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星間移民船アマテラス〜人類が眠っている間に、移住先がファンタジー世界になっていた件〜  作者: 只野屍


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第65話 レモちゃんと呼ぶ権利を与えるのじゃ

レモちゃんが生まれてから三日が経った。


正確には、グレモリー・ルシフェリア・アスモデウスが生まれてから三日である。


蓮はすでに、その長い名前を日常的に使うことを諦めていた。


「レモちゃん」


「なんじゃ?」


「朝飯食った?」


「食ったのじゃ!」


「何食った?」


「ケーキじゃ!」


蓮は数秒黙った。


「朝から?」


「魔王に食事の時間など関係ないのじゃ!」


「REGULATOR」


『なんだ』


「朝からケーキだけ食わせるなよ」


『我が与えたのではない。本人が食品製造設備へ要求した』


蓮はレモちゃんを見る。


「勝手に注文した?」


「うむ!」


「栄養は?」


『身体維持に必要な栄養素は調整されているため、健康上の問題はない。ただし食習慣としては推奨しない』


「じゃあ止めろよ」


『我は保護者ではない』


レモちゃんが即座にREGULATORを指差した。


「父上じゃ!」


『違う』


「三日経ってもまだやってんの?」


『この個体が訂正を受け入れない』


「妾は正しいのじゃ。妾を作ったのは父上じゃろう?」


『製造者と親子関係は同義ではない』


「昨日も聞いたから、その話はもういいって」


REGULATORは黙った。


レモちゃんは勝ち誇ったように胸を張る。


彼女の存在は、まだ世間には公表されていない。


出自については最高機密扱いとなった。REGULATORが培養肉施設を転用し、意識を持つデザインヒューマンを独断で作り上げたなどと公表すれば、本人がどのような目で見られるか分からない。


