第72話 広場のドラゴン
人類自治政府が発足してから、しばらく経った頃。
まだレモがこの世に存在するより前のことだった。
中央広場に住み着いた一頭のドラゴンについて、ついに正式な会議が開かれることになった。
会議の議題は、行政文書らしく妙に堅苦しい。
《中央広場常駐大型飛行生物の取り扱いについて》
「……大型飛行生物」
蓮が表示された議題を見て呟いた。
「ドラゴンでいいじゃん」
「行政文書ですから」
柳原が答えた。
「ドラゴンも正式名称だろ」
「生物分類上の正式名称として登録されているなら、そのうち修正します」
「細かいなあ」
「政府とは細かいことを決めるところです」
「俺、やっぱり政府の人間じゃなくてよかった」
「今日は参考人として呼んでいます」
「帰っていい?」
「駄目です」
蓮は諦めて椅子へ座り直した。
会議室には柳原をはじめとする議員のほか、生態調査担当、治安担当、建設担当、医療担当などが集まっていた。
広場のドラゴンは、最初こそ一時的に休んでいるだけだと思われていた。
しかし三日経ってもいる。
一週間経ってもいる。
十日経ってもいる。
昼間は広場の一角で横になり、夜もそこで眠る。
時折どこかへ飛び去るものの、数時間から半日ほどすると、ほとんど同じ場所へ戻ってくる。
いつしか人々も慣れてしまった。
巨大なドラゴンが寝ている横を、人間もエルフも普通に行き交うようになった。
子供に至っては、少し離れた場所で遊んでいる。
ドラゴンも気にしている様子はない。
だが政府としては、「何となく大丈夫そうだから放置」で済ませるわけにはいかなかった。
◇
「まず、現在までの観察結果を報告します」
生態調査担当者が立体映像を表示した。
中央広場を上空から撮影した記録だった。
中央に巨大なドラゴンがいる。
寝ている。
映像が切り替わる。
翌日。
寝ている。
さらに翌日。
やはり寝ている。
「……ほとんど寝てない?」
蓮が言った。
「実際、一日の大半を休息に使っていると推定されています」
「大型動物だからな」
「しかし完全に動かないわけではありません」
映像が変わった。
早朝。
ドラゴンが身体を起こす。
大きく翼を広げ、一度羽ばたいた。
周囲の人間が慣れた様子で少し距離を取る。
次の瞬間、巨体が浮き上がった。
「この個体は、おおむね一日から二日に一度、中央広場を離れています」
「どこへ?」
柳原が尋ねる。
「主に北西部の山岳地帯です」
地図が表示された。
「追跡用観測機による記録では、飛行後に大型動物を捕食していることが確認されています」
映像が切り替わった。
山中。
大型の草食獣をドラゴンが捕らえている。
「自分で狩ってるんだ」
蓮が言った。
「はい」
「人間から餌をもらっているわけではない?」
「確認されていません」
治安担当者が資料を見る。
「一部の市民が食料を与えようとした例はありますが、基本的に無視されています」
「好き嫌いがあるのか?」
「それ以前に、必要がないようです」
「なるほど」
柳原が頷いた。
「つまり、食料供給について政府側の負担はない」
「現状ではありません」
「それは助かるな」
別の議員が言った。
「問題は排泄物では?」
会議室が少し静かになった。
誰もが薄々気になっていたらしい。
「あれだけ巨大な生物です。相当な量になるはずですが」
「その件ですが」
生態調査担当者が少し困った顔をした。
「中央広場および周辺区域では、一度も確認されていません」
「一度も?」
「はい」
「清掃担当が処理しているのでは?」
「清掃部門にも確認しました。処理実績はありません」
柳原が眉を寄せる。
「では、どこでしている?」
「正確には確認できていません。ただし、一定の傾向があります」
地図に複数の飛行経路が表示された。
「捕食以外にも、定期的に山中の同一地域へ向かっています。滞在時間は短く、その後すぐに戻ってくる」
