第66話 人類自治政府
生き残った人間が地上に降り立ち現地民と遭遇。
諸々のイベントの後。
鎮魂式が終わった日の夕方、蓮はまだ会場に残っていた。
少し前まで三千人を超える人々が集まっていた広場では、すでに片づけが始まっている。式典のために並べられていた椅子が運び出され、仮設設備も一つずつ撤去されていた。
冷凍睡眠中に命を落とした者たち。
目覚めることなく、新天地を見ることさえできなかった者たち。
その名を記録し、死を悼み、生き残った者たちが前へ進むために開かれた鎮魂式だった。
蓮自身、壇上で何を話したのか細部までは覚えていない。用意された原稿はあった。しかし途中から、ほとんど読まなかった。
自分たちは生き残った。
だから、生きなければならない。
死者を忘れず、それでもここで新しい生活を始める。
そんなことを話したはずだった。
「天城さん」
背後から声をかけられ、蓮は振り返った。
六十代ほどの男が立っていた。鎮魂式にも参列していたことは覚えている。前列ではない。大勢の人々の中に混じり、静かに蓮の演説を聞いていた男だった。
「少し、お時間をいただけますか」
「構いませんけど」
「柳原と申します」
差し出された手を蓮は握った。
「地球では、日本の国会議員をしていました」
「ああ……」
言われてみれば、どこかで顔を見た記憶がある。しかし蓮は政治に詳しくない。名前を聞いても、どこの政党に所属していたのかまでは思い出せなかった。
柳原は、それを察したらしい。
「覚えていなくても当然ですよ。政治に興味がなければ、国会議員の顔などいちいち覚えていないでしょう」
「いや、まあ……」
「気を遣わなくて結構です」
柳原は小さく笑った。
そして、誰もいなくなりつつある会場を見渡した。
「今日の演説を聞いて、決心しました」
「何をです?」
柳原は少し間を置いて答えた。
「政府を作りましょう」
「……政府?」
「ええ」
「ここに?」
「ここ以外にどこがあります」
「いや、そうですけど……」
蓮は思わず周囲を見た。
建設されたばかりの居住区。整備途中の道路。遠くには大量の資材が積まれ、建設機械が今も動いている。
政府。
どうにも言葉が大きすぎるように思えた。
「三千七百人くらいですよ」
「だからこそ必要なのです」
柳原は即答した。
「三千七百人しかいないから政府など必要ない、という考え方もあるでしょう。しかし私は逆だと思っています。三千七百人しかいないからこそ、社会全体の意思決定を誰か一人に依存するべきではない」
「誰か一人って……」
そこで蓮は気づいた。
「俺?」
「現在、この移民団の最高責任者はあなたです」
「船では、ですよね?」
「その船の指揮系統が、今もそのまま地上で使われています」
蓮は黙った。
言われてみれば、その通りだった。
食料生産、居住区の建設、医療、資源配分、エルフたちとの交渉。重要な問題が発生すると各部門の責任者が話し合い、最後には蓮へ判断を求めてくる。
蓮自身、それを不自然だとは考えていなかった。
到着してから、あまりにも多くのことが起きたからだ。
巨大粘菌。
エルフとの接触。
REGULATOR。
生き残るためには、議論より先に判断しなければならない場面が多すぎた。
「今って……俺が政府みたいなものなんですか?」
「極端に言えば」
「嫌だなあ」
「即答ですか」
「俺、技術者ですよ」
「知っています」
「政治なんて分かりませんよ」
「それも知っています」
「じゃあ、なんで今まで俺にやらせてたんです?」
「非常時だったからです」
柳原は淡々と答えた。
「船では船長が必要です。災害時には指揮官が必要です。一秒の判断が数千人の命を左右する状況で、民主的な手続きを踏んでいる暇はありません。しかし――」
柳原は建設中の街へ視線を向けた。
「ここはもう、船ではありません」
夕暮れの光の中で、人々が生活している。
仕事を終えて居住区へ帰る者がいる。子供の手を引いて歩く者もいる。食事の準備をする匂いも漂ってきていた。
「町です」
柳原は言った。
「そして、いずれ国になる」
蓮も同じ景色を見た。
「天城さん。あなたの仕事は、我々をここまで連れてくるところまでだったのではありませんか」
蓮は少し考えた。
「じゃあ、ここから先は?」
「我々全員の仕事です」
しばらく沈黙した後、蓮は頷いた。
「いいですね」
「……ずいぶん簡単に了承しますね」
「だって、俺が全部決めなくてよくなるんでしょう?」
「まあ、そういうことになります」
「やりましょう」
「権力を手放すことに、もう少し抵抗するものかと思っていました」
「いりませんよ、そんなもの」
柳原が苦笑する。
「政治家としては、少し羨ましいですよ」
「柳原さんは欲しいんですか?」
「昔は、欲しかったのかもしれません」
