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第93話 最終戦闘評価室

 ダンジョンの奥へ進むほど、魔物の密度は増していた。


 もはや探索という言葉が似合う状況ではない。通路の先にも後ろにも、醜悪な獣面を持つコボルトが群れ、その後方からは三メートルを超えるトロルが壁を擦りながら迫ってくる。頭上では、爬虫類じみた身体の背から薄い翅を展開した飛行型が、不快な羽音を響かせていた。


 ブブブブブッ――!


「多すぎるだろ!」


 蓮は振り返りざまに右手を振った。


 重力場が歪み、飛びかかってきたコボルト数体がまとめて床へ叩きつけられる。その後ろを走っていた個体まで巻き込まれ、狭い通路の上で折り重なった。


 倒しきる必要はない。


 ここで一体ずつ相手をしていても意味がなかった。原因は管理システムにある。それを直さない限り、この異常は終わらない。


「イザナミ、管理区画はまだ?」


『施設情報の欠損が大きく、正確な経路を確定できません。ただし、現在の進行方向で管理階層へ接近しています』


「なら、このまま行く!」


 前方からトロルが現れ、巨大な腕を振り上げた。


 蓮は速度を落とさない。


 重力制御。


 巨体の重心が突然横へ引かれた。


「グォッ!?」


 トロルが壁へ激突する。


 蓮はその横を駆け抜けた。


 すぐ後ろで轟音が響いた。まだ追ってきている。


 そのまま走り続けると、やがて通路の先に、それまでとは明らかに異なる巨大な扉が見えてきた。


「イザナミ。あれは?」


『保存情報を照合。管理区画直前に設置された最終戦闘評価室です』


「最終戦闘評価室?」


 蓮は走りながら扉を見た。


「……名前からして嫌な予感しかしないんだけど」


『施設上の正式名称は最終戦闘評価室です』


「それは聞いた」


 扉が左右へ開く。


 蓮は迷わずその中へ飛び込んだ。


 直後、背後で低い駆動音が響き、巨大な扉が閉まり始める。


「え?」


 追ってきたコボルトが隙間へ飛び込もうとしたが、間に合わない。


 ドン!


