第83話 声
恒星間移民船《NOAH》から最初の音声通信が届いたのは、双方が基本的な情報交換を終えたあとだった。
すでにNOAH側は、EDENに存在する人類が、日本を主体として建造された恒星間移民船の生存者であることを把握している。EDEN側も、接近している船が地球を出発した別の恒星間移民船《NOAH》であることを確認していた。
現在の乗員数、船体規模、航路、到着予定時期といった情報も交換済みだった。
NOAHの到着までは、およそ半年。
現在の距離は約九十億キロメートル。NOAHはすでに長い減速過程に入っているため、現在速度から単純に到着時期を割り出すことはできない。
そしてこの距離では、電波が届くだけでも八時間以上かかる。
質問を送って、回答が戻るまで十六時間以上。
音声通信とはいっても、地球で行われていた電話のようなものではなかった。録音された音声データを互いに送り合う、途方もなく間の長い会話である。
人類自治政府の通信室には十数人が集まっていた。
中央に座っているのは議長の柳原だった。
地球にいた頃、日本で国会議員を務めていた男である。その隣には天城蓮が座り、壁面にはNOAHの現在位置や軌道、これまでに受信した各種情報が表示されている。
「音声データ、復号完了しました」
通信担当者の報告に、柳原が頷いた。
「再生してくれ」
わずかな雑音のあと、人間の声が流れた。
『――EDEN zhèngfǔ communication receive complete. Wǒmen confirm data package,qǐng following item response――』
蓮は眉を寄せた。
人の声だ。
それは間違いない。
だが、何を言っているのか分からない。
英語らしき単語が聞こえたかと思えば、次には中国語に似た音が続く。しかし英語でも中国語でもない。語順も発音も蓮の知るものから大きく変わっており、ときおり聞き覚えのある音が浮かんでは、すぐに理解不能な言葉の中へ沈んでいく。
「……なんだ、この言葉?」
『蓮』
イザナミの声がした。
「ん?」
『言語補助機能が無効になっています』
「え?」
『あなた自身が停止させています』
「俺が?」
蓮は一瞬考え、それから「あ」と声を漏らした。
普段、エルフたちと会話するときには意識することすらなくなったナノマシンによる言語補助。それを相手が人間だと認識した瞬間、無意識に切っていたらしい。
「……人間だから、そのまま通じると思ってた」
『受信言語は、英語および中国語を主要基盤として成立した未知の混成言語と推定されます』
「英語と中国語?」
『はい。ただし、既知のいずれの言語とも一致しません』
「翻訳できる?」
『可能です。これまでに受信した文字情報との照合を含め、解析は完了しています』
「じゃあ入れて」
言語補助を有効にし、同じ音声を冒頭から再生する。
今度は、まるで最初から日本語で話しているように意味が入ってきた。
『EDEN人類自治政府へ。前回送信された通信データの受領を確認しました。当船は、EDENに存在する人類集団が恒星間移民船アマテラスに由来することを確認しています。以下の照会事項について回答を要求します』
「……普通に分かるな」
『翻訳されています』
「分かってる」
柳原は通信担当者へ視線を向けた。
「NOAH側から、我々の使用言語について問い合わせは?」
「ありません」
「翻訳不能という報告も?」
「ありません」
『NOAH側は受信音声に対し、自動翻訳を適用しているものと推定されます』
イザナミが補足した。
蓮は少し黙った。
「……向こうは最初からやってるのか」
「当然だろう」
柳原が言った。
「何千年離れていたかも分からん人間同士だ。言葉が同じだと思う方がおかしい」
「ごもっとも」
NOAHからの照会内容は簡潔だった。
EDENの大気組成、地表重力、平均気温、病原体情報、利用可能な土地、食料生産能力、医療体制、軌道設備、人類自治政府の法体系。
すでに送信済みの情報についても、移住に直接関係するものは再確認を求めている。
無駄がなかった。
柳原は各担当部署に回答データの作成を命じ、自身も音声メッセージを録音した。