柳原は少しだけ遠い目をした。
「しかし、国も政党も選挙区も、もうありませんからね」
地球に置いてきたもの。
あるいは、もう存在しないかもしれないもの。
柳原はそれ以上語らなかった。
◇
それから三日後。
人類の居住区に、一つの告知が出された。
《自治政府設立準備委員会 参加者募集》
反応は予想以上に大きかった。
生存者の中には政治家だけでなく、行政官、法律家、地方自治体の職員、企業経営者、医師、研究者など、地球で社会制度に関わっていた者が少なからず存在している。
最初の会合には百人を超える人間が集まった。
そして開始から二十分で、議論は紛糾した。
「大統領制にする必要はないでしょう」
「しかし行政責任者は必要です」
「人口三千七百人ですよ。大統領なんて大袈裟すぎる」
「人口の問題ではありません。権限の所在の問題です」
「この人数なら直接民主制も可能では?」
「すべての案件を住民投票にかけるつもりですか?」
「重要案件だけなら可能でしょう」
「その『重要』を誰が決めるんです?」
蓮は部屋の隅で聞いていた。
開始十五分ほどで、自分が口を挟むべきではないと悟っている。
選挙制度、行政権、司法、予算、条例。
専門的な議論が延々と続く。
蓮には、ナノマシンの制御系を設計する方がよほど簡単に思えた。
隣に座っていた技術者が小声で話しかける。
「天城さん」
「何?」
「寝てません?」
「起きてる」
「さっきから目を閉じてましたよ」
「話が難しいんだよ」
「最高責任者でしょう」
「だから早く辞めたいんだって」
その日の会議は六時間続いた。
◇
何度もの議論を経て、柳原を中心とした準備委員会が制度案をまとめた。
人類自治政府。
成人市民による直接選挙で二十四人の議員を選出する。
議会は法律、予算、外交、行政組織の監督を担い、議員の中から議長を互選する。行政には医療、食料・農業、建設・インフラ、科学技術、教育、治安、外交・防衛などの担当部門を置く。
人口規模を考慮し、巨大な官僚組織は作らない。
司法についても、地球時代の法律を丸ごと持ち込むことはしなかった。人権や刑法の基本原則は引き継ぎながら、この惑星の社会に合わせて新たに整備する。
旧地球の政党も、一つとして復活させなかった。
「三千七百人しか残っていない社会で、かつての党派争いを再現してどうするんです」
柳原はそう言った。
旧与党出身者も、旧野党出身者もいた。しかし反対する者はほとんどいなかった。
地球の政治体制をそのまま再現するには、世界はあまりにも変わっていた。
◇
最初の選挙が行われた。
選挙運動も地球時代とは大きく違った。
街宣車もなければ巨大なポスターもない。そもそも候補者と有権者のほぼ全員が同じ街で暮らしている。
候補者は情報ネットワーク上に経歴と政策を公開し、公開討論を行った。
医師、農業技術者、教育関係者、建設技術者、元行政官、元地方議員。そして柳原。
二十四人が議員として選ばれた。
第一回議会で議長選挙が行われ、柳原が初代議長に選出された。
蓮は立候補しなかった。
「天城さんなら、かなり票を取れたと思いますよ」
選挙後、柳原が言った。
「だから出なかったんです」
「ほう」
「エルフから創造神なんて呼ばれてる奴が選挙に出たら、まともな選挙にならないでしょう」
柳原は少し驚いたように蓮を見る。
「そこまで考えていたとは」
「失礼だな」
「失礼しました」
「それに俺、政治家じゃないですから」
「それはよく分かりました」
「どういう意味です?」
「褒めています」
「絶対違う」
◇
政府の骨格は決まった。
しかし最後まで残った問題があった。
天城蓮。
正確には、蓮個人が保有している権限だった。
議会へ参考人として呼ばれた蓮の前で、柳原が一つずつ確認する。
「現在も、軌道上の母船に対する最高位アクセス権を保持していますね」
「はい」
「惑星上のナノマシン群についても?」
「全部じゃありませんけど、かなり上位です」
「重力制御設備」
「使えます」
「軌道観測システム」
「使えます」
「惑星防衛設備」
「はい」
柳原は一度言葉を切った。
「軌道兵器」
「……使えます」
議場が静かになった。
一人の議員が手を挙げた。
「行政権を政府へ移管するのであれば、それらの権限も政府管理とすべきではありませんか」
「俺は構いませんよ」
蓮は即答した。
渡せるものなら全部渡したいくらいだった。
しかし技術部門の責任者が首を振った。
「現実的ではありません。主要システムの一部は、天城個人の生体情報とナノマシン認証に深く結びついています。単純な権限移譲では済みません」
「改修は?」
「可能です。しかし、もう一つ問題があります」
技術責任者は議員たちを見る。
「惑星規模の災害や外敵の攻撃が発生した場合、議会を招集し、採決してから防衛システムを起動するのですか?」