 扉が閉じた。


 すぐ向こう側から何体もの魔物が激突する音が響き、爪が金属面を引っ掻いた。


 だが、扉はびくともしない。


『最終戦闘評価開始後、外部生物の侵入を防止する隔離機構が作動しています』


「そこは正常なのかよ」


『当該機構は独立系統です』


「だったら他もそのくらい頑丈に作っとけよ……」


 蓮は呼吸を整えながら前を向いた。


 広大な空間だった。天井は高く、床や壁には無数の傷が刻まれている。


 その中央に、何かが立っていた。


「…………」


 四メートル近い巨体。


 人型ではある。


 だが、人ではない。


 異様に発達した胸部と肩。太い脚。巨大な腕。


 その上に載っているのは、牛の頭だった。


 湾曲した二本の角。鼻孔から荒い息が漏れ、右手には巨大な両刃の斧が握られている。


「……ミノタウロス」


『登録名称を照合』


 短い間があった。


『MINOTAUR。登録名称と一致します』


「本当にミノタウロスなのかよ」


 牛頭が上がった。


 蓮を見る。


 巨大な斧が持ち上げられる。


「ヴォオオオオオオオオッ!」


 咆哮が部屋を震わせた。


「そこまでゲームに忠実じゃなくていいんだよ!」


 蓮はREGULATOR製の単分子ブレードを抜いた。


 ミノタウロスが床を蹴る。


「速っ――」


 巨体が一瞬で間合いを詰め、斧が振り下ろされた。


 蓮は横へ跳ぶ。


 轟音とともに床が砕け、破片が飛んだ。


 その中へ蓮は踏み込む。


 単分子ブレードを振るったが、ミノタウロスは身体を捻った。刃は脇腹を浅く走り、肉を裂く。


「ヴォオッ!」


 返すように裏拳が飛んできた。


 蓮は防御場を展開しながら後退する。


 衝撃。


「ぐっ!」


 身体が浮き、数メートル押し飛ばされた。


 どうにか着地する。


「馬鹿力だな……」


 だが、切れる。


 単分子ブレードは問題なく通用していた。当てさえすれば、肉も骨も断てる。


 問題は、その一撃を当てるまでだった。


 再び斧が横薙ぎに振るわれる。


 蓮は身体を沈めた。


 巨大な刃が頭上を通過し、風圧だけで髪が揺れる。


 重力制御。


 ミノタウロスの右足へ瞬間的に負荷をかける。


 巨体の姿勢がわずかに崩れた。


「今!」


 蓮は一気に踏み込み、斧を握る右腕を狙った。


 単分子ブレードが肘の少し下を走る。筋肉も骨もほとんど抵抗にならず、巨大な斧を握ったままの右前腕が床へ落ちた。


「ヴォオオオオオオオオオッ!」


 血が噴き出す。


 ミノタウロスが右腕を抱えるように身を引いた。


 蓮も距離を取る。


「これで斧は――」


 ミノタウロスが動いた。


「……え?」


 左手を伸ばし、床に落ちた自分の右前腕を掴んだ。


 切断された右手は、まだ巨大な斧を握っている。


「おい」


 持ち上げた。


「おいおいおい」


 斧を握ったままの、自分の腕を。


「そういう使い方する!?」


「ヴォオオッ!」


 振った。


「っ!」


 蓮は防御場を最大展開した。


 切断された前腕ごと、斧が横薙ぎに叩きつけられる。


 ドンッ!


「ぐあっ!」


 身体が吹き飛んだ。


 床から足が離れ、数メートル飛ばされる。


 さらに。


 背中から壁へ激突した。


 バキッ!


 壁に亀裂が走る。


「がっ……!」


 そのまま床へ落ちる。


『天城蓮。身体各部に衝撃損傷』


「見れば……分かる……」


 防御場とアーマーがなければ、今ので終わっていた。


 ミノタウロスが迫る。


 切断された腕をもう一度振りかぶった。


「くそ……!」


 蓮は立ち上がる。


 今度は分かっている。


 その腕と斧を合わせた攻撃範囲も。


「その距離なら――」


 大きく後退する。


 一歩。


 二歩。


 さらに一歩。


 十分。


 さっきの攻撃より明らかに外だ。


 ミノタウロスが振った。


 切断された前腕が弧を描く。


 届かない。


 そのはずだった。


 その瞬間。


 死んだ右手の指が開いた。


「え?」


 巨大な斧が抜けた。


 遠心力に引かれ、そのまま飛んでくる。


「は?」


 蓮は反射的に身体を反らした。


 刃が顔のすぐ前を通過し、数本の髪が宙を舞う。


 直後。


 ドゴォン!


