第67話 魔王、保護されるのじゃ
人類自治政府が発足してから、まだそれほど日は経っていなかった。
行政組織は動き始めていたものの、地球にあったような巨大な役所が存在するわけではない。人口は三千七百人ほどしかおらず、一人が複数の仕事を兼任することも珍しくなかった。
そんな自治政府の生活支援部門に、その日、少々変わった申請が持ち込まれた。
「では、確認します」
端末を前にした女性職員が、蓮の隣に座る少女へ視線を向けた。
十歳ほどに見える。
小柄な身体に、明らかに人間とは異なる特徴があった。頭部の左右から後方へ伸びる角である。
エルフでもない。ダークエルフでもない。もちろん海エルフでもない。
それ以外は、ほとんど人間の少女にしか見えなかった。
「お名前は?」
少女が胸を張った。
「よくぞ聞いた! 妾の真の名は、グレモリー・ルシフェリア・アスモデウスじゃ!」
職員の指が止まった。
「……もう一度お願いします」
「グレモリー・ルシフェリア・アスモデウスじゃ!」
職員はゆっくりと蓮を見た。
「本名ですか?」
「本人がそう言ってます」
「本人が?」
「はい」
「……通称はありますか?」
「レモちゃん」
「レン! 妾はレモちゃんと呼ぶ権利をおぬしに与えたのであって、誰彼構わず許したわけではないぞ!」
「じゃあレモ?」
「それならよい」
「基準が分からん」
職員は何も言わず、通称欄に《レモ》と入力した。
その隣には神崎美冬が座っていた。
二十九歳。今回の手続きに付き添うことになった彼女は、先ほどから笑いを堪えている。
「神崎さん」
「はい?」
「笑ってるだろ」
「笑ってません」
「口元」
「気のせいです」
蓮はそれ以上追及するのを諦めた。
職員が次の項目を開いた。
「推定年齢は?」
「十歳くらいだと思います」
「くらい?」
「正確な年齢が分からないんです」
「本人は?」
「レモ。何歳?」
「知らぬ!」
「だそうです」
「……生年月日も不明、と」
入力が続く。
「種族については?」
「それも分かりません。ただ、身体的特徴から考えて、人類が昔作ったデザインヒューマンの系統じゃないかと思ってます」
「エルフ系統ではない?」
「少なくとも既知の系統とは一致しません」
それ自体は、この惑星ではあり得ない話ではなかった。
現在確認されているエルフたちも、元をたどれば人類がテラフォーミングの過程で生み出したデザインヒューマンの末裔である。数千年という時間が経過している以上、まだ人類が把握していない系統がどこかに残っていても不思議ではない。
「遺伝子検査は?」
「まだです」
「実施する予定は?」
「本人が嫌がるようなら、急ぐ必要はないと思っています」
「なるほど」
職員はそれ以上追及しなかった。
蓮は表情を変えなかった。
詳しく調べられるのは困る。
少なくとも、今は。
「発見場所について確認します。申請では――」
職員が画面を見る。
「旧REGULATOR管理区域の食品生産施設となっていますね」
「はい」
「そこで何をしていたのですか?」
「それが分からないんです」
嘘だった。
蓮は知っている。
レモはそこへ入り込んでいたのではない。
REGULATORによって、そこで作られた。
かつてREGULATORがホモ・サピエンスの培養案を検討し、保留していた人由来の生体材料。
それを利用して、一つの新しい身体を作った。
その事実を知っているのは、蓮とREGULATOR、そしてイザナミだけだった。
「レモさん」
「なんじゃ」
「どうして食品生産施設に入ったのか、覚えていますか?」
「知らぬ」
「食べ物を探していた?」
レモは首を傾げた。
蓮が横から口を挟む。
「腹減ってたんじゃないか?」
「む?」
「ほら。食べ物があったから入ったとか」
「…………」
「…………」
「うむ! そうかもしれぬ!」
職員が蓮を見る。
「今、話を合わせませんでした?」
「気のせいです」
美冬が横を向いた。
肩が少し震えている。
「神崎さん」
「笑ってません」
「まだ何も言ってない」
「先に言っておこうかと」
職員は小さく息を吐き、質問を続けた。
「それ以前のことは覚えていますか?」
「それ以前?」
「食品生産施設へ来る前です。どこに住んでいたとか、お父さんやお母さんがいたとか」
レモは黙った。
いつもの大仰な態度が、ほんの少しだけ消えた。
「……知らぬ」
「何も?」
「覚えておらぬ」
「自分がどこから来たのかも?」
「知らぬ」
これは嘘ではなかった。
