第74話 魔王の父上
レモがREGULATORを「父上」と呼んでいることは、別に秘密ではなかった。
「美冬、父上は今日も工場におるのか?」
学校からの帰り道、レモが唐突に尋ねた。
「父上?」
「REGULATORじゃ」
「ああ、そっちね」
「そっちとは何じゃ。父上は父上じゃぞ」
美冬は少し笑った。
「魔王の父上なんでしょ?」
「その通りじゃ。妾は魔王。ゆえに父上は魔王の父上なのじゃ」
「はいはい」
「その返事は信じておらぬな!」
「信じてるって」
「では目を見て言うのじゃ!」
「はいはい、信じてます」
「二回はいはいと言ったぞ!」
そんな会話は、一度や二度ではなかった。
美冬だけではない。学校の教師も、政府の職員も、レモと親しくなった者なら一度くらいは聞いたことがある。
REGULATORは父上。
レモは一貫してそう言っていた。
だが、誰も深く考えなかった。
自らを魔王と称し、中央広場に住み着いた巨大なドラゴンを下僕にして、バハムート・ディザスター・カタストロフィなどという大仰な名前を与えながら、普段は「ハムちゃん」と呼んでいる少女である。
父上という呼び方も、その延長なのだろう。
誰もがそう思っていた。
レモ自身は、一度も嘘をついていなかった。
◇
きっかけは、何か大きな事件だったわけではない。
人類自治政府が進めていた住民情報の整理だった。
三千数百人という小さな社会だからこそ、誰がどこに住み、どのような医療情報を持ち、どの子供がどの学校へ通っているのかを正確に把握しておく必要がある。
その作業の中で、一人の職員がレモの医療記録に目を留めた。
「……これ、おかしくないか?」
隣にいた職員が端末を覗き込む。
「レモちゃん?」
「うん」
登録上、年齢は十歳。
出自は不明。
REGULATORの管理する食品生産工場へ入り込んでいたところを保護された。
外見や身体的特徴から、人類がかつてこの星へ投入したデザインヒューマンの末裔である可能性が高い。
それが政府に提出されている情報だった。
「健康上の問題?」
「いや。逆だな」
「逆?」
「綺麗すぎる」
学校への入学時に行われた健康診断や、その後の医療記録が表示される。
レモは健康だった。
むしろ健康すぎるほどだった。
身体能力は高く、疾病の兆候もない。知能についても、特に計算能力では同年代どころか成人を上回ることさえある。
問題は遺伝情報だった。
「デザインヒューマンなら、人工的な特徴が残っていても不思議じゃないだろ?」
「祖先に、ならな」
「どういう意味?」
職員はデータを拡大した。
「世代を重ねた痕跡が妙に少ない。突然変異も、遺伝的な組み換えも、不自然なくらい整理されてる」
「……つまり?」
「この子の祖先が設計されたというより……」
職員は画面を見つめた。
「この子自身が設計されたように見える」
二人とも黙った。
「そんなことがあるのか?」
「分からない」
それでも、この時点では重大事件だとは考えていなかった。
未知のデザインヒューマン系統なのかもしれない。
登録情報に間違いがあるだけかもしれない。
何より、本人は元気に学校へ通っている。
だから政府は、通常の行政調査として出自の確認を行うことにした。
◇
数日後。
二人の政府職員が、REGULATORの管理する食品生産工場を訪れた。
人間居住区から少し離れた場所に建つその施設では、培養肉の生産、野菜の栽培、加工食品の製造までがほぼ完全に自動化されている。
内部では培養槽や多段式の栽培設備、食品加工ラインが休むことなく動き続けていた。聞こえてくるのは機械の駆動音と、搬送装置が行き交う低い音だけだった。
そのすべてを管理しているのがREGULATORだった。
政府職員が奥の管理区画へ入ると、人型の機械身体を持つREGULATORが待っていた。
『政府からの訪問者ですね』
「はい。少し確認したいことがあります」
『どうぞ』
「レモちゃんについてです」
『はい』
REGULATORの反応は変わらなかった。
「政府に提出されている情報では、彼女はこの工場内へ入り込んでいたところを発見され、保護されたことになっています」
『そのように登録されています』
「実際もそうなのですか?」
『いいえ』
「…………」
あまりにも簡単に否定されたため、職員は一瞬、質問を間違えたのかと思った。
「……違うんですか?」
『はい』
「では、レモちゃんはどこから来たんです?」
『ここで製造しました』
職員の手が止まった。
「……何を?」
『レモをです』
「製造……?」
『はい』
「その言い方だと、まるで――」
『人体を構築した、という意味です』
二人の職員は黙った。
REGULATORだけが平然としている。
「ちょっと待ってください」
『待ちます』
「そういう意味ではなくて……」