 斧が壁へ深々と突き刺さった。


「…………」


 蓮は壁を見る。


 ミノタウロスも壁を見る。


 そして、左手に持っている自分の切断された右前腕を見る。


 その先には、もう斧がない。


「……お前も予想してなかっただろ」


「…………」


「それは反則だろ」


「ヴォオオオオオッ!」


「誤魔化したな!?」


 ミノタウロスが切断された右前腕を振りかぶった。


「まだ使うのかよ!」


 投げた。


「うわっ!」


 蓮が横へ跳ぶ。


 切断された腕が回転しながら飛んでいき、背後の床へ叩きつけられた。


 斧も、右前腕も失った。


 それでも終わらない。


 ミノタウロスが走る。


「まだ来るのか!」


 左拳。


 蓮が避ける。


 床が砕ける。


 続けて蹴り。


 防御場で受ける。


 衝撃に押され、蓮の身体が後ろへ滑った。


「っ……!」


 間を置かず、ミノタウロスがさらに踏み込む。


 右肩が動いた。


「え?」


 蓮の目が一瞬、そこへ向く。


 右腕。


 正確には、肘から先がもうない右腕。


 その無い方の右腕を、ミノタウロスが大きく振り抜いた。


「そっちで殴るのかよ!?」


 拳などない。


 前腕もない。


 それでも、残された肘から上を叩きつけるように振ってくる。


 蓮は身を反らした。


 肘の断端が目の前を通過し、血飛沫が散る。


「いや、怖いって!」


 ミノタウロスは止まらない。


 左拳を避け、続く蹴りから距離を取る。


 その直後、牛頭が低く沈んだ。


 二本の角が蓮へ向く。


『突進行動を予測』


「見れば分かる!」


 ミノタウロスが床を蹴った。


 速い。


 正面から二本の角が迫る。


 蓮は逃げない。


 最後まで引きつける。


 近い。


 さらに。


「今!」


 重力場を一瞬だけ横へずらした。


 踏み込みが崩れる。


 ほんのわずか。


 それで十分だった。


 蓮は横へ抜け、同時に単分子ブレードを振るった。


 刃が首を通過する。


 牛頭が宙へ浮いた。


 巨大な身体は、そのまま二歩進んだ。


 一歩。


 二歩。


 止まる。


 膝をついた。


 そして。


 ドォン――。


 倒れた。


「…………」


 蓮はしばらく動けなかった。


 荒い呼吸を繰り返す。


『生体反応停止を確認』


「……やっとか」


 単分子ブレードを下ろした。


「強すぎるだろ、こいつ……」


 部屋に機械音が響く。


《最終戦闘評価終了》


 正面の扉が開いた。


「……やっぱりボス部屋じゃねえか」


 蓮は痛む背中を押さえながら、その先へ進んだ。


      ◇


 その頃。


 エルフの集落では、まだ戦いが続いていた。


 美冬は大型パルスガンを腰だめに構えた。


 光が走る。


 トロルの胸が大きく抉れた。


 だが、倒れない。


 傷口が蠢き、すでに再生を始めている。


「もう一発!」


 二射目。


 今度は頭部を撃ち抜いた。


 巨体が崩れる。


 その横を、何体ものコボルトが駆け抜けようとしていた。


 小柄な身体に不釣り合いなほど大きな獣面。突き出した顎には不揃いな牙が並び、両手の指からは長く湾曲した爪が伸びている。低い姿勢で走り、速度が上がると四足に近い動きへ変わった。


 避難する住民を追う。


 だが、その前へ小さな影が飛び込んだ。


「そこまでじゃ!」


 レモだった。


 大鎌が閃く。


 単分子の刃がコボルトをまとめて切り裂き、その直後には別方向にいた個体まで吹き飛んだ。


 レモは大鎌を操りながら、同時に環境ナノマシンまで並列制御している。


「レモちゃん! 危なくなったら、すぐ逃げるのよ!」


「分かっておる!」


 上空から、不快な羽音が迫る。


 ブブブブブッ――!


 飛行型。


 爬虫類じみた身体の背中が開き、その内側から何枚もの半透明の薄い翅が展開された。


 避難中のエルフへ急降下する。


 戦術ドローンが反応した。


 だが、そのままでは住民が射線に入る。


 ドローンは発射せず、横へ高速移動した。


 角度を変える。


 射線が開く。


 発射。


 飛行型が撃ち抜かれ、勢いのまま地面へ転がった。


 別のドローンが屋根の上を通過する。


 さらに一体を捕捉し、その情報を共有された別機が先回りして撃墜した。


 それでも、数が多すぎる。


 エルフたちは弓を射続け、剣と槍で防衛線を維持していた。十機の戦術ドローンも休むことなく戦い、美冬もレモも応戦している。


 それでも、少しずつ押されていた。


 倒した数以上に、森の向こうから魔物が現れる。


 ダンジョンから溢れた群れが、まだ続いているのだ。


 その時だった。


 ゴォォォォォォォォ――!