「こちらはEDEN人類自治政府。議長の柳原だ。音声通信を受信した。照会事項については添付データにて回答する。今後、NOAH乗員の受け入れについて具体的な協議を開始したい」
柳原は一度言葉を切った。
「我々は、あなた方を歓迎する」
録音を終える。
蓮が横から言った。
「最後の一言、いる?」
「いる」
「向こう、そういうの気にするかな」
「相手が気にするかどうかで言うものじゃない。これは政府としての意思表示だ」
「なるほどね」
返信が送信された。
返答が届いたのは翌日だった。
『EDEN人類自治政府議長・柳原からの通信を確認しました。受け入れ協議の開始に同意します』
音声はそこで終わった。
蓮が少し待った。
「歓迎する、については?」
「以上です」
「完全に無視されたな」
「必要な部分には答えている」
柳原は気にした様子もなく、次の資料へ目を落とした。
それから数日にわたり、通信は続いた。
互いに必要な情報をまとめ、一度に送る。返答が来るまで十六時間以上かかる以上、一問一答などしていられない。
NOAHからの回答は極めて正確だった。
質問が数値を求めれば数値が返り、規格を求めれば仕様書が届く。補足が必要な場合には関連資料が添付された。
逆に、求めていない情報が付け加えられることはほとんどなかった。
そのやり取りの中で、一つ妙なことが分かった。
「この通信担当、名前がないな」
蓮が受信記録を眺めながら言った。
すべての音声データには送信者情報が付属している。
そこに記録されているのは、
《個体識別番号:117-084291》
《職務コード:EXT-COM-03》
それだけだった。
「個人情報を省略しているんじゃないか?」
政府職員の一人が言った。
「かもしれないけど、こっちは柳原議長とか天城蓮って送ってるだろ」
柳原が資料を見る。
「次回の照会に加えておけ。個人識別制度についてだ。名前だけ聞くな。制度全体を確認する」
「分かりました」
新たな照会項目が作成された。
NOAHにおける個人識別方式。
氏名制度の有無。
出生時の識別情報。
職務変更時の扱い。
家族単位での登録制度。
その他、EDEN移住後の住民登録制度を策定するうえで必要となる情報。
翌日、回答が届いた。
『個人識別方式について回答します。NOAH居住者には出生時に固有の個体識別番号が付与されます。個体識別番号は死亡まで変更されません。職務コードは担当職務に応じて変更されます』
そこまでは分かる。
続く回答で、蓮が顔を上げた。
『個人名および家名に該当する現行制度は存在しません』
「……ない?」
音声は淡々と続いた。
『住民登録、医療記録、配給、教育、職務配置その他の個体管理は、すべて個体識別番号を基準として実施されます』
蓮は表示されている番号を見る。
「じゃあ、この117-084291って人も、生まれたときからこれなのか」
『回答内容からは、そのように解釈できます』
イザナミが答えた。
柳原は驚いてはいたが、すぐに別の問題へ意識を切り替えていた。
「EDENの住民登録制度と互換性を持たせる必要があるな。氏名欄を必須にしている部分を洗い出せ」
「はい」
蓮は柳原を見る。
「それだけ?」
「文化の違いにいちいち驚いていたら、百万人を受け入れる仕事なんかできん」
「まあ……そうだけど」
だが、蓮には引っかかるものがあった。
名前がない。
そして、あの言葉。
英語と中国語が混ざり、どちらでもなくなった言語。
もちろん長い航海の中で独自の言葉が作られた可能性はある。
だが、NOAHは本来、アマテラスと同様に乗員を冷凍睡眠させて恒星間を移動する船だったはずだ。
眠っている人間の言語が、これほど変化するだろうか。
その疑問を蓮が口にすると、柳原はしばらく考えた。
「確かに確認しておくべきだな」
柳原は通信担当者を呼んだ。
「NOAH乗員の医学的受け入れにも関係する。航海中の生活環境について一括照会する」
柳原が項目を挙げていく。
「現在乗員の出生地と世代構成。出航時乗員の生存状況。冷凍睡眠設備の現在の状態。航海中の人口維持方式。出生管理方式。重大な生命維持設備の障害履歴。食料生産方式。それから、長期航海中に変更された居住環境条件もだ」
「人工重力も」
蓮が付け加えた。
「入れてくれ」
職員が頷く。
質問は整理され、重複を削られ、機械判読可能な照会データと音声説明の双方にまとめられた。
