第80話 リング・オブ・ザ・フォールン
人類居住地に、映画館ができた。
もっとも、それは人間たちにとって、それほど珍しい施設ではなかった。
恒星間移民船には、地球文明の膨大な文化資料が保存されている。書籍、音楽、映像、ゲーム、芸術作品。人類が地球を離れた後も、それらを失わないためだった。
当然、映画も大量に残されている。
ただし、蓮たちが地球で暮らしていた時代には、映画という娯楽の立場は大きく変わっていた。
二十一世紀に隆盛を極めた、莫大な予算とVFXを投入するヒーロー映画やSF大作は、とうに全盛期を過ぎていた。
理由は単純だった。
現実の科学技術が、映画を追い越してしまったのである。
人類は重力を制御した。
ナノマシンを操った。
遺伝子を設計した。
何百年もの休眠を可能にし、全長数キロメートルの恒星間移民船まで建造した。
空を飛ぶ人間。
巨大宇宙船。
身体を瞬時に治療する機械。
手のひらから炎を放つ超人。
かつてスクリーンの中でしか見られなかった光景の多くが、形こそ違えど現実の科学で実現可能になっていた。
だから蓮たちの時代の人間にとって、昔のVFX大作は古典だった。
だが。
エルフたちにとっては違った。
◇
「映画?」
リシェルが聞き返した。
「そう。映画」
蓮が答える。
「演劇のようなものか?」
「近いけど、ちょっと違うな」
「記録映像なのか?」
「それとも違う」
「では何なのだ?」
「見た方が早い」
説明を諦めた。
人類居住地に作られた映画館は、数百人ほどが入れる施設だった。
技術的にはもっと巨大な映像設備も作れる。しかし今回は、地球時代の映画館という文化そのものを再現することに意味があった。
巨大なスクリーン。
段差のついた座席。
暗くなる客席。
立体音響。
そして売店。
なぜかポップコーンまで再現されていた。
初日の客の半数以上はエルフだった。
人間側は、昔の映画でも見てみるか、くらいの感覚である。
エルフ側は違う。
何が始まるのか、ほとんど理解していない。
リシェルが紙容器に入ったポップコーンを一つ摘まむ。
「これは映画に必要なのか?」
「必要ではない」
「ではなぜ皆食べている?」
「昔からそういうものなんだよ」
「人間は時々、よく分からない習慣を守るな」
「俺もそう思う」
照明が落ちた。
リシェルが周囲を見る。
「暗くなったぞ」
「始まるから」
スクリーンが光った。
◇
最初に上映されたのは、二十一世紀中頃に制作されたSFヒーロー映画だった。
蓮にとっては超古典。
リシェルにとっては未知の映像だった。
巨大都市が映る。
空を飛ぶ乗り物。
高層建築の間を飛び交う無数の機械。
それだけで、エルフたちがざわついた。
「地球か?」
「昔の地球だ」
「これほどの都市が本当に存在したのか」
「まあ、これはかなり盛ってるけどな」
「盛る?」
「あとで説明する」
物語が始まる。
主人公が登場する。
普通の人間だった男が、事故によって超常的な能力を得る。
そして。
飛んだ。
「…………!」
リシェルが身を乗り出した。
周囲のエルフたちからも声が上がる。
「飛んだぞ」
「人間は飛べるのか?」
「いや」
蓮が即答した。
「だが飛んでいる」
「飛んでない」
「映っているではないか」
「映ってるけど飛んでない」
リシェルが蓮を見る。
「どういうことだ?」
「映画だから」
「分からない」
「だろうな」
スクリーンではヒーローが自動車を片手で持ち上げていた。
「蓮」
「無理」
「まだ何も聞いていない」
「人間にあれは無理」
「お前なら?」
「できるかどうかの話をするな」
「では、あれは何だ」
「作り物」
リシェルがスクリーンを見る。
ヒーローが空中で巨大な機械兵器と戦っている。
「作り物?」
「実際には起きてない」
「だが映っている」
「そこからか……」
蓮はポップコーンを食べた。
説明するのは上映後にしようと思った。
◇
さらに巨大怪獣が登場した。
客席のエルフたちがどよめく。
「地球にもあんな生物がいたのか?」
「いない」
蓮は答えた。
「本当に?」
「本当に」
「ドラゴンの一種では?」
「違う」
「絶滅したのでは?」
「最初からいない」
リシェルは納得していない。
それも仕方ない。
EDENには本当にドラゴンがいる。
巨大生物もいる。
ダンジョンには奇妙な生物が山ほどいる。
存在しない怪物を映像として作る、という発想そのものが理解しにくいのだ。
映画が終わった。
照明がつく。
あちこちでエルフたちが興奮した様子で話していた。
