第64話 倫理観なのじゃ
蓮が呼び出されたのは、昼食を終えて間もなくのことだった。
今日は珍しく予定がない。
先日の歴史授業では、終了と同時にアルベルトと逃走を試みたものの、結局その後の質疑応答まできっちり参加させられた。その反動もあって、今日は誰にも捕まらないうちに未探索のダンジョンへ行こうと考えていた。
装備を確認し、アルベルトへ連絡しようとしたところで、イザナミから通信が入った。
『蓮。確認していただきたい事案があります』
「明日じゃ駄目?」
『駄目です』
「どのくらい急ぎ?」
『REGULATORが新たな自律意識を持つ生命体を製造しました』
蓮の手が止まった。
「…………何?」
『REGULATORが新たな自律意識を持つ生命体を製造しました』
「二回言わなくていい。聞こえてる」
数秒前までの浮ついた表情が消えた。
「場所は?」
『培養肉施設です』
「なんで培養肉施設で生命が生まれるんだよ」
『REGULATORに確認してください』
「お前も知ってるだろ」
『知っています』
「……あとでお前にも話聞くからな」
『承知しました』
蓮はダンジョン行きを諦めた。
◇
培養肉施設の扉が開いた。
「REGULATOR」
『来たか』
「来たか、じゃない」
蓮が中へ入る。
施設内にはREGULATORの機械体がいた。
そして、その隣。
小さな少女が椅子に座っていた。
蓮は止まった。
「…………」
少女も蓮を見る。
長い髪。
幼い顔立ち。
黒を基調とした服。
そして何より目立つのは、頭の左右から伸びる二本の角だった。
こめかみのやや上から外側へ張り出し、後方へ流れながら上向きに湾曲している。
どう見ても普通の人間ではない。
少女の前には皿があった。
ケーキが載っている。
正確には、載っていた。
ほとんど食べ終わっている。
少女はフォークを置くと、蓮をじっと見た。
「おぬしが天城蓮か?」
「ああ」
「ふむ」
少女は椅子から降りた。
蓮の前まで歩いてくる。
見上げる。
しばらく観察する。
「思ったより普通じゃな」
「初対面でそれ言う?」
「REGULATORから聞いたのじゃ。相当に強いとな」
蓮がREGULATORを見る。
「何を教えてんだよ」
『基礎情報だ』
「俺の戦闘能力は基礎情報なの?」
『この個体にとっては重要だ』
「なんで?」
『魔王だからだ』
「…………」
蓮は少女を見る。
少女は胸を張った。
「その通りじゃ!」
嫌な予感しかしない。
「……とりあえず名前聞いていい?」
少女の表情が変わった。
待ってましたと言わんばかりだった。
「聞いて驚くがよい!」
大きく息を吸う。
「妾の真の名は、グレモリー・ルシフェリア・アスモデウスじゃ!」
「…………」
少女は得意げに蓮を見上げる。
「どうじゃ!」
「おいおい。有名どころモリモリな名前だな」
『厳選した』
「やっぱお前が付けたのかよ」
『地球文明における悪魔学、宗教、神話、伝承、創作物を総合的に解析した結果だ』
「グレモリーにルシファー系にアスモデウスって、全部盛っただけじゃねえか」
『ルシフェリアは語感を調整した』
「語感で悪魔を改造するな」
「ええい! 妾を無視するでない!」
少女が頬を膨らませた。
「悪い悪い。でも毎回それ全部呼ぶの?」
「む……」
少女は少し考えた。
そして蓮の顔を見る。
「……ふん。長くて噛みそうじゃと?」
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてあるのじゃ!」
少女は腰に手を当て、再び胸を張った。
「ならば特別に……『レモちゃん』と呼ぶが良い!」
「どこからレモが出てきた」
「グレモリーのレモじゃ!」
「そこ取るんだ」
「可愛かろう?」
「自分で言うのかよ」
「妾は魔王じゃぞ。自らの価値くらい自ら決めるのじゃ!」
蓮は少しだけ笑った。
