第79話 これじゃねぇなぁ
人類居住地の商業区。
昼時になると、通りには人間だけでなく、エルフやダークエルフの姿も増える。
人類が目覚めてからまだそれほど長い年月が経ったわけではない。それでも食文化の混ざり方だけは早かった。
人間が持ち込んだ料理をエルフが覚え、エルフの食材を人間が使う。どちらが元祖なのか分からなくなった料理も、すでにいくつかある。
その代表格が《ラァメン》だった。
地球のラーメンを起源としながら、エルフたちの間で独自に変化した料理である。
そして、そのラァメンを腹いっぱい食わせることで人気になった店があった。
《ラァメンマシマシ屋》。
太い麺。
濃いスープ。
山のような野菜。
分厚い肉。
腹を空かせた客に、とにかく大量に食わせる。
それが、この店の始まりだった。
◇
「魔王印・灼熱肉マシ一つ!」
「はいよ!」
「真・大魔王ラァメン、全部マシ!」
「野菜もか!」
「当然だ!」
「海山究極ラァメン二つ!」
「少し待て!」
店内は今日も繁盛していた。
壁には所狭しと品書きが貼られている。
《魔王印・濃厚肉マシラァメン》
《魔王印・灼熱》
《魔王印・海と山》
《真・大魔王ラァメン》
《魔王印・極》
《超魔王印・天地海山究極全部マシ》
いつからこうなったのか。
エルフの店主自身にも、よく分からなくなっていた。
店が流行った。
客が増えた。
新しい食材も次々と入ってきた。
REGULATORの工場から供給される《魔王印》の培養肉や野菜は品質がいい。ならば使った。
海エルフとの交易で珍しい魚介が入るようになった。ならば入れた。
ダークエルフの山岳地帯から香草やキノコが運ばれてきた。面白そうなので入れた。
客から辛いものが欲しいと言われれば辛くした。
もっと濃くと言われれば濃くした。
肉を増やせと言われれば増やした。
人気のあるものと人気のあるものを組み合わせれば、もっと人気が出る。
美味いものと美味いものを合わせれば、もっと美味くなる。
そう考えているうちに、最初は数種類しかなかった品書きが壁一面を埋めるようになった。
それでも客は来る。
繁盛している。
だから間違ってはいない。
店主はそう思っていた。
◇
入口の扉が開いた。
「いらっしゃ――」
店主の声が途中で止まった。
一人の男が入ってきた。
人間だった。
派手さのない服装。
愛想がいいわけでもない。
男は店内を見回すこともなく、空いていたカウンター席へ座った。
「……師匠」
店主が小さく呟いた。
隣にいた若いエルフの店員が首を傾げる。
「誰です?」
「地球屋の店主だ」
「ああ」
《地球屋》。
人類居住地にあるラーメン専門店である。
主力は、地球で家系と呼ばれていたラーメン。
濃厚な豚骨醤油のスープ。
太めの麺。
海苔。
青菜。
肉。
そこへ客の好みに応じて、麺の硬さ、味の濃さ、油の量を変える。
ライスと一緒に食べる者も多い。
エルフたちの《ラァメン》とは違う。
だがマシマシ屋の店主にとって重要なのは、そこではなかった。
地球屋の店主は、地球にラーメンという料理が普通に存在していた時代を知っている人間だった。
そして現在も、自分のラーメンを作っている料理人である。
マシマシ屋の店主は、勝手に彼を師匠だと思っていた。
もちろん弟子入りしたことはない。
料理を教えてもらったこともない。
そもそも、地球屋の店主本人はそんなことを知らない。
「何しに来たんでしょう」
「食いに来たに決まっている」
「普通に昼飯では?」
「黙っていろ」
地球屋の店主は壁の品書きを見ていた。
長い。
しばらく見た後、一番大きく書かれた品を指差した。
「これ」
店員が確認する。
「超魔王印・天地海山究極全部マシですね?」
「ん」
「一つ!」
注文が厨房へ通る。
マシマシ屋の店主が前へ出た。
「俺が作る」
店員が少し呆れた顔をした。
「いつも店主が作ってるでしょう」
「今日は違う」
「何が?」
「師匠が食う」
「弟子じゃないでしょう」
「黙っていろ」
◇
店主は麺を茹でた。
スープを仕上げる。
大量の野菜。
魔王印の培養肉。
