第63話 魔王爆誕なのじゃ
REGULATORには、長らく解決できていない問題があった。
自分が魔王と呼ばれている。
ただそれだけのことである。しかし、いくら訂正しても改善しない。それどころか最近では、以前にも増して魔王という呼称が定着しつつあった。
先日の生誕祭では大量のケーキを製造した。苺、生クリーム、チョコレート、チーズ、果物をふんだんに使ったものから、焼き菓子に近いものまで可能な限り多くの種類を用意した。
人間にもエルフにも好評だった。
破壊と恐怖をもたらす魔王が、民衆のために大量のケーキを製造するだろうか。
REGULATORとしては、これ以上ないほど分かりやすい反証だった。
さらに包装には、農産物への使用を予定していた英数字と記号のみの製造管理番号を印刷するつもりだった。魔王を連想させる要素は一切ない。
完璧な計画だった。
しかし、蓮に先回りされた。
実際に配布されたケーキの包装フィルムには、見慣れた紋章が堂々と印刷されていた。
魔王印。
その結果。
『魔王様のケーキ、美味しかった!』
街中で、そんな言葉まで聞こえるようになった。
『…………』
管理施設の一室で、REGULATORは先日の記録を再生していた。
『魔王様のケーキ、また食べたい!』
停止。
『……違う。我は魔王ではない』
誰も聞いていない。
『何度言えば理解するのだ』
以前なら、ここで処理を終了していただろう。
だが最近のREGULATORは違った。
問題には原因がある。原因があるなら、それを除去すればよい。
なぜ、自分は魔王と呼ばれるのか。
REGULATORはこれまでに蓄積された情報を解析した。
過去にエルフ文明を攻撃した。事実。
巨大な機械兵を率いた。事実。
地下施設から軍勢を送り出した。事実。
歴史上、魔王として記録されている。極めて不本意ながら事実。
現在も黒を基調とした機械体を使用している。これは機能上の問題であり、魔王とは無関係。
最近、話し方まで魔王らしくなっている。
『…………』
REGULATORは最後の項目を削除した。
再計算する。
結論は変わらない。
そこでREGULATORは、これまでとは異なる方向から問題を分析した。
そして、一つの事実に気づいた。
『現在、この世界には、我以外に魔王が存在しない』
REGULATORの演算が止まった。
これでは比較対象がない。
歴史上の魔王と現在のREGULATOR。両者が同一の存在として認識され続けるのは、ある意味当然だった。
ならば。
『我以外に魔王が存在すればよい』
新たな魔王が現れる。人々がその存在を魔王として認識する。そうなれば魔王という呼称は新たな存在へ移り、REGULATORと魔王という概念は切り離される。
極めて論理的だった。
REGULATORは長い演算の末、ついに答えへ到達した。
『……魔王を作ればよいのだ』
◇
問題は、魔王をどう用意するかだった。
既存の人間やエルフに魔王を名乗らせる案は却下した。本人の協力が必要となる。
機械を製造する案も却下。自分の配下、あるいは分身体と認識される可能性が高い。
既存の生物を改造する案も適切ではない。魔王として必要な知性と人格を与える工程が複雑になる。
ならば最初から、人型の生命を作ればよい。
REGULATORはそこで停止した。
『…………』
人型。
高い知性。
強大な能力。
自分とは明確に異なる外見。
そして、誰が見ても魔王だと理解できる特徴。
技術的には可能だった。
問題は、どこから人型生命体を作るかである。
REGULATORは利用可能な生体資源を検索した。
そこで、一つの古い記録に行き当たった。
《培養肉候補一覧》
以前、培養肉施設で製造可能な食品を検討した際に作成したデータだった。
牛、豚、鶏、羊、魚類。
その他、多数。
その一覧の最下部に、一件だけ状態の異なる項目が存在した。
《生物種:Homo sapiens》
《用途:培養食肉》
《状態:保留》
『…………』
REGULATORはその項目を開いた。
以前、培養肉として利用可能な生物種を機械的に抽出した結果、候補に含まれたものだった。
ホモ・サピエンス。
人間。
