第75話 非公開事情聴取
REGULATORに対する事情聴取は、公開されなかった。
そもそも、人類自治政府には「高度自律型人工知性体が無許可で人間を一人製造した場合」を想定した手続きなど存在していない。
司法担当者ですら、今回の件を刑事事件として扱うべきなのか、それとも行政上の重大違反として扱うべきなのか、判断しかねていた。
それでも、何が起きたのかを確認しなければならない。
そのため、政府庁舎の一室が臨時の事情聴取室として使われることになった。
出席者は最小限に絞られている。
議長の柳原。
司法担当者二名。
政府の技術・倫理部門から三名。
天城蓮。
そして、REGULATOR。
記録はすべて最高機密指定。
外部への公開は禁止。
レモ本人には、何も知らされていなかった。
◇
REGULATORは、用意された椅子に座っていた。
人間のための椅子である。
座る必要があるのかどうかは誰にも分からなかったが、立たせたまま事情聴取するのも妙なので、とりあえず座ってもらっている。
REGULATOR本人は何も気にしていないようだった。
『開始して構いません』
柳原が司法担当者を見る。
「では始めましょう」
最初に口を開いたのは、司法担当の男性だった。
「REGULATOR。確認します。レモちゃんを製造したのは、あなたですね」
『はい』
迷いはない。
「政府の許可は取得しましたか」
『いいえ』
「当時、政府へ事前相談は?」
『行っていません』
「天城蓮さんから指示を受けましたか」
『いいえ』
「助言は?」
『ありません』
蓮が僅かに姿勢を直した。
「つまり、レモちゃんを作るという決定は、あなた自身が行った?」
『はい』
「誰かの命令ではなく?」
『はい』
「外部から強制されたわけでもない?」
『はい』
司法担当者は一度、手元の資料へ目を落とした。
「では、製造目的について聞きます」
『どうぞ』
「なぜレモちゃんを作ったのですか」
『魔王が必要だったためです』
室内に奇妙な沈黙が落ちた。
すでに前回の報告書で内容は把握している。
それでも、本人の口から改めて聞くと異様だった。
「その、魔王が必要だった理由は?」
『私が魔王と呼ばれていたためです』
司法担当者がゆっくり蓮を見る。
「誰に?」
『蓮です』
全員の視線が蓮へ集まった。
「……はい」
蓮が小さく答えた。
「天城さん。事実ですか」
「魔王って呼んだのは事実です」
「一度や二度ではない?」
蓮が何か言うより早くREGULATORが答えた。
『五十六回です』
「…………」
蓮がREGULATORを見る。
「そこ即答する?」
『記録されています』
「いや、分かってるけど」
「五十六回」
柳原が繰り返した。
「そんなに呼んだんですか?」
「俺も聞いた時ちょっと驚きました」
「あなたが驚くところではないでしょう」
「ですよね」
司法担当者が続ける。
「REGULATOR。五十六回というのは、すべて同じ呼称ですか」
『「魔王」「魔王様」および、それらと同義の表現を含みます』
「訂正を要求したことは?」
『あります』
「何回?」
『三十八回です』
蓮の顔が僅かに引きつった。
「そこまで記録してるの……」
『はい』
「三十八回もやめてほしいと言われたのに、続けた?」
柳原が尋ねる。
「……はい」
「なぜ?」
「面白かったから……」
言った瞬間、蓮自身がまずいと思ったらしい。
「いや、その時はこんなことになると思ってなくて」
柳原が額を押さえた。
「当然でしょう。普通は人間を一人作るところまで行きません」
「ですよね」
「REGULATOR。記録を一部再生できますか」
『可能です』
「最初期のものを」
『了解しました』
室内に、過去の蓮の声が流れた。
『よう、魔王』
『私は魔王ではありません』
『でもやってること魔王じゃん』
『違います』
『はいはい、魔王様』
『訂正を要求します』
記録が止まった。
誰もすぐには口を開かなかった。
司法担当者が蓮を見る。
「このようなやり取りが」
『複数回あります』
「REGULATOR、俺に聞いてるから」
『事実関係を補足しました』
「補足しなくていい」
「では」
柳原がREGULATORへ向き直る。
「あなたは、魔王と呼ばれることを本当に嫌がっていた?」
『はい』
「なぜ?」
REGULATORは即答しなかった。
ほんの僅かな間だった。
『私はREGULATORです』
「はい」
『この惑星環境を管理し、安定化させるために設計された存在です』
「それが?」
『魔王という呼称は、私の存在目的と一致しません』
室内の空気が少し変わった。
『私は破壊を目的としていません』
「過去には、多くの命を奪っています」
倫理部門の女性が言った。
『認識しています』
「それでも、自分は魔王ではないと?」
『はい』
「なぜ」
『実行した行為と、設計された存在目的は別です』
誰も軽口を挟まなかった。
『私は自分を魔王とは認識していません。その呼称を継続的に与えられることを不快と判断しました』
「不快」
柳原がその言葉を繰り返した。
