第85話 十三のREGULATOR
旧魔王城の門が開いた。
最初にそれに気づいたのは、山裾の畑で作業をしていたエルフだった。
遠い昔から魔王の居城として語り継がれてきた黒い建造物は、今では別のものとして知られている。
人間たちがこの世界へ降りてきたことで、その正体はほぼ明らかになった。
魔王城ではない。
この惑星がまだ現在の姿になる以前、人間たちの技術によって建造された惑星環境統制機構の施設。それが長い年月の中で本来の意味を失い、エルフたちの伝承の中で魔王の居城へと変わった。
そう説明されている。
実際、今ではそれを知るエルフも多い。
それでも、巨大な門が動き始めたとき、畑にいた男は手を止めた。
岩山の一部にしか見えなかった壁が左右へ開いていく。
低い振動音が山腹を伝い、畑の土までかすかに震わせた。
「……おい」
隣の畝にいた男が顔を上げる。
「なんだ」
「あれ」
二人は同時に山を見た。
開いた門の奥は暗かった。
その闇の中に、一つの赤い光が浮かんだ。
しばらくして、それが動いた。
人のような形をしている。
頭部には目も鼻も口もない。ただ、顔にあたる場所の中央で赤い光源が一つ輝いている。
一体目が門を出た。
続いて二体目。
三体目。
同じ姿をした機械が、一定の間隔を保ちながら次々と外へ出てくる。
「……魔王城が」
「違う。あれは魔王城じゃない」
「分かってる」
四体目が出てきた。
「人間の施設なんだろ」
「ああ」
五体目。
六体目。
二人は黙った。
やがて十二体目が門を通過した。
先頭の機体はすでに進路を変え、山を下り始めている。
男は手にしていた農具をゆっくり地面へ置いた。
「分かってるけどな」
「ああ」
「魔王城から、何か出てきたぞ」
もう一人は否定しなかった。
百万人という人口が一日に必要とする食料の量が、人類自治政府の会議室に表示されていた。
数字は品目ごとに細かく分けられている。
穀類、野菜、果実、油脂、タンパク質、糖質。さらに調味料原料や嗜好品まで含めた需要予測。その横には飲料水、衣類、衛生用品、医薬品、包装材など、食料以外の消費物資も並んでいた。
蓮は一覧を眺めていたが、途中で見るのをやめた。
「桁が違うな」
「当然だ」
柳原が答えた。
現在の人類居住区を維持するための生産能力とは比較にならない。
NOAHの乗員が地上生活へ移行した直後には、環境変化によって食事量が増減する可能性もある。生産能力を必要量ぎりぎりに設定することはできなかった。
「余裕を持たせる」
柳原が言った。
「設備故障や不作が起きたときに、百万人の食料が足りなくなるようでは困る」
『同意します』
イザナミが生産計画を書き換えた。
植物生産施設の規模が拡大する。
培養肉生産施設。
微生物発酵施設。
藻類培養施設。
油脂生産施設。
飲料水精製設備。
さらに日用品の原料を生産する設備まで加えられていく。
人間は食べるだけでは生きていけない。
衣服を使う。
身体を洗う。
物を運ぶ。
壊れたものを交換する。
廃棄物を出す。
百万人が暮らすということは、それらすべてが百万人分発生するということだった。
柳原がREGULATOR-01へ視線を向けた。
「どうだ」
会議室の一角に立つ黒い機体が、顔の中央にある赤い光を柳原へ向けた。
「生産設備の増設自体に問題はない」
「管理は?」
「現行体制では不適切である」
蓮がREGULATORを見る。
「お前でも?」
「表現が正確ではない」
「何が」
「管理そのものは可能である。しかし一筐体へ処理を集中させる合理的理由がない。物理的保守作業を含め、単一筐体への依存は障害発生時の危険性を増大させる」
「じゃあ、どうする?」
「すでに対応した」
そのとき、政府職員の一人が端末を見て顔を上げた。
「議長」
「なんだ」
「エルフ側の居住地域から問い合わせが来ています」
「内容は?」
職員は一瞬、REGULATOR-01を見た。
「旧魔王城から、複数のREGULATORが出てきた、と」
蓮がREGULATORへ顔を向ける。
「……それか」
「肯定」
「先に言えよ」
「必要な処置を実行した」
「そうじゃなくてだな」
柳原が割って入った。
「何機動かした?」
「十二」
会議室が静かになった。
「十二?」
蓮が聞き返す。
「REGULATOR-02からREGULATOR-13までを再起動した」
「十三までいたのか」
「存在していた」
「初めて聞いたぞ」
「説明を要求されていない」
その返答に、蓮は一瞬黙った。
「……最近、そういう奴ばっかりだな」
NOAHのことを言っているのだろうと柳原には分かったが、何も言わなかった。
イザナミが旧惑星環境統制施設の構造図を表示する。
地下深部に十二の保管区画が示された。
『REGULATOR系列は、惑星環境改変事業の最盛期に複数筐体を同時運用することを前提としていました。環境安定後、必要処理量が減少したため、REGULATOR-01を除く十二筐体は長期保管状態へ移行しています』
「どれくらい寝てた?」
蓮が尋ねる。
数字が表示された。
蓮はそれを見て、聞かなければよかったという顔をした。
「ちゃんと動くのか?」
「すでに全筐体の自己診断を完了している」
「問題は?」
「軽微な劣化を確認したが、自己修復済みである」
柳原は別のことを気にしていた。
「十二機をどう配置する?」
「固定配置は行わない」
「というと?」
