第10話 燃える共和国
魔王戦争が始まって四か月。
エルディア共和国は、まだ戦っていた。
だが、勝ってはいなかった。
共和国北部、工業都市ヴァルナ。
人口十二万。
製鉄所、化学工場、発電所、鉄道車両工場、王立技術院第二研究所。
エルディア共和国の工業生産の三割近くを担うこの都市は、魔王戦争が始まって以来、最重要防衛拠点となっていた。
都市の周囲には塹壕が掘られ、対機械兵用の障害物が並ぶ。
共和国軍は、使える技術を何でも使った。
火薬式小銃。
機関銃。
大砲。
初期型レールライフル。
蒸気機関。
内燃機関。
電動車両。
そして、王立技術院が戦争開始後に急造した強化外骨格。
技術水準は統一されていない。
使えるものを、使える者が作った。
それが共和国の軍隊だった。
市内の工場では、カイルが一本の剣を見つめていた。
第十二試作高周波振動刀。
細長い刀身の内部に振動素子が組み込まれている。
「出力七十パーセント」
技術員が装置を操作する。
刀身が低く唸った。
カイルは試験台に置かれた厚さ五センチの鋼板へ刃を当てる。
軽く力を加えた。
鋼板に刃が沈む。
さらに押すと、ほとんど抵抗なく切断された。
「おお……」
技術員たちから声が上がる。
カイルは剣を止めた。
「連続稼働時間は?」
「現状で三分四十二秒」
「短いな」
「振動素子より冷却が保ちません」
「あと三倍欲しい」
技術員が嫌そうな顔をした。
「簡単に言いますね」
「言うだけなら無料だからな」
後ろから声がする。
「また壊すつもり?」
ミレアだった。
白衣の上から軍用ベストを着ている。
腰には拳銃。
四か月前なら考えられなかった格好だった。
「十二号は壊さない」
「十一号でも聞いた」
「あれは材料が悪かった」
「設計者は誰?」
カイルは黙った。
ミレアが笑う。
「ほら」
「十三号では直す」
「もう十三号作る気なの?」
「戦争が終わるまで何本でも作るさ」
カイルはそう言って笑った。
ミレアは笑わなかった。
警報が鳴った。
工場内の空気が一瞬で変わる。
『東部監視所より緊急報告。敵性群、接近中』
カイルは振動刀を掴んだ。
『推定数、二千以上』
「多いな」
『大型機械兵を確認』
カイルの表情が変わる。
『さらに生体反応多数。ゴブリン型生物を確認』
ミレアが拳銃を抜いた。
「また来た」
カイルは強化外骨格の固定具を締める。
「今度は追い返すだけじゃ済ませない」
ヴァルナ東門。
地平線が黒く染まっていた。
機械兵。
四脚型。
六脚型。
人型。
大型作業機を改造したものまで混じっている。
その間を、緑色の小さな影が走っていた。
ゴブリン。
元々はテラフォーミング初期に作られた作業用デザイン生物の末裔。
体格はエルフより小さい。
だが、力が弱いわけではない。
そして何より厄介なのは知能だった。
「来るぞ!」
共和国軍士官が叫ぶ。
砲撃が始まった。
爆発。
土煙。
機械兵が吹き飛ぶ。
ゴブリンの身体が宙を舞う。
だが、敵は止まらない。
共和国軍の機関銃が火を噴く。
最前列のゴブリンたちが倒れる。
その後ろから、別の群れが走ってきた。
盾を持っている。
鉄板。
木材。
機械兵の装甲。
使えるものを何でも組み合わせていた。
「撃て!」
銃弾が盾を叩く。
ゴブリンたちは叫びながら進んでくる。
その一体が笑っていた。
「エルフ! 今日もいっぱい死ぬ!」
共和国兵が撃つ。
ゴブリンの肩が弾けた。
それでも笑う。
「痛え! 痛えなあ!」
さらに走る。
「お前も痛くしてやる!」
塹壕へ飛び込んだ。