「地球は恐ろしい場所だったのだな」
「だから怪物はいないって」
蓮は頭を抱えた。
◇
それから人間側による説明会が必要になった。
「つまり、これは嘘なのか?」
一人のエルフが尋ねた。
「嘘という言い方は、ちょっと違う」
説明役の人間が答える。
「物語です」
「物語?」
「実際には存在しない人や出来事を、存在するように映像として作るんです」
「どうやって?」
「役者が演じます。存在しないものについては、映像そのものを作ります」
「巨大な怪物も?」
「作ります」
「破壊された都市も?」
「作ります」
「宇宙船も?」
「作ります」
「空を飛んでいた人間も?」
「作ります」
エルフたちがざわついた。
「人間は映像の中に、存在しないものを作れるのか」
「そういう技術です」
「……面白い」
別のエルフが言った。
「非常に面白い」
そこからだった。
映画館は予想外の人気施設になった。
◇
上映作品が増えた。
SF。
怪獣。
ヒーロー。
冒険。
戦争。
恋愛。
喜劇。
人間側の予想とは逆に、古いVFX大作ほどエルフたちに人気があった。
蓮たちの時代には「映像はすごいが、昔の作品」と評されていた映画が、数千年後のEDENで連日満席になる。
そしてある日。
一本の作品が上映作品に加えられた。
タイトルは、
《リング・オブ・ザ・フォールン》。
二十一世紀初頭に制作された、三部作の超古典ファンタジー映画。
世界を滅ぼすほどの超常的な力を秘めた指輪を巡り、様々な種族の仲間たちが旅をする冒険譚だった。
人間側では有名な古典作品である。
蓮も当然知っていた。
「これ、上映するのか」
映画館の予定表を見ながら蓮が言った。
「人気作らしいぞ」
リシェルが答える。
「まあ、有名だからな」
「エルフも出ると聞いた」
「ああ」
「どのようなエルフだ?」
「見れば分かる」
蓮は少し嫌な予感がしていた。
◇
上映日。
満席だった。
エルフの観客が圧倒的に多い。
自分たちと同じ種族が地球の古い映画に登場すると聞いて、興味を持った者が大勢いたのである。
映画が始まった。
広大な山々。
森。
古い城。
剣。
魔法。
怪物。
エルフたちは静かだった。
「……普通だな」
前の席から声が聞こえた。
「普通だな」
隣も頷いた。
蓮は笑いそうになった。
人間にとって幻想世界だったものが、彼らにとっては日常に近い。
怪物が出ても驚かない。
魔法のような現象が起きても驚かない。
剣士が怪物と戦っても驚かない。
ドラゴンが飛んでも、
「大きいな」
程度だった。
「やっぱりファンタジーは駄目か」
蓮が小声で呟いた。
その時だった。
スクリーンに一人のエルフが現れた。
長い金髪。
整った顔立ち。
細身の身体。
緑を基調とした軽装。
そして弓。
怪物が襲ってくる。
金髪のエルフが矢を抜いた。
一射。
次の矢。
二射。
三射。
走りながら放つ。
敵の攻撃をかわし、振り向きざまにさらに一射。
「…………」
客席の空気が変わった。
蓮は気づいた。
特に。
女性客の多い一角。
「……格好いい」
誰かが言った。
「うん」
「顔もいい」
「髪も綺麗」
「弓を構える姿もいい」
スクリーンの中で金髪のエルフが再び矢を放つ。
「きゃああああ!」
歓声が上がった。
「ええ……」
蓮が振り返る。
エルフの女性たちが完全に食いついていた。
隣にいるリシェルまでスクリーンをじっと見ている。
「リシェル?」
「何だ」
「いや……」
金髪のエルフが華麗に敵を倒す。
再び女性客から歓声。
「そこが刺さるのか……」
蓮には予想外だった。
◇
上映後。
感想を語るエルフたちの話題は、ほとんど一つだった。
「金髪のエルフがよかった」
「弓の男だろう?」
「そう」
「名前は?」
「もう一度見れば分かる」
「明日も上映するらしい」
「また来よう」
男性エルフたちは少し不満そうだった。
「あんな射ち方では命中率が落ちる」
一人が言った。
「走りながら射つ必要があるのか?」
「近距離なら剣を抜いた方が早いだろう」
「矢の消費が激しすぎる」
女性が振り返った。
「格好いいからいいのだ」
「…………」
議論は終わった。
蓮は何とも言えない顔でその光景を見ていた。
地球で作られた古い映画。
それも、当時の人間が想像した架空のエルフ。
それが数千年後。
本物のエルフの女性たちに大受けしている。
「何なんだ、これ……」
蓮は呟いた。
◇
《リング・オブ・ザ・フォールン》は大ヒットした。