 山々が震えた。


 巨大な影が稜線を越える。


「ドラゴン!」


 エルフたちに動揺が走った。


「こんな時に!?」


 美冬も空を見上げた。


 だが。


「おお!」


 レモだけが嬉しそうに声を上げた。


「ハムちゃん!」


 巨大なドラゴンが旋回する。


「グォオオオオオオッ!」


「ハムちゃん! こっちじゃ!」


 レモが手を振る。


 ドラゴンが明らかに反応した。


「……ハムちゃん?」


 近くにいたエルフが呆然とする。


「まさか……魔王の娘?」


 別のエルフがレモを見る。


「人間の街にいるっていう……」


「ドラゴンを従えてるって噂の?」


 レモが胸を張った。


「その通りじゃ!」


 大鎌を掲げる。


「魔王の娘たる妾が来たからには、安心するがよい!」


 そして空を指した。


「あれは妾のハムちゃんじゃ!」


 ハムちゃんが降下した。


 巨大な翼が大気を叩き、コボルトの群れがまとめて吹き飛ぶ。


 首を巡らせる。


 口腔内へ光が集まった。


 閃光。


 巨大な光柱が森際を薙ぎ払い、魔物の群れをまとめて消し飛ばした。


 戦線に大きな穴が開く。


「今だ!」


 エルフの探索者が叫んだ。


 矢が飛び、剣士たちが前へ出る。


 戦術ドローンも攻撃範囲を広げた。


 押され続けていた防衛線が止まる。


 そして、ゆっくりと押し返し始めた。


 そこへ。


『神崎美冬』


「何?」


『人類自治政府救援隊、戦域へ到着します』


 低い飛行音が近づいてくる。


 複数の輸送機が山を越え、集落上空へ進入した。


 戦闘訓練を受けた人員が次々と降下する。


 救護要員。


 技術要員。


 そして。


 輸送機の腹部から、巨大な機械が降ろされた。


 ドン!