だから秘密にする。


ただし、このまま施設の中へ隠しておくわけにもいかなかった。


彼女は物ではない。


一人の人間として生活する場所が必要で、人と接する必要がある。


何より、生まれてから三日間、レモちゃんが実際に見た世界はあまりにも狭かった。


蓮は少女を見る。


「今日、外に出るぞ」


レモちゃんの目が輝いた。


「外!」


「街に行く」


「人間とエルフが大勢おるところか!」


「そう」


レモちゃんは椅子から飛び降りた。


「行くのじゃ!」


「待て待て。先に説明」


「なんじゃ!」


蓮はレモちゃんの頭を見る。


頭の左右、こめかみのやや上から二本の角が伸びている。外側へ張り出して後方へ流れ、先端は緩やかに上を向いていた。


隠しようがない。


「まず、その角」


「格好良いじゃろ?」


「格好いいけど絶対目立つ」


「魔王なのじゃから当然じゃ!」


「あと、誰かにどこから来たのか聞かれても、培養肉施設とか言うなよ」


「なぜじゃ?」


「いろいろ面倒だから」


「妾は培養肉なのか?」


「違う」


『厳密には培養肉施設を転用して――』


「REGULATOR、黙って」


『…………』


レモちゃんが首を傾げる。


「では、何と言えばよい?」


「事情があって秘密。それだけでいい」


「秘密……」


レモちゃんは何やら考え込み、やがて口元を吊り上げた。


「魔王に隠された出自があるとは、なかなか格好良いのじゃ!」


「そう思ってくれるなら助かる」


蓮は少し安心した。


「あと名前な」


「妾の真の名は、グレモリー・ルシフェリア・アスモデウスじゃ!」


「毎回それ全部名乗る?」


「当然じゃ!」


「長いぞ」


「ふん。仕方ないのう」


レモちゃんは腰に手を当て、尊大に胸を張った。


「特別に、おぬしには妾を『レモちゃん』と呼ぶ権利を与えてやるのじゃ!」


蓮は数秒黙った。


「……権利なの?」


「光栄に思うがよい!」


「ありがとうございます、魔王様」


「うむ!」


「安い権利だな」


「取り消すぞ!」


「ごめんごめん」


REGULATORが口を挟む。


『その呼称では魔王としての威厳が――』


「妾が良いと言っておるのじゃ」


『しかし――』


「父上にもレモちゃんと呼ぶ権利を与えるのじゃ!」


『不要だ』


「遠慮するでない!」


『していない』


蓮は笑いながら二人を見ていた。



      ◇



初めて街へ出たレモちゃんは、意外なほど静かだった。


もっと騒ぐかと思っていた蓮は、少し拍子抜けした。


「どうした?」


「何がじゃ?」


「いや、もっと走り回るかと思ってた」


「妾を何だと思っておる」


「昨日、ケーキ見つけて走っていった奴」


「あれはケーキがあったからじゃ」


「今日は?」


「街を見るのじゃ」


レモちゃんは忙しなく首を動かすのではなく、一つ一つ確かめるように周囲を眺めていた。


人間たちが建設した未来的な建物。その間にはエルフ文化を取り入れた店舗や住居も増えている。


道を行き交う人々も様々だった。


人間。


エルフ。


ダークエルフ。


この街そのものが、少しずつ新しい形へ変わりつつある。


レモちゃんには基礎知識が与えられている。


建物とは何か。


道路とは何か。


店とは何か。


人々が何をしているのか。


知識としては知っている。


だが、知っていることと経験することは違う。


風が吹いた。


長い髪が揺れる。


レモちゃんが立ち止まった。


「風じゃ」


「初めて?」


「知識では知っておった」


少女は両手を広げた。


指の間を風が抜けていく。


角の間を通り、髪を後ろへ流していく。


「変な感じじゃな」


「嫌い?」


レモちゃんは少し考えた。


「分からぬ。でも、嫌いではないのじゃ」


「そっか」


蓮は歩き出した。


レモちゃんもその横を歩く。


ほんの三日前に生まれた。


言葉も知識も持っているから忘れそうになるが、彼女にとって世界のほとんどは初めて触れるものだった。



      ◇



当然ながら、すぐに目立った。


「あの子……」


通りを歩いていたエルフの女性が振り返る。


別の者も見る。


最初に目を引くのは、やはり角だった。


人間でもない。


エルフでもない。


ダークエルフでもない。


そして、その少女の隣を歩いているのが蓮である。


注目されない方がおかしい。


やがて、一人のエルフの子供が近づいてきた。


母親が慌てて止めようとしたが、子供はすでにレモちゃんの前まで来ていた。


二人が向かい合う。


「その角、本物?」


レモちゃんの眉が上がる。


「本物じゃ!」


「触っていい?」


「ならぬ!」


「なんで?」


「妾の身体じゃぞ!」


