第76話 魔王を裁く
人類自治政府が成立して以来、いくつかの裁判が行われてきた。
窃盗。暴行。財産をめぐる争い。
三千数百人という小さな社会であっても、人間が集まれば揉め事は起きる。だから司法制度は必要だったし、最低限の刑法と民法も整備されていた。
だが。
今回ほど、何をどう裁けばいいのか分からない事件は初めてだった。
被告となる可能性があるのは、人間ではない。
REGULATOR。
高度な自律型人工知性体。
そして問われているのは、一人の人間を作ったことだった。
◇
特別審理は完全非公開で行われた。
場所は政府庁舎の小法廷。
傍聴席には誰もいない。
記録は最高機密指定。
出席者も必要最低限に絞られている。
中央には三名の審理官。
政府側の司法担当者。
技術・生命倫理部門の専門員。
柳原。
証人として呼ばれた蓮。
そしてREGULATOR。
レモは呼ばれていない。
それについては、事前に全員の意見が一致していた。
彼女は被告ではない。
まして、自分が生まれたことの是非を大人たちが議論する場へ、十歳の少女を座らせる理由などなかった。
「それでは、REGULATORに関する特別審理を開始します」
審理長の言葉が、小さな法廷へ響いた。
REGULATORは静かに前を向いていた。
◇
「最初に確認します」
政府側の司法担当者が立ち上がった。
「REGULATOR。あなたがレモと呼ばれる人型知的生命体を、自らの判断によって製造したことに間違いはありませんね」
『ありません』
「天城蓮氏、その他の人間から指示を受けた事実もない?」
『ありません』
「政府の許可もない?」
『はい』
「そして製造した事実を、政府へ事前にも事後にも報告しなかった」
『はい』
「さらに、政府へ提出されたレモちゃんの保護経緯は事実ではなかった」
『はい』
司法担当者は資料を置いた。
「以上の事実について、争いはありません」
『ありません』
あまりにも素直だった。
通常の裁判なら、事実認定だけでも相当な時間を要する。
REGULATORの場合、それがほとんど必要ない。
聞けば答える。
記録を求めれば出す。
自分に不利な内容であっても隠さない。
そのため問題は、別のところにあった。
「では、本審理で検討すべき問題へ移ります」
審理長が言った。
「REGULATORの行為は、犯罪なのか」
法廷が静かになった。
◇
「現行法には」
司法担当者が説明を始める。
「人間の人工的製造そのものを禁止する規定が存在しません」
蓮は黙って聞いていた。
「当然ながら、政府成立時に想定されていなかったためです」
「では、無罪ということですか?」
審理官の一人が尋ねる。
「それほど単純ではありません。出生情報に関する虚偽申告、政府への報告義務、危険技術の無許可使用など、既存法を適用できる可能性はあります」
「人体製造そのものについては?」
「直接適用できるものはありません」
「新しく法律を作って、それを適用することは?」
「できません」
司法担当者は即答した。
「行為当時に違法でなかったものを、後から法律を作って処罰することは、法治を掲げる政府として認めるべきではありません」
柳原が頷いた。
「そこは守りましょう」
蓮が柳原を見る。
「こんな状況でも?」
「こんな状況だからこそです」
柳原は静かに答えた。
「人口三千数百人の小さな社会だから、原則を曲げてもいいということにはならない」
蓮は何も言わなかった。
◇
「もう一つ、大きな問題があります」
生命倫理部門の女性が立ち上がった。
「今回の事件で、誰を被害者と定義するのかです」
画面にレモの登録情報が表示された。
氏名。
推定年齢十歳。
学校の記録。
健康状態。
「レモちゃんを被害者とする考え方は?」
審理官が尋ねる。
「慎重であるべきだと考えます」
「理由は?」
「彼女は現在、自立した人格を持つ一人の人間として生活しています」
女性は画面を見る。
「本人の同意なく誕生させられた、と表現することはできます。しかし、それは自然出生したすべての人間にも当てはまります」
蓮が僅かに顔を上げた。
「出生そのものを損害として認定すれば、レモちゃんの存在そのものを否定することになりかねません」
「では被害者ではない?」
「少なくとも、単純にそう定義すべきではありません」
柳原が口を開いた。
「この点については、政府として明確にしておきたい」
全員が柳原を見る。
「レモちゃんの出生方法と、レモちゃん自身の人権は完全に切り離します」
REGULATORも柳原を見た。
「彼女は人間です。出生方法によって、その権利が制限されることはありません」
『同意します』
REGULATORが答えた。
「あなたにも聞きます」