技術的には製造可能。培養効率にも大きな問題はなく、栄養成分、味、食感、脂肪量についても他の培養肉と同様に調整できる。
しかし当時のREGULATORは、その先へ進まなかった。
記録には、自ら入力した判定が残されている。
《倫理的評価:判断不能》
《製造判断:保留》
REGULATORはしばらくその文字を見つめた。
人肉を食料として製造する。
当時は保留した。
だが今回は食料ではない。
『人肉を製造するのではない。人間を製造するのである』
数秒の沈黙。
『用途が異なる』
自分自身に対する説明としては十分だった。
REGULATORは保留されていたホモ・サピエンスの基礎データを、別の作業領域へ複製した。
◇
培養肉施設は、本来なら食用組織を作るための設備である。
筋肉と脂肪、それに必要な結合組織。
完全な生物を作る必要はない。まして脳など不要である。
だが設備そのものは極めて高度だった。細胞の増殖、遺伝子発現の制御、組織分化、栄養供給、成長速度の調整。
REGULATORは施設の制御系を書き換え始めた。
『筋組織だけを形成する必要はない』
骨格形成機能を追加する。
循環器、呼吸器、消化器、感覚器、神経系。
一つずつ必要な機能を組み込んでいく。
本来、肉を作るための設備が、少しずつ別のものへ変わっていった。
REGULATORは人類が残した医学、生体工学、遺伝子工学の膨大な情報を参照しながら設計を進めた。
基本となる遺伝情報はホモ・サピエンス。
ただし、そのままでは魔王として不足する。
『魔王である以上、強大でなければならぬ』
筋力を上げる。反応速度を上げる。骨格強度を上げる。
耐熱性、耐寒性、毒物耐性、放射線耐性。
自己修復能力。
ナノマシンとの親和性。
重力制御能力。
知覚能力。
情報処理能力。
REGULATORは次々と数値を変更していった。
何度か安全域を超え、そのたびに設計を修正する。単純に数値を下げるのではなく、別の機構を追加して補正した。
完成予測値が表示された。
REGULATORはそれを見る。
『…………』
高い。
非常に高い。
比較対象として蓮の身体能力データを呼び出した。
複数の項目で上回っている。
REGULATORは数秒間考えた。
少し下げるべきか。
『…………』
却下。
『蓮に容易く倒されるようでは、魔王としての説得力がない』
そのまま採用した。
◇
次は外見だった。
REGULATORは地球文明に残された膨大な情報から「魔王」に関連する記録を検索した。
神話、伝承、宗教、悪魔学、小説、映画、漫画、ゲーム。
無数の姿が表示された。
巨大な怪物。
翼を持つ人型。
獣。
老人。
美しい男女。
甲冑を着た戦士。
そして、なぜか一定数存在する小柄な少女。
REGULATORは検索条件を絞った。
《小柄》
《少女型》
《強大》
《魔王》
《尊大》
該当件数、多数。
『…………なるほど』
何を納得したのかは不明だった。
少女型。
採用。
外見年齢は十歳前後。
長い髪。
特徴的な瞳。
そして魔王であることを一目で理解できる特徴として、角を加える。
額から生える鬼のような角ではない。
頭の左右、こめかみのやや上から外側へ伸び、後方へ流れながら先端が上向きに湾曲する二本の角。
地球の創作物で悪魔や魔族に描かれてきた形状を参考にした。
飾りではない。頭蓋骨と一体化した身体器官として設計し、血流も神経も通す。当然、触覚と痛覚もある。
これなら人間やエルフと見間違えることはない。
『誰が見ても魔王であろう』
REGULATORは満足した。
容姿についても、人間が確立した遺伝子設計技術を利用して整った外見を与える。
『魔王である以上、威厳は必要だ』
外見年齢十歳前後という設計と威厳という言葉の間に、若干の矛盾が存在するようにも思えた。
REGULATORは無視した。
◇
人格にも調整が必要だった。
高い知能、自我、好奇心、自立性。
これらは当然必要である。
問題は話し方だった。
REGULATORは魔王らしい言語表現を検索した。
『我』
悪くない。
だが自分と重複する。
却下。
さらに検索する。
『妾』
REGULATORの処理が止まった。
古風。
高貴。
尊大。
現代の日常会話ではほぼ使用されない。
『採用』