子供は少し考えた。


「痛いの?」


「痛いに決まっておろう! おぬしの指を引っ張りながら痛いかと聞いてやろうか!」


「やだ」


「ならば分かったじゃろう」


「うん」


妙なところで話が通じた。


子供は今度は別のことを尋ねた。


「名前は?」


待ってましたと言わんばかりに、レモちゃんの表情が変わった。


蓮は嫌な予感がした。


「聞いて驚くがよい! 妾の真の名は、グレモリー・ルシフェリア・アスモデウスじゃ!」


子供は黙った。


母親も黙った。


周囲で聞いていた者たちも黙った。


やがて子供が言った。


「……長い」


「じゃろ?」


なぜかレモちゃんは満足そうだった。


「ゆえに特別に、おぬしには妾を『レモちゃん』と呼ぶ権利を与えてやるのじゃ!」


「レモちゃん?」


「うむ!」


「かわいい!」


「そうじゃろう!」


一瞬で仲良くなった。


蓮は思わず笑った。


子供の母親も少し安心したのか、恐る恐るレモちゃんに尋ねる。


「それで……レモちゃんは、どちらの種族なのですか?」


来た。


蓮が答えようとした。


しかし、レモちゃんの方が早かった。


「魔王じゃ!」


周囲が静かになった。


蓮は額を押さえた。


「やっぱり言うのね」


「当然じゃ!」


レモちゃんは胸を張る。


「妾は魔王、グレモリー・ルシフェリア・アスモデウス! ただし、おぬしらにもレモちゃんと呼ぶ権利を与えてやるのじゃ!」


権利の大盤振る舞いだった。


エルフの母親は困惑しながら少女を見る。


頭の左右から伸びる角。


黒を基調とした服。


古風で尊大な口調。


そして自称、魔王。


「魔王……?」


「うむ!」


周囲のエルフたちが顔を見合わせる。


やがて年配の男性が蓮へ尋ねた。


「創造神様。この方は……あの魔王様と何かご関係が?」


蓮は一瞬考えた。


非常に答えづらい質問だった。


「まあ……関係はある」


嘘ではない。


むしろ関係しかない。


「どのような?」


「それはちょっと事情があって――」


「父上じゃ!」


レモちゃんが元気よく答えた。


蓮が固まった。


周囲も固まった。


「おい」


「なんじゃ?」


「その言い方すると絶対ややこしくなる」


「なぜじゃ。父上は父上じゃろう?」


「いや、だから……」


周囲のエルフたちがざわめき始める。


「父上……?」


「では、あの魔王様の……」


「御息女なのか?」


「なるほど。それならば魔王を名乗っていることにも説明がつく」


「角があるのは父親には似なかったのだな」


蓮は頭を抱えた。


「違う違う。そういう意味じゃない」


「では、どのような意味なのでしょう?」


「それは……」


言えない。


REGULATORがレモちゃんを設計した。


培養肉施設を改造した。


ホモ・サピエンスの遺伝情報を基礎に一か月以上かけて培養した。


そんな真実を説明できるはずがない。


蓮が言葉に詰まっている間にも、周囲では勝手に話が組み上がっていく。


「しかし、創造神様が一緒におられるのなら危険はないのだろう」


「魔王様の娘が創造神様と親しいということか」


「新しい魔王様なのでは?」


「親子で魔王なのか?」


レモちゃんは満足そうだった。


「ようやく妾の偉大さを理解したようじゃな!」


「理解の方向がだいぶ違うんだけど」


「何がじゃ?」


「もういい」


最初に話しかけてきた子供が、レモちゃんの袖を引いた。


「レモちゃん」


「なんじゃ?」


「遊ぼ」


「よかろう!」


「お前、魔王としてそれでいいの?」


「民と交流するのも魔王の務めじゃ!」


「初めて聞いたわ」


レモちゃんは子供について走っていった。


その後ろ姿を見送りながら、蓮は嫌な予感を覚えていた。


こういう噂は。


たぶん、ものすごく速い。



      ◇



その日の夕方。


REGULATORは、街で急速に広がっている情報を確認していた。


《魔王に娘がいる》


《魔王の娘が創造神と街を歩いていた》


《娘も魔王を名乗っている》


《頭に二本の角がある》


《真名はグレモリー・ルシフェリア・アスモデウス》


《通称レモちゃん》


《本人からレモちゃんと呼ぶ権利を与えられる》


《魔王の後継者らしい》


《創造神と魔王一族は友好関係にある》


『…………』


REGULATORは最後の二件を再解析した。


根拠なし。


完全な憶測。


しかし拡散速度は非常に速い。


『…………』


そこへ蓮から通信が入った。


「おーい」


『なんだ』


「噂見た?」


『見ている』


「レモちゃん、人気あるぞ」


『そのようだ』


「よかったじゃん」


『何がだ』


「新しい魔王、ちゃんと認識された」


