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第95話 バベル計画

 NOAHの到着に向けた準備は、少しずつ形を変え始めていた。


 当初、人類自治政府が直面していた問題の多くは単純だった。


 足りない。


 住居が足りない。食料生産能力が足りない。生活物資が足りない。それらを生産する設備が足りず、設備を造るための資源も足りない。


 三千七百人ほどの人類社会が、百万人規模の人々を迎え入れようとしているのだから当然だった。


 だが、時間が経つにつれて、その状況にも変化が生まれている。


「では、資源関係からお願いします」


 人類自治政府庁舎の会議室で、柳原が言った。


 会議卓を囲んでいるのは自治政府の担当者と技術者たち。その中には蓮と美冬もいる。


 卓上に展開されたホロディスプレイには、EDENの立体模型が浮かんでいた。


 惑星表面の各地に光点が灯り、その下には地下構造が半透明で表示されている。


「結論から報告します。NOAH受け入れ計画で必要とされている主要資源について、確保の目処が立ちました」


 柳原がわずかに表情を緩めた。


「ベルグとの接触をきっかけに、地下資源調査の対象を大幅に拡大しました。既存のゴブリン都市が把握している鉱山、旧坑道、未開発鉱床に加え、ゴブリンの居住が確認されていない地域についても広域調査を行っています」