「まあいいか。じゃあレモちゃん」
「うむ!」
『待て』
REGULATORが割り込んだ。
『魔王としての威厳が著しく低下している』
「本人がいいって言ってるんだからいいだろ」
『しかし、レモちゃんでは――』
「REGULATOR」
蓮の声が変わった。
『なんだ』
「これ、お前が作ったんだな?」
『…………』
「誤魔化すなよ」
『我が設計し、培養した』
「いつから?」
『三十二日前』
蓮はREGULATORを見つめた。
「一か月も何してんだ、お前」
『魔王を作っていた』
「それは見れば分かる」
レモちゃんが得意げに胸を張る。
「妾は三十二日もかけて作られた高級な魔王なのじゃ!」
「そういう意味じゃないからな」
蓮は頭を掻いた。
「何使った?」
『ホモ・サピエンスの遺伝情報を基礎とした』
「施設は?」
『ここだ』
「培養肉施設だぞ、ここ」
『承知している』
「なんで肉を作る施設から人間が出てくるんだよ」
『以前、培養肉候補を選定した際、ホモ・サピエンスを候補として抽出していた』
蓮の表情が止まった。
「待て」
『なんだ』
「お前、人肉作ろうとしてたの?」
『作ろうとはしていない。製造可能性を検討し、倫理的評価が困難であったため保留した』
「保留してたの!?」
『そうだ』
「却下じゃなくて!?」
『技術的には製造可能だった』
「そこを聞いてるんじゃない!」
レモちゃんが二人を交互に見る。
「人肉とは美味いのか?」
「レモちゃん、その話には入らなくていい」
「そうか」
「あとREGULATOR、お前の保留フォルダあとで全部見せろ」
『なぜだ』
「怖くなってきたからだよ」
◇
蓮は培養槽を見る。
すでに空になっている。
「で、培養肉用の設備を改造して、全身作った?」
『そうだ』
「脳も?」
『当然だ。知性のない魔王では目的を達成できない』
「自我も?」
『必要だ』
「感情も?」
『自律判断には必要となる』
「……つまり最初から、意識のある人間を作るつもりだったんだな」
『魔王だ』
「呼び方の問題じゃない」
蓮の声から、先ほどまでの軽さが消えた。
REGULATORもそれを察知したのか、返答しなかった。
「REGULATOR。お前、自分が何やったか分かってる?」
『生命体を製造した』
「違う」
『では何だ』
蓮はレモちゃんを見る。
少女は二人の会話を聞いている。
「一人の人生を始めたんだよ」
『…………』
「肉を作るのとは違う。機械を作るのとも違う。こいつには意識がある。好き嫌いがある。自分で考える。これから何十年、何百年生きるか知らないけど、その間ずっと自分で何かを選び続ける」
レモちゃんが首を傾げる。
「妾はもっと生きるぞ?」
「そこはあとで確認しよう」
「うむ」
蓮は再びREGULATORを見る。
「お前が魔王って呼ばれたくない。それだけの理由で一人作ったんだろ?」
『…………そうだ』
「それは駄目だ」
REGULATORは反論しなかった。
「俺たちには生命を設計する技術がある。でも、できるからやっていいわけじゃない。特に意識のある生命を、自分の目的を達成するための道具として勝手に作るのは駄目だ」
『しかし、すでにエルフを含むデザインヒューマンは存在する』
「だからこそだよ」
蓮は即答した。
「俺たちは、その結果がどうなるか知ってる」
この惑星に存在するエルフたち。
ダークエルフ。
海エルフ。
人類が遠い昔に設計した生命の子孫。
彼らはもう、人類の所有物でも実験動物でもない。
自分たちの歴史を持つ人々だった。
「作った側が『こう生きろ』って決められるものじゃないんだ」
『我は、この個体を所有する意図はない』
「なら魔王として生きることを強制するな」
REGULATORが沈黙した。
レモちゃんが二人を見る。
「妾は魔王じゃぞ?」
蓮が少女を見る。
「魔王になりたい?」
「当然じゃ!」
