第87話 地下からの訪問者
NOAHの到着に備え、人類自治政府が進める受け入れ計画は、居住施設を建てれば終わるというものではなかった。
百万人。
現在の人類社会とは比較にならない人口を新たに受け入れる以上、食料、衣類、医薬品、生活用品、電力、上下水道、輸送設備、そのすべてを桁違いの規模で用意する必要がある。
REGULATORたちによる生産施設の増設も始まっていたが、何かを作るには原料がいる。
鉄、銅、アルミニウム、ニッケル、クロム、チタン。電子機器や高性能素材まで含めれば、必要となる元素はさらに増える。
人類がEDENへ降り立った当初なら、母船アマテラスから持ち込んだ資材と、ナノマシンによる再構成で十分だった。しかし、これから受け入れるのは百万人である。既存資源だけを消費し続けるわけにはいかなかった。
そのため、人類居住区の周辺では地下資源の調査が進められていた。
都市から南西へおよそ七十キロ。山地へ入った調査隊が有望な鉱床を発見したのは、そんな中だった。
地下三百メートル付近から始まり、さらに深部へ続く大規模な鉱床。鉄を主体としながら、銅、ニッケル、コバルトなど複数の有用金属を含んでいる。
地上には集落も農地もない。古い街道からも外れていた。周辺の生態系への影響を確認したうえで試掘が決まり、無人掘削機が投入された。
それから六日後。
人類自治政府に、予定にはなかった客が訪れた。
ゴブリンだった。
七人ほどの一団で、地上で見かける行商人とは違い、荷車も商品も持っていなかった。革と厚手の布を組み合わせた服を着て、全員が頑丈そうな靴を履いている。腰に短剣を下げた者もいたが、それ以上の武装は見当たらない。
その中に、見覚えのある顔があった。
ガルク。
人類との交易が始まった頃から何度も居住区を訪れているゴブリン商人である。
頭には、黒ずんだ暗赤色の帽子。
現在よく見かける丸みを帯びた赤い帽子とは違い、先端が尖った古い形のレッドキャップだった。
一団を庁舎まで案内してきた職員の後ろには、なぜかもう一人、人間の男がついてきていた。男は入口でガルクに軽く頭を下げると、そのまま一団から離れていった。
ゴブリンたちが求めたのは、人類自治政府との正式な会談だった。
用件は、地下資源の採掘について。
◇
会談には、人類自治政府議長の柳原をはじめ、資源開発、外交、都市計画を担当する行政官が出席した。
ゴブリン側の代表は、バルガと名乗った。
ガルクより一回り大きい。年齢は人間には判断しづらかったが、顔には深い皺が刻まれている。服装は質素で、装飾品らしいものはほとんど身につけていなかった。
「遠いところをお越しいただき、ありがとうございます。人類自治政府議長の柳原です」
バルガが頷いた。
「バルガだ。地下都市ベルグの評議を預かっている」
通訳は必要なかった。人類側のナノマシンによる言語処理は、すでにこの惑星で使われる主要言語のほとんどに対応している。
柳原は本題へ入った。
「地下資源の採掘について話があると伺いました」
「ああ」
バルガは持参した筒を開き、中から大きな紙を取り出した。
机の上へ広げる。
地図だった。
ただし、人類側が使う地図とはずいぶん違う。山も川も描かれていない。複雑に交差する線と大小の空間が何層にも重なり、ところどころに独自の記号が記されている。
柳原の隣にいた資源開発担当者が身を乗り出した。
「坑道図ですか?」
「そうだ」
バルガは一本の太い線を指でなぞり、途中の一点で止めた。
「お前たちが掘っているのは、ここだ」
人類側の出席者が互いを見る。
柳原は端末を操作した。
壁面に人類側の地形図が表示される。試掘地点を拡大し、地下構造を三次元表示へ切り替えた。
「この地点で間違いありませんか」
バルガとガルクが表示を見る。
「深さは?」
ガルクが尋ねた。
「現在は百八十七メートルです。最終的には三百五十メートル付近まで試掘する予定です」
ガルクがバルガを見る。
バルガは小さく頷いた。
「止めてもらいたい」
柳原は表情を変えなかった。
「理由を伺っても?」
バルガは机上の地図を指で叩いた。
「この下に我々が住んでいる」