レモ自身には、それ以前の記憶が存在しない。
最初から存在しないものを思い出せるはずもなかった。
職員の表情が少し変わる。
「記憶障害の可能性もありますね」
「俺もそう思います」
今度は美冬が蓮を見た。
蓮は気づかないふりをした。
「では、身元不明児童として暫定登録します。種族については、人類由来デザインヒューマン系統の可能性あり、としておきます」
「お願いします」
「次に現在の居住場所ですが」
「俺の家です」
職員の指が止まった。
「天城さんの住居?」
「はい」
「いつから?」
「保護してからずっと」
「二人で暮らしているんですか?」
「そうですけど」
職員は蓮を見た。
次にレモを見た。
そして美冬を見た。
美冬が小さく頷いた。
「やっぱり、そこ引っかかりますよね」
「何が?」
蓮だけが分かっていなかった。
「天城さん」
「はい」
「この子は推定十歳です」
「そうですね」
「身元不明で、親族も確認できない児童です」
「はい」
「それを、血縁関係のない成人男性が自宅で単独で保護している状態です」
ようやく蓮にも意味が分かった。
「ああ」
「ああ、ではありません」
「いや、変なことはしてませんよ?」
「そういう問題ではありません」
「蓮さんだから信用できる、では駄目なんですよ」
美冬が言った。
「政府を作ったばかりでしょう?」
蓮は少し考えてから頷いた。
柳原にも似たようなことを言われたばかりだった。
人が信用できることと、制度として正しいことは別である。
「じゃあ、どうするんです?」
「一時的に児童養護施設で保護します」
「養護施設?」
蓮より先にレモが反応した。
「身元が確認できるまで、子供たちが生活している施設で暮らしてもらいます。もちろん学校にも――」
「待て」
レモが職員を見た。
「妾はどこへ行くのじゃ?」
「子供たちがいるところですよ」
「レンは?」
「天城さんは自宅へ戻ります」
「……レンは一緒ではないのか?」
「基本的には」
レモは黙った。
蓮がその横顔を見る。
「まあ、その方がいいかもしれないな」
「レン?」
「俺、子供育てたことないし。向こうなら同じくらいの子もいるだろ」
「…………」
「学校にも通えるって」
「…………」
「レモ?」
小さな手が、蓮の服を掴んだ。
「嫌じゃ」
蓮が止まった。
「妾も帰る」
「いや、でもな」
「レンのところへ帰る」
いつもの「魔王じゃ」という言葉は出てこなかった。
威張りもしない。
ただ蓮の服を掴んでいた。
職員も困ったようにレモを見る。
蓮がしゃがみ込んだ。
「別に捨てるわけじゃないぞ」
「ならば一緒に帰ればよい」
「そういうわけにも――」
「嫌じゃ」
服を掴む手に力が入った。
美冬がしばらくその様子を見ていた。
「……今日はやめませんか」
職員が美冬を見る。
「神崎さん?」
「無理に引き離す必要はないと思います」
「ですが――」
「制度が必要なのは分かります。でも、この子にしてみれば、知らない場所で保護されて、知らない人たちに囲まれて、ようやく慣れた人からも離されることになる」
美冬はレモの前にしゃがんだ。
「レモちゃん」
「レモじゃ」
「じゃあレモ。蓮さんのところがいい?」
「うむ」
「どうして?」
レモは少し考えた。
「……レンがおるからじゃ」
それだけだった。
美冬は立ち上がる。
「少なくとも、段階を踏んだ方がいいと思います」
職員も考え込んだ。
「本人の意思を無視して強制保護する必要がある状況ではありませんからね……」
「生活環境に問題があるなら別です。でも、それを確認してからでも遅くないでしょう」
美冬が蓮を見る。
「ということで、蓮さんの家を見ます」
「え?」
「生活環境の確認です」
「今日?」
「今日です」
「散らかってるんだけど」
「なおさら見ます」
「明日にしない?」
「駄目です」
「俺にも人権が――」
「レモの方が優先です」
「はい」
即座に負けた。
◇
「……普通ですね」
蓮の家に入った美冬の第一声だった。
「どういう家を想像してたんだよ」
「床に機械部品が散乱して、食事は栄養剤だけとか」
「俺を何だと思ってる?」
「技術者」
「偏見がひどい」
実際、家の中は多少散らかっている程度だった。
食料もある。
風呂もある。
生活設備に問題はない。
「レモの部屋は?」
「こっち」
蓮が扉を開ける。
ベッドと机、収納。
必要なものは一通り揃っている。
そして壁には、大きな布が掲げられていた。
黒い布に、妙に可愛らしい角の生えた生物が描かれている。