共和国兵へ短剣を突き立てる。
何度も。
笑いながら。
「死ね! 死ね! 死ね!」
次の瞬間、ゴブリンの首が飛んだ。
カイルが振動刀を振り抜いていた。
「胸糞悪い奴だ」
倒れた兵士を見る。
まだ息がある。
「衛生兵!」
カイルが叫んだ。
だが、その時には次のゴブリンが迫っていた。
戦線は崩れ始めた。
ゴブリンは馬鹿ではない。
機関銃陣地を正面から攻撃する群れがいる一方、別の部隊は地下水路へ侵入していた。
都市の構造を調べていた。
「南区に侵入された!」
通信機から声が響く。
『ゴブリン約百!』
「どこから入った!」
『排水路です!』
カイルの顔色が変わる。
「市民区画じゃないか!」
『避難が間に合ってません!』
カイルは走った。
南区。
すでに地獄だった。
家が燃えている。
逃げる人々。
追うゴブリン。
略奪する者。
食料を奪う者。
そして、殺すことそのものを楽しむ者。
一体のゴブリンが、倒れた男の髪を掴んでいた。
「お願いだ……」
男が震える。
「子供だけは……」
ゴブリンが笑う。
「じゃあ、お前からな」
刃を振り上げた。
その腕が飛んだ。
ゴブリンが叫ぶ。
カイルが振動刀を振る。
二撃目で首を落とした。
「逃げろ!」
男が子供を抱えて走る。
カイルは次へ向かった。
路地から三体。
一体目の槍を避け、胴を斬る。
二体目の腕を落とす。
三体目が背後へ回る。
銃声。
頭が弾けた。
ガレスだった。
「借り一つな!」
「お前、前線にいたんじゃないのか!」
「前線がこっちに来たんだよ!」
ガレスは大型のレールライフルを担いでいた。
試作品。
重すぎて普通の兵士には扱えない。
強化外骨格がなければ持つことすら難しい。
「セイルは?」
「発電所!」
「何してる!」
「知らん! 本人に聞け!」
その頃。
ヴァルナ中央発電所。
セイルは制御盤の下へ潜り込んでいた。
「第三系統を切れ!」
「切ったら西区が停電します!」
「どうせ五分後には全部停電する!」
技術者が遮断器を落とす。
都市の一部から光が消えた。
セイルは配線を組み替える。
「レール砲へ回せ!」
「出力が足りません!」
「工場を全部止めろ!」
「病院は!?」
「病院だけ残せ!」
送電先が次々と変更される。
ヴァルナ中央塔。
そこには共和国最大の試作兵器が設置されていた。
固定式電磁投射砲。
本来は研究用だった。
一発撃つだけで都市一つ分に近い電力を食う。
照準の先。
東門を突破しようとしている大型機械兵。
全高十八メートル。
共和国兵が何十発撃ち込んでも止まらない。
「充電率?」
『八十二パーセント』
「まだ?」
『八十五』
「急げ!」
『九十一』
大型機械兵が城壁へ腕を叩きつける。
石と鉄筋が吹き飛んだ。
『九十七』
「撃て!」
『規定値未到達』
「知るか! 撃て!」
セイルが手動発射装置を叩いた。
都市全体の照明が一瞬消えた。
次の瞬間。
轟音。
弾体が大型機械兵の胸部へ直撃した。
装甲を貫通。
内部から爆発。
巨大な機械が後ろへ倒れる。
共和国兵から歓声が上がった。
セイルも叫ぶ。
「やった!」
直後。
制御盤から火花が噴き出した。
「うわっ!」
爆発。
セイルが床へ叩きつけられる。
右腕に激痛が走った。
見る。
前腕が不自然な方向へ曲がっている。
「……折れた」
技術者が駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
「大丈夫に見える?」
「見えません!」
「じゃあ聞くな!」
