第9話 勇者カイル
魔王戦争が始まった日。
カイル・エルディアは、研究室にいた。
エルディア共和国、王立技術院。
窓の外には巨大な都市が広がっている。
石造りの建物の間を鉄道が走り、工場の煙突から白い蒸気が上がっていた。電線が街を縦横に走り、遠くには発電所の冷却塔が見える。
この時代のエルフたちは、後世の彼らとはまるで違っていた。
蒸気機関を実用化し、電気を使い、火薬兵器を量産し、初歩的な無線通信まで実現している。
古代遺跡から発掘された人類の技術を理解しようとする研究も進められていた。
ただし、彼らは古代の技術をそのまま再現できたわけではない。
解析できないものの方が圧倒的に多かった。
それでも彼らは、自分たちの手で世界の仕組みを理解しようとしていた。
「振動数をあと三パーセント上げる」
カイルが言った。
「また壊れるわよ」
隣にいたミレアが呆れたように答える。
「今度は耐える」
「前もそう言った」
「前回は材料が悪かった」
「設計者は誰?」
カイルは黙った。
ミレアが笑う。
「ほら」
実験台の上には一本の剣が固定されていた。
外見だけなら、普通の長剣に近い。
だが刀身内部には小型の振動素子が組み込まれている。
古代遺跡から発見された切断工具。
それを解析する過程で生まれた技術だった。
本物の単分子刃には遠く及ばない。
原理すら完全には理解できていない。
だから彼らは、自分たちに理解できる方法で似た結果を得ようとした。
高周波振動によって、刃の切断能力を大幅に高める。
後世、《聖剣ヴァルグラム》と呼ばれる技術の原型だった。
「起動するぞ」
カイルが電源を入れる。
刀身が低く唸った。
計測器の針が動く。
「六十二……六十五……六十八……」
ミレアが数値を読み上げる。
「七十」
振動が大きくなる。
「七十二」
「いける」
「七十四」
「まだいける」
「七十六――」
甲高い音がした。
刀身が中央から折れた。
破片が防護板へ突き刺さる。
カイルはしばらく黙っていた。
ミレアが腕を組む。
「材料が悪かった?」
「……設計にも少し問題があったかもしれない」
「少し?」
「かなり」
ミレアが笑った。
カイルも笑った。
その瞬間。
街中に警報が響いた。
二人の表情が変わる。
研究室の壁面に緊急放送が表示された。
《東部国境線において大規模な敵性活動を確認》
《共和国軍全部隊、第一種戦闘配置》
カイルが眉をひそめる。
「敵性活動?」
「どこと戦争するの?」
「知らない」
エルディア共和国には敵対国家が存在する。
だが、大規模な戦争が始まる兆候などなかった。
通信装置から声が流れる。
『東部観測所から映像が入りました』
画面が切り替わった。
最初に見えたのは、黒い点だった。
数百。
いや、数千。
地平線を埋め尽くしている。
映像が拡大される。
カイルの顔から笑みが消えた。
「……機械?」
四本脚の機械。
六本脚の機械。
人型。
巨大な多脚型。
その多くは、古代遺跡で発見される機械と似ている。
だが明らかに戦闘用へ改造されていた。
そして、その間を生物が走っている。
小柄な人型。
緑がかった皮膚。
大きな耳。
鋭い歯。
「ゴブリン……?」
ミレアが呟いた。
ゴブリン自体は珍しい生物ではなかった。
山岳地帯や荒野に小規模な群れが存在する。
道具を使う。
火を使う。
簡単な言語も持つ。
エルフと交易する集団さえいる。
だが、画面に映っているゴブリンたちは違った。
金属製の武器を持ち、機械兵と一緒に進軍している。
中には銃らしきものを持つ個体までいる。