送信された。
そして翌日。
NOAHから回答が届いた。
柳原、蓮、政府関係者たちが会議室に集まる。
「再生します」
あの声が流れた。
『EDEN人類自治政府からの生活環境および人口維持に関する照会事項を受領。以下、項目順に回答します』
淡々とした声だった。
『第一項。現在のNOAH居住者に地球出生個体は存在しません。全個体がNOAH船内出生です』
蓮が顔を上げた。
だが音声は止まらない。
『第二項。出航時乗員の生存個体は存在しません』
会議室の何人かが互いの顔を見た。
『第三項。冷凍睡眠設備は現在使用されていません。航海初期に発生した重大障害によって全設備が運用不能となりました』
蓮の表情が変わった。
『修復について検討が実施されましたが、必要資材および製造設備の不足により恒久復旧不能と判断されました』
「……待て」
蓮が小さく呟いた。
しかし再生は続く。
『第四項。冷凍睡眠設備喪失後、人口維持計画へ移行。船内資源量、生命維持能力、必要職種および遺伝的多様性を基準として出生数を管理し、世代交代によって航海を継続しています』
誰も喋らなかった。
『第五項。出生管理方式に関する詳細資料を添付します』
壁面に大量のデータが展開される。
『第六項。重大設備障害履歴を添付します』
さらに膨大な記録。
『第七項。食料生産については――』
NOAH側の説明は続いていた。
だが蓮の耳には、しばらく入ってこなかった。
視線は別の場所に向いている。
以前から何度も見ていたNOAHの航海記録。
出航年代。
現在時刻。
その差。
「イザナミ」
『はい』
「航海期間」
『NOAH側から提供された出航記録を基準とした場合、約二千五百年です』
蓮は黙った。
それは知っていた。
数字としては。
だが、意味がまるで違っていた。
柳原が音声再生を止めさせた。
「確認する」
誰にともなく言い、表示された資料へ目を走らせる。
「冷凍睡眠設備が壊れたのは、航海初期」
「はい」
「以後は復旧していない」
「はい」
「現在の乗員は全員船内出生」
「その通りです」
柳原はそこで黙った。
蓮が椅子にもたれた。
「……二千五百年」
アマテラスにとって、それは眠っている間に過ぎ去った時間だった。
蓮自身にとってもそうだ。
目を閉じ、次に目を覚ましたときには世界が変わっていた。
だが、NOAHは違う。
眠っていない。
人が生まれた。
育った。
働いた。
子を残した。
死んだ。
その子供がまた同じ船の中で生きた。
それを繰り返した。
二千五百年。
「なんで……」
蓮が言いかける。
「なんで今まで言わなかったんだ、あいつら」
柳原はしばらく答えなかった。
代わりにイザナミが言った。
『これまでEDEN側から、NOAHの航海中における人口維持方式について照会した記録はありません』
「いや、でも……」
『NOAH側は、現在乗員数、船体状況、航行能力、到着予定時期その他、EDEN側が要求した情報には回答しています』
蓮は口を閉じた。
柳原が低い声で言った。
「隠していたわけじゃない」
「……聞かなかったから言わなかった?」
「おそらくな」
柳原は、画面に表示されたNOAHの回答を見る。
そこには二千五百年の苦難を訴える言葉など一つもなかった。
悲劇とも書いていない。
偉業とも書いていない。
ただ、
《冷凍睡眠設備喪失》
《人口維持計画へ移行》
《出生管理開始》
《世代交代による航海継続》
事実だけが並んでいる。
蓮はしばらくそれを見ていた。
「二千五百年も……よく続けたな」
柳原は答えなかった。
再生を再開するよう指示する。
NOAHからの報告が再び流れ始めた。
まだ知らなければならないことは山ほどある。
百万人を受け入れるのだ。
どんな身体を持ち、何を食べ、どんな環境で暮らし、どのような社会を作ってきたのか。
それを知らずに受け入れ計画など立てられない。
だが柳原は、音声を聞きながら一度だけ壁面の星図へ目を向けた。
そこにはEDENへ向かう《NOAH》の位置が示されている。
あと半年。
二千五百年を生きつないだ人類が、こちらへ来る。
そして彼らは、その二千五百年について自ら語ろうとすらしなかった。
聞かれなかったから。
ただ、それだけの理由で。
――第八十三話 了。
シリアス回がしばらく続く予定