セイルは左手で立ち上がった。
「次弾準備!」
「無理です!」
「なんで!」
「砲身が変形しました!」
セイルは天井を仰いだ。
「一発かよ……」
戦闘開始から五時間。
東門は陥落した。
共和国軍は市街地へ後退。
ヴァルナは戦場になった。
だが、その頃から異変が起き始めた。
「止まれ」
低い声がした。
ゴブリンたちの一部が足を止めた。
声の主もゴブリンだった。
他の個体より少し大きい。
古い共和国軍の外套を着ている。
腰には奪った拳銃。
首には小さな金属板。
「もういい」
周囲のゴブリンが見る。
「まだ殺せるぞ」
一体が言った。
「いっぱい残ってる」
別の個体が笑う。
「子供もいる」
外套のゴブリンは、その個体を殴り倒した。
「だから何だ」
「……何すんだよ!」
「俺たちは何をしに来た?」
「エルフ殺しに」
「違う」
「魔王様が言った!」
「魔王はそんな命令を出してない」
周囲が静かになる。
外套のゴブリンは知っていた。
REGULATORが出した命令。
《高度技術施設の無力化》
それだけだった。
市民を殺せとは命令されていない。
略奪しろとも。
楽しめとも。
「工場を壊せ。研究所を燃やせ。それで終わりだ」
一体が笑う。
「つまんねえ」
外套のゴブリンが拳銃を抜いた。
銃声。
笑っていたゴブリンが倒れた。
「命令を聞け」
誰も笑わなくなった。
その光景を、離れた建物からカイルが見ていた。
隣にガレス。
「……なんだあいつ」
ガレスが呟く。
「ゴブリンだろ」
「それは見りゃ分かる」
カイルは外套のゴブリンを見る。
他とは違う。
部隊を統率している。
殺戮を止めた。
共和国軍の装備も使っている。
そして何より、こちらを見ていた。
目が合った。
数十メートル。
外套のゴブリンが口を開く。
「エルフ」
カイルは振動刀を構える。
「何だ」
「今日は終わりだ」
「勝手に決めるな」
「俺は決めてない」
ゴブリンが東を見る。
「黒い王が決める」
「魔王か」
「お前らは、あれをそう呼ぶ」
カイルは剣を下ろさない。
「名前は?」
ゴブリンが少し驚いた。
「俺の?」
「他に誰がいる」
しばらく沈黙。
「グラウ」
「カイル」
「知ってる」
今度はカイルが驚いた。
グラウは笑った。
他のゴブリンのような、不快な笑いではなかった。
「振るえる剣のエルフ。お前、有名」
「嬉しくないね」
「俺も」
グラウは背を向けた。
「次は殺すかもな」
「こっちの台詞だ」
「じゃあ次まで死ぬな」
ゴブリンたちが退いていく。
カイルは追わなかった。
追える状態ではなかった。
戦闘開始から七時間二十三分。
敵軍が撤退を始めた。
理由は分からなかった。
共和国軍は勝ったと思った。
歓声を上げる者もいた。
だがカイルは違った。
敵は負けていない。
目的を達成したから帰っただけだ。
その夜。
ヴァルナの半分が燃えていた。
死者、三千を超える。
負傷者はその数倍。
東部工業区は壊滅。
第二研究所も炎上した。
発電所は辛うじて残った。
カイルは瓦礫の上に座っていた。
振動刀は壊れていた。
第十二試作高周波振動刀。
刀身の半分がない。
ミレアが隣へ座る。
「また壊した」
「うん」
「十二号は壊さないって言った」
「言ったな」
「嘘つき」
「ごめん」
ミレアは怒らなかった。
二人は燃える街を見ていた。
遠くで人の泣き声が聞こえる。
「カイル」
「何?」
「勝てると思う?」
カイルはすぐには答えなかった。
魔王軍は強い。
機械兵。
生物兵器。
ゴブリン。
そして、そのすべての向こうにREGULATORがいる。