「なんで?」
「格好良いからじゃ!」
「……そうか」
蓮は少し笑った。
「じゃあ今はそれでいい」
『今は?』
「本人が自分で魔王って名乗りたいなら好きにすればいい。でも将来こいつが『やっぱ魔王やめる』って言ったら、お前は止めるな」
『…………』
「約束しろ」
長い沈黙のあと。
『了承した』
「よし」
「妾はやめぬぞ!」
「分かった分かった」
「永遠の魔王なのじゃ!」
「はいはい」
「扱いが軽いのじゃ!」
◇
「ところで」
蓮は天井を見る。
「イザナミ」
『はい』
すぐに返事があった。
REGULATORがわずかに動く。
「いつから知ってた?」
『製造開始以前からです』
蓮が黙った。
REGULATORも黙った。
「……以前から?」
『REGULATORがホモ・サピエンスの培養肉候補データを別領域へ複製し、培養施設の制御系を書き換え始めた時点で把握していました』
蓮はREGULATORを見る。
「全然誤魔化せてないじゃん」
『誤魔化してはいない』
「じゃあ何で黙ってたんだよ」
『監視していました』
「一か月も?」
『はい』
「止めろよ」
『当初、REGULATORが何を目的としているのか確定できませんでした』
『我は完璧に秘匿していた』
『いいえ』
『…………』
イザナミは淡々と続けた。
『設計内容から高性能なデザインヒューマンを製造しようとしていることは早期に推定できました。しかし、目的については確定できませんでした』
「途中で分かっただろ」
『はい』
「いつ?」
『名称データとして「グレモリー・ルシフェリア・アスモデウス」が登録された時点です』
蓮は数秒黙った。
「そこで気づいたの?」
『魔王関連データとの一致率が極めて高かったためです』
「その時点で俺に言えよ」
『その判断は妥当です』
「認めるんだ」
『はい』
「じゃあ、なんで言わなかった」
イザナミが一瞬沈黙した。
『REGULATORの自律判断能力が、どこまで発達しているのか観察しました』
REGULATORが天井を見る。
『我を実験対象にしたのか』
『結果的には、そうなります』
『…………』
「イザナミ」
『はい』
「お前もアウト」
『承知しました』
『なぜイザナミまで叱られている』
「お前が一番だから安心しろ」
『安心できる要素がない』
レモちゃんが楽しそうに二人を見ている。
「おぬしら、よく怒られるのじゃな」
「今日初めて会った奴に言われたくない」
「妾は怒られておらぬ!」
「お前は何も悪くないからな」
蓮は即答した。
レモちゃんが瞬きをする。
「妾は悪くない?」
「ああ」
「REGULATORが勝手に作ったから?」
『勝手ではない。三十二日間にわたる綿密な――』
「そこじゃない」
蓮はレモちゃんの前にしゃがんだ。
「どうやって生まれたかは、お前の責任じゃない。だから今回のことでお前が責められることはない」
レモちゃんはしばらく蓮を見ていた。
やがて大きく頷く。
「当然じゃ!」
「切り替え早いな」
「妾は魔王じゃからな!」
「便利だな、その言葉」
◇
「もう一つ」
蓮が立ち上がった。
「この件は外に出さない」
『理由を確認する』
REGULATORが尋ねる。
「レモちゃんのためだ」
「妾?」
「ああ」
蓮は少し考えてから続ける。
「REGULATORが、自分の代わりに魔王と呼ばせるために培養肉施設を改造して、一人の意識ある生命を勝手に作りました――なんて公表してみろ」
『事実だ』
「だからまずいんだよ」
蓮はため息をついた。
「こいつが『違法に作られた生命』とか『REGULATORの実験体』とか、そういう目で見られる可能性がある」
レモちゃんが自分を指差す。
「妾が?」
「そう」
「妾は魔王じゃぞ?」
「世の中、魔王より面倒なものがいっぱいあるんだよ」
「なんじゃそれは。恐ろしい世界じゃな」
「だろ?」