職員は息を整えた。
「確認します。レモちゃんの身体を、この工場で一から作った?」
『はい』
「あなたが?」
『はい』
「生物学的な両親は?」
『存在しません』
「母親も?」
『存在しません』
「父親も?」
『生物学的な意味では存在しません』
一人の職員がREGULATORを見つめた。
そして、ふと思い出した。
「……父上」
『何でしょう』
「レモちゃん、あなたをそう呼んでいますよね」
『はい』
「あれは……魔王ごっこの一部じゃないんですか?」
『違います』
「…………」
『レモは、自身を製造した存在が私であることを認識しています。そのため、私を父親に相当する存在として認識しています』
「じゃあ、本当にそういう意味で……?」
『はい』
「最初から?」
『最初からです』
職員は言葉を失った。
父上。
レモは何度もそう言っていた。
教師にも。
美冬にも。
政府の人間にも。
誰も信じなかった。
十歳の少女が楽しんでいる魔王ごっこの一部だと思っていた。
本人だけは、最初から事実を話していた。
◇
「……なぜです?」
『質問を具体化してください』
「なぜレモちゃんを作ったんです?」
『魔王が必要だったためです』
「…………」
職員は一瞬、自分の聞き間違いを疑った。
「魔王?」
『はい』
「なぜ魔王が必要なんです?」
『蓮が私を魔王と呼び続けたためです』
「それとレモちゃんを作ることに、どういう関係が?」
『私は魔王ではありません』
「はい」
『しかし蓮は、私を魔王と呼びました』
「……何回くらい?」
『五十六回です』
即答だった。
「五十六回?」
『はい』
「数えてたんですか?」
『すべて記録されています』
「……全部?」
『はい』
REGULATORは淡々と続けた。
『「魔王」「魔王様」および、それらと同義の呼称を合算した回数です』
「あなたは嫌だったんですか?」
『はい』
「蓮さんには?」
『複数回、訂正を要求しました』
「それでも?」
『継続されました』
二人の職員は顔を見合わせた。
五十六回。
冗談としても相当しつこい。
「それで……別の魔王を作ろうと?」
『はい』
「どうしてそうなるんです?」
『問題の恒久的な解決方法を検討しました』
「問題というのは?」
『私が魔王と呼ばれることです』
「…………」
『私以外に明確な魔王が存在すれば、私を魔王と呼ぶ必要性は低下すると判断しました』
「だから新しい魔王を?」
『はい』
「人間を一人作って?」
『はい』
「既存の誰かに魔王を名乗ってもらうという発想は?」
『検討しました』
「検討したんですか」
『しかし、本人が魔王という自己認識を継続的に受容する保証がありません』
「それで最初から……」
『魔王という役割を肯定的に受容する人格傾向を設定しました』
職員の頭に、レモの姿が浮かんだ。
妾は魔王ぞ。
世界征服なのじゃ。
ハムちゃんは妾の第一の下僕じゃ。
「……それで、ああなったんですか」
『表現の意図が不明です』
「いえ……何でもありません」
しかし、職員はそこで別の疑問を持った。
「レモちゃんの性格は、全部あなたが設定したんですか?」
『いいえ』
REGULATORは即答した。
『設定したのは初期人格の傾向です。現在のレモの人格は、その後の経験、学習、周囲との人間関係によって形成されています』
「では、今のレモちゃんは……」
『レモ自身です』
REGULATORはそう答えた。
その言葉だけは、妙に人間らしく聞こえた。
◇
「政府の許可は?」
『取得していません』
「誰かに相談は?」
『していません』
「蓮さんにも?」
『していません』
「一人の人間を作ることを?」
『はい』
「なぜ相談しなかったんです?」
『必要性を認識しなかったためです』
職員は眉を寄せた。
「あなたほどの知性が、人間を一人作ることの重大性を理解していなかったとは思えません」
『技術的重大性は認識していました』
「社会的には?」
『現在は認識しています』
「当時は?」
『十分には評価していませんでした』
「……なぜ?」
REGULATORは僅かに間を置いた。
『当時の私にとって、解決すべき問題の優先順位が異なっていたためです』
「魔王と呼ばれることが?」
『はい』
職員は何も言えなかった。
冗談のような動機。
しかし、その結果として目の前の機械知性は本当に一人の人間を作ってしまった。
そして、その人間は今、学校へ通い、友人を作り、食事をし、笑い、ドラゴンに乗って空を飛んでいる。
「……この件について、政府から改めて事情を聞くことになると思います」
『承知しました』
「拒否しないんですか?」
『拒否する理由がありません』
「秘密にしていたのでは?」
『政府へ提出された情報が事実と異なっていたことは認識しています』