「各生産施設の負荷、設備状態、輸送状況に応じ、管理領域を随時変更する。物理筐体についても必要に応じて移動させる」
地図上に新たな施設が次々と表示された。
人類居住区の外縁。
建設中のNOAH受け入れ都市周辺。
さらに離れた平野部。
植物生産施設は一か所に集中させず、複数地域へ分散されていた。
巨大な密閉型植物工場では穀類や野菜を生産する。別の区域では果樹類。その隣では油脂作物。
培養肉施設も複数に分けられる。
微生物発酵設備ではタンパク質や調味料原料を生産し、藻類培養施設は食料だけでなく工業原料の供給にも利用される。
さらに、水処理と廃棄物再資源化施設が都市計画へ組み込まれていく。
柳原が表示を見ながら言った。
「十三機で分担するわけか」
「その表現も正確ではない」
REGULATOR-01が答えた。
「何が違う?」
「REGULATOR-02から13は独立した管理主体ではない」
蓮がREGULATORを見る。
「じゃあ何なんだ?」
赤い光源が蓮へ向いた。
「我である」
「……は?」
「筐体ごとに独立した演算領域は存在する。しかし情報、判断、目的は共有される。必要に応じて処理を分散し、再統合する」
蓮はしばらくREGULATORを見ていた。
「つまり、十三人いるわけじゃない?」
「否定」
「十三体のお前がいる?」
「概ね正しい」
蓮の表情が微妙になった。
REGULATOR-01は構わず続けた。
「我は多にして個。一つの意識を持つ」
「…………」
「何だ」
「いや、その言い方……魔――」
REGULATORの赤い光が、わずかに蓮へ向き直った。
「……い、いや。ラスボスっぽいというか、何というか」
「また我を魔王と呼ぼうとしていたのではないか?」
「まさか。もうそんなこと言わないって約束しただろ」
「今、『魔』まで発音した」
「気のせいだ」
「記録されている」
「消せよ」
「必要性を認めない」
柳原は二人を無視して計画図を見ていた。
「十三というのも妙な数だな」
蓮が反応した。
「それな。地球じゃ、なんとなく縁起悪かったんだよ」
「非合理的である」
REGULATORが即答する。
「知ってるよ。なんで十三だったんだ?」
「惑星環境改変時に必要と算定された最大同時稼働筐体数が十三であった。それ以外の理由はない」
「だろうな」
蓮も本気で理由を求めていたわけではなかった。
その日のうちに、十二機のREGULATORはそれぞれの場所へ向かった。
人類居住区へ来た機体もあれば、建設中の新都市へ向かったものもある。まだ道路すら通っていない平野へ単独で移動した機体もあった。
そして、巨大な生産施設の建設が始まった。
最初に形になったのは植物生産施設だった。
外から見れば、巨大な白い構造物が平野に何棟も並んでいるだけに見える。
内部には何百列もの栽培棚が伸びていた。
光量、温度、湿度、二酸化炭素濃度、養液成分。すべてが作物ごとに管理される。
まだ何も植えられていない棚の間を、一機のREGULATORが歩いていた。
顔の赤い光だけが、薄暗い通路の中を移動していく。
蓮はREGULATOR-01とともに別の施設にいた。
目の前には巨大な培養槽が並んでいる。
「これだけ増やして、管理できるんだな」
「問題ない」
REGULATORが答えた直後だった。
「第七植物生産施設、第三栽培区画において養液流量〇・七パーセントの偏差を確認。補正した」
蓮が振り向いた。
「第七って、ここじゃないよな?」
「ここから百八十七キロメートル離れている」
「誰が直した?」
「我が修正した」
「お前、ここにいるじゃん」
「REGULATOR-09の筐体を使用した」
蓮は少し考えた。
「……やっぱり慣れないな、それ」
「慣れる必要はない」
「そういう問題でもないんだけど」
培養槽の向こうでは、新たな設備が組み上がっていた。
さらに遠くでは植物生産施設が稼働を始めている。
栽培棚に種子が配置され、養液が流れ、人工光が一斉に灯った。
藻類培養槽では透明な液体に微かな色が付き始めている。
水処理施設では試験運転が始まり、都市から回収した水を再利用する巨大な循環系が動き出した。
現在の人類だけを支えるための設備ではない。
これから来る百万人を含めた社会を維持するための生産基盤だった。
蓮は巨大な施設を見渡した。
「百万人か」
「肯定」
「数字で聞くのと、こうやって準備するのじゃ全然違うな」
「必要生産量は数値によって定義される」
「お前はそうだろうけどさ」
蓮は苦笑した。
REGULATORはしばらく何も言わなかった。
やがて赤い光が、稼働を始めた生産設備へ向く。
「現在の増設計画が完了すれば、想定人口に対し十分な供給余力を確保できる」
「頼もしいね」
「当然である」
REGULATOR-01は静かに答えた。
「我は惑星環境統制機構である」
遠く離れた平野でも、別のREGULATORが新しい生産施設へ入っていった。
山岳部では一機が水源管理設備を確認している。
建設中の新都市では、さらに一機が地下循環設備の試験を始めていた。
十三の赤い光が、別々の場所で動いている。
だが、それらが見ているものは、一つの意識へ集まっていた。
惑星を作り替えるために生み出された管理機構が、長い休眠から再び本来の規模を取り戻しつつあった。
今度は惑星を変えるためではない。
そこに住むことになる百万人を、迎えるために。
――第八十五話 了。
シリアス回がしばらく続くと予告しましたが無理でした……