誰も答えなかった。
「数秒、数分が三千七百人の生死を分ける可能性があります。少なくとも現時点で、最高位権限を完全に分散することには反対します」
議論は長引いた。
やがて柳原が口を開く。
「私は、天城さんを信用しています」
「ありがとうございます」
「しかし、それと制度の問題は別です」
蓮が柳原を見る。
「政治制度というものは、誰か一人が善良であることを前提に作ってはいけません」
議場が静かになる。
「天城蓮という人物が信用できる。だから彼に巨大な権限を預けておけばよい。それでは制度とは呼べないのです」
「……まあ、そうですね」
「極端な話をしましょう。現在のあなたは、その気になればこの自治政府を無視して行動できます」
「できますね」
「場合によっては、我々三千七百人を一人で滅ぼすことすらできる」
「言い方怖くないですか?」
「事実です」
「そうですけど」
「そして政府には、それを止める手段がほとんどない」
議員たちの視線が蓮へ集まった。
「やりませんよ?」
「知っています」
「なら――」
「だから、それでは駄目なのです」
柳原は穏やかな口調のまま続けた。
「我々が作るのは、今日だけ動けばよい政府ではありません。十年後、百年後にも機能する仕組みです。天城さんが善人だから大丈夫、という制度を次の世代へ残すわけにはいきません」
蓮はしばらく黙った。
そして頷いた。
「分かりました」
◇
最終的に、一つの妥協案が成立した。
蓮が持っていた行政上の最高責任者権限は、人類自治政府へ完全に移管する。
予算、資源配分、治安、教育、外交。人間社会の運営に関する決定権を、蓮個人は持たない。
一方、母船や惑星防衛システムなど、即応性が求められる一部の最高位アクセス権は当面維持する。
その使用は、人類の生存あるいは重大な危機への対処に限定する。
緊急性がなければ政府の承認を得る。
承認を待つことで人命や社会に重大な損害が生じると判断される場合、蓮は自らの責任で権限を行使できる。
その場合は、事後に議会へ報告し、判断の妥当性について検証を受ける。
恒久的な制度ではない。将来的に社会と技術が安定すれば、さらに権限を分散することも明記された。
蓮自身も、その制度に署名した。
◇
政府発足の日。
二十四人の議員が小さな議場へ集まった。
大げさな式典は行われなかった。
柳原が初代議長として署名し、各行政部門の責任者が続く。
最後に蓮が呼ばれた。
「俺も?」
「あなたから行政権を移管するのですから、当然です」
「はいはい」
「返事が軽いですね」
「早く自由になりたいんですよ」
蓮は署名した。
端末に認証が表示される。
《移民団最高責任者による行政権限移管を確認》
続いて、新しい文字が現れた。
《人類自治政府 正式発足》
地球を離れた人類。
長い眠りを経て、わずか三千七百人ほどになった人類。
その小さな社会に、新しい政府が生まれた。
「これで俺、最高責任者じゃなくなる?」
「行政上は」
「よし」
「ずいぶん嬉しそうですね」
「そりゃ嬉しいですよ」
「普通は権力を手放したがらないものですが」
「そんな暇があったら、もっと面白いことしたいんで」
柳原はしばらく蓮を見た。
「あなたを政府代表にしなくて、本当によかったと思います」
「ひどくない?」
「最大級の賛辞です」
「絶対違うでしょう」
柳原は笑った。
◇
それから時は流れた。
人類自治政府は少しずつ社会へ根を張った。
予算が作られ、規則が整備され、学校が作られた。エルフ諸国との外交窓口も政府へ移った。
三千七百人ほどしかいない小さな社会だからこそ、一人の医師、一人の技術者、一人の農業担当者の存在が大きい。議員自身が別の仕事を持つことも珍しくなかった。
完璧な政府ではない。
それでも人類は、移民団から一つの社会へ変わっていった。
そして、蓮に残された非常権限もまた、制度上の飾りでは終わらなかった。
◇
「では、天城さん。先日の深海探査艇緊急降下について、確認します」
「はい」
現在。
人類自治政府の議場に、蓮の姿があった。
正面には柳原議長。二十四人の議員も席についている。
蓮を追及するための場ではない。
蓮に残された非常権限が行使された以上、その経緯を記録し、判断が妥当だったかを議会として検証するための場だった。
「まず確認します。母船に収容されていた深海探査艇を地上へ緊急降下させる判断を最初に提示したのは、あなたですか?」
「違います。イザナミです」
「理由は?」
「俺たちが絶体絶命だったからです」
蓮の声から、普段の軽さが消えた。
「自力で状況をひっくり返すのは難しかった。イザナミが状況を分析して、母船に残されていた深海艇なら対応できると判断した。それで俺に降下の許可を求めてきました」
柳原が記録を確認する。
