第81話 アルベルトの矜持
アルベルトの顔を見た瞬間、蓮は何かがおかしいと思った。
深緑を基調とした軽装に革製の腕当て。背中には弓と矢筒を負い、腰には短剣。少し前に新調したという装備は以前見たままだったし、その格好で一緒にダンジョンへ潜ったこともある。久しぶりに本格的に使ったという弓の腕前も相当なものだった。動きながら矢を番え、ほとんど間を置かずに次々と標的を射抜く技量は、さすがアルベルトと言うほかなかった。
だから、違和感の原因は装備ではなかった。
「……あれ?」
「どうした、蓮。人の顔を見て早々、妙な声を出すものではないよ」
いつもの余裕ある笑みを浮かべたアルベルトを見て、蓮はようやく気づいた。
「お前、ヒゲどうした?」
「ああ、これか」
アルベルトは鼻の下を指先で撫でた。そこにあるはずの、綺麗に整えられた口ひげがない。
「剃ったよ」
「剃ったって……あのヒゲ、結構こだわってなかった?」
「気に入ってはいたさ。長い付き合いでもあったしね。ただ、先日少々みっともないことになってしまった」
「何したんだよ」
「火蜥蜴だ。ダンジョンの奥で出くわしてね。炎を避けたつもりだったんだが、どうやら口ひげの先だけ逃げ遅れたらしい」
顔そのものに火傷はなかったものの、左右の口ひげの先端が焦げて縮れてしまったのだという。長さを揃えようと少しずつ切っているうちに、どうにも格好がつかなくなり、それなら一度すべて剃ってしまおうと思ったらしい。
「また生やすんだろ?」
「そのつもりだったんだが、しばらくはこのままでもいいかもしれない」
「なんで?」
アルベルトは背中の弓を指した。
「こいつを使うには、その方が都合がいい。深く引き込んだ時、矢羽根が口ひげに触れることがあってね。毎回ではないが、射る瞬間に引っかかることもある。わずかな違和感とはいえ、命中を乱す可能性があるなら無い方がいい」
「ああ、なるほど。それなら剃る理由としては十分だな」
「冒険者だからね。見栄えのために実用性を犠牲にするほど、私は若くないさ」
アルベルトが微笑んだ瞬間、ほとんど風のない場所で長衣の裾がふわりとはためいた。
「……そこは相変わらずなんだな」
「何がだ?」
「いや、もういい」
蓮は改めてアルベルトを眺めた。
長い金髪。口ひげのない端正な顔。深緑の軽装。革の腕当て。そして背中には弓と矢筒。
やはり似ている。
「アルベルト。ちょっと面白いもの見せてやるよ」
「ほう?」
蓮はハンディータイプの端末を取り出した。掌に収まるほどの薄い装置を操作すると、二人の間の空間に淡い光が広がり、横長のホロ画面が浮かび上がった。
蓮が呼び出したのは、少し前にエルフたちの間で大流行した超古典映画だった。
「映画か」
「まあ見てろって」
蓮は映像を送り、目当ての場面で止めた。
森の中を異形の怪物たちが駆けている。そこへ現れたのは、長い金髪をなびかせた一人のエルフだった。深緑の軽装に革の腕当て。背には弓と矢筒。腰には短剣。
アルベルトの表情が止まった。
ホロ画面を見る。自分の腕を見る。もう一度画面を見る。
映像の中のエルフは走りながら矢を抜き、一射、二射と立て続けに怪物を射抜いた。身を翻して攻撃をかわし、振り向きざまに三射目を放つ。
「…………」
「な?」
「蓮」
「何?」
「これは何だ」
「《リング・オブ・ザ・フォールン》」
「作品名を聞いているのではない。この男だ」
「金髪のエルフ。弓の名手。最近エルフの女性にものすごく人気あるぞ」
アルベルトは無言で画面を見つめた。
「この格好を真似する奴も結構いるらしい」
「待て」
「ん?」
「私は知らなかったぞ」
「何を?」
「この男だ」
「分かってるよ」
「本当だ。装備を選んだのも偶然だ」
「分かってるって」
「ヒゲを剃った理由も今説明した通りだ」
「だから疑ってねえよ」
「ならいい」
そう答えたものの、アルベルトはもう一度画面を見た。次に自分の胸元へ視線を落とし、革の腕当てを眺める。