 地面が揺れる。


 人型ではない。


 低く横に広がった装甲車体から、太い六本の脚が伸びている。それぞれの脚が独立して地面を捉え、着地の衝撃を吸収した。


 人類側の大型戦術機だった。


 もう一機。


 さらに一機。


 上部のセンサー群が周囲を走査し、敵性生物と人間、エルフ、避難中の住民を瞬時に識別する。戦術ドローンから送られてくる情報も統合され、各機へ共有されていった。


「大型個体を優先! 避難経路を確保!」


 救援隊の指揮官が声を上げた。


 大型戦術機の六本の脚が動く。


 低い姿勢のまま、巨体からは想像できない速度で戦場を駆けた。


 トロルが咆哮を上げ、巨大な腕を振り下ろす。


 大型戦術機が受け止めた。


 六本の脚が地面へ沈む。


 それでも倒れない。


 機械のアームがトロルの腕を掴み、そのまま巨体を持ち上げる。


 投げた。


 三メートルを超えるトロルが宙を舞い、地面へ叩きつけられた。


 間を置かず、別の大型戦術機が射撃を加える。


 再生する暇を与えない。


 戦況が一気に変わった。


 ハムちゃんが魔物の密集を崩す。


 戦術ドローンが空と避難経路を守る。


 大型戦術機がトロルを押さえる。


 人間の戦闘要員が防衛線へ加わり、エルフの探索者たちも前へ出た。


 美冬は大型パルスガンを腰だめに構える。


 さっきまでとは違う。


 もう、こちらが押している。


「今度は、こっちの番ね」


 引き金を引いた。


      ◇


 蓮は管理室の中央に立っていた。


 空中にいくつもの警告表示が浮かんでいる。


「イザナミ、接続」


『接続を確認』


 情報が流れ込んでくる。


 生物生成、個体数管理、区画制御、清掃、救助。


 複数の機能が停止し、あるいは矛盾した命令を繰り返していた。


「よくこれで動いてたな……」


『正常稼働とは評価できません』


「それは分かる」


 蓮は修復を始めた。


 破損した処理系統を切り離し、矛盾した管理情報を整理する。停止していた機能を一つずつ戻していくと、空中に浮かんでいた赤い警告が順番に消えていった。


 最後の表示が消える。


《MANAGEMENT SYSTEM:NORMAL》


「……戻った」


『管理システムの正常稼働を確認しました』


 その直後だった。


 ぬるり。


「ん?」


 壁際から透明なものが出てきた。


 スライム。


 一匹。


 さらに一匹。


 床と壁の境目からも現れる。


「…………」


 天井の継ぎ目。


 通気口。


 排水口。


 壁の微細な隙間。


 ありとあらゆる場所から、スライムが這い出してきた。


「うわ……」


 十や二十ではない。


 次から次へと出てくる。


『生物量管理機能が再起動しました』


「ああ……そういうことか」


 ダンジョン全域でも、同じことが起きていた。


 通路を埋めていたコボルトへ何匹ものスライムが取りつく。


 コボルトは暴れ、爪で引き剥がそうとするが、一匹を剥がしている間に二匹、三匹と身体へまとわりつく。


 トロルにも。


 飛行型にも。


 異常増殖した魔物へ、次々とスライムが群がっていった。


 トロルが壁へ身体を叩きつける。


 何匹かのスライムが潰れた。


 それでも別の個体が取りつく。


 飛行型の背中を覆い、薄い翅の動きを止める。


 床へ落ちたところへ、さらにスライムが群がった。


 やがて魔物たちの動きが鈍くなり、一体、また一体と動かなくなっていく。


 あとは時間をかけて消化されるだけだった。


「清掃係ってレベルじゃないな……」


『スライム群は生物量調整、有機物処理、探索者救助など、複数の保守機能を担っています』


「なるほどね」


 蓮は管理項目を確認していく。


 そこで、一つの項目に目を止めた。


《EXPLORER RESCUE TRANSPORT》


《OFF》


「あ」


 以前から停止していた機能。


 戦闘不能になった探索者をスライムが保護し、入口まで運ぶためのシステム。


「これも直ってる?」


『機能診断が可能です』


「やって」


 数秒。


『正常動作を確認』


「じゃあ、オン」


《EXPLORER RESCUE TRANSPORT》


《ON》


「これでいい」


      ◇


『神崎美冬』


「はい」


『天城蓮がダンジョン管理システムを復旧しました』


 美冬は山の方へ目を向けた。


「天城さんは?」


『生存を確認しています』


「……そう」


 美冬は小さく息を吐いた。


 それから周囲を見回す。


