第68話 学校へ行く義務を与えられたのじゃ
人類自治政府から届いた通知を読み終えたレモは、しばらく無言だった。
蓮の家の食卓。
向かいには美冬が座っている。
レモはもう一度、紙面に目を落とした。
「…………」
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「レン」
「何?」
「これは何じゃ」
「読んだだろ」
「読んだから聞いておるのじゃ」
レモは通知書を指先で叩いた。
「なぜ妾が学校へ行かねばならぬ」
「十歳だから」
「妾は魔王ぞ?」
「魔王でも十歳なら学校に行く」
「そんな法律があるのか!」
「魔王について明記した法律はないと思うけど、子供には教育を受ける権利があるし、政府としても学校へ通わせたいって」
「権利なのか義務なのか、どちらなのじゃ!」
「両方みたいなもの」
「納得できぬ!」
レモは椅子の上で腕を組んだ。
その姿を見て、美冬が小さく笑った。
「そんなに嫌?」
「嫌とは言っておらぬ」
「じゃあ、いいじゃない」
「妾は魔王なのじゃぞ。魔王が他の子供と机を並べて勉強するなど、威厳に関わる」
「魔王は勉強しないの?」
「…………」
レモが少し考えた。
「する」
「するんだ」
「無知な魔王では世界征服などできぬからな」
「じゃあ決まりね」
「ぬう……」
どうやら自分で逃げ道を塞いだらしい。
レモは不満そうに頬を膨らませた。
◇
レモが学校へ通うことになった背景には、もう一つ問題があった。
彼女を誰が保護するのか。
政府へ提出されている記録では、レモはREGULATORが管理する食品生産工場に入り込んでいたところを発見された、出自不明の少女ということになっている。
外見や身体的特徴から、人類がかつてこの星へ投入したデザインヒューマンの末裔である可能性が高い。
それ以上のことは分からない。
少なくとも、政府はそう認識していた。
当然、身寄りのない十歳の少女を放置するわけにはいかなかった。
当初は、保護を必要とする子供を受け入れる施設で生活させる案が出ていた。
そのための面談が行われた時だった。
「レモちゃん」
担当職員ができるだけ穏やかな声で尋ねた。
「お父さんやお母さんについて、何か覚えている?」
「父上ならおるぞ」
職員の手が止まった。
「……お父さんがいるの?」
「うむ」
「どこに?」
「工場じゃ」
「工場?」
「REGULATORじゃ」
職員は瞬きをした。
「REGULATORが……お父さん?」
「そうじゃ」
「どうして?」
「父上が妾を作ったからじゃ」
職員は蓮を見た。
蓮は無言で視線を逸らした。
「作った……というのは?」
「作ったものは作ったのじゃ」
「魔王だから?」
レモの眉が吊り上がった。
「何を言っておる。妾が魔王じゃ。父上は魔王ではない」
「ああ……そういうことね」
「そういうこととは何じゃ!」
「魔王の設定の中で、REGULATORがお父さんなのね」
「設定ではない!」
職員は困ったように笑った。
「分かった、分かった」
「絶対に分かっておらぬ!」
蓮は横で黙っていた。
正確には、何も言えなかった。
レモは一つも嘘をついていない。
それなのに誰も信じていない。
この状況を訂正すべきなのかどうか、蓮自身にも判断がつかなかった。
結局、黙っていることを選んだ。
◇
「では、そのREGULATORと一緒に暮らしたい?」
職員が尋ねる。
「父上と?」
「うん」
レモは少し考えた。
「別に構わぬが、父上は工場からほとんど出てこぬぞ」
「そうね……」
「あそこはつまらぬ」
「つまらない?」
「父上は仕事ばかりしておる。話しかけても仕事を続けながら返事をするし、飯も一緒に食わぬ」
「REGULATORだからね……」
「それに寝ぬ」
「まあ……そうでしょうね」
「妾が寝て起きても、まだ同じ場所で仕事をしておる。あれでは一緒に暮らしている感じがせぬ」
職員は少し困った顔をした。
レモにとってREGULATORがどういう存在なのかは分からない。