「……似ているな」
「自分で認めるんだ」
「事実を否定するほど狭量ではないさ」
そこでアルベルトは何かを思い出したように眉を寄せた。
「そういえば最近、街を歩いていると若い女性から妙に視線を感じることがあった」
「たぶん、それ」
「…………そうか」
アルベルトは遠い目をした。
その瞬間、深緑の長衣がファサリと大きくはためいた。
蓮はホロ画面と本人を見比べた。
「それやると余計似るぞ」
「私がやっているわけではない」
「ナノ群だろ」
「いい風だ」
「だから今、風ないって」
◇
それから数日後。
蓮がダンジョンの入口へ向かうと、先に到着していたアルベルトの姿を見つけた。
「おう、アルベルト――って、戻したんだ」
「何をだ?」
アルベルトの装備は以前のものに戻っていた。使い込まれた軽装鎧にマント。そして腰には、長年の愛刀である超振動ブレード。弓も矢筒も見当たらない。
「弓やめたの?」
「やめたわけではない。選択肢の一つとしては悪くないさ。ただ、改めて考えてみれば、やはり冒険者たるもの剣を振ってこそだな」
アルベルトが超振動ブレードの柄へ手を置く。それを待っていたかのようにマントがファサリとはためいた。
「映画見せた数日後に言われても説得力ないぞ」
「何のことかな?」
「露骨に戻してんじゃん」
「誤解だよ、蓮。弓には弓の問題がある。特にダンジョンではね」
「どんな?」
「矢だ。地上での短時間の戦闘なら問題ないが、ダンジョン探索が長引けば話は別だ。持ち込める本数には限界があるし、回収できるとも限らない。残りの矢を気にしながら戦い続けるというのは、どうにも性に合わない」
それ自体は真っ当な話だった。
弓を主武装にするなら、矢は消耗品になる。何十本持ち込んでも、長時間の探索では不足する可能性がある。対して超振動ブレードなら、動力と刀身が健在である限り戦い続けられる。
「まあ、それは確かに――」
「矢の本数?」
後ろから聞こえた女性の声に、二人は振り返った。
白い髪を背中へ流し、褐色の肌に軽装をまとったセレネが立っていた。背には、彼女が愛用する長弓がある。
「セレネ。お前もダンジョン?」
「ああ。少し採りたいものがある。それよりアルベルト、弓を使っていたのか?」
「しばらく試していた。悪い武器ではないが、私にはやはり剣の方が合うらしい。それに、先ほど話していたように矢の本数にも限りがあるからね」
セレネは不思議そうに首を傾げた。
「そうなのか?」
「そうなのか、とは?」
「私なら矢の制限などないのだが」
セレネが右手を開く。
周囲のナノ群が動き、掌の上で細長い形を作り始めた。一本の矢が形成され、続いて二本目、三本目が現れる。
「必要なら、その場で作ればいい」
アルベルトが黙った。
「アルベルト?」
「セレネ」
「何だ?」
アルベルトは静かに超振動ブレードを抜いた。低い駆動音とともに刀身が起動する。
「男にはな、剣を振らなければならない時がある」
マントがファサァッと大きくはためいた。
セレネは怪訝そうな顔をした。
「今は矢の本数の話をしているのだが」
「行こう、蓮。未知なる迷宮が私たちを待っている」
「逃げたな」
「何からだ?」
「セレネから」
「冒険者は常に前へ進むものさ」
アルベルトはそのまま堂々とダンジョンへ歩いていった。
セレネが蓮を見る。
「何なのだ?」
「そっとしといてやって」
◇
三人が入ったのは、天然洞窟と古い人工構造物が複雑に入り交じった階層だった。天井は高く、場所によっては十メートルを超えている。岩壁には青白く発光する菌類が群生し、その淡い光が濡れた地面を照らしていた。
しばらく進んだところで、セレネが突然足を止めた。
「上だ」
直後、頭上から甲高い鳴き声が響いた。
暗い天井に張り付いていた黒い塊が一斉に動き出す。翼を広げれば二メートル近くある大型のコウモリだった。黒褐色の体毛に覆われ、異様に発達した顎から長い牙が突き出している。それが十数頭、次々と天井から離れて三人へ向かって降下してきた。