そして機械兵の上空。
一つの黒い飛行体が浮かんでいた。
そこから通信が発信される。
共和国側の通信機が勝手に起動した。
『警告』
低い人工音声。
『現地文明技術水準が許容値を超過』
カイルとミレアが顔を見合わせる。
『文明抑制プロトコルを開始』
「何を言ってる?」
ミレアが呟く。
『高位技術施設を破棄せよ』
『研究活動を停止せよ』
『古代技術へのアクセスを禁止する』
『違反した場合、強制的な文明縮退措置を実施する』
カイルは画面を睨んだ。
「ふざけるな」
『これは惑星生態系および現地知的種族保全のための措置である』
「保全?」
カイルが笑った。
だが、さっきまでの笑いとは違った。
「軍隊連れてきて何が保全だ」
ミレアが通信記録を見る。
「発信元を追える?」
「やってる」
技術員が答える。
「東部山岳地帯……地下施設からです」
その場所を聞いて、室内が静かになった。
古代遺跡。
立入禁止区域。
黒い管理者。
昔から噂だけは存在していた。
後世、《魔王城》と呼ばれる場所だった。
最初の攻撃は、その十二分後に始まった。
共和国東部国境。
防衛都市ラグナ。
人口四万三千。
最初に城壁へ到達したのはゴブリンだった。
「撃て!」
共和国兵の小銃が火を噴く。
ゴブリンが倒れる。
それでも後続は止まらない。
機械兵の援護を受けながら走る。
一体が城壁の下へ到達した。
背負っていた筒を置く。
兵士が叫ぶ。
「爆薬だ!」
爆発。
城壁の一部が吹き飛んだ。
そこへゴブリンたちが殺到した。
彼らは小さい。
だが、弱くない。
そして何より狡猾だった。
正面から突撃する群れは囮だった。
別働隊は夜のうちに排水路へ侵入していた。
市内で火災が発生する。
兵士たちが混乱する。
その隙に門が内側から開いた。
「入られた!」
「西門を閉じろ!」
「もう中にいる!」
市街戦になった。
一体のゴブリンが民家へ飛び込む。
中にいた男を引き倒した。
男が抵抗する。
ゴブリンは笑った。
短剣を腹へ突き刺す。
一度ではない。
何度も。
男の身体から力が抜けても、ゴブリンはやめなかった。
「もっと鳴けよ」
近くにいた別のゴブリンが笑う。
「もう死んでるぞ」
「つまんねえな」
二匹は笑った。
その少し後ろ。
一匹のゴブリンだけが笑っていなかった。
体格は他と大差ない。
武器も粗末な短槍一本。
まだ外套も着ていなければ、特別な装備も持っていない。
彼は倒れた男を見てから、仲間へ聞いた。
「なんで、まだ刺した?」
「は?」
「もう動かなかった」
短剣を持ったゴブリンが鼻を鳴らした。
「楽しいから」
「……楽しい?」
「血が出るだろ。叫ぶだろ。面白い」
周囲のゴブリンが笑う。
だが、その一匹は笑わなかった。
「黒い王は、そんなこと言ったか?」
笑い声が少し小さくなる。
「何だよ、お前」
「工場を壊せ。武器を作る場所を壊せ。そう言った」
「だから?」
「こいつは工場じゃない」
倒れた男を見る。
「こいつは武器でもない」
短剣のゴブリンが苛立った。
「エルフだろ」
「そうだな」
「だったら敵だ」
そのゴブリンは少し考えた。
「……そうなのか?」
「気持ち悪い奴だな。行くぞ」
仲間たちは次の家へ向かった。
彼だけが少し遅れて歩き出した。
道端に、子供が落としたらしい木製の玩具が転がっていた。
小さな車輪がついている。
ゴブリンはそれを拾った。
車輪を指で回す。
「……どうやって作った?」
誰にも聞こえない声で呟いた。
やがて玩具を道端へ戻し、仲間を追った。