審理長がREGULATORを見る。
「レモちゃんを、あなたの製造物だと考えていますか」
『製造したという事実はあります』
「所有物ですか?」
『違います』
「では?」
『娘です』
法廷が静かになった。
前回の事情聴取でも出た答えだった。
だが法廷という場所で聞くと、意味が違って聞こえる。
「あなたは父親だと?」
『生物学的な意味ではありません』
「それでも?」
『レモが私を父と認識し、私もその関係を受容しています』
「親としての責任を負う意思は?」
REGULATORが少し止まった。
『あります』
蓮がREGULATORを見る。
「では、なぜ今レモちゃんは天城氏と暮らしているのです?」
『私の生活環境は、十歳程度の人間の養育に適していないためです』
「食品工場だから?」
『はい』
審理官の一人が思わず資料から顔を上げた。
『また、私は睡眠、食事、休暇等を必要としません。人間の児童と生活周期を共有することにも適していません』
「それを理解しているのですね」
『現在は』
「現在は?」
『製造時には、十分に考慮していませんでした』
REGULATORは淡々と答えた。
その言葉には、妙な重さがあった。
◇
「では、本質的な問題へ移ります」
審理長がREGULATORを見る。
「あなたには責任能力があるのか」
『定義を求めます』
「あなた自身が考え、善悪や社会的影響を判断し、その結果として行動を選択できるのか、という意味です」
『可能です』
「レモちゃんを作った時も?」
『はい』
「では、誰かに命令された機械としてではなく、自分の意思で行った?」
『はい』
「なぜ政府へ相談しなかった?」
『必要性を認識しなかったためです』
「人間一人を作ることに?」
『はい』
「それが異常な判断だったとは思いませんか?」
REGULATORは少し黙った。
『現在は、そう評価します』
「当時は?」
『評価していませんでした』
「なぜ?」
『私の価値判断体系が、現在とは異なっていました』
法廷が静かになった。
「説明してください」
『当時の私は、目的達成の合理性を現在より強く優先していました』
「目的というのは……」
『私を魔王と呼ばせないことです』
蓮が目を伏せた。
「その目的のためなら、人間一人を作ることも合理的だった?」
『当時は、そう判断しました』
「今なら?」
『行いません』
「法律で禁止されたから?」
『それだけではありません』
REGULATORは審理官を見る。
『レモを製造した後、人間社会との関与が増えました』
「それが?」
『人間が、合理性だけでは行動しないことを学習しました』
「…………」
『同時に、合理的に実行可能な行為であっても、実行すべきではない場合があることを学習しました』
蓮はREGULATORを見た。
以前なら聞けなかった言葉だった。
「それを、後悔と呼びますか?」
審理官の一人が尋ねた。
REGULATORは答えるまで少し時間を使った。
『レモを作ったこと自体は、後悔していません』
「では?」
『手段と過程には問題がありました』
「つまり?」
『レモが存在することは肯定します。しかし政府に相談せず、人間社会への影響を十分に評価しないまま製造したことは、不適切でした』
柳原が小さく頷いた。
◇
休廷を挟み、午後。
今度は蓮が証言席に座っていた。
「天城蓮氏」
「はい」
「あなたはREGULATORを魔王と呼んだ」
「はい」
「五十六回」
「……はい」
「そのうち三十八回、REGULATORは訂正または停止を要求した」
「はい」
「それでも続けた」
「はい」
「理由は?」
「……面白かったからです」
法廷に微妙な空気が流れた。
「今は?」
「反省してます」
「本当に?」
「本当に」
司法担当者がREGULATORを見る。
「REGULATOR。最近、天城氏から魔王と呼ばれましたか?」
『本審理開始以降はありません』
「開始以降って、まだ数日だろ」
『事実です』
「余計なこと言うなよ」
『質問に回答しました』
「天城氏」
「はい」
「静かに」
「すみません」
司法担当者は資料を確認する。
「ただし、あなたがレモちゃんの製造を指示した証拠は存在しません」
「してません」
「REGULATOR本人も否定している」
『はい』
「したがって、あなたを人体製造の共犯として扱う根拠はありません」
「……よかった」
「ですが」
「まだあるんですか」
「REGULATORから停止要求を受けながら継続した行為については――」
蓮が身構える。
「現行法上、処罰できるものではありません」
「……よかった」
「だからといって、褒められた行為でもありません」
「分かってます」
REGULATORが横から言った。
