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第96話 地上起点

 《PROJECT BABEL》の基本設計は、短期間で形になった。


 アマテラスには、地球時代の軌道エレベーターに関する技術資料が残されている。


 そこへEDENの重力、大気組成、自転周期、気象、地質、利用可能な資源、生産能力、必要輸送量を与え、現在の条件に合わせて再構成する。


 計算の大部分はイザナミが担当した。


 それ自体は、誰にとっても珍しいことではない。


 要求条件が変われば設計が変わる。


 旅客輸送量を増やせばターミナルが広がり、貨物処理能力を上げれば搬送設備が増える。保守性を優先すれば構造が変わり、将来拡張を盛り込めば必要な用地も変化する。


 イザナミはそのたびに複数案を提示した。


 PROJECT BABELに参加する技術者たちは、それを見ながら必要なものと不要なものを選んでいった。


 設計計算よりも、人間が何を求めるのかを決める方に時間がかかった。


 そして現在。


 残された大きな項目の一つが、地上起点の正式決定だった。


 赤道上にはすでに第一候補地が選ばれている。


 地盤。


 気候。


 周辺地形。


 将来の拡張余地。


 現在の人類居住区からの距離。


 データ上では、そこが最も適していた。


 だが、PROJECT BABELは最終決定の前に現地調査を行うことにした。


     ◇


「……普通だな」


 降下した蓮は、最初にそう言った。


 草原だった。


 背の低い草が風に揺れ、その先には緩やかな丘が続いている。


 遠くに森林。


 空には薄い雲。


 特別なものは何もない。


「何を期待してたんですか?」


 隣へ降りた美冬が聞いた。


「いや、赤道って聞くと、もう少し何かありそうな気がして」


「何かって?」


「赤い線とか」


「あるわけないでしょう」


「知ってるよ」


 今回の現地調査には、PROJECT BABELの地質、建設、輸送、環境担当者が参加している。


 そして、その中には人間ではない者たちもいた。


 四人のゴブリンだった。


 近隣のゴブリン都市から派遣された、鉱山技師と坑道設計の専門家である。


 人類が各地の資源調査を進める中で、ゴブリンたちが持つ地下に関する知識は予想以上に有用だと分かっていた。


 人類側には地中探査装置がある。


 地層を立体的に読み取ることもできる。


 掘削後の応力変化も、地下水圧も、構造安定性も計算できる。


 だが、ゴブリンたちには別のものがあった。


 長い時間をかけて地下を掘り続けてきた経験だった。


 同行したゴブリンの中で最年長の男は、降りてからほとんど空を見ていない。


 ずっと地面を見ていた。


 歩く。


 しゃがむ。


 土を掴む。


 また歩く。


「何してるんだ?」


 蓮が聞いた。


「地面を見ている」


「それは分かる」


「なら聞くな」


「ごもっとも」


 美冬が小さく笑った。


 ゴブリンの男は足元の土を指で崩した。


「上は悪くない」


「上?」


「ここだ。表面は問題ない。下は知らん」


「地下探査データならあるぞ」


「なら見せろ」


「今からその予定」


 蓮が振り返る。


「準備いい?」


 建設担当者が頷いた。


「イザナミ。現地投影を開始」


『了解しました』


 草原に光が走った。


 地面の上へ細い線が現れ、それが大きな円を描いていく。


 ゴブリンたちが足を止めた。


 線が増える。


 高さを持つ。


 壁になる。


 何もなかった草原に、半透明の巨大構造物が浮かび上がった。


「……おお」


 若いゴブリンが声を漏らす。


 投影されているのは、完成後のバベル地上施設だった。


 中央には巨大なアンカー構造。


 その周囲には旅客ターミナル、貨物施設、保守区画、エネルギー供給設備。


 全体を見れば、一つの小都市と言ってもいい。


 だが、ゴブリンたちの目が最も大きく開いたのは、その後だった。


 中央から一本の細い線が伸びた。


 上へ。


 空へ。


 雲を貫き、さらにその先へ。


 現地投影で視認できる範囲を超えると、構造そのものは消えた。