 ホロディスプレイ上の惑星が拡大した。


 山脈が透過し、その地下にいくつもの鉱床が浮かび上がる。


「その結果、新たに複数の大規模鉱床を確認しました。既存の鉱山についても、採掘能力を大幅に引き上げられる見込みです」


「採掘設備の提供は?」


 柳原が尋ねる。


「進めています。大型自律掘削機、坑道補強機、無人運搬機、地下探査機、選鉱設備。それと整備用工作設備を一式。協力関係にあるゴブリン都市へは無償提供する方針です」


「それでいい」


 柳原は頷いた。


「こちらが大量の資源を必要としているからといって、彼らの労働力を一方的に消耗させるようなことは避けたい」


「ゴブリン側も、採掘機械そのもの以上に整備設備へ強い関心を示しています。消耗部品を自分たちで製造できるようにしてほしいとの要望も出ています」


 蓮が資料へ目を落とした。


「そこまで含めて渡した方がいいな。壊れるたびにこっちから部品を送るより、その方が長く使える」


「その方向で調整しています」


 人類の地下探査技術は、ゴブリンのものとは比較にならないほど高度だった。


 だが、地下について人類が何でも知っているわけではない。


 探査機が有望な鉱床を発見しても、どこから坑道を伸ばすべきか、どこに水が溜まりやすいのか、どの地層が崩れやすいのか。


 長い年月を地下で暮らしてきた者たちにしか分からないこともある。


 実際、共同調査では、人類側が選んだ掘削経路をゴブリンの技師が変更させた例がすでにいくつも報告されていた。


 最新の探査機と、長年積み重ねられた経験。


 両方を使った方が早い。


「無人地域で発見された鉱床については?」


「周辺のゴブリン都市に照会中です。居住者が確認されていなくても、古くから領域として認識されている可能性がありますので、権利関係を確認してから開発に入ります」


「それで進めてくれ」


 担当者がホロディスプレイを操作する。


 地下資源の表示が消え、代わりに採掘量と資源需要の予測が表示された。


「新規鉱床の確認量と、採掘設備導入後の予測生産量を反映した結果、NOAH受け入れ計画で想定される資源需要を満たせる見込みです」


「つまり?」


「資源不足を理由に縮小、延期、凍結していた計画について、再検討が可能になりました」


 短い沈黙のあと、誰かが小さく息を吐いた。


 明日には必要な資源がすべて揃う、という話ではない。


 だが必要量が存在し、それを必要な時期までに取り出せる見通しは立った。


「分かった」


 柳原が頷く。


「では、次へ進もう」


 ホロディスプレイの表示が切り替わった。


 EDENが再び現れる。


 その周囲を複数の軌道が取り巻き、一つの軌道上にアマテラスが表示された。


 全長四・八キロメートルの星間移民船。


 さらに離れた位置に、半透明の巨大な船体が現れる。


 NOAH。


 全長、およそ三十キロメートル。


「次は軌道輸送です」


 担当者が言った。


「現在保有している往還機と、今後追加される機体を使用すれば、NOAHから人員を地上へ輸送すること自体は可能です」


「自体は、か」


「はい。問題は、その後です」


 NOAHとEDENの間を、小さな光点が往復し始めた。


「NOAHの人口は約百万人。全員が一度に地上へ移住するわけではありません。地上へ降りる者、NOAHに残る者、状況によっては再び軌道へ戻る者もいるでしょう」


 光点の数が増えていく。


「地上側については、EDEN側で受け入れ設備を準備します。住居、食料供給、生活物資、医療、衛生設備。基本的には、NOAHの住民が身一つで降りてきても、その日から生活を始められる状態を目標としています」


