第82話 人類からの信号
恒星系の外から接近を続ける正体不明の物体が発見されてから、数か月が過ぎていた。
イザナミによる監視は、その間も途切れることなく続けられている。
人工物である可能性は、かなり早い段階から高いと見積もられていた。軌道は偶然EDENの恒星系を横切るものではなく、明確にこちらへ向けられている。さらに観測を重ねた結果、物体が自ら減速していることも判明していた。
何者かが造った宇宙船。
その可能性は極めて高い。
問題は、誰が造ったのかだった。
地球を後から出発した別の移民船という可能性も検討されたが、政府内では早い段階で低いと判断されていた。
アマテラスにとって、EDENは最初から目指していた惑星ではない。
本来の目的地へ向かう途中で破壊工作を受け、減速不能のまま通過。その後、航路を変更した末に選ばれた第二の目的地である。
同じ地球を出た別の船が、偶然この恒星系へ向かってくる。
あり得ないことではない。しかし、それを前提に考えるには偶然が重なりすぎていた。
それよりも政府が警戒したのは、人類がこの惑星へ到達する以前に存在していたかもしれない知的生命だった。
EDENには、今なお人類の技術だけでは説明しきれない領域が存在する。
かつてこの惑星に別の知的生命が存在していたのではないか。そして何らかの理由で惑星を離れていた彼らが、戻ってきているのではないか。
証拠はない。
だからこそ、イザナミは観測を続けていた。
軌道、速度、減速率、熱源、電磁波。得られる情報はすべて記録され、解析されている。
そして、その日。
状況が初めて大きく動いた。
◇
蓮が政府庁舎へ呼び出されたのは、予定になかった会議だった。
会議室にはすでに政府の主要関係者が集まっていた。行政、安全保障、科学技術部門。それぞれの責任者が席につき、正面の大型表示面にはイザナミのインターフェースが開かれている。
蓮は空いている席へ座った。
「何かあった?」
『はい』
イザナミの声が会議室に響く。
『接近中の人工物について、重大な変化を確認しました』
それだけで室内の空気が変わった。
安全保障担当者が身を乗り出す。
「航路変更ですか?」
『いいえ。航行状態に大きな変化はありません』
「では?」
『通信信号を受信しました』
蓮は思わず正面の表示を見た。
「……向こうから?」
『はい。対象から発信された指向性通信であることを確認しています』
ざわめきが起こった。
これまで、接近物体は一度も明確な通信を発していなかった。
だからこそ不気味だった。
何者なのか。
何のために来るのか。
こちらを認識しているのか。
そのすべてが分からなかった。
「内容は?」
政府関係者の問いに、イザナミはすぐには答えなかった。
『現在も解析を継続しています。ただし、内容以前に報告すべき事項があります』
大型表示面に複数の波形と数値が現れた。
『通信方式の基礎構造を解析した結果、既知の規格との一致を確認しました』
「既知?」
『はい』
次に表示された文字を見て、蓮は眉を寄せた。
地球標準通信規格。
一瞬、意味が分からなかった。
「……地球?」
『はい』
政府関係者たちも表示を見つめている。
『単なる類似ではありません。通信同期方式、誤り訂正構造、データ配置規則など、複数の特徴が地球文明由来の通信技術と一致しています』
「偶然という可能性は?」
『極めて低いと判断します』
安全保障担当者が腕を組んだ。
「異星文明が地球と似た通信技術を独自に作った可能性は?」
『個々の技術であれば収斂は考えられます。しかし複数の規格が体系的に一致しています。独立した文明が偶然同一構造へ到達したと仮定するより、地球文明由来と判断する方が合理的です』
会議室が静かになった。
蓮は椅子にもたれたまま表示を見ていた。
「じゃあ……あれ、人間の船なのか?」
『現時点では断定できません』
「できない?」
『人類によって建造されたことと、現在も人類が運用していることは同義ではありません』
「ああ……そういうことか」
『ただし、通信内容についても解析が進んでいます』
表示が切り替わった。
最初は意味のない記号の羅列にしか見えなかったものが、少しずつ文字列へ変換されていく。
蓮には見覚えのある言語が含まれていた。
英語。