美冬が見上げた。
「……これは?」
「知らない」
「妾の魔王旗じゃ!」
後ろからレモが胸を張った。
「作ったの?」
「うむ!」
「いつ?」
「昨日じゃ!」
美冬はしばらく魔王旗を眺めた。
「まあ……本人の部屋って感じはしますね」
「じゃあ合格?」
「まだです」
「厳しいな」
冷蔵設備。
食事。
衣類。
衛生環境。
一通り確認した美冬は、最後に蓮へ向き直った。
「とりあえず生活環境に問題はないと思います」
「よかった」
「ただし」
「はい」
「食事はちゃんとしてください」
「してるよ」
「レモ、昨日の夕飯は?」
「肉じゃ!」
「野菜は?」
「…………」
レモが蓮を見る。
蓮がレモを見る。
「肉じゃ!」
「二回言わなくていいです」
「野菜も食べさせます」
「お願いします」
美冬は端末へ記録を入れた。
「当面、蓮さんを暫定的な保護責任者として申請しましょう。定期的に生活状況を確認します」
「神崎さんが?」
「私だけとは限りません。でも、しばらくは私も来ます」
「ミフユも来るのか?」
「嫌?」
「構わぬ!」
「そっか」
「ただし、妾の臣下として来ることを許す!」
「それは遠慮します」
「なぜじゃ!」
いつもの調子が戻っていた。
蓮は少し安心した。
「それと、もう一つ」
美冬が言った。
「何?」
「学校です」
レモの動きが止まった。
「……学校?」
「十歳なら、学校に通わないと」
「妾が?」
「うん」
「なぜじゃ?」
「勉強するため」
「妾は魔王じゃぞ!」
「魔王でも十歳なら学校に行きます」
「そんな法律があるのか!?」
「今作ればあります」
「横暴じゃ!」
レモが蓮を見る。
「レン! 何とかせい!」
「学校は行った方がいいと思うぞ」
「裏切り者!」
「字とか計算とか覚えられるぞ」
「妾には必要ない!」
「友達もできるかも」
「…………」
レモが止まった。
美冬はそれを見逃さなかった。
「同じくらいの子、いるよ」
「…………」
「エルフの子もいるし」
「…………」
「行ってみる?」
レモはしばらく悩んだ。
そして腕を組み、顔をそむけた。
「……そこまで言うのであれば、視察してやってもよい」
「通学ね」
「視察じゃ!」
「はいはい」
「妾を誰だと思っておる!」
美冬が笑った。
「魔王なんでしょ?」
「そうじゃ!」
「じゃあ魔王も、明日から学校ね」
「なぜそうなるのじゃー!」
家の中にレモの声が響いた。
◇
その日の夜。
レモが眠ったあと、美冬は帰り際に玄関で足を止めた。
「蓮さん」
「何?」
「一つだけ聞いていいですか」
「うん」
「本当に、食品工場にいたんですよね?」
蓮は美冬を見る。
「いたよ」
「どうやって入ったんでしょうね」
「分からない」
「その前の記憶もない」
「らしいな」
「親も分からない。出身地も分からない。種族も分からない」
「うん」
美冬は少しだけ黙った。
「……変な子ですね」
「この星、変なのばっかりだろ」
「それはそうですけど」
美冬はそれ以上追及しなかった。
「じゃあ、また来ます」
「お疲れ」
扉が閉まる。
蓮はしばらく、その場に立っていた。
やがて小さく息を吐く。
「……嘘つくの、向いてないな」
『同意します』
突然イザナミの声が聞こえた。
「聞いてたのかよ」
『保護対象者に関する政府手続きであるため、必要な範囲で記録しています』
「美冬、ちょっと疑ってるぞ」
『神崎美冬の疑念を定量化することは困難です』
「そういうことじゃなくて」
蓮は廊下の奥を見る。
レモの部屋は静かだった。
「でも、まだ言えない」
『同意します』
REGULATORが人間の身体を新たに作ることができた。
その材料が何だったのか。
そして冷凍睡眠中に死亡した人々から、記憶そのものがデータとして残されていること。
それを社会が知れば、何が起きるか。
蓮にも分からない。
「とりあえず……普通に暮らさせてやろう」
『それが適切であると判断します』
「学校か」
蓮は少し笑った。
「魔王が小学校ねえ」
そのとき、廊下の奥から扉が開いた。
「レン!」
「うわっ」
寝間着姿のレモが顔を出している。
「起きてたのか?」
「明日の学校とやらについて聞き忘れた!」
「何を?」
レモは真剣な顔で尋ねた。
「魔王は何を持って行けばよいのじゃ?」
蓮は少し考えた。
「……ランドセル?」
「ランドセルとはなんじゃ!」
その夜、蓮の家では再び明かりが点いた。
――第六十七話 魔王、保護されるのじゃ 了