この時。
誰もそのゴブリンの名前を知らなかった。
共和国軍も。
カイルも。
そして歴史も。
だが彼は、この戦争を生き延びることになる。
ラグナ陥落まで、六時間だった。
王立技術院。
カイルたちは送られてくる映像を見ていた。
街が燃えている。
機械兵が研究施設を破壊している。
ゴブリンが民家へ侵入する。
逃げる人々。
倒れる兵士。
ミレアの顔が青ざめていた。
「……これが保全?」
カイルは答えなかった。
映像の中で、一台の巨大機械が工場へ向かっていた。
全高十メートルを超える。
元は大型作業機だろう。
腕の先端には掘削装置。
それが工場の壁へ叩きつけられる。
建物が崩れる。
「工場ばかり狙ってる」
カイルが気づいた。
軍施設。
発電所。
学校。
研究所。
工場。
通信塔。
敵は無差別に都市を破壊しているわけではない。
狙いがある。
「本当に文明を壊すつもりだ」
ミレアが言った。
カイルは画面を見る。
「俺たちを殺したいんじゃない」
「え?」
「俺たちが作れるものを減らしてる」
工場。
学校。
発電所。
研究者。
技術者。
知識。
それを一つずつ消している。
「石器時代まで戻すつもりか?」
誰も答えなかった。
その日の夕方。
共和国政府は総動員令を発令した。
研究者も例外ではない。
王立技術院の研究員には二つの選択肢が与えられた。
軍需研究。
または技術兵として前線へ参加。
カイルは迷わなかった。
「両方やる」
担当官が聞き返した。
「何?」
「研究もする。戦場にも出る」
「規則ではどちらか――」
「今までの規則で勝てるのか?」
担当官は黙った。
カイルは机の上に折れた振動刀を置いた。
「これを完成させる」
「剣?」
「ただの剣じゃない」
「銃がある」
「銃が効かない奴がいる」
大型機械兵。
厚い装甲。
通常弾では止められない。
「古代兵器を再現するつもりか?」
「無理だ」
カイルは即答した。
「単分子刃なんて作れない。材料も製造技術も足りない。だから俺たちに作れる方法で近づく」
折れた刀身を持ち上げる。
「振動刀を完成させる」
担当官は呆れたように言った。
「それを持って機械兵へ斬りかかるのか?」
カイルは少し笑った。
「駄目?」
「死ぬぞ」
「じゃあ死なない装備も作る」
「簡単に言うな」
「言うだけなら無料だ」
ミレアが後ろで頭を抱えた。
それから一か月。
共和国は変わった。
大学が兵器研究所になる。
鉄道工場が装甲車を作る。
農業用機械が戦闘車両へ改造される。
鉱山用爆薬が地雷になる。
そして、古代遺跡の解析が急速に進められた。
皮肉だった。
魔王は科学技術を止めるために攻撃した。
だが、その攻撃によってエルフたちは、それまで以上の速度で科学を発展させ始めた。
カイルは第七試作振動刀を手に、訓練場へ立っていた。
「出力は?」
ミレアが答える。
「六十八パーセント。連続稼働二分十二秒」
「十分」
「十分じゃない」
「戦闘なんて二分で終わらせればいい」
「そういうこと言う人から死ぬのよ」
「心配してる?」
「研究費が無駄になるのが嫌なだけ」
「はいはい」
「何、その言い方」
カイルは笑った。
共和国軍技術兵団。
第一特殊工兵隊。
隊員四十名。
その中にはカイルだけでなく、ガレス、セイル、ミレアもいた。
ガレスは大型火器。
セイルは電力・通信設備。
ミレアは医療および生体工学。
そしてカイルは近接対機械戦闘。
彼らが最初に投入された戦場は、北部平原だった。
敵は大型機械兵一体。
護衛機十二体。
ゴブリン約百。
「行くぞ!」