中国語。
そして、機械処理を前提とした標準化コード。
「……マジかよ」
蓮が小さく呟いた。
それは間違いなく、人間が作ったものだった。
『信号には複数の自然言語による情報が含まれています。内容を表示します』
画面に文章が現れた。
簡潔だった。
感情らしいものはない。
挨拶すら最低限だった。
> 《当方は地球文明に由来する恒星間航行船である。》
《受信可能な文明主体が存在する場合、応答を要求する。》
《通信規格情報を添付する。》
「……地球文明に由来する」
誰かが読み上げた。
蓮は画面から目を離せなかった。
異星人ではない。
少なくとも、通信を送ってきた相手は自分たちを地球文明の系譜にある存在だと認識している。
政府関係者の一人が尋ねた。
「返信できますか?」
『可能です』
「通信にどれほど時間差があります?」
『現在距離と双方の通信方式から算出します』
数秒後、数値が表示された。
リアルタイムで会話できる距離ではない。
だが、返信を送り、相手から返答を受け取ることは十分にできる。
「何を送る?」
蓮の問いに、安全保障担当者が答えた。
「最初からこちらの詳細をすべて明かす必要はないでしょう。まずは相手の識別情報を求めるべきです」
「賛成」
短い協議の後、最初の返信内容が決められた。
こちらも地球文明由来の人類居住地であること。
通信を正常に受信したこと。
相手の船舶識別情報、出発地、航行目的の提示を求めること。
そして何より、こちらに敵対意思がないこと。
『送信します』
イザナミが告げた。
それで終わった。
すぐに答えが返ってくるわけではない。
宇宙は広い。
どれほど技術が進歩しても、情報が光速を超えない以上、待つしかなかった。
◇
返答が届いたのは、それからしばらく後だった。
蓮は再び政府庁舎へ呼ばれた。
前回とほぼ同じ顔ぶれが会議室に集まっている。
『返信を受信しました』
「内容は?」
『こちらが送信した通信規格との互換性は確立しています。相手はEDENからの通信を正常に受信したものと判断します』
画面に文章が表示された。
> 《応答を受信。》
《発信主体が地球文明由来であるとの申告を確認。》
《相互識別手順を開始する。》
「相変わらず堅いな」
蓮が呟いた。
「初接触ですからね」
隣の政府関係者が答えた。
「向こうもこちらを警戒しているのでしょう」
「まあ、そりゃそうか」
文章は続いていた。
船籍情報。
建造記録の一部。
出航時に使用されていた識別体系。
そして船舶識別コード。
イザナミがそれらを順番に照合していく。
『地球文明記録との照合を実行しています』
蓮は何となく画面を眺めていた。
自分たち以外の人類。
それが本当なら、アマテラスの生存者にとって途方もなく大きな出来事だった。
人類は自分たちだけではなかった。
地球を離れた別の集団が、どこかで生き残っていた。
『照合完了』
イザナミの声で、蓮は顔を上げた。
「見つかった?」
『はい』
大型表示面に一つの名称が現れた。
蓮はそれを見た。
数秒。
記憶の奥に引っかかるものがあった。
「……待て」
その名前を知っている。
以前、アマテラスに残されていた地球圏の記録を調べた際に目にしたことがある。
アマテラスより後に計画された、巨大な恒星間移民船。
中国とアメリカの資本を中心に、地球軌道上で建造が進められていた船。
計画上の乗員数は、アマテラスとは比較にならない。
百万人。
「嘘だろ……」
蓮が呟いた。
イザナミが淡々と告げる。
『受信した船舶識別コードは、地球圏に保存されていた建造記録と一致しました』
画面中央に、その名が大きく表示された。
《NOAH》
「……本物なのか?」
『識別情報が偽装されていない限り、その可能性は極めて高いと判断します』
誰も言葉を発しなかった。
長い間、異星文明の船かもしれないと考えていた。
この惑星に人類より先に存在していた何者かが、星の海から帰ってくるのかもしれないと警戒していた。
違った。
あれは人類が造った船だった。
それも、アマテラスとは別の方舟。
蓮は表示された名前を見つめた。
「……NOAHが来るのか」
数千年の時を隔てて、二隻の恒星間移民船が、同じ惑星で出会おうとしていた。
――第八十二話 人類からの信号 了。