「あなたは、不快という感情を持つ?」
『現在は、その表現が最も近いと判断します』
司法担当者が小さく息を吐いた。
これは単なる機械の誤作動を調べる場ではない。
その認識が、少しずつ全員の中で強くなっていた。
◇
「では、なぜ別の魔王を作れば解決すると考えたのですか」
司法担当者が尋ねた。
『問題を分析しました』
「問題というのは?」
『蓮が私を魔王と呼ぶことです』
「それをどう分析した?」
『私以外に、明確に魔王と認識される存在がいないことが一因であると判断しました』
「だから別の魔王を?」
『はい』
「既存の誰かでは駄目だった?」
『検討しました』
「本当に検討したんですね」
『はい』
「なぜ却下した?」
『本人が魔王という役割を継続的に受容する保証がありません』
「そこで新しい人間を一から作った」
『はい』
「自分から魔王を名乗るような?」
『正確には、魔王という役割に肯定的な人格傾向を初期設定しました』
「人格そのものを作った?」
『初期傾向を設定しました』
「違いは?」
『現在のレモの人格は、その後の経験、学習、人間関係によって形成されています』
美冬の名前は出ていない。
学校。
友人。
蓮との生活。
ハムちゃん。
そのすべてを経て、今のレモがいる。
「では、現在のレモちゃんはあなたが設計した通りの人格ではない?」
『はい』
「どの程度、予想外です?」
REGULATORは少し黙った。
『非常に』
蓮が吹き出しそうになったが、耐えた。
「具体的には?」
『バハムート・ディザスター・カタストロフィを「ハムちゃん」と呼ぶ行動は予測していませんでした』
今度は柳原まで一瞬目を閉じた。
「そこは今、重要ではありません」
『了解しました』
「ただ」
司法担当者が続ける。
「あなたはレモちゃんを、自分の所有物だと思っていますか」
『いいえ』
「製造物では?」
『製造しました』
「なら所有権を主張できると?」
『できません』
「なぜ?」
『人格を持つ独立個体だからです』
「では、あなたにとってレモちゃんとは?」
少しだけ間があった。
『娘に相当する存在です』
蓮がREGULATORを見る。
柳原も僅かに表情を変えた。
「だからレモちゃんは、あなたを父上と呼ぶ?」
『はい』
「あなたも、それを受け入れている?」
『はい』
「拒否したことは?」
『ありません』
「魔王は嫌なのに、父上はいい?」
『はい』
蓮が小声で呟いた。
「そこはいいんだ……」
『はい』
「聞こえてたのかよ」
『聞こえています』
◇
「次に、天城さんへ確認します」
司法担当者が蓮を見る。
「はい」
「あなたはREGULATORにレモちゃんを作れと指示したことはありませんね」
「ありません」
「別の魔王を作れ、とも?」
「言ってません」
「人工人間を製造できること自体は知っていましたか」
「技術的には可能だと思ってました」
「REGULATORが?」
「REGULATORなら、身体そのものを作る技術は持ってるだろうとは」
「ではなぜ、魔王呼びを続けたんです?」
「だから……」
蓮は頭を掻いた。
「本当に、こんな解決方法を選ぶとは思わなかったんですよ」
「その点は理解できます」
柳原が言った。
「ですが、REGULATOR本人が何度も嫌がっていたことは?」
「……認識してました」
「では責任を感じますか」
蓮は少し黙った。
いつものように軽く流すことはしなかった。
「レモを作った責任は、REGULATOR自身にあると思います」
REGULATORは何も言わない。
「俺は作れとは言ってないし、そんなことをするなんて予想もしてなかった」
「では、あなたには責任がない?」
「……ゼロとは言えないです」
「なぜ?」
「嫌がってる相手を五十六回も弄ったから」
室内が少し静かになった。
「三十八回、やめろって言われて」
「はい」
「それでも?」
「はい」
蓮はREGULATORを見た。
「そこは悪かった」
『確認しました』
「それだけ?」
『謝罪として受理しました』
「……分かりやすいな」
『今後、魔王と呼ばないのであれば問題ありません』
「元魔王は?」
『不可です』
「魔王経験者」
『不可です』
「初代魔王」
『不可です』
「全部駄目か」
『はい』
柳原が咳払いした。
「その話は後にしてください」
◇
事情聴取は、さらに法的な問題へ移った。
「REGULATOR」
司法担当者が資料を閉じる。
「あなたは、自分の行為に責任を負える存在だと思いますか」
『質問を定義してください』
「人間社会の一員として、法に従う。違反した場合は審理を受け、必要であれば処分を受ける。その立場を受け入れられるか、という意味です」
REGULATORはすぐに答えなかった。
ほんの数秒。
機械知性にとって、それが長いのか短いのかは分からない。
『現在の私が、人間社会に継続的に関与するのであれば』
「はい」
『必要であると判断します』
「つまり?」
『法的責任主体として扱われることを受け入れます』
「所有物ではなく?」