「では、なぜ今は話したんです?」
『正式に質問されたためです』
「…………」
『政府からの正式な照会に対し、虚偽の回答を行うよう指示された記録もありません』
職員は額を押さえた。
「……分かりました」
『他に質問は?』
「今はありません」
『では、生産管理へ戻ります』
REGULATORは本当に仕事へ戻った。
二人の職員は、その場にしばらく立ち尽くしていた。
◇
その日の午後。
柳原の執務室に報告書が置かれた。
「もう一度確認します」
柳原は職員二人を見た。
「推測ではないのですね?」
「はい」
「REGULATOR本人が、レモちゃんを製造したと認めた」
「はい」
「人体を一から構築した」
「そう説明しています」
「生物学的な両親はいない」
「はい」
柳原は報告書へ視線を落とした。
そこには学校で撮影されたレモの顔写真が表示されている。
笑っていた。
「蓮君には?」
「まだ確認していません」
「分かりました。私から聞きます」
柳原が通信を開く。
蓮はすぐに応答した。
『柳原さん?』
「今、話せますか」
『大丈夫だけど。何かあった?』
「今日、政府の職員がREGULATORの食品生産工場を訪問しました」
『うん』
「レモちゃんについてです」
沈黙。
ほんの数秒。
だが、それだけで柳原には十分だった。
「REGULATORから話を聞きました」
『…………』
「彼女を製造したのは自分だと」
さらに長い沈黙。
『……あいつ、喋ったの?』
「非常にあっさりと」
『…………』
「事実ですか?」
蓮はすぐには答えなかった。
やがて、小さく息を吐く音が聞こえた。
『……事実です』
「最初から知っていた?」
『はい』
「では、食品工場で保護したという政府への申告は虚偽だった」
『……はい』
「なぜです?」
『それは直接話します』
「分かりました」
柳原は一度言葉を切った。
「もう一つ確認します」
『何?』
「REGULATORによると、君は彼を魔王と呼び続けたそうですね」
『……まあ』
「五十六回」
『…………』
「記録が残っているそうです」
『そんなに言ったかな……』
「君が驚くところではありません」
『二十回くらいかと思ってた』
「二十回でも十分です」
『はい』
「しかも、本人から訂正を求められていた」
『……はい』
「何度も?」
『はい』
柳原は額を押さえた。
「蓮君」
『はい』
「後で詳しく話を聞きます」
『……分かりました』
通信が切れた。
◇
「この情報は、現時点をもって非公開とします」
柳原の言葉に、室内の空気が変わった。
「関係者以外への開示を禁止。調査記録も最高機密扱いとしてください」
「そこまでの措置が必要でしょうか」
職員の一人が尋ねる。
「必要です」
柳原は即答した。
「REGULATORは、一人の人間を人工的に作ることができる」
誰も口を挟まなかった。
「今の段階で、この事実が社会へどのような影響を与えるのか、我々には判断できません」
「REGULATORへの対応は?」
「正式な事情聴取が必要でしょう」
「身柄を拘束しますか?」
柳原は答えなかった。
数秒考える。
「そもそも、我々の法体系でREGULATORをどう扱うべきなのか、そこから確認しなければなりません」
「機械として?」
「それも含めてです」
REGULATORは人間ではない。
だが、自分で考え、自分で判断し、政府の許可も蓮の指示も受けず、一人の人間を作った。
その行為を誰かの命令の結果として処理することはできない。
「司法担当者を集めてください」
「裁判も視野に?」
「まずは法的な整理です」
「もし審理が必要になった場合、公開しますか?」
「いいえ」
柳原は迷わなかった。
「非公開です」
窓の外には、いつもの人間居住区が広がっている。
誰も知らない。
学校へ通う子供たちも。
店で働く人々も。
広場を歩くエルフたちも。
その社会の中に、父も母も持たず、機械知性によって一から作られた一人の少女が暮らしていることを。
◇
その頃。
「ハムちゃーん!」
中央広場にレモの声が響いた。
巨大なドラゴンがゆっくりと頭を上げる。
「グルル……」
「今日は妾を山の向こうまで連れていくのじゃ!」
レモは学校の鞄を置き、ハムちゃんの鼻先を撫でた。
「父上は今日も工場で仕事じゃろうしな。まったく、働きすぎなのじゃ」
ハムちゃんが低く喉を鳴らした。
「そう思うじゃろ?」
レモは笑った。
「父上にも、たまには空を飛ぶ楽しさを教えてやらねばならぬな!」
巨大なドラゴンの鼻先を両手で撫でながら、レモは楽しそうに話し続ける。
父上。
彼女はずっと、そう呼んでいた。
誰かに問い詰められたこともなかった。
隠そうとしたこともなかった。
ただ誰も、本当の意味だとは思わなかっただけだった。
――第七十四話 魔王の父上 了