室内が静かになった。
ゴブリンが地下に都市を築くこと自体は、人類側も知っている。
問題は、そこではなかった。
資源担当者が画面を見る。
「この地点の地下にも?」
「そうだ」
「どのくらいの深さですか」
「最も浅いところで二百六十。深いところは千を超える」
担当者の手が止まった。
試掘予定深度の中に完全に入っている。
柳原が尋ねた。
「現在も使用されている坑道でしょうか」
バルガは少し眉を寄せた。
「使っているから来た」
「失礼しました。では、試掘は直ちに停止させます」
ゴブリン側が僅かにざわめいた。
バルガ自身も柳原を見た。
「確認しなくていいのか」
「確認はします。しかし、あなた方が利用している地下へ影響を与える可能性が判明した以上、確認が終わるまで作業を続ける理由はありません」
柳原は資源担当者へ目を向けた。
「現地へ連絡してください。掘削作業を一時停止。機材はそのままで構いません」
「分かりました」
担当者が席を立つ。
バルガはその様子を黙って見ていた。
「話が早いな」
「事故になってからでは遅いですから」
「そうだな」
そこで初めて、バルガの表情から僅かに警戒が薄れた。
ガルクは何も言わなかった。
ただ椅子の背にもたれ、柳原をじっと見ていた。
◇
問題は、それだけではなかった。
人類側の地下探査データとゴブリン側の坑道図を照合することになった。
ゴブリンの図面は紙に描かれ、距離や高低差の表記方法も人類とは違う。だが、驚くほど正確だった。
人類側の技術者が図面を読み取り、三次元データへ変換していく。
画面上に赤い線が一本ずつ増えていった。
最初は誰も何も言わなかった。
十本。
百本。
やがて線は網になった。
山地の地下を縫うように、巨大な坑道網が広がっている。
資源担当者が思わず呟いた。
「こんなに……」
バルガが答える。
「全部ではない」
「これで?」
「古い道まで書けば見づらくなる。崩れた坑道、埋めた坑道、使わなくなった採掘場は除いてある」
さらにデータが入力される。
坑道だけではない。
巨大な空間が現れた。
一つではなかった。
いくつもの空洞が通路によって接続され、その周囲に無数の小さな区画が存在している。
柳原が尋ねた。
「これは?」
「ベルグ」
「地下都市そのものですか」
「ああ」
都市計画担当者が規模を測る。
「居住人口は?」
「四万七千くらいだ」
「くらい?」
「昨日三人生まれた。今日死んだ奴がいるかは知らん」
柳原は頷いた。
「十分です」
さらに別の地下空間が表示される。
「こちらも都市ですか?」
「違う。食料を作っている」
「地下で?」
バルガが今度こそ不思議そうな顔をした。
「地下に住んでいるんだから、地下で作るだろう」
「具体的には何を?」
「キノコ、藻、根菜。虫も育てる。魚もいる。家畜もいる」
水は地下水を利用し、使った水は処理して再び生活や生産へ回す。
食料残渣や排泄物も処理され、肥料や燃料になる。金属製品は壊れれば回収して溶かし、別の道具へ作り直す。石材は新たな坑道や空間を掘る際に出たものを建築材料として使う。
都市の外から恒常的に大量の物資を運び込む必要は、ほとんどないという。
都市計画担当者が感心したように言った。
「かなり高い資源循環率ですね」
「捨てる場所がないからな」
バルガは当然のことのように答えた。
「地下で使えなくなった物をその辺へ捨てていたら、自分たちの住む場所がなくなる」
別の行政官が小声で呟いた。
「SDGsだな……」
「えすでぃーじーず?」
バルガが聞き返す。
柳原は小さく首を振った。
「昔の人類が使っていた言葉です。気にしないでください」
「そうか」
バルガは本当に気にしなかった。
ガルクだけが少し興味を示した。
「それは商売になる言葉か?」
「たぶん、あなたが想像しているようなものではありません」
「ならいい」
興味はすぐに失われた。
◇
坑道図と人類側の地質データを重ねた結果、さらに別の事実が判明した。
今回、人類が発見したと思っていた鉱床。
その中央を、ゴブリンの坑道が何本も通っている。
しかも新しい。
資源担当者がバルガを見る。