 少し離れたところで、レモが残ったコボルトを相手にしていた。


「レモちゃん!」


「何じゃ!」


「天城さん、大丈夫だって! ダンジョンのシステムも直したって!」


「おお! さすがレンじゃ!」


 もう戦況は決していた。


 新たな魔物はダンジョンから出てこない。地上に残った個体も、急速に数を減らしている。


 集落は守られた。


 建物には被害が出ている。


 負傷者もいる。


 それでも、防衛線は最後まで破られなかった。


 救護班は負傷者の治療を続け、技術要員は周辺設備とダンジョンの監視を始めていた。


 戦いが終わった地上には、大量の死骸が残されている。


 コボルト。


 飛行型。


 トロル。


 事後処理班がすぐに回収へ動いた。


 小型ドローンが死骸を走査して生体反応の有無を確認し、必要な試料を採取する。大型の死骸は作業機械で運ばれ、小型のものも次々と集められていった。


 回収された死骸は集落から離れた処理区域へ移され、移動式の高温処理装置による焼却準備が進められていた。


 しばらくして。


『神崎美冬。天城蓮がダンジョン入口の封鎖解除を開始します』


「分かりました」


 美冬は振り返った。


「レモちゃん!」


「何じゃ?」


「天城さんが出てくるって」


「おお!」


 レモが駆けてくる。


「迎えに行くのじゃ!」


      ◇


 ダンジョン入口。


 蓮は、自分自身が作った壁の前に立っていた。


「外は?」


『安全を確認しています』


「開ける」


 ナノマシンへ指示を送った。


 岩石と施設構造材が変形し、中央に細い隙間が生まれる。


 光が差し込んだ。


 外気が入ってくる。


 隙間が広がっていく。


 蓮が外へ出ると、壁が開ききるより先に聞き慣れた声が飛んできた。


「レン!」


 入口の前にはレモが立ち、その隣には黒いパワーアーマー姿の美冬がいた。


「遅いのじゃ!」


「ごめん」


 美冬は何も言わず、蓮を上から下まで見た。


 アーマーには傷がある。


 壁へ叩きつけられた衝撃の痕跡も残っている。


「……全然無事そうに見えないんですけど」


「ちょっと強いのがいた」


「ちょっと?」


「かなり」


「何と戦ったんですか?」


「ミノタウロス」


「何ですか、それ」


「牛の頭したでかい奴。斧持ってた」


「それで?」


「途中から自分の切れた腕を武器にしてきた」


「…………」


 美冬が眉を寄せる。


「どういう意味ですか?」


「説明すると長い」


「あとで聞きます」


「はい」


 レモが蓮のアーマーへ触れた。


「怪我をしておるではないか」


「大丈夫だよ」


「本当か?」


「帰ったらちゃんと診てもらう」


「ならよい」


 蓮は周囲を見た。


 エルフの探索者たち。


 住民。


 人類側の救援隊。


 六本の脚で地面に立つ大型戦術機。


 医療班。


 技術班。


 事後処理班。


 まだ多くの者が動いている。


「集落は?」


 美冬が頷いた。


「無事です」


「そっか」


 蓮は大きく息を吐いた。


「よかった」


      ◇


 三人が湖畔へ戻った頃には、太陽はかなり西へ傾いていた。


 テント。


 テーブル。


 椅子。


 バーベキューセット。


 クーラーボックス。


 三本の釣り竿。


 朝に広げたものが、そのまま残っている。


「何一つ使ってないな」


「使う前に魔物が出てきたのじゃ!」


「そうだったな」


 美冬が苦笑する。


 結局、魚は一匹も釣れなかった。肉も野菜も焼かなかった。


 三人で椅子に座って湖を眺める時間すらないまま、一日はほとんど終わってしまった。


 蓮がテントを畳み、美冬が食器と調理器具を片付ける。レモは釣り竿を集めていた。


「レン」


「ん?」


「妾は一匹も釣っておらぬ」


「俺もだよ」


「妾が一番大きな魚を釣る予定だったのじゃ」


「予定だったな」


「バーベキューもしておらぬ」


「してないね」


 レモが頬を膨らませる。


「今日は何をしに来たのじゃ」


「ダンジョン直して、スタンピード止めて、エルフの集落を――」


「そうではないのじゃ!」


「分かってるって」


 蓮は笑った。


「また来よう」


 レモが蓮を見る。


「本当か?」


「今度こそ釣りして、バーベキューしよう」


「約束じゃぞ」


「はいはい」


「『はい』は一回なのじゃ」


「はい」


 レモは満足そうに頷いた。


 蓮は美冬を見る。


「神崎さんもね」


「え?」


「次も来るでしょ?」