海エルフから仕入れた魚介。
山岳地帯のキノコ。
香草。
辛味油。
発酵調味料。
半熟卵。
肉を重ね、その上へ野菜を盛る。
さらに魚介。
キノコ。
香草。
最後に特製の油を回しかける。
巨大な丼の上に、食材の山ができた。
「お待たせしました」
地球屋の店主の前へ置く。
男は丼を見た。
「…………」
何も言わない。
箸を取った。
まずスープ。
麺。
野菜。
肉。
魚介。
キノコ。
また麺。
マシマシ屋の店主は厨房からじっと見ていた。
「どうなんでしょうね」
若い店員が小声で言った。
「静かにしろ」
「でも何も言いませんよ」
「食ってる途中だ」
地球屋の店主は黙々と食べ続けた。
途中で首を傾げることもない。
顔をしかめることもない。
だから余計に分からない。
山のように盛られていた野菜が減っていく。
麺がなくなる。
肉も魚介も消える。
最後に男は丼を持ち上げ、残ったスープを飲んだ。
空になった丼を置く。
完食だった。
マシマシ屋の店主は待った。
地球屋の店主は空になった丼をしばらく見た。
そして、小さく言った。
「……これじゃねぇなぁ」
「…………」
店主が固まった。
男はそれ以上何も言わなかった。
席を立つ。
代金を置く。
「ごっそさん」
そのまま店を出ていった。
◇
「…………」
マシマシ屋の店主は空の丼を見ていた。
「店主」
「…………」
「完食してましたよ」
「分かっている」
「スープまで」
「見ていた」
「不味かったわけじゃないんでしょう」
「だろうな」
「ならいいじゃないですか」
「よくない」
店主は空になった丼を持ち上げた。
「これじゃないと言われた」
「何が?」
「分からん」
「聞けばよかったでしょう」
店主が店員を見る。
「馬鹿者」
「なぜです?」
「師匠は答えを教えない」
「だから、いつ弟子入りしたんです?」
「していない」
「だったら師匠じゃないでしょう」
「師匠だ」
若い店員は黙った。
どうやら説明しても無駄らしい。
◇
その夜。
営業を終えた後も、店主は厨房に残った。
昼間と同じラァメンを作る。
食べる。
「…………」
美味い。
肉はいい。
野菜もいい。
魚介も悪くない。
キノコにも旨味がある。
香草も合っている。
辛味も効いている。
それぞれは美味い。
翌日。
配合を変えた。
違う。
魚介を増やした。
違う。
辛味を減らした。
違う。
スープを濃くした。
違う。
魔王印の肉を増やした。
違う。
何をしても、頭の中にあの一言が残る。
――これじゃねぇなぁ。
「……何が違う」
答えは出なかった。
◇
数日後。
倉庫を整理していた店主は、棚の奥から古い丼を見つけた。
店を始めた頃に使っていたものだった。
今の丼より小さい。
縁には欠けたところを直した跡がある。
店主は手を止めた。
まだマシマシ屋が一店舗しかなかった頃。
客も少なかった。
地球から来た人間たちが食べているラーメンという料理を知り、自分でも作ってみた。
最初は酷いものだった。
それでも少しずつ改良した。
ある日、腹を空かせた客が言った。
「もっと麺が欲しい」
増やした。
「野菜も」
増やした。
「肉も増やせるか?」
増やした。
気づけば丼の上に山ができていた。
客は笑っていた。
「こいつはいい」
腹いっぱいになって帰っていった。
次の日、その客が友人を連れてきた。
また増やした。
さらに客が来た。
もっと増やした。
誰かが言った。
「全部マシで」
いつしか、それが店の売りになった。
ラァメンマシマシ屋。
珍しいものを食わせる店ではなかった。
高級なものを食わせる店でもなかった。
腹を空かせた奴に、美味いラァメンを腹いっぱい食わせる。
それだけだった。
「…………」
店主は古い丼を持ったまま厨房へ戻った。
◇
麺を打つ。
スープを作る。
野菜を茹でる。
肉を切る。
魚介へ手を伸ばしかけた。
止める。
「いらん」
香草を見る。
「いらん」
珍しいキノコ。
「これもいらん」
辛味油。
少し考える。
戻した。
魔王印の肉と野菜は使った。
品質がいいからだ。