ただ、少なくとも十歳の少女を食品生産工場で生活させるという選択肢は現実的ではなかった。
「じゃあ、しばらく別の場所で暮らしてみる?」
「嫌じゃ」
即答だった。
「まだ何も説明してないけど」
「嫌じゃ」
「どうして?」
「レンの家がよい」
蓮が顔を上げた。
「俺?」
「うむ」
「なんで?」
「もう住んでおるではないか」
「まあ、そうだけど」
「飯も食える」
「REGULATORのところ、食品工場だぞ」
「作るのと一緒に食うのは別じゃ!」
「それはそうだけど」
「レンは一緒に食う」
「うん」
「テレビもある」
「あるね」
「風呂もある」
「ある」
「ならばレンのところでよい」
「判断基準そこなの?」
レモは当然という顔をしていた。
職員は少し考えてから蓮を見る。
「蓮さんは、どうですか?」
「俺は……まあ」
レモを見る。
本人はすでに話が決まったような顔をしている。
「本人がいいなら」
「よし!」
「まだ正式に決まってないから」
「決まった!」
「決まってない」
「妾が決めたのじゃ!」
「政府の手続きってものがあるんだよ」
「面倒じゃのう、人間の政府は」
「お前も人間だろ」
「魔王じゃ」
「そこは譲らないんだな」
◇
結局、当面の間、レモは蓮の家で生活することになった。
恒久的な養育関係を決めたわけではない。
あくまで一時的な措置。
政府側も定期的に生活状況を確認する。
そして学校へ通う。
それが条件だった。
「つまり」
説明を聞き終えたレモが言った。
「レンの家に住む代わりに、学校へ行けということか?」
「交換条件じゃないけど、まあ両方決まった」
「政府め……」
「何?」
「妾を制度で縛りおった」
「十歳児を学校に通わせるだけで、そんな大袈裟な」
「覚えておくのじゃ」
「何を?」
「いつの日か妾が世界を征服した暁には、教育制度を改革してやる」
美冬が笑った。
「どんな制度にするの?」
「昼まで寝てもよい」
「却下」
「なぜおぬしが決める!」
「子供が全員昼まで寝てたら学校にならないでしょ」
「では十時」
「八時半」
「九時半!」
「八時半」
「交渉というものを知らぬのか!」
「学校は交渉して始業時間を決めるところじゃないの」
「横暴じゃ!」
蓮は二人のやり取りを聞きながら、少し笑った。
◇
学校生活が始まると、レモは意外なほど早く環境へ適応した。
問題がないわけではない。
「レモちゃん、授業中は手を挙げてから答えてください」
「答えが分かっておるのに、なぜ待たねばならぬ?」
「みんなが順番に答えるからです」
「非効率じゃ」
「そういう決まりです」
「また決まりか!」
教師を困らせることは多かった。
だが、学習能力そのものは驚異的だった。
特に算数。
「これを計算してみましょう」
教師が問題を表示する。
レモは数秒見た。
「答えは三万七千四百八十二じゃ」
「……途中の計算は?」
「頭の中でやった」
「式を書いてください」
「なぜじゃ。答えは合っておる」
「どうやって考えたのかを見るためです」
「答えが合っておるのに?」
「書いてください」
「学校というところは非効率の塊じゃな……」
文句を言いながらも、ちゃんと書く。
教師が確認する。
正しい。
それどころか、授業で扱う範囲を大きく超えた計算まで理解していた。
しかし、すべての授業で優秀というわけでもなかった。
文章を書かせれば妙に芝居がかった言葉になる。
図工では、なぜか魔王城ばかり作る。
体育では能力を抑えるよう何度も注意された。
そして歴史の授業。
この世界の歴史を扱う授業では、教えられる内容が慎重に選ばれていた。
古代文明。
エルフ諸国の成立。
人類が眠っていた数千年間に起きた出来事。
しかし、REGULATORがかつて行った大規模な粛清については扱われない。
いわゆる魔王の虐殺。
それは今も生々しい記憶として残る、極めてセンシティブな分野だった。
まして、そのREGULATORを「父上」と呼ぶ少女が同じ教室にいる。
学校側が触れるはずもなかった。