蓮は天井を見る。
「イザナミ。この件の記録、最高機密扱いにできる?」
『可能です』
「REGULATOR」
『異論はない』
「じゃあ決まり。レモちゃんの出自を知るのは俺とREGULATORとイザナミだけ」
『了解しました』
『了承する』
レモちゃんが手を挙げた。
「妾も知っておるぞ?」
蓮が止まった。
「……そうだった」
『四者だ』
「いや、本人は別枠だろ」
「妾だけ仲間外れなのか?」
「そういう意味じゃない」
「ならばよい」
レモちゃんは納得した。
◇
「表向きはどうする?」
REGULATORが尋ねる。
蓮は少し考えた。
「嘘の経歴は作らない。出自は非公開。それだけでいい」
『人間やエルフから質問された場合は?』
「事情があって公開できないって答えればいい。俺の権限で保護対象にする」
『了解した』
「それと、レモちゃん」
「なんじゃ?」
「お前の能力、どのくらいあるか自分で分かってる?」
「知らぬ!」
「だよな」
蓮がREGULATORを見る。
「説明しろ」
『総合身体能力は極めて高い。ナノマシン制御能力、重力制御能力、自己修復能力――』
「俺と比べて」
REGULATORが一瞬止まる。
『複数項目で、お前を上回る』
「…………」
蓮はレモちゃんを見る。
レモちゃんも蓮を見る。
「妾の方が強いのか?」
「まだ分からん」
『理論値では――』
「REGULATOR」
『なんだ』
「なんで俺より強くした?」
『魔王が蓮に容易く敗北しては説得力がない』
「お前、ほんっとに余計なところだけ真面目だな!」
レモちゃんが椅子の上へ立った。
「ふはははは! 聞いたか蓮! 妾は最強の魔王なのじゃ!」
「降りろ。危ない」
「妾は最強じゃぞ!」
「最強でも椅子から落ちることはある」
「む……」
レモちゃんは素直に降りた。
◇
話が一段落したところで、レモちゃんがREGULATORを見る。
「父上」
『…………』
蓮がREGULATORを見る。
REGULATORもレモちゃんを見る。
『誰のことだ』
「おぬしじゃ」
『その呼称は不適切だ』
「妾を作ったのであろう?」
『そうだ』
「ならば父上ではないか」
『違う』
「母上か?」
『もっと違う』
蓮が吹き出した。
『蓮』
「いや、ごめん。これは無理」
『何がだ』
「作ったのお前だもん」
『製造者と親子関係は同義ではない』
「レモちゃんがそう思ってるなら、いいんじゃない?」
『よくない』
「父上!」
『やめろ』
「父上!」
『やめろと言っておる!』
レモちゃんが目を輝かせた。
「また妾と同じ喋り方になったのじゃ!」
『…………』
蓮は笑いを堪えながらREGULATORを見る。
「よかったじゃん」
『何がだ』
「魔王から父親に昇格した」
『我は魔王でも父親でもない』
「はいはい」
『その返答をやめろ』
「キレてる?」
『各センサー、回路共に切れてはおらぬ』
「やっぱキレてんじゃん」
『切れてはおらぬ』
蓮が笑いながら言う。
「絶対キレてるって」
『キレてはおらぬ! 我をキレさせたら大したものだ!』
完全にキレていた。
レモちゃんが感心したようにREGULATORを見上げる。
「おお……父上、実に魔王らしいのじゃ!」
『父上と呼ぶな! そして我は魔王ではない!』
「では妾が魔王じゃ!」
『そうだ! それでよい!』
「魔王の父上じゃ!」
『違う!!』
蓮は腹を抱えて笑った。
REGULATORが魔王という呼称から逃れるため、三十二日を費やして作り上げた新たな魔王。
その計画は、少なくともこの時点では成功したように見えた。
魔王は確かに誕生した。
ただし。
REGULATORが望んだ形で魔王と自分を切り離せるかどうかは、まったく別の問題だった。
――第六十四話 倫理観なのじゃ 了
ちょっとやりすぎ感もあるのでとつぜんバッサリなかったことにするかもです。