三部作すべてが上映された。
何度も見に来る者まで現れた。
特に金髪の弓使いは圧倒的な人気を獲得した。
肖像画が売られた。
木彫りの人形が作られた。
服装を真似する者まで出てきた。
もちろん誰も商品化の許可など取っていない。
エルフには、そもそも著作権や肖像権という考え方がない。
人間側が気づいた頃には、金髪の弓使いを描いた商品が街中に溢れていた。
「またか……」
蓮は頭を抱えた。
魔王印の時と同じだった。
そして映画の影響は、それだけでは終わらなかった。
指輪が流行した。
当然である。
物語の中心にあるのが、強大な力を秘めた指輪なのだ。
宝飾店には指輪を求める客が殺到した。
銀。
金。
宝石。
木。
様々な指輪が作られた。
その流行を見て、人類側の技術者の一人が余計なことを考えた。
「これ、通信端末にしたら売れるんじゃないか?」
試作品が作られた。
小さな金属製のリング。
周囲に存在する通信設備やナノ群を利用し、登録した相手との音声通信を行う簡易端末。
名前を呼べば接続する。
着信時には指輪が振動する。
複雑な画面もない。
機能はそれだけ。
発売された。
売り切れた。
追加生産した。
また売り切れた。
「なんでこんなに売れるんだよ」
開発した技術者本人が驚いていた。
エルフたちは指輪へ話しかける。
「アルベルト」
指輪が僅かに振動する。
『どうした?』
「明日の探索は予定通りか?」
『ああ。朝に東門だ』
「分かった」
通信が切れる。
遠く離れた相手と話せる。
それだけで、エルフ社会にとっては革命だった。
商人。
冒険者。
職人。
農民。
急速に普及していった。
映画への憧れから買った者も、数か月後には普通の生活道具として使っていた。
ただし。
その指輪から《イザナミ》へ接続することはできない。
アマテラスの基幹システムとは完全に別の民生通信網だからである。
あるエルフが蓮に尋ねた。
「蓮。この指輪からイザナミを呼べるのか?」
「無理」
「なぜだ?」
「繋がってないから」
「お前はイザナミと話しているだろう」
「俺が使ってるのはそれじゃない」
エルフは自分の指輪を見る。
「同じナノマシンを使っているのではないのか?」
「使ってる部分はある。でも権限も通信網も別物。これは人と人が話すための道具」
「百個あれば?」
「数の問題じゃねぇよ」
蓮はため息をついた。
数千年前の映画一本が、なぜかEDENの通信文化を変えつつあった。
◇
それから、しばらく経った。
映画の騒ぎも落ち着き始めた頃。
蓮は久しぶりにダンジョンへ向かった。
入口付近で待っていると、聞き慣れた声がした。
「蓮!」
「おう」
振り向いた。
蓮の動きが止まった。
「…………」
アルベルトが歩いてくる。
長めの金髪。
緑を基調とした軽装。
革製の腕当て。
背中には弓。
腰には短剣。
「待たせたか?」
「…………」
「蓮?」
「いや」
「どうした?」
「なんでもない」
アルベルトは装備を確認する。
「最近、新しい装備に替えたんだ」
「……そうなんだ」
「動きやすいぞ」
「へえ」
「特にこの腕当てがいい。弦が当たらない」
「へえ……」
「蓮も使うか?」
「俺はいいかな」
蓮はそれ以上何も言えなかった。
二人はダンジョンへ入った。
◇
しばらく進むと魔物が現れた。
アルベルトが弓を構える。
一射。
命中。
すぐに次の矢。
二射。
さらに三射。
魔物が倒れる。
「どうだ?」
アルベルトが振り返った。
「…………」
「蓮?」
「いや」
「さっきから何なんだ?」
「なんでもない」
本当に何も言えなかった。
似合っている。
しかも普通に強い。
余計に何も言えない。
◇
探索を終え、二人は街へ戻った。
途中、若いエルフの女性たちとすれ違った。
一人がアルベルトを見る。
「あ……」
もう一人も見る。
「似てない?」
「似てる」
「格好いい……」
アルベルトが振り返った。
「何だ?」
「知らなくていい」
蓮が言った。
「何の話だ?」
「本当に知らなくていい」
「?」
アルベルトは首を傾げた。
蓮は空を見上げた。
地球では、とっくの昔に古典になっていた映画だった。
それが数千年後。
本物のエルフたちを熱狂させ。
指輪を流行らせ。
通信技術まで普及させ。
そして今。
目の前には、映画から抜け出してきたような格好のアルベルトがいる。
「……影響されすぎだろ」
「何がだ?」
「なんでもない」
蓮は最後まで教えなかった。
――第八十話 リング・オブ・ザ・フォールン 了