 美冬は一瞬だけ黙った。


 それから笑った。


「ええ。今度こそ、ちゃんと休日にしましょう」


      ◇


 荷物を積み終える頃には、夕日が山の稜線へ近づいていた。


 三人を乗せた水陸両用ライトプレーンが湖面を走る。


 速度が上がり、水面を叩いていた音が消えた。


 機体が浮かび上がり、湖を離れて夕暮れの空へ上昇していく。


 前席では蓮が操縦桿を握っている。


 後部座席には、美冬とレモが並んで座っていた。


「おお……」


 レモが窓に顔を寄せる。


 西の空は赤く染まっていた。


 山々の向こうへ沈み始めた太陽。


 橙色に染まる雲。


 眼下の湖にも、同じ光が長く伸びている。


「綺麗じゃな」


「そうね」


 美冬も窓の外を見る。


 朝には、三人で一日を過ごすつもりだった。


 湖で釣りをして。


 バーベキューをして。


 何もしない時間を過ごして。


 実際には、そのどれもできなかった。


 魔物の大群と戦い、巨大なドラゴンまで現れ、人類自治政府の救援隊まで出動した。


 蓮は一人でダンジョンへ入り、傷だらけになって戻ってきた。


 とんでもない休日だった。


 それでも、美冬は前を見る。


 操縦席の蓮と、隣で夕日に夢中になっているレモを眺めているうちに、朝方ふと浮かんだ考えがもう一度頭をよぎった。


 三人で出かける姿が、まるで家族みたいだと。


 朝は自分でも妙なことを考えたと思った。


 けれど今は。


 美冬は、その考えを慌てて打ち消さなかった。


「ミフユ」


「なに?」


「笑っておるぞ」


「……そう?」


「うむ」


 美冬は窓の外へ顔を向けた。


「夕日が綺麗だからじゃない?」


「そうか?」


「そうよ」


 レモも再び夕日を見る。


 プロペラの音だけが、しばらく機内に響いていた。


 美冬はシートへ身体を預ける。


 今日は疲れた。


 帰ったらシャワーを浴びて、早く休もう。


 そう考えて。


「…………」


 ふと。


 思い出した。


 美冬の笑顔が消えた。


「……天城さん」


「ん?」


「一つ、聞いていいですか?」


「何?」


「私が漆黒の銃戦士だって、いつから知ってたんですか?」


「…………」


 返事がない。


「天城さん?」


「いや……」


「いつからですか?」


「……割と最初から」


「割と最初って?」


「最初に会った時には」


「最初からじゃないですか!」


 レモが美冬を見る。


「漆黒の銃戦士とは何じゃ?」


「レモちゃんはちょっと待ってて」


「う、うむ」


 美冬は前席の背もたれへ身を乗り出した。


「じゃあ、あの時も知ってたんですよね?」


「どの時?」


「私が声を変えてた時です!」


「ああ」


「ああ、じゃありません!」


「いや、隠したいみたいだったから、言わない方がいいかなって」


「だったら次の日、なんで私に『神崎さんも一度ダンジョンに行ってみれば?』なんて言ったんですか!」


「…………」


「知ってて言ったんですよね?」


「……はい」


「私、あの時なんて答えました?」


「『そうですね……考えておきます』」


「覚えてるじゃないですか!」


 レモが二人を交互に見る。


「何の話をしておるのじゃ?」


「レモちゃん、本当にちょっと待ってて」


「うむ……」


「それに!」


「まだあるの?」


「あります!」


 美冬の顔が赤くなる。


「あの時、私、声まで変えて……『俺には、この方が合っている』とか言ったんですよ!」


「あれは格好よかったよ」


「今それを言わないでください!」


「褒めてるんだけど」


「余計に恥ずかしいんです!」


 蓮は操縦席から動けない。


 美冬は前席の背もたれに手を置いた。


「天城さん」


「はい」


「人類居住区まで、まだ時間ありますよね?」


「……あります」


「ちょうどいいですね」


「何が?」


「最初から全部、説明してください」


「…………」


 蓮は正面を向いたまま黙った。


「レモ」


「何じゃ?」


「助けて」


「嫌じゃ」


「即答?」


「レンが悪いような気がするのじゃ」


「まだ事情も聞いてないだろ」


「ミフユの顔を見れば分かる」


「そんなに?」


「分かりますよね、レモちゃん」


「うむ」


「ほら」


「何がほらなの?」


 ライトプレーンは夕日に照らされながら、人類居住区を目指して飛び続けた。


       第九十三話 了

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