セレネは慌てなかった。
右手に矢を形成し、長弓へ番える。弦が鳴った直後、先頭の一頭が胸を射抜かれて落下した。すぐに次の矢が生まれ、二頭目の翼の付け根を貫く。旋回しようとした巨体が体勢を崩し、岩壁へ激突した。
「本当に無制限なんだな」
「だからそう言っただろう」
セレネは淡々と答えながら次の矢を作った。
だが、すべてを射ち落とせるわけではない。数頭が射線を抜け、低空から三人へ襲いかかった。
一頭がアルベルトへ牙を剥く。
「遅いな」
アルベルトが半歩踏み込んだ。
超振動ブレードが横薙ぎに走る。大型コウモリの身体がすれ違った直後、片翼が根元から切断された。アルベルトはそのまま身体を回転させ、背後から迫った二頭目の胸を斜めに切り上げる。
着地と同時にマントが大きく舞った。
「やっぱりそっちの方が似合ってるよ、お前」
「当然だろう?」
「そういうところなんだよな」
残った大型コウモリも、ほどなくセレネの矢によって撃ち落とされた。
三人はさらに奥へ進み、天然洞窟から石造りの通路へ入った。
そこは明らかに人工的な区画だった。巨大な石材が隙間なく組み上げられ、壁には意味の分からない幾何学模様が刻まれている。
通路の中央まで進んだところで、重い音が響いた。
石が擦れている。
蓮が振り返ると、壁の一部だと思っていた巨大な塊が動き始めていた。
「ゴーレムか」
高さは三メートルを超えている。複数の岩石を組み合わせた人型の胴体に、地面へ届きそうなほど長い両腕。頭部には顔らしいものがなく、中央に埋め込まれた赤い鉱石だけが不気味に発光していた。
ゴーレムが巨大な拳を振り上げる。
「私がやろう」
アルベルトが前へ出た。
「硬そうだけど」
「だからいい」
拳が振り下ろされ、石床が砕けた。
だがアルベルトはそこにはいない。攻撃が落ちる寸前に横へ抜け、ゴーレムの懐へ潜り込んでいた。
超振動ブレードが右脚を走る。
高密度の岩石が切断され、巨体が大きく傾いた。
ゴーレムは倒れながらも左腕を振るった。アルベルトは身を沈めてかわし、すれ違いざまに肘を斬り落とす。巨大な石の腕が床へ落ち、轟音とともに砕けた。
片脚と片腕を失っても、ゴーレムは止まらない。
胸部の赤い鉱石が強く発光した。
アルベルトが走った。
傾いたゴーレムの膝へ足をかけ、そのまま巨体を駆け上がる。
「随分と長い間ここを守っていたようだが――もう休んでもいい頃だろう」
空中で身体を捻る。
マントが大きく広がった。
超振動ブレードが赤い鉱石を一閃した。
光が消える。
次の瞬間、ゴーレムの全身から力が抜け、巨大な身体が岩石の塊となって崩れ落ちた。
アルベルトはその手前へ着地すると、超振動ブレードを軽く振ってから鞘へ収めた。
「どうだい?」
「何が?」
「やはり私には、こちらの方が似合うだろう?」
蓮は笑った。
「自分で言うなよ」
「事実を認めるのも大切なことさ」
ファサァ……。
またマントがはためいた。
少し離れたところで見ていたセレネが、不思議そうに蓮へ尋ねた。
「さっきから気になっていたのだが、あのマントはなぜ毎回ああなる?」
「ナノ群が勝手にやってるっぽい」
「アルベルトが操作しているのではないのか?」
「本人は風だって言い張ってる」
セレネは周囲を見回した。
「ここは無風だぞ」
「本人に言ってやるな」
先を歩き始めたアルベルトが振り返った。
「二人とも、何をしている。先へ行こうじゃないか。冒険者の前に道があるなら、進まない理由はないだろう?」
その言葉に合わせるように、マントがもう一度大きくはためいた。
蓮は思わず吹き出した。
結局のところ、数千年前の映画に登場する弓使いがどれほど格好よくても、アルベルトには超振動ブレードを振っている姿の方がよく似合う。
少なくとも本人は、心の底からそう信じているようだった。
――第八十一話 アルベルトの矜持 了