 代わりに、進行方向を示す光だけが遥か上空へ伸びている。


 ゴブリンたちは揃って空を見上げた。


「どこまで続く?」


 年長の男が聞いた。


「静止軌道まで三万数千キロ」


 蓮が答える。


 男はしばらく黙っていた。


「三万……キロ?」


「そう」


「山より高い?」


「比較にならない」


「雲より?」


「ずっと上」


「鳥より?」


「それは当然だろ」


 男は眉間に皺を寄せた。


「分からん」


「まあ、そうなるよな」


「お前は分かるのか?」


「数字では」


「なら同じだ」


「そうかも」


 ゴブリンは再び空を見上げた。


「人間は、空の上に道を造るのか」


「そんな感じ」


「変な奴らだ」


「それは否定しない」


 美冬が横から言った。


「そこは否定してください」


「無理だろ」


 彼女はため息をついた。


 その時、蓮はふと地面を見た。


「そういえば」


「何です?」


「赤道ってどこ?」


 美冬も辺りを見る。


 当然、何もない。


「イザナミ。赤道を表示して」


『了解しました』


 二人の少し先に一本の光が現れた。


 草原を真っ直ぐ横切っている。


「そこか」


 蓮は歩いていった。


 線の手前で止まる。


 一歩進む。


「南半球」


 一歩戻る。


「北半球」


 また進む。


「南半球」


「何してるんですか」


 美冬が言った。


「赤道に来たら一度はやるだろ」


「やりません」


 もう一度戻る。


「北半球」


「天城さん」


「はい」


「現地調査中です」


「分かってます」


 ゴブリンの一人が仲間へ小声で尋ねた。


「あれは儀式か?」


「違います」


 美冬が答えた。


「たぶん」


「たぶんって何だよ」


「私にも、あなたの行動全部は説明できません」


「一応、アマテラスの最高管理権限持ってるんだけど」


「だから余計に困るんです」


 周囲から笑い声が漏れた。


 蓮は赤道を跨ぐのをやめた。


     ◇


 地上施設の確認が終わると、投影内容が切り替わった。


 今度は地下だった。


 一見すると、草原の一部が透明になったように見える。


 地層が色分けされ、地下水脈、岩盤、断層、空洞が立体的に浮かび上がる。


 その瞬間。


 ゴブリンたちの様子が変わった。


 空へ伸びる軌道エレベーターを見た時とは違う。


 全員が黙った。


 そして、一歩前へ出る。


「これは、この下か?」


「そう」


 地質担当者が答えた。


「地中探査の結果を、そのまま重ねてる」


 年長のゴブリンが手を伸ばした。


 指が投影像へ触れる。


 地下構造が回転した。


「うおっ」


 男が慌てて手を引く。


「壊れないから大丈夫」


 蓮が言った。


「先に言え」


「ごめん」


 男はもう一度触れた。


 今度は慎重に回転させる。


 指を広げると拡大した。


「……ほう」


 さらに広げる。


「ほう」


 地層を横から見る。


 上から見る。


 角度を変える。


「これを消せ」


「どれ?」


「この黄色いのだ」


「構造境界?」


「それだ。邪魔だ」


 人間の技術者が表示を消した。


「こっちは残せ」


「地下水?」


「そう」


 数分もしないうちに、ゴブリンの男は人間の技術者と並んで地下構造を動かしていた。


「覚えるの早いな」


 蓮が言った。


「面白いものは覚える」


「分かる」


「あなたと同類扱いするのは失礼じゃないですか?」


「誰に?」


「両方に」


「ひどいな」


 やがて、バベルの地下構造が重ねられた。


 地上アンカーの下。


 ナノマシンによって補強される岩盤。


 人工構造物だけで荷重を受けるのではない。


 広い範囲の地盤そのものを構造の一部として使う。


 亀裂を補強し、必要な部分には別の材料を生成する。


 弱い部分を交換する。


 地下深くまで連続した一つの巨大構造体へ変えていく。


 ゴブリンたちが黙った。


「岩を造り替えるのか」


「必要なところだけ」


 建設担当者が答える。


「全部を人工物にする必要はない。元から強い部分はそのまま使う」