 美冬が頷いた。


「NOAHの生活設備を地上へ移す必要はないんですね」


「はい。船内設備はそのままNOAHに残します」


「それでも、人だけで百万人か」


 蓮が言った。


「それに地上からNOAHへ送る食料、補修資材、生活物資があります。アマテラスとの往来も今後増える可能性があります」


「往還機だけで回し続けるのは面倒になるな」


「短期間なら問題ありません。しかしNOAH到着後も恒常的に大量輸送が続くと考えた場合、現在の方式だけに依存するのは効率的ではありません」


「代案があるんだな?」


 柳原が尋ねた。


「あります」


 ホロディスプレイから無数の航路が消えた。


 EDENだけが残る。


 ゆっくり回転する惑星の表面に、赤道を示す光の輪が現れた。


 その一点が輝く。


 そこから一本の細い線が伸び始める。


 地表から大気圏を抜け、静止軌道を越え、そのさらに先へ。


 蓮がその線を目で追った。


「……軌道エレベーターか」


「はい」


 担当者が答えた。


「以前にも検討されています。しかしNOAH受け入れ施設の整備と並行して建設するには資源消費が大きすぎるとして、計画は凍結されていました」


 必要資源量の概算がホロディスプレイ上に浮かぶ。


「今回確認された資源量と今後の採掘能力を反映した結果、再び現実的な選択肢になりました」


 柳原が宇宙まで伸びる線を見上げる。


「地球では、すでに実用化されていたんだったな」


「されてた」


 蓮が答えた。


「NOAHの建造計画にも使われる予定だったよ」


 美冬が蓮を見る。


「NOAHにも?」


「全長三十キロだぞ。必要な資材を全部往還機だけで上げるより、軌道まで大量輸送できる設備を使った方がいい」


 蓮はホロディスプレイへ顔を向けた。


「イザナミ。NOAH建造計画の資料、残ってる?」


『保存されています』


「軌道輸送関係を出して」


『表示します』


 EDENの立体模型が縮小し、その横に地球時代のNOAH建造計画が展開された。


 地球の赤道から宇宙へ伸びる軌道エレベーター。


 軌道上の資材集積施設。


 その先に置かれた造船施設。


 そして中央には、巨大な船体の完成予想モデルが浮かんでいる。


 NOAH。


 アマテラスが地球を離れた時点では、まだ建造されていなかった船だ。


 表示されているのは実際の建設記録ではなく、建造手順を示したシミュレーションだった。


『地上で生産された建造資材を軌道エレベーターで搬送し、軌道造船施設でNOAHを建造する計画です。船体完成後は、乗員の軌道移送にも使用する予定でした』


 柳原が資料を眺めた。


「なら、この計画をEDENへ持ってくればいいのではないか?」


「基本部分は使える」


 蓮が答えた。


「でも、そのままじゃなくていいと思う」


「なぜだ?」


「使い方が違うから」


 蓮はNOAH建造計画に表示されている軌道側施設を指した。


「こっちはNOAHを造るために、大量の資材を地上から軌道へ上げることが最優先だった。完成したら乗員を上げる。必要な仕事を確実にこなせれば、それでいい」


 そのまま指を動かし、EDEN側の模型へ視線を移す。


「でも今回は違う。NOAHが来た後も使い続ける」


「恒久施設にする?」


 美冬が尋ねた。


「うん。だったら最初から、軌道側をただの積み替え施設じゃなくて、本格的なターミナルにした方がいい」


 蓮がEDEN側の概念模型へ手を伸ばす。


 軌道エレベーターの上部に、新たな施設が追加された。


「地上からここまで人と貨物を運ぶ。ここからNOAHへ連絡艇を出す」


 一本の航路が伸びた。


「アマテラスにも」


 もう一本。


「将来、軌道工場や別の宇宙船が増えれば、そこにも接続できる」


 柳原が立体模型を見つめた。


「NOAH受け入れ設備ではなく、EDENの宇宙港にするわけか」


「そういうこと」


 美冬も模型を見上げた。


「そうすれば、アマテラスへ行くのも今よりずっと簡単になりますね」


「今はわざわざ往還機を使わないといけないからな」


 柳原はしばらく考えていた。


「ならば、計画の位置づけを変えよう」


「え?」


「NOAHを迎えるために造る。しかし、NOAHのためだけには造らない」


 柳原は軌道ターミナルを指した。


「人類自治政府の恒久的な軌道交通インフラとして検討する。将来、この惑星で暮らす者たちが宇宙へ出るための玄関口だ」


「それなら賛成」


 蓮が言った。


「私も、その方がいいと思います」


 美冬も頷いた。


 担当者が新たな検討項目を呼び出そうとする。


 その時、蓮がホロディスプレイ上のアマテラスを見た。


「……これ、建設にも使えないかな」


「アマテラスを?」


 美冬が聞いた。


「うん」


 蓮はアマテラスを拡大した。


 全長四・八キロメートル。


 星間航行能力を持ち、重力制御設備と製造設備を備えた巨大船。


「軌道側に最初からこれだけの設備があるんだ。建設基地を全部一から用意するより、初期テザーの製造や展開に使えないか?」


 柳原が眉を寄せた。


「船そのものを建設設備にするのか」


「ずっとじゃない。最初だけ」


「イザナミ」


 柳原が呼ぶ。


『はい』


「今の案は?」


『アマテラスを軌道エレベーター建設時の母艦として利用する案には、検討価値があります』


 ホロディスプレイ上のアマテラスの周囲に、いくつもの計算項目が現れた。


『ただし、軌道変更、テザー展開時の質量変化、船体への荷重、建設期間中の運用制限などについて詳細な検証が必要です』


「だよな」


 蓮が頷く。


「恒久的な軌道ターミナルが自立したら切り離して、アマテラスは通常運用に戻す。その辺も含めて検討すればいい」


「ずいぶん大掛かりな話になりましたね」


 美冬が言った。


「軌道エレベーターだからな」


「楽しそうですね」


「……そう見える?」


「かなり」


「神崎さん、俺のことどういう人間だと思ってる?」


「仕事を放り出さなければ、とても優秀な人です」


「そこまだ引っ張るの?」


「三日間でしたから」


「……はい」


 柳原が二人を見た。


「その話は後にしてくれ」


「はい」


 ホロディスプレイ上の表示が切り替わった。


「地上アンカーは赤道上になります」


 技術担当者が言った。


 惑星を一周する赤道線が浮かび上がる。


 その近くに、現在の人類居住区を示す光点があった。


「人類居住区そのものは赤道上ではありませんが、比較的低緯度です。地質条件などを含めて候補地を選定する必要はありますが、地上交通を整備すれば十分に接続可能な範囲です」


 美冬が二つの位置を見比べる。


「思っていたより近いんですね」


「そうだな」


 蓮も身を乗り出した。


「イザナミ。今の居住区を選んだ時、軌道エレベーターまで考えてた?」


『いいえ』


 即答だった。


『現在の人類居住区を選定した際、私は気候、水資源、地質、農業適性、周辺環境、および既存設備へのアクセスを優先しました。将来の軌道エレベーター建設は選定条件に含めていません』