「この鉱床を採掘しているんですか」
「ああ」
「いつから?」
バルガは隣のゴブリンと短く話した。
「今使っている坑道を掘り始めたのは百二十年ほど前だ」
「今使っている?」
「もっと古い穴もある」
「鉱床そのものが利用され始めたのは?」
「分からん。記録なら七百年くらい前まで残っている」
人類側の資源担当者が椅子へ深く座った。
最新の探査技術で見つけたつもりだった鉱床を、ゴブリンは何世紀も前から掘っていた。
柳原が尋ねる。
「採掘量に余裕はありますか」
バルガの目が僅かに細くなった。
「何の話だ」
「我々は現在、大量の鉱物資源を必要としています」
「知っている」
今度はガルクが答えた。
「地上であれだけ物を作ってりゃ、嫌でも分かる」
柳原がガルクを見る。
「地下都市にも伝えていたのですか」
「聞かれたことは話した。人間が急に鉄や銅を欲しがっていることもな」
ガルクはそこで一度言葉を切った。
「それに、商人は品物だけ運んでるわけじゃない」
柳原は頷いた。
情報もまた、商人が運ぶものなのだろう。
「であれば、話は早いかもしれません」
バルガが腕を組む。
「何が欲しい」
柳原が資源担当者を見る。
端末から一覧が表示された。
鉄、銅、ニッケル、コバルト、クロム、マンガン。その他、十数種類。
要求量も表示される。
ゴブリンたちは黙って数字を見ていた。
ガルクも眼鏡の奥から一覧を眺めている。
しばらくして、バルガが言った。
「多いな」
「百万人を受け入れる準備をしています」
「百万人?」
初めてゴブリン側がはっきり驚いた。
柳原は簡単に説明した。
遠方から巨大な人類の船が近づいていること。そこに約百万人が乗っていること。そして彼らを受け入れるため、新たな居住施設と生産設備を建設していること。
バルガは腕を組んだ。
「それで山を掘り始めたのか」
「そういうことです」
「最初から俺たちに聞けばよかったな」
柳原が苦笑する。
「あなた方がこの地下に住んでいると知っていれば、そうしたでしょう」
「それもそうか」
バルガは資源一覧へ目を戻した。
「これなら――」
「待て」
ガルクが止めた。
「何だ」
「お前は黙ってろ」
「なぜだ」
「これから商売の話になるからだ」
バルガが不満そうな顔をした。
ガルクは構わず柳原へ向き直った。
「売れる」
資源担当者が身を乗り出した。
「この量を?」
「全部とは言わん。だが、かなり出せる」
「価格については――」
「それは後だ」
ガルクが言う。
「こっちも欲しい物がある」
柳原は頷いた。
「伺いましょう」
バルガが坑道図を指した。
「人間の道具だ」
「具体的には?」
「これを掘る道具」
柳原は少し考えた。
「掘削機ですか?」
「違う。掘るのは自分たちでできる」
バルガの指が、一本の坑道をなぞった。
「崩れなくする道具だ」
◇
翌日。
会談の場所は政府庁舎から、人類側の技術試験施設へ移った。
ゴブリン側からは前日の一団に加え、鉱山技術者が三人参加していた。ガルクも当然のようについてきている。
人類側が用意したのは、片手で持てる小さな装置だった。
画面と操作部があり、それだけを見れば測量機器のようにも見える。
人類側の技術者が説明する。
「これはナノマシン操作用の限定コントローラーです」
ゴブリンたちの表情が変わった。
エルフとは違い、ゴブリンは周辺に存在するナノマシンを本能的に操作することができない。
火を生み、水を出し、物を動かす。
エルフたちが長く魔法と呼んできた現象を、ゴブリンは使えなかった。
能力を失ったわけではない。
最初から、ナノマシンを操作できないよう作られている。
バルガが装置を見る。
「俺たちでも使えるのか」
「使えます。操作するのは使用者ではなく、この装置です」
技術者は試験用に用意された岩盤へコントローラーを向けた。
「ただし、できることは限定されています。坑道や地下構造物の補強。それ以外の命令は受け付けません」
岩盤の一部を削り、その断面へ装置を向ける。
派手な光も音もなかった。
数秒後、表面に走っていた細かな亀裂が消えていく。
岩そのものが別の物質へ変化したわけではない。内部の構造が補強され、亀裂の進展を抑えるよう再構成されている。