「排泄のため?」
「可能性は高いと考えています」
蓮が笑った。
「ちゃんとトイレ決めてるんじゃない?」
「笑い事ではありません」
「でも偉いじゃん。広場でしないんだろ?」
「そういう問題なのか?」
議員の一人が呟いた。
担当者は続ける。
「野生動物の中には、巣や休息場所の周辺を汚さない習性を持つものが存在します。このドラゴンにも似た行動様式があるのかもしれません」
「つまり」
柳原が整理する。
「自分で餌を取りに行く」
「はい」
「水も?」
「河川や湖で飲水していることを確認しています」
「排泄も居住区外で行っている可能性が高い」
「はい」
「そして戻ってくる」
「はい」
柳原は少し黙った。
「……我々は何を世話しているんだ?」
「何もしていません」
即答だった。
会議室に小さな笑いが起こった。
◇
「次に危険性について」
治安担当者が発言を引き継いだ。
「現在まで、意図的な対人攻撃は確認されていません」
「一度も?」
「はい」
「威嚇は?」
「あります」
映像が表示される。
一人の若い男が、眠っているドラゴンへ不用意に近づいている。
さらに近づく。
ドラゴンが片目を開ける。
男はまだ近づく。
巨大な鼻先が持ち上がった。
「この直後です」
ドラゴンが低く唸る。
男は慌てて逃げた。
「それだけ?」
「それだけです」
「噛みつかない?」
「追いかけてもいません」
「かなり温厚だな」
蓮が言った。
「少なくとも、人間やエルフを捕食対象としては見ていない可能性が高いです」
別の映像。
広場で遊ぶ子供たち。
ボールのようなものが転がり、ドラゴンの前脚の近くで止まった。
一人の子供が取りに行く。
ドラゴンが目を開ける。
子供がボールを拾う。
戻る。
ドラゴンはまた寝る。
「……怖くないのか、あの子」
「子供たちはもう慣れています」
「慣れていいのか?」
「そこも今日の議題です」
柳原が頭を抱えた。
◇
ドラゴンの知能についても報告された。
簡単な因果関係を理解している。
人間の動きもある程度区別している。
危害を加えようとする者と、ただ近くを通る者への反応が違う。
広場の中でも、通行量の多い場所を避けて寝るようになった。
建物の出入口も塞がない。
「これ、偶然?」
蓮が尋ねる。
「偶然とは考えにくいです」
「場所を選んでる?」
「はい」
「じゃあ、広場の使い方を覚えたってことか」
「可能性はあります」
柳原が資料を見る。
「知能水準の推定は?」
「地球生物に例えるなら、少なくとも大型類人猿に近い能力があると考えています」
「チンパンジー程度?」
「単純比較はできませんが、概ねその程度以上の可能性があります」
「本人に聞ければ早いんだけどな」
蓮が言った。
「言葉は通じないでしょう」
「本人って表現もどうなんです?」
議員の一人が指摘する。
「何と呼べばいい?」
蓮が聞き返す。
「個体?」
「行政上は」
「でも、あいつ自分で場所選んで、自分で飯食って、自分で戻ってきてるんだろ?」
「そうですが」
「じゃあ本人でよくない?」
柳原は少し考えた。
「……今日はそれで進めましょう」
「いいんだ」
「議論が増えるので」
「政治って妥協なんだな」
「今さら何を言っているんです」
◇
問題は、追い出すべきかどうかだった。
「危険生物であることは間違いありません」
治安担当者が言う。
「体格、飛行能力、ブレス能力。仮に暴れれば、相当な被害が出るでしょう」
「でも今は暴れてない」
蓮が言った。
「今後も暴れない保証はありません」
「それは人間も同じだろ」
「比較対象として適切ではありません」
「そう?」
「そうです」
別の議員が尋ねる。
「追い払うことは可能なのか?」
担当者が少し気まずそうな顔をした。
「一度、広場外へ誘導したことがあります」
「結果は?」
「成功しました」
「なら――」