レモ自身も、それについて質問することはなかった。
◇
「どうだった?」
初めての登校を終えたレモを、美冬が迎えた。
「疲れたのじゃ」
「何が一番大変だった?」
「手を挙げることじゃ」
「そこ?」
「答えが分かっておるのに待たされるのじゃぞ!」
「学校ってそういうところだから」
「算数も簡単すぎる」
「じゃあ先生に相談して、もっと難しい問題を出してもらったら?」
「それはよいな」
レモが少し機嫌を直した。
「あと、昼飯は悪くなかった」
「結局食べ物なんだ」
「重要じゃぞ」
二人で歩き始める。
少し先では、仕事を終えた蓮が待っていた。
「レン!」
レモが走り出す。
「ただいまなのじゃ!」
「おかえり。学校どうだった?」
「聞け! 学校という場所では、答えが分かっていても勝手に答えてはならぬのじゃ!」
「そりゃそうだろ」
「レンまで!」
蓮の隣まで来ると、レモは今日あったことを一気に話し始めた。
算数が簡単だった。
先生に注意された。
昼食は美味かった。
隣の席の子供が面白かった。
体育では少しだけ走った。
蓮は相槌を打ちながら聞いている。
その様子を、美冬は少し後ろから眺めていた。
妙な光景だった。
蓮とレモには血の繋がりなどない。
そもそもレモには、本当の家族がどこかにいるのかさえ分からない。
本人はREGULATORを「父上」と呼んでいるが、それは相変わらず魔王ごっこの設定なのだろうと美冬は思っている。
それなのに。
「レン、今日は何を食う?」
「まだ決めてない」
「肉!」
「昨日も肉だったろ」
「ではラァメン!」
「却下」
「なぜじゃ!」
「野菜食え」
「父上の工場から持ってくればよい!」
「そういう問題じゃない」
二人を見ていると、どうにも家族のように見えた。
美冬は自分でも理由の分からない笑みを浮かべた。
「美冬?」
蓮が振り返った。
「何?」
「いや、笑ってたから」
「別に」
「?」
「なんでもない」
美冬は二人に追いついた。
「今日は私も一緒に食べていい?」
「もちろん」
蓮は何気なく答えた。
レモも振り返る。
「よいぞ! 特別に魔王の食卓へ招待してやる!」
「蓮さんの家でしょ」
「今は妾も住んでおる。半分くらい魔王城じゃ!」
「半分も取られてるの?」
「いつの間に……」
三人で歩く。
レモが真ん中。
右に蓮。
左に美冬。
傾き始めた陽が、三人の影を長く伸ばしていた。
美冬はふと、その光景を見下ろした。
そして、なぜだか少しだけ歩調を緩めた。
このまま三人で帰ることが、妙に自然に思えたからだった。
その感覚が何なのか、美冬自身にはまだ分からない。
ただ、悪い気はしなかった。
◇
夕食の後。
レモはソファに寝転びながら、明日の時間割を眺めていた。
「また算数があるのう」
「好きなんだろ?」
「簡単すぎるのじゃ」
「先生に難しい問題を出してもらえよ」
「そうする」
レモは時間割を畳んだ。
「レン」
「何?」
「今度、父上にも学校へ来させてよいか?」
「REGULATORを?」
「授業参観というものがあるのであろう?」
「…………」
蓮の手が止まった。
「父上なのじゃから、来るべきではないか?」
「まあ……」
「何じゃ」
「いや」
蓮は少し考えた。
REGULATORが教室の後ろに立っている光景を想像する。
「先生が困るだろうなと思って」
「なぜじゃ?」
「色々と」
「父上は行儀がよいぞ」
「そこは心配してない」
「では決まりじゃ!」
「まだ決まってないって」
「妾から父上に言っておく!」
レモは満足そうに笑った。
蓮は何も言わなかった。
レモにとって、その言葉は最初から冗談でも設定でもない。
REGULATORは父上。
ただ、それを知っている者はまだほとんどいなかった。
そしてレモ自身は、自分が何者なのかを隠しているつもりさえなかった。
誰も、本気にしていないだけだった。
――第六十八話 学校へ行く義務を与えられたのじゃ 了
後に出てくる話で矛盾が生じるので、まるっと書き直しました。