ゴブリンの鉱山技術者が近づいた。
触る。
小さな金槌で叩く。
工具を亀裂のあった場所へ押し当てる。
しばらく確かめてから尋ねた。
「どのくらい保つ」
「環境によりますが、適切に処理すれば数百年単位です」
「水が出る場所は?」
「対応できます。ただし地下水脈そのものを塞ぐような使用法は推奨しません。周囲の水圧が変化します」
「熱は?」
「通常の坑道環境なら問題ありません」
「地震は?」
「岩盤全体が大きく変位すれば絶対ではありません。事前に断層を検出して――」
「それもできるのか?」
別の技術者が探査装置を持ってきた。
「こちらで可能です」
ゴブリンたちが一斉にそちらを見る。
柳原は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
前日の会談では、人類側から生活用品や医療品なども交換品として提示している。反応は悪くなかったが、目の前の装置に対する反応とは比較にならない。
地下都市は、すでに自分たちの環境の中で生活の大部分を賄っている。
必要なのは、地上から大量の物資を運び込み続けなければ維持できない生活ではない。
自分たちが今まで続けてきた暮らしを、より安全に、より確実に維持できる技術だった。
バルガが柳原のところへ来た。
「これが欲しい」
「どちらを?」
「両方だ」
「やはりそうなりますか」
「それと、坑道で毒の空気を見つける道具があると聞いた」
「あります」
「水を汲み上げる機械も」
「あります」
「遠くの坑道と話せるものは?」
「地下用通信設備を設計できます」
バルガは少し考えた。
「それも欲しい」
「バルガ」
ガルクの低い声が飛んだ。
バルガが振り向く。
「何だ」
「昨日、俺が何と言った」
「知らん」
「欲しい物を全部その場で言うな」
「欲しいんだから仕方ないだろう」
ガルクが額を押さえた。
「だからお前らは商売が下手なんだ」
柳原は笑いを堪えながら言った。
「こちらとしても、必要なものを教えていただいた方が話は進めやすいですが」
「お前は黙ってろ」
「私もですか」
「売る側が嬉しそうな顔をするな」
少し離れたところで、人類側の行政官が吹き出した。
ガルクは気にせずバルガへ向き直る。
「ここから先は俺がやる」
「好きにしろ」
「最初からそうしてればいいんだ」
ガルクは柳原へ向き直った。
「そっちが欲しい鉱石の量と、こっちが欲しい技術。それぞれ条件を出せ。値段を決めるのはそれからだ」
「分かりました」
「それと完成品だけ寄越すのはなしだ」
柳原が少し意外そうにガルクを見る。
「と言いますと?」
「壊れたら直せるようにしろ。できるなら、こっちで作れる部品はこっちで作れるようにする」
バルガが頷く。
「それは必要だ」
柳原は少し考えた。
「人類側で公開可能な範囲にはなりますが、保守、修理、検査方法についても技術供与に含めましょう。部品についても、あなた方の加工技術で製造可能なものは仕様を提供できます」
バルガが尋ねた。
「全部、人間に直してもらう方が簡単じゃないのか」
「こちらとしては、その方法でも構いません」
「駄目だ」
バルガは試験用の岩盤を見た。
「お前たちがいなくなったら使えなくなる」
柳原は黙った。
「地下では、自分たちで直せない物に頼りすぎると、いつか死ぬ」
それは思想でも、理想でもなかった。
何世代にもわたって地下で暮らしてきた者にとって、ただの常識なのだろう。
柳原は頷いた。
「分かりました。その前提で技術供与の範囲を検討します」
「頼む」
少し離れたところでは、ゴブリンの鉱山技術者たちが探査装置を囲んでいた。誰かが操作方法を聞き、別の者が人類側の技術者へ岩盤について質問している。
ガルクはすでに資源担当者を捕まえ、鉱石の価格と供給量について話を始めていた。
地上から地下へ。
地下から地上へ。
これまで互いの存在を知りながら、深く関わる必要のなかった二つの社会の間に、新しい流れが生まれようとしていた。
きっかけは、人類が何も知らずに掘り始めた一本の穴だった。
――第87話 地下からの訪問者 了