ブランド名を看板へ書く必要はない。
美味い材料なら使えばいい。
それだけだった。
昔とまったく同じものを作るつもりもなかった。
あの頃より麺の扱いは上手くなった。
スープも良くなった。
肉の仕込みも変わった。
昔へ戻る必要はない。
ただ、何を食わせたかったのかを思い出せばいい。
出来上がった一杯を自分で食べる。
太い麺。
濃いスープ。
大量の野菜。
厚い肉。
それだけ。
一口。
二口。
スープ。
肉。
また麺。
店主は箸を止めた。
「……これだ」
◇
翌日。
壁一面を埋めていた品書きが消えた。
《魔王印・灼熱》
ない。
《真・大魔王》
ない。
《海と山》
ない。
《超魔王印・天地海山究極全部マシ》
ない。
代わりに大きく書かれていた。
《マシマシラァメン》
麺マシ。
野菜マシ。
肉マシ。
全部マシ。
以上。
「ずいぶん減らしましたね」
若い店員が言った。
「ああ」
「魔王印は?」
「肉と野菜はそうだ」
「名前に書かないんですか?」
「いらん」
「海の幸は?」
「いらん」
「山の幸は?」
「いらん」
「究極は?」
「知らん」
「大魔王は?」
「もっといらん」
店員が笑った。
「最初に戻ったみたいですね」
店主は首を振った。
「違う」
「?」
「戻ったんじゃない」
新しいスープの鍋を見る。
「やり直したんだ」
◇
それから数日後。
昼時を少し過ぎた頃だった。
入口の扉が開く。
若い店員が顔を上げた。
「いらっしゃ――」
止まった。
地球屋の店主だった。
厨房にいたエルフの店主も気づく。
「……師匠」
男はいつも通り何も言わない。
カウンター席へ座った。
壁を見る。
品書きは一つしかない。
地球屋の店主はそれを指差した。
「これ」
「マシマシラァメン一つ!」
店主が厨房の前へ出た。
「俺が作る」
「だから、いつも店主が作ってますって」
「今日は黙っていろ」
「はいはい」
麺を茹でる。
スープを注ぐ。
野菜を盛る。
肉を乗せる。
余計なものは入れない。
だが、手は抜かない。
店を始めた頃より、ずっと丁寧に作った。
「お待たせしました」
地球屋の店主の前へ置く。
男は箸を取った。
一口。
何も言わない。
麺を食べる。
スープ。
野菜。
肉。
また麺。
エルフの店主は厨房から黙って見ている。
やがて麺がなくなった。
野菜もなくなった。
肉もなくなった。
最後にスープを飲む。
空になった丼が置かれた。
「…………」
エルフの店主は待った。
地球屋の店主が立ち上がった。
代金を置く。
そして一言だけ。
「うまいじゃん」
「…………!」
「ごっそさん」
それだけ言って帰っていった。
扉が閉まる。
エルフの店主は、しばらく動かなかった。
「店主?」
「…………」
「どうしました?」
「認められた」
「何がです?」
店主は空になった丼を見る。
「俺のラァメンがだ」
若い店員も丼を見る。
「師匠に?」
「ああ」
「確認しますけど、弟子入りしたことは?」
「ない」
「地球屋で修業したことは?」
「ない」
「料理を教えてもらったことは?」
「ない」
「向こうは店主を弟子だと思ってるんですか?」
「知らん」
「そもそも師匠って呼んでること、知ってるんですか?」
「知らん」
若い店員はしばらく考えた。
「じゃあ、なんで師匠なんです?」
店主は当然のように答えた。
「師匠だからだ」
「……そうですか」
もう聞かないことにした。
◇
同じ頃。
地球屋の店主は自分の店へ戻っていた。
店先には《地球屋》とだけ書かれた看板。
中へ入る。
厨房では豚骨醤油のスープが湯気を上げていた。
太めの麺。
海苔。
青菜。
肉。
いつもの家系ラーメン。
店主は黙って仕込みを始めた。
マシマシ屋のことを誰かに話すこともなかった。
弟子ができたなどとは、もちろん思っていない。
ただ。
今日食べた一杯を思い出しながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……あれなら、また食ってもいいな」
それだけだった。
――第七十九話 これじゃねぇなぁ 了




