見てみたい』
青いEDENを背に、一人のエルフが立っていた。
『その気持ちがあるなら――』
彼女が振り返る。
『あなたも、人間と一緒に宇宙で働いてみませんか』
音楽が大きく広がった。
軌道ターミナル。
そこから地上へ伸びるテザー。
青いEDEN。
遠方に浮かぶアマテラスとNOAH。
そして視点は一気に地上へ戻った。
草原から、一本の道が宇宙へ伸びている。
《PROJECT BABEL》
《第一期軌道ターミナル職員養成生募集》
《管制・旅客業務・貨物管理・設備保守・医療・生活支援》
『空の向こうに、あなたの仕事を』
暗転した。
映画館は静まり返っていた。
数秒後。
「……今の、本当に募集?」
誰かが言った。
「エルフも応募できるってことだよな?」
「人間の町で勉強するの?」
「本当に宇宙まで行くのか?」
ざわめきが広がり始めた。
リシェルも、暗くなったスクリーンから目を離せなかった。
その少し後ろ。
スティルベルは腕を組んだまま座っていた。
『三人のアーチャー』を撮ったエルフの監督。
黒沢から映画制作を学び、自分たちの手で一本の映画を完成させた男だった。
だから、黒沢が何をしたのか分かる。
自分なら、巨大な宇宙港を見せたくなる。
人類の技術を。
宇宙を。
アマテラスを。
見る者を圧倒するものはいくらでもある。
だが、黒沢が長く見せたのは、そこではなかった。
そこで働くエルフだった。
宇宙港を見せたのではない。
そこにいる自分を想像させた。
周囲では、本編が始まる前から声が飛び交っている。
「応募してみようかな」
「設備保守なら人間の機械を触れるのかな?」
「訓練って人間の町でやるんだろ?」
「宇宙からEDENって、本当にあんなふうに見えるのかな」
スティルベルは小さく笑った。
「……やっぱり黒沢さんはすごいな」
隣の仲間が振り向く。
「映像がですか?」
「違う」
スティルベルは首を振った。
「あそこで働きたいって、思わされた」
やがて映画本編が始まった。
リシェルもスクリーンへ視線を戻した。
十分ほど経った。
「リシェル」
「何?」
「映画、見てる?」
「見てるよ」
「じゃあ今、何してるところ?」
リシェルは黙った。
少し考えてから、小声で尋ねる。
「……募集って、いつまでだった?」
「全然見てないじゃない」
リシェルは少しだけ笑った。
「終わったら、募集案内見ていかない?」
「本気?」
「うん」
◇
上映が終わった。
映画館から出たリシェルは、すぐに足を止めた。
「……すごい」
PROJECT BABELの募集案内端末の前に、人だかりができていた。
その多くが若いエルフだった。
「管制って何をするんだ?」
「設備保守なら人間の機械を扱えるのか?」
「養成期間は人間の町で暮らすの?」
「宇宙にはいつ行ける?」
「まだバベル造ってないだろ」
「だから今から勉強するんだろ!」
係員が次々と質問を受けている。
友人が呆然と人だかりを眺めた。
「みんな考えること同じなんだ……」
「行こう」
「え?」
「応募する」
友人がリシェルを見る。
「もう決めたの?」
「うん」
「募集要項、ちゃんと読んでないでしょう」
「これから読む」
「それから決めたら?」
「読むけど、たぶん変わらないよ」
リシェルは募集端末へ視線を向けた。
「人間のところで勉強できるんだよ」
人間の技術を学べる。
人間と一緒に働ける。
映画やゲームを見るために遊びに行くのとは違う。
その社会の中へ、自分も入っていける。
リシェルは空を見上げた。
青い空が広がっている。
そこにテザーはない。
クライマーもない。
軌道ターミナルもない。
けれど、先ほど見た光景なら、まだ鮮明に頭の中に残っていた。
大気を抜けて伸びる一本の道。
青いEDENを見下ろす宇宙港。
そこで人間と並んで働く、長い耳を持つ職員。
「それに――」
リシェルは人だかりへ向かって歩き出した。
「宇宙で働けるんだよ」
PROJECT BABEL最初の職員募集が、始まっていた。
第九十七話 了