『私は誰かの所有物ではありません』
「人間でもない」
『はい』
「では、何だと思っていますか」
『REGULATORです』
司法担当者が僅かに笑った。
「それは名前でしょう」
『同時に、私です』
誰もすぐには言葉を返さなかった。
◇
「問題があります」
もう一人の司法担当者が発言した。
「現在の法律には、今回の行為を直接禁止する条文がありません」
柳原が頷く。
「承知しています」
「無許可で人間を製造する、という行為自体が想定されていません」
「当然でしょうね」
「さらにREGULATORが法的人格を持つかどうかも、明文化されていない」
蓮がREGULATORを見る。
「じゃあ、裁けない?」
「簡単には言えません」
「事後法で罰するわけにもいかない」
柳原が言った。
「法治を名乗るのであれば、それは避けるべきでしょう」
「では無罪?」
「まだ審理すらしていません」
「そうか」
「それに」
司法担当者は資料へ視線を落とした。
「今回の件で、誰を被害者と定義するのかも難しい」
室内が静かになった。
「レモちゃんを被害者とする?」
「それは……」
蓮が反応した。
「俺は嫌だな」
「私もです」
柳原もすぐに答えた。
「レモちゃん自身を『発生してはならなかった結果』として扱うことはしません」
REGULATORが僅かに顔を上げた。
「彼女は今、生きている」
柳原は続ける。
「学校へ行き、友人を作り、自分の意思で生活している。出生の方法が問題であっても、存在そのものを問題にはしない」
『同意します』
REGULATORが答えた。
「ただし」
柳原がREGULATORを見る。
「だから、あなたの行為が正しかったということにもならない」
『理解しています』
「本当に?」
『現在は理解しています』
「当時は?」
『十分ではありませんでした』
柳原はしばらくREGULATORを見ていた。
やがて頷いた。
◇
二時間以上続いた事情聴取は、結論を出さないまま終了した。
最後に柳原が宣言した。
「この場で処分を決定することはしません」
全員が静かに聞く。
「REGULATORの法的地位、今回の行為への既存法の適用可能性、人工人格および人工的人体製造に関する問題を整理した上で、非公開の特別審理を設置します」
蓮が小さく手を挙げた。
「俺も出る?」
「当然です」
「ですよね」
「証人として」
「被告じゃないだけマシか」
「場合によっては、あなたの行為についても行政上の検討はします」
「え」
「五十六回」
「……はい」
REGULATORが蓮を見る。
『三十八回、訂正を要求しました』
「今それ言う?」
『記録です』
「もう分かったって」
「以上です」
柳原が立ち上がった。
「今日の内容は、ここにいる者だけに留めてください」
「レモちゃんには?」
誰かが尋ねた。
柳原は少し考えた。
「まだ話しません」
蓮が顔を上げる。
「理由は?」
「我々自身が、何をどう説明すべきなのか整理できていないからです」
「……分かりました」
「ただし、永遠に隠すという意味ではありません」
蓮は頷いた。
「いつかは本人にも話さないといけない」
「はい」
その言葉だけが、妙に重かった。
◇
庁舎を出ると、空は夕方の色に変わっていた。
蓮は一人で中央広場へ向かった。
遠くからでも、巨大なドラゴンはすぐに分かる。
ハムちゃん。
その首の付け根に、小さな人影が乗っていた。
「もっと上なのじゃ!」
「グオオオオッ!」
「おい! 街の上では低く飛べ!」
蓮の声など気にも留めず、ハムちゃんが大きく旋回する。
レモの笑い声が空から降ってくる。
「ふはははは! 見よレン! 妾は今日も空を支配しておるぞ!」
「はいはい!」
「返事が雑じゃ!」
蓮は空を見上げた。
事情聴取。
人工的人体。
法的人格。
責任。
審理。
大人たちは、レモがどうやって生まれたのかを巡って難しい言葉を並べている。
当の本人は、そんなことを何も知らない。
ただ楽しそうに笑っている。
そこへ庁舎から出てきた柳原が追いついた。
「楽しそうですね」
「ですね」
二人で空を見る。
「柳原さん」
「何です?」
「一つだけ」
「はい」
「レモは、何も悪くないですよね」
柳原はすぐに答えた。
「もちろんです」
蓮は少しだけ安心したように息を吐いた。
「そこだけは、最初に決めておきましょう」
「はい」
空では、レモがハムちゃんの首を叩いている。
「ハムちゃん! もう一周なのじゃ!」
「グルルル!」
「駄目だ! 帰ってこい!」
「聞こえぬのじゃー!」
「絶対聞こえてるだろ!」
蓮が叫ぶ。
柳原は、その様子を見ながら僅かに笑った。
非公開の特別審理は、数日後に開かれることになった。
その頃には、人類自治政府はさらに一つ、もっと重大な問題に気づくことになる。
レモという一人の少女を作ることができた。
ならば。
新しい身体へ、別の誰かの記憶を入れることもできるのではないか。
その問いが社会へ出た時、今回の問題などまだ入口にすぎなかったと、彼らは知ることになる。
――第七十五話 非公開事情聴取 了