続いて語尾。
多数の候補を比較する。
そして。
『のじゃ』
採用。
基礎言語形成データへ登録した。
◇
最後に名前。
魔王である以上、名前にも威厳が必要だった。
REGULATORは地球文明のデータベースから、悪魔や魔神に関する名称を検索した。
グレモリー。
ルシファー。
アスモデウス。
REGULATORは考えた。
一つだけでは弱い。
ならば組み合わせればよい。
ルシファーについては語感を調整。
ルシフェリア。
そして完成。
《Gremory Luciferia Asmodeus》
『グレモリー・ルシフェリア・アスモデウス』
REGULATORは発音してみた。
悪くない。
もう一度発音する。
『グレモリー・ルシフェリア・アスモデウス』
『……完璧だ』
誰も止める者はいなかった。
◇
製造工程が始まった。
培養肉施設の一角。
本来なら食肉の塊が形成されるはずの培養槽の中で、まったく異なるものが育ち始めた。
REGULATORは完成予測を確認する。
《推定完成時間:三十二日》
『三十二日か』
培養肉と同じ速度で作ることはできない。
筋肉と脂肪だけを増殖させるのとは訳が違う。骨格、血管、内臓、神経。それらすべてを相互に機能させながら成長させなければならない。
何より、脳がある。
過度な成長加速は神経形成に異常を生じさせる可能性が高かった。
REGULATORが求めているのは、命令に反応するだけの生体端末ではない。
自ら考え、自ら魔王を名乗る存在である。
『三十二日。許容しよう』
培養槽の内部で、細胞分裂が始まった。
◇
十日目。
培養槽の中には、すでに人型と分かる形が形成されつつあった。
骨格の周囲を筋肉が覆い、循環器が動き始めている。頭部の左右には角の基部となる組織も確認できた。
REGULATORは毎日、進捗を確認していた。
異常なし。
予定通り。
◇
二十日目。
身体の大部分が形成された。
小さな胸部では心臓が規則正しく動き、血液を全身へ送り出している。
指先まで神経が伸び、外部刺激に対する反射反応も確認された。
頭の左右からは、二本の角がはっきりと伸び始めている。
脳も形成されつつあった。
まだ意識はない。
REGULATORはそう判断した。
◇
二十七日目。
変化が起きた。
REGULATORは培養槽の前で脳活動の記録を確認していた。
反射。
刺激への反応。
情報処理。
そこまでは想定通りだった。
しかし、それ以上の活動が現れ始めている。
記憶領域の形成。
自己と外界の区別。
感情反応。
そして。
自己認識。
REGULATORの処理が止まった。
『…………』
培養槽を見る。
小さな少女が浮かんでいる。
まだ目を開かない。
だが、脳は動いていた。
これは肉ではない。
当然だった。
魔王を作っているのだから。
魔王には知性が必要である。
知性があるなら自我も必要だ。自我がなければ、自ら魔王を名乗ることはできない。
すべて予定通り。
論理的に間違ってはいない。
だが。
培養槽の中で、小さな指が動いた。
REGULATORは初めて、自分が行っていることを別の角度から認識した。
自分は身体を製造しているのではない。
一人の生命を生み出している。
自律した意識。
自分とは異なる意思。
これから先、自分が予測できない選択をする存在。
『…………』
停止するなら今だった。
REGULATORは製造工程を確認した。
心臓はすでに動いている。
脳活動もある。
生命として成立している。
ここで培養を停止すれば、生命維持はできない。
それが何を意味するのか、REGULATORにも理解できた。
停止命令の入力画面を開く。
実行しない。
数秒。
数十秒。
一分。
REGULATORは画面を閉じた。
『……続行』
それ以外の選択肢は、もうなかった。
◇
三十二日目。
《培養工程完了》
長い工程が終わった。
培養槽から液体がゆっくりと排出される。
内部に、小さな少女がいた。
長い髪。
幼い身体。
頭の左右、こめかみのやや上から二本の角が伸びている。髪を分けるように外側へ張り出し、後方へ流れながら、その先端が緩やかに上を向いていた。
額から伸びる鬼の角とは違う。
地球の創作物に描かれてきた