カイルたちは走った。
共和国軍の砲撃が始まる。
砲弾が大型機械兵の胸部へ命中。
爆発。
だが止まらない。
「やっぱり硬い!」
ガレスが叫ぶ。
「分かってる!」
カイルは強化外骨格の出力を上げた。
脚部の補助機構が作動する。
速度が上がる。
護衛機が銃撃。
地面が弾ける。
カイルは横へ飛ぶ。
振動刀を起動した。
低い唸り。
一体目。
脚部関節を斬る。
金属が裂ける。
機械兵が倒れる。
二体目。
腕を斬る。
三体目。
胴体へ刃を入れる。
振動刀が止まりかける。
「耐えろ!」
無理やり押し込む。
内部配線が切れ、機械兵が停止した。
「カイル!」
ガレスの声。
大型機械兵の腕が振り下ろされる。
カイルは跳んだ。
直後、さっきまでいた場所が砕けた。
衝撃で身体が転がる。
「ぐっ……!」
立ち上がる。
大型機械兵がこちらを見る。
赤いセンサー。
「でかいな」
カイルは笑った。
「だから何だ」
走る。
砲撃が大型機械兵の肩へ命中。
ガレス。
「今だ!」
カイルが跳ぶ。
強化外骨格の出力を限界まで上げる。
大型機械兵の腕へ着地。
そこから肩へ。
振動刀を首の接合部へ突き立てた。
「止まれ!」
最大出力。
甲高い音。
刀身が赤熱する。
接合部が裂ける。
巨大な頭部が落ちた。
地面が揺れる。
大型機械兵が膝をつき、そのまま倒れた。
共和国兵たちから歓声が上がった。
カイルは機械兵の上に立っていた。
振動刀を見る。
刀身には亀裂。
「……また壊れた」
下からミレアが叫ぶ。
「だから言ったでしょ!」
カイルは笑った。
この戦いは、共和国にとって最初の大きな勝利となった。
一人の兵士が叫んだ。
「勇者だ!」
カイルが振り向く。
「は?」
「機械巨人を倒した!」
別の兵士も叫ぶ。
「勇者カイル!」
「いや、俺研究員――」
歓声にかき消された。
「勇者!」
「カイル!」
「巨人殺し!」
カイルは困った顔でミレアを見る。
「何これ」
ミレアが笑った。
「勇者様」
「やめろ」
「似合ってる」
「絶対馬鹿にしてるだろ」
「少しだけ」
その日の夜。
戦場から少し離れた森。
生き残ったゴブリンたちが集まっていた。
負傷した者。
怒鳴る者。
共和国兵から奪った酒を飲む者。
その中で、一匹だけが離れた場所に座っていた。
昼間、共和国軍から奪った小銃を分解している。
「何してんだ?」
仲間が聞く。
「見る」
「何を?」
「これ」
「壊れてるぞ」
「だから見る」
ゴブリンは部品を一つずつ並べた。
ばね。
撃針。
薬室。
引き金。
「エルフが作った」
「だから?」
「俺たちも作れるかもしれない」
仲間は笑った。
「奪えばいいだろ」
ゴブリンは顔を上げた。
「奪えなかったら?」
「殺して奪う」
「相手がいなかったら?」
「……何言ってんだ、お前」
ゴブリンは再び小銃を見る。
「自分で作れたら、奪わなくていい」
仲間は理解できないという顔で去っていった。
ゴブリンは気にしなかった。
彼は長い時間をかけて、小銃を元の形へ戻した。
部品が一つ余った。
しばらく見つめる。
「……なんで?」
もう一度分解し始めた。
遠く。
共和国軍の陣地では、兵士たちが勇者カイルの名を叫んでいた。
その声を聞きながら、名も知られていない一匹のゴブリンは、人を殺す方法ではなく、人が作った道具の仕組みを考えていた。
やがてカイルは、魔王へ挑む勇者となる。
そして、このゴブリンもまた。
別の形で、この世界の歴史に名を残すことになる。
だが、それはまだ先の話だった。
――第九話 了