こちらが一つ新しい兵器を作れば、研究所が攻撃される。
発電所を増やせば破壊される。
工場を再建すれば、また襲撃される。
相手は共和国を滅ぼそうとしているのではない。
文明を削っている。
少しずつ。
確実に。
「分からない」
カイルは答えた。
ミレアが彼を見る。
「珍しい」
「何が?」
「分からないって言った」
「俺だって分からないことくらいある」
「いつも適当なこと言うくせに」
「適当じゃない。仮説だ」
「同じ」
カイルは少し笑った。
やがて、その笑いも消えた。
「でも」
「うん?」
「このまま負けるのは嫌だ」
「……うん」
「俺たちが何を知るか、何を作るか。それをあいつに決められるのはもっと嫌だ」
ミレアは燃える研究所を見る。
「だから戦う?」
「ああ」
カイルは折れた振動刀を持ち上げた。
「十三号作る」
ミレアは呆れた顔をした。
「そこに戻るの?」
「次はもっと強くする」
「また壊れる」
「じゃあ十四号」
「十四号も壊れたら?」
「十五号」
「馬鹿」
「知ってる」
今度はミレアも少し笑った。
翌朝。
共和国政府から命令が届いた。
ヴァルナ放棄。
住民の全面退避。
残存工場設備の解体。
研究資料の移送。
都市としてのヴァルナは、これで終わる。
カイルたちは最後の列車に乗らなかった。
残った技術者たちとともに、研究設備を分解していた。
使える工作機械。
振動素子。
電力変換器。
特殊合金。
持ち出せるものは全部持っていく。
ガレスが巨大な箱を運びながら言った。
「おい、これ重すぎる!」
「強化外骨格着てるだろ」
「着てても重い!」
セイルは折れた右腕を固定したまま、端末を左手で操作していた。
「あと二時間で輸送車が出る!」
ミレアが医療物資を箱へ詰める。
カイルは最後に研究室を見た。
ここで十二号を作った。
もう戻ることはないだろう。
「カイル!」
ガレスが呼ぶ。
「置いてくぞ!」
「今行く!」
カイルは研究室を出た。
数時間後。
最後の輸送車列がヴァルナを離れた。
丘の上から振り返る。
誰も喋らなかった。
かつて十二万人が暮らしていた都市。
共和国最大級の工業都市。
その空には黒い煙が上がっている。
カイルの隣で、セイルが呟いた。
「また作れるかな」
カイルは聞き返した。
「何を?」
「街」
カイルはヴァルナを見た。
「作れる」
「根拠は?」
「ない」
「またそれか」
「でも作れる」
セイルは少し笑った。
カイルも笑った。
誰も知らなかった。
この日を最後に。
エルディア共和国が、大規模な工業都市を持つことは二度となかった。
そして数千年後。
《ヴァルナ》という都市の名も忘れ去られた。
工場は《鍛冶神の宮殿》となり。
固定式電磁投射砲は《天雷の塔》となった。
共和国軍が戦った大型機械兵は、《鉄巨人》として物語に残った。
そしてゴブリンは、残虐で卑劣な魔王の眷属として語られるようになった。
ただし。
すべてのゴブリンが、そうだったわけではない。
グラウ。
魔王戦争を生き延びた一人のゴブリン。
彼と、彼に従った者たちは。
戦争が終わった後も生き残った。
文字を覚え。
道具を作り。
子供へ知識を伝え。
やがて魔王の支配から離れた土地に、小さな集落を築いた。
その集落が数千年後。
一つの民族へ成長することを。
この時代のエルフたちは、まだ知らなかった。
そして。
ヴァルナが消えてから八か月後。
カイルは第十九試作高周波振動刀を手に。
魔王のもとへ向かうことになる。
――第十話 了