「こちらの記録とも一致しています。イザナミによる状況分析、深海探査艇の使用提案。その後、最高位権限保持者である天城さんへ実行許可を要求」
「はい」
「あなたは許可した」
「しました」
「その時点で政府へ連絡することは可能でしたか?」
「通信そのものはできたと思います」
「では、なぜ政府の承認を求めなかったのです?」
「待っている時間がなかったからです」
議場が静かになる。
「政府へ状況を説明して、担当者を呼んで、承認を取っている間に死ぬ可能性があった。少なくとも俺は、そう判断しました」
一人の議員が尋ねた。
「どの程度、切迫していたのですか?」
「イザナミが深海艇を使う案を出さなかったら、かなりまずかったと思います」
「生還できなかった可能性がある?」
「あります」
蓮ははっきり答えた。
「だから許可しました」
「深海探査艇そのものを軌道上から緊急降下させることによる危険性は?」
「そこはイザナミが計算しています。降下軌道、周辺への影響、安全に投入できる地点。全部確認した上で提案してきました」
「つまり、技術的な判断はイザナミ」
「はい」
「しかし最終的に降下を許可したのは、あなた」
「俺です」
蓮はそこで少しも言葉を濁さなかった。
「イザナミは選択肢を提示しただけです。実行を許可したのは俺です。結果として何か問題があったなら、責任は俺にあります」
柳原はしばらく蓮を見ていた。
やがて資料を閉じる。
「分かりました」
「……終わり?」
「この件については」
「怒られないんですか?」
柳原が眉を上げた。
「なぜ私が怒るんです?」
「政府の許可を取らずに母船から深海艇を降ろしたから」
「天城さん」
「はい」
「あなたに非常権限を残した理由を覚えていますか?」
「政府の承認を待っていたら間に合わないような緊急事態に対応するため」
「その通りです」
柳原は議員たちを見渡した。
「制度とは、人を殺すためにあるものではありません。あの状況で『政府の承認がないから救援手段を使ってはならない』という制度であったなら、間違っているのは天城さんではなく制度の方です」
蓮は少し意外そうな顔をした。
「じゃあ、問題なし?」
「現時点では、適切な非常権限の行使だったと考えます」
「よかった」
「ただし」
「やっぱりあるんだ」
「当然です」
柳原は淡々と続けた。
「非常権限を使った以上、こうして説明していただきます。なぜ必要だったのか。他に選択肢はなかったのか。どのような危険があったのか。そして、その判断は本当に妥当だったのか」
「面倒ですね」
「面倒でなければ困ります」
蓮が柳原を見る。
「強大な権限を使うこと自体が悪なのではありません。必要なときには使わなければならない。しかし、その権限を使った者が、後から誰にも説明する必要がない。それだけは認めてはいけないのです」
柳原は少し間を置いた。
「あなたを疑っているからではありません。あなたを信用しているからこそ、あなたの後にも残る仕組みを作っているのです」
蓮はその言葉を少し考えた。
「俺の後?」
「百年後も天城蓮が最高位権限を持っているわけではないでしょう」
「まあ、そうですね」
「その時に権限を持つ人物が、あなたと同じ人間だという保証はありません」
蓮は黙った。
それは、政府を作ったときにも聞いた話だった。
制度は、善人だけが使うことを前提にしてはいけない。
「分かりました」
「よろしい」
柳原は次の資料を表示した。
「では続いて、深海探査艇の運用結果について説明してください」
「まだあるの?」
「あります」
「それ、イザナミに聞いた方が早くない?」
「航行記録についてはイザナミから提出されています。しかし現場にいた人間の証言も必要です」
「長くなりますよ」
「構いません」
蓮は椅子へ深く座り直した。
「やっぱり政府って面倒だなあ」
柳原が小さく笑った。
「だから必要なんですよ」
「その理屈、よく分からないんだけど」
「そのうち分かります」
「分かりたくないなあ」
議場に小さな笑いが広がった。
柳原もわずかに笑ってから、再び議長として蓮を見る。
「では天城さん。深海で何が起きたのか、最初からお願いします」
「はいはい」
「返事が軽い」
「……はい」
三千七百人から始まった、小さな人類自治政府。
それは英雄の手を縛るために作られたものではない。
必要なときには、決断できる者へ力を預ける。
その代わり、その力が使われた後には、なぜ使われたのかを皆の前で確かめる。
誰か一人を無条件に信じるのでもなく、誰か一人を無条件に疑うのでもない。
地球を失い、長い眠りを越え、わずかな人数になった人類が再び選んだのは、自分たちの社会を自分たちで決めるという、ごく当たり前の仕組みだった。
――第六十六話 人類自治政府 了