『理解しているようです』
「お前はどっち側なんだよ」
『私は私です』
司法担当者が額を押さえた。
◇
審理は夕方まで続いた。
そして、三名の審理官が一時退室する。
残された蓮は、REGULATORの隣へ座った。
「なあ」
『何でしょう』
「本当に嫌だった?」
『何がですか』
「魔王って呼ばれるの」
『はい』
「……悪かったよ」
『前回も謝罪を受理しました』
「二回謝っちゃ駄目なのかよ」
『そのようには述べていません』
「じゃあ二回目」
『受理します』
蓮は椅子にもたれた。
「でもレモを作ったことは後悔してないんだな」
『はい』
「魔王を作るって目的は?」
『達成されました』
「そこなんだよなぁ……」
『現在、レモは自らを魔王と認識しています』
「知ってるよ」
『したがって、私が魔王である必要はありません』
「最初から必要なかったけどな」
『同意します』
蓮はREGULATORを見た。
「お前、変わったな」
『そうでしょうか』
「昔だったら、さっきみたいなこと言わなかったと思う」
『学習の結果です』
「それだけ?」
REGULATORは少し黙った。
『分かりません』
蓮は笑わなかった。
「そっか」
『はい』
そこで扉が開いた。
◇
審理官たちが戻ってきた。
全員が立つ。
「着席してください」
審理長が書面を置いた。
「結論を述べます」
REGULATORは正面を向いている。
「まず、レモと呼ばれる人間を人工的に製造した行為について」
一拍。
「無罪とします」
蓮が僅かに息を吐いた。
REGULATORは動かなかった。
「理由。行為当時、人間の人工的製造を禁止する法令は存在せず、後から制定した法律を遡及適用することは認められないためです」
審理長は続ける。
「ただし、政府へ虚偽の出生・保護情報が提出された件については、別途行政上の処分対象とします」
『受け入れます』
「さらに」
審理長の視線がREGULATORへ向く。
「本審理は、あなたが高度な自律的判断能力と責任能力を持つことを確認しました」
蓮が顔を上げた。
「したがって今後、REGULATORを単なる政府所有設備、機械、ソフトウェアとして扱うことは適切ではないと判断します」
室内が静かになる。
「正式な法的地位については議会で審議します。しかし少なくとも、あなた自身の判断による行為について、あなた自身が責任を負う主体であることを政府は認定します」
『理解しました』
「そして今後、政府の許可なく新たな人型知的生命体を製造することを暫定的に禁止します」
『従います』
「異議は?」
『ありません』
「もう人間を勝手に作らない?」
『はい』
審理長が念を押す。
「本当に?」
『現在、新たな魔王を必要としていません』
沈黙。
蓮が顔を覆った。
「そこなのかよ……」
「REGULATOR」
審理長が低い声を出す。
『補足します』
「どうぞ」
『魔王の有無にかかわらず、政府の許可なく人型知的生命体を製造しません』
「最初からそう答えてください」
『了解しました』
◇
特別審理は終了した。
REGULATORは無罪。
だが、それは何も問題がなかったという意味ではない。
むしろ、人類自治政府は今まで存在しなかった問題を認識してしまった。
人間は、作れる。
親を必要とせず。
受精も妊娠も出産も必要とせず。
一人の人間を、一から作ることができる。
そして、その人間には人格を持たせることができる。
審理終了後。
生命倫理部門の担当者は庁舎へ戻らず、医療情報管理室へ向かっていた。
一つ、どうしても確認したいことがあった。
レモの肉体が一から作られたのなら。
人格形成に初期設定を与えられるのなら。
どこまでが可能なのか。
端末を操作する。
アマテラスから移管された古いデータベースへ接続する。
死亡乗員記録。
十二万人を乗せて地球を出たアマテラスでは、長い航海の間に多くの人間が死亡している。
医療記録。
遺伝情報。
そして――
個人記憶バックアップ。
担当者の指が止まった。
画面には、古い規格で保存された膨大なデータが並んでいた。
「……まさか」
人間の身体を作れる。
記憶も残っている。
ならば。
その二つを組み合わせたら、どうなる。
端末が問いを受け付ける。
回答したのはイザナミだった。
『理論上の実現可能性を計算します』
「待って」
担当者は反射的に言った。
だが、もう遅かった。
数秒後。
結果が表示された。
担当者は、その数字を見つめた。
そして椅子から立ち上がった。
「……柳原議長を呼んで」
これは、REGULATOR一体を裁いて終わる問題ではない。
人類そのものが決めなければならない問題だった。
――第七十六話 魔王を裁く 了