「二百メートルほど移動したあと、戻ってきました」
「…………」
「その後、元の場所で寝ました」
「…………」
「以上です」
会議室が静かになった。
「本人の意志が強いな」
蓮が言った。
「だから本人と呼ぶなと言いたいところですが、もういいです」
柳原がため息をついた。
「もっと遠くへ誘導することは?」
「可能でしょう。ただし、強制的に追い払う場合、攻撃行動を誘発する可能性があります」
「現状、人間へ危害を加えていない個体に対して、そこまでして追い出す必要があるのかという問題もある」
柳原が言った。
それが、この会議の核心だった。
危険だから排除する。
それは簡単だ。
だが危険性を持つことと、実際に危害を加えることは同じではない。
そしてドラゴンは、自ら餌を取り、自ら水を飲み、広場を汚さず、他者を避けて寝場所を選び、人間やエルフを襲わない。
少なくとも今は。
「飼育個体として政府管理下に置く案は?」
一人の議員が言った。
「反対」
蓮が即答した。
「理由は?」
「飼ってないから」
「確かに」
「誰も餌やってない。檻にも入れてない。帰ってこいとも言ってない。勝手に来て、勝手に寝てるだけだろ」
「つまり野生動物?」
「そうじゃない?」
「野生動物が中央広場に住んでいるのですが」
「そこが問題なんだよな」
柳原が腕を組んだ。
◇
議論は二時間以上続いた。
最終的に、人類自治政府は次の方針を決定した。
ドラゴンを政府所有物とはしない。
飼育動物とも認定しない。
野生生物としての自律性を尊重する。
中央広場への滞在については、現時点で重大な危険が確認されていないため、暫定的に容認する。
ただし継続的に健康状態と行動を観察し、攻撃性の上昇や異常行動が確認された場合には再検討する。
市民に対しては、一定距離以上近づかないこと。
睡眠中に触れないこと。
餌を与えないこと。
勝手に騎乗を試みないこと。
その他いくつかの規則が定められた。
「最後の規則、必要?」
蓮が尋ねた。
「必要です」
「誰か乗ろうとしたの?」
「三人いました」
「馬鹿だなあ」
「そのうち一人はアルベルトさんです」
「……あいつ何やってんだよ」
「あなたも止めてください」
「今度言っとく」
「必ず言ってください」
蓮は頷いた。
◇
会議が終わった後。
柳原は庁舎の窓際に立っていた。
中央広場が見える。
巨大なドラゴンが、いつもの場所で身体を丸めて眠っていた。
周囲を人々が行き交う。
誰も騒がない。
少し離れた場所では子供たちが遊んでいる。
ドラゴンの尾が僅かに動く。
子供たちは慣れた様子で避けた。
「……あれが日常になるとは」
柳原が呟いた。
隣にいた職員が苦笑する。
「最初は広場を封鎖しましたね」
「覚えています」
「今では、あそこにいないと逆に皆が心配するようです」
「慣れとは恐ろしいものだ」
ドラゴンが目を開けた。
ゆっくりと首を上げる。
空を見る。
やがて立ち上がった。
巨大な翼を広げる。
広場に風が巻き起こる。
人々は自然に距離を取った。
ドラゴンは一度大きく羽ばたき、空へ上がった。
「食事ですかね」
「おそらく」
巨体は山の方向へ飛んでいく。
その姿が小さくなるまで、柳原は見ていた。
「戻ってきますかね」
職員が尋ねる。
柳原は少し考えた。
「戻ってくるでしょう」
「なぜ分かるんです?」
「分かりません」
柳原は笑った。
「ただ、あそこが気に入ったのでしょう」
数時間後。
ドラゴンは本当に戻ってきた。
そしていつもの場所へ身体を横たえ、何事もなかったように眠り始めた。
政府が二時間以上かけて決めた扱いなど、当のドラゴンには知る由もない。
ただ一つ確かなのは。
その日から、人類自治政府の記録上でも。
中央広場で昼寝をする巨大なドラゴンは、正式にこの街の日常の一部となった。
――第七十二話 広場のドラゴン 了