「どうやって?」


「ナノマシンで」


 ゴブリンは地下構造と人間の顔を交互に見た。


「便利だな」


「便利なんだよ」


 蓮が言った。


「便利で済ませていいんですかね」


 美冬が呟いた。


 年長のゴブリンは、しばらく表示を眺めていた。


 それから一箇所を指した。


「この辺り、もっと深くできるか?」


 建設担当者が見る。


「できますが。理由は?」


「ここの岩は硬い」


「把握しています」


「なら、こっちを使え」


 男は少し下にある別の地層を指した。


「今の案だと、ここを大きく補強して通すんだろう?」


「そうですね」


「その必要がない」


 指を動かす。


「少し下げれば、こっちの層が続いている。掘る量は増えるが、壁を支える量は減る」


 地質担当者が表示を拡大した。


「確かに連続していますね」


「水も少ない」


「地下水脈からも離れる」


 建設担当者が考え込む。


「イザナミ。提案経路で比較して」


『計算します』


 数秒後。


 二本のルートが表示された。


『提案経路では掘削距離が三・二パーセント増加します』


 ゴブリンの男は黙っている。


『一方、構造補強材使用量は十一・七パーセント低下。長期保守に必要な補修資源量は七・九パーセント低下すると予測されます』


 建設担当者が頷いた。


「悪くない」


「だろう」


 ゴブリンが胸を張った。


 蓮が笑う。


「すごいな」


「山の中で暮らして何年になると思う」


「何年?」


「知らん」


「知らないのかよ」


「俺が生まれる前からだ」


「それはそうだろうけど」


 PROJECT BABELの技術者たちは、その案を正式な比較対象として保存した。


 イザナミの設計が間違っていたわけではない。


 元の案でも十分な安全性は確保されている。


 ただ、地下を知る者が別の道を見つけた。


 同じ場所へ到達するための、少しだけ違う道だった。


     ◇


「もう一つあります」


 輸送担当者が言った。


 空間投影が広域地図へ切り替わる。


 赤道上のバベル候補地。


 そして、離れた位置にある現在の人類居住区。


 その間へ複数の線が引かれた。


「地上起点がここになった場合、居住区との恒常的な輸送手段が必要になります」


「今の輸送艇じゃ駄目なのか?」


 蓮が聞く。


「通常時なら問題ありません。ただ、NOAHから百万人規模で人が降りてくることを考えると、航空輸送だけに依存するのは効率が悪い」


 別の線が表示される。


「PROJECT BABELでは、すでにいくつか候補を比較しています。地上高速交通、専用貨物道路、航空輸送の拡充。それから地下高速輸送です」


「地下案もあったのか」


「あります」


 蓮は地図を見る。


 居住区と赤道。


 その間には森林があり、川があり、地形の起伏がある。


 地上を一直線に結ぶなら、それらを横切らなければならない。


「地下の方が良さそうだな」


「環境への影響は小さくできます」


 輸送担当者が頷いた。


「特に真空チューブ式なら、地上交通と交差する必要もありません」


「リニア?」


「基本的には。重力制御による慣性補償を併用します」


 ゴブリンの男が首を傾げた。


「真空?」


「空気を抜いた穴の中を車両が走る」


「なぜ空気を抜く?」


「速く走るため」


「どれくらい?」


 輸送担当者が予定値を表示した。


 ゴブリンが数字を見る。


 しばらく黙った。


「……地下で?」


「地下で」


「怖くないのか?」


「安全装置は付けます」


「そういう問題か?」


 蓮は少し考えた。


「俺も初めて乗る時は怖いかも」


「お前たちが造るんだろう」


「造るのはPROJECT BABEL」


「その中にいるだろう」


「まあ」


 ゴブリンは呆れたように鼻を鳴らした。


 年長の男は、先ほどの地下地質図へ視線を戻した。


「この道を掘るなら」


 彼が言う。


「真っ直ぐだけ考えるな」


「どういうことです?」


 輸送担当者が聞いた。


「少し深く潜れば、向こうまで良い岩が続いている場所がある。距離は伸びる。だが掘りやすい」


 地質担当者がすぐに表示を重ねる。