「じゃあ、本当に偶然か」


『結果としては、そのように評価できます』


「珍しく運がいいな」


「珍しく、は余計じゃないですか?」


 美冬が言った。


「最近、ろくな目に遭ってない気がするんだけど」


「天城さん自身に原因があるものも、かなり含まれていると思います」


「……否定できない」


「話を戻そう」


 柳原が言った。


「まだ建設を決定したわけではない。まず地上アンカーの候補地を選定する。アマテラスを建設に利用した場合の影響も調べる。必要資源、建設期間、NOAH到着までにどこまで進められるのかも検討する」


 担当者たちが頷く。


「その上で正式に建設の可否を決める。それでいいな?」


「異議なし」


 蓮が答えた。


 美冬も頷いた。


「ところで」


 担当者の一人が尋ねた。


「計画名称はどうしますか?」


「まだ必要ないだろう」


 柳原が答える。


「当面はEDEN軌道輸送施設建設計画とでも――」


「バベル」


 蓮が言った。


 柳原が止まった。


 美冬がゆっくり蓮を見る。


「……天城さん」


「何?」


「よりによって、それですか?」


「いや、見てたら思いついただけ」


 蓮はホロディスプレイを指した。


 EDENの大地から、宇宙へ一本の線が伸びている。


「天まで届く塔。バベルっぽいだろ」


「その塔が最後にどうなったか、ご存じですよね?」


「知ってるよ。言葉が通じなくなって、人間が散り散りになった」


「これから異なる社会で二千五百年以上暮らしてきた百万人を迎えようとしている時に、付ける名前ではないと思います」


「だから正式名称にしろとは言ってないって」


「却下だ」


 柳原が言った。


「早くない?」


「縁起が悪い」


「柳原さん、そういうの気にするんだ」


「巨大公共事業の名称で、わざわざ不吉なものを選ぶ必要がどこにある」


「確かに」


「納得するなら最初から言うな」


 会議はその後も続いた。


 地上アンカー候補地の調査範囲。


 軌道ターミナルに必要となる能力。


 アマテラスを建設母艦として使用する場合の条件。


 NOAH到着までの工程。


 旅客と貨物、それぞれの想定輸送量。


 決めなければならないことはいくらでもある。


 結局、その日に軌道エレベーターの建設そのものが承認されることはなかった。


 会議が終わり、美冬が資料を閉じる。


 蓮も席を立とうとしたところで、彼女が動きを止めた。


「天城さん」


「何?」


「あれ」


 美冬が指した。


 会議卓の中央には、最後に検討した軌道エレベーターの概念模型がまだ浮かんでいる。


 その隅に、小さな文字列が追加されていた。


《EDEN ORBITAL TRANSPORTATION SYSTEM》


 その下。


《PROJECT BABEL》


「…………」


 柳原が蓮を見た。


「俺じゃない」


「まだ何も言っていない」


「絶対俺を疑っただろ」


「では、誰が入力したんですか?」


 美冬まで蓮を見る。


「知らないって」


『会議中に使用された固有名称のうち、対象計画を一意に識別可能な名称として自動的に仮登録しました』


「イザナミ?」


『はい』


「消して」


『理由を提示してください』


「そこからなの?」


 美冬が口元を押さえた。


 柳原はしばらく黙っていたが、やがて諦めたように息を吐いた。


「……仮称だ」


「え?」


「正式名称が決まるまでだ。それ以上の意味はない」


 蓮が笑った。


「じゃあバベル計画でいいじゃん」


「仮称だと言っている」


 美冬はホロディスプレイに浮かぶ文字をしばらく見つめた。


《PROJECT BABEL》


「……案外、悪くないと思いますけど」


「神崎君までやめてくれ」


 柳原が疲れた声を出した。


 建設はまだ正式に承認されていない。


 地上アンカーの場所さえ決まっていなかった。


 それでも、長らく凍結されていた計画は再び検討され始めている。


 会議卓の上では、《PROJECT BABEL》と名付けられた一本の道が、EDENから宇宙へ伸びていた。


          第九十五話 了

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