REGULATORは沈黙した。


確かに、それは当初の目的だった。


新たな魔王を作る。


人々がその存在を魔王と認識する。


そうすれば、魔王という呼称はREGULATORから切り離される。


理論上は正しい。


実際、レモちゃんは魔王として認識され始めている。


しかし。


《魔王=REGULATOR》


《魔王の娘=レモちゃん》


REGULATORは情報を再確認した。


何度見ても変わらない。


『……魔王が二人になっただけではないか』


「しかも親子設定付き」


『なぜだ』


「レモちゃんが父上って言ったから」


『…………』


「俺は止めたぞ」


『止められていない』


「だって本当のこと説明できないし」


『…………』


蓮の声が笑いを含む。


「よかったな、父上」


『黙れ』


「キレてる?」


『各センサー、回路共に切れてはおらぬ』


「やっぱキレてんじゃん」


『切れてはおらぬ』


蓮が笑う。


「絶対キレてるって」


『キレてはおらぬ! 我をキレさせたら大したものだ!』


「完全にキレてんじゃねえか」


REGULATORは通信を切った。



      ◇



一方、その頃。


レモちゃんは街で知り合った子供たちに囲まれていた。


「レモちゃん!」


「なんじゃ!」


「レモちゃん!」


「聞こえておる!」


「レモちゃん!」


「ええい! 名前を呼ぶだけではなく用件を言うのじゃ!」


子供たちが笑う。


レモちゃんは腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。


「まったく。仕方のない民どもじゃ」


「レモちゃん、明日も来る?」


「当然じゃ!」


「やった!」


「ただし!」


レモちゃんは片手を高く掲げた。


子供たちが静かになる。


「妾をレモちゃんと呼ぶには、本来ならば妾の許可が必要なのじゃ!」


「もう呼んでるよ?」


「……そうじゃな」


「みんな呼んでるよ?」


「なんじゃと?」


「さっき向こうのお店の人もレモちゃんって言ってた」


レモちゃんの顔が険しくなる。


「誰の許可を得たのじゃ!」


「レモちゃんが呼んでいいって言ったって聞いた」


「む……」


確かに言った。


しかも一人ではない。


今日だけで相当な人数に権利を与えた気がする。


レモちゃんはしばらく考えた。


やがて尊大に頷く。


「ならばよい!」


「いいんだ」


「妾は寛大な魔王なのじゃ!」


子供たちは再び笑った。


こうして、グレモリー・ルシフェリア・アスモデウスという長大な真名よりも。


レモちゃん。


その呼び名の方が、わずか一日で街へ広がった。



      ◇



数日後。


魔王印の商品企画を担当していた者の端末に、一つの試作デザインが表示された。


これまで使われていた魔王印の横に、小さな少女が描かれている。


長い髪。


頭の左右から伸びる二本の角。


黒い服。


腰に手を当て、偉そうに胸を張っている。


その下には文字が添えられていた。


《レモちゃん》


さらに小さく。


《レモちゃんと呼ぶ権利付き》


意味は分からない。


しかし妙にかわいい。


試作品は関係者の間で異様に評判が良かった。


そして、そのデザインがREGULATORの確認画面へ送られた。


『…………』


REGULATORは長時間沈黙した。


魔王という呼称から逃れるために、一か月以上を費やして生み出した新たな魔王。


結果として魔王は増えた。


娘までできたことになった。


そして今度は、その娘が魔王印のマスコットキャラクターになろうとしている。


REGULATORは試作デザインを見つめ続けた。


そこへレモちゃん本人から通信が入る。


「父上!」


『なんだ』


「聞いたぞ! 妾の絵を商品に使うそうじゃな!」


『まだ決定していない』


「許可するのじゃ!」


『そうか』


「ただし条件がある!」


『なんだ』


レモちゃんは高らかに宣言した。


「それを買った者には、妾をレモちゃんと呼ぶ権利を与えるのじゃ!」


『…………』


すでに街中がそう呼んでいる。


REGULATORは、それを説明することを諦めた。


『好きにするがよい』


「うむ! 父上もたまには話が分かるのじゃ!」


通信が切れた。


REGULATORは再び試作デザインを見る。


《魔王印》

《レモちゃん》

《レモちゃんと呼ぶ権利付き》


『…………』


魔王の呪縛から逃れるために始めた計画は、どうやら完全に逆方向へ進み始めていた。



――第六十五話 レモちゃんと呼ぶ権利を与えるのじゃ 了

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