「確かに」


「この辺りも避けた方がいい」


「理由は?」


「岩が細かい。崩れはしないが、掘ると面倒だ」


 イザナミがルート候補を追加した。


 一本。


 二本。


 三本。


 人類の技術者とゴブリンが、同じ地図を囲む。


 誰かが線を引く。


 誰かが消す。


 イザナミが輸送効率を計算する。


 ゴブリンが岩盤を確認する。


 地質担当者が補強量を比較する。


 まだ方式は決まっていない。


 しかし、地下高速輸送案は明らかに有力になり始めていた。


     ◇


 調査が一段落した頃には、太陽がかなり傾いていた。


 風が少し涼しくなっている。


 ゴブリンたちはまだ地下投影を囲んでいた。


「気に入ったみたいですね」


 美冬が言った。


「空より地下の方が面白いんだろうな」


「専門ですから」


「あの投影装置、欲しいとか言いそう」


「言ったらどうするんです?」


「作れるなら渡せばいいんじゃない?」


「簡易型なら本当に作りそうですね」


「便利だろ」


 蓮は赤道を示す光の線を見る。


「イザナミ」


『はい』


「そういえば、最初に今の人類居住区を選んだ時さ」


『はい』


「軌道エレベーターまで考えてた?」


『いいえ』


 即答だった。


「やっぱり」


『現在の人類居住区を選定した際、気候、水源、地盤、洪水危険度、農業適性、地下資源、周辺生態系、既存施設へのアクセスを主要評価項目としました。軌道エレベーター建設を前提とした赤道からの距離は、選定条件に含まれていません』


「じゃあ、本当に偶然か」


『はい』


 蓮は遠く、人類居住区がある方向を見た。


 もちろん、ここから街そのものは見えない。


「珍しく運がいいな」


「珍しく、は余計じゃないですか?」


 美冬が言った。


「だって俺たち、結構ひどい目に遭ってるだろ」


「そのうち何割かは、天城さんが自分から首を突っ込んだ結果ですよね」


「それと運は別だろ」


「では、運が悪かった例から除外してください」


「……はい」


 蓮は空を見上げた。


 今はただの青空だった。


「イザナミ。完成予想をもう一度出して」


『了解しました』


 何もない草原に、バベルが現れた。


 巨大な地上ターミナル。


 中央のアンカー。


 そこから空へ伸びていく一本の線。


 さらに地面が透ける。


 地下には、まだ検討段階の高速輸送路が人類居住区の方向へ伸びていた。


 その中央を、赤道を示す光が横切っている。


 三本の線。


 地表を東西へ走る赤道。


 地下を人類居住区へ向かう道。


 そして、空へ伸びる道。


 その全てが、この場所で交わっていた。


 ゴブリンたちも作業を止めて、それを見ている。


「本当にここに造るのか?」


 年長の男が聞いた。


「今日の調査結果をPROJECT BABELに持ち帰って、最終確認する」


 蓮が答えた。


「問題がなければ、自治政府の承認を経て正式決定だ」


「面倒だな」


「大きいもの造る時は、こんなもんだよ」


「山なら掘ればいい」


「それで崩したことない?」


「ある」


「あるのかよ」


「だから調べるようになった」


「なるほど」


 妙に説得力があった。


     ◇


 翌日。


 PROJECT BABELは現地調査結果を承認した。


 ゴブリン技師たちから提出された地下構造の修正案も、複数箇所で正式に設計へ取り込まれた。


 地下高速輸送路については、引き続き比較検討を行う。


 そして。


 人類自治政府は、PROJECT BABELから提出された建設候補地の最終報告を承認した。


 赤道上。


 人類居住区から遠くない、何もない草原。


 そこが正式に選ばれた。


 地上施設建設予定区域が登録される。


 軌道座標が固定される。


 地中構造の詳細調査が開始される。


 ホロディスプレイ上の完成予想図には、一つの表示が追加された。


《PROJECT BABEL》


《GROUND ZERO》


 ただの草原だった場所に、人類は宇宙への入口を造ることを決めた。


第九十六話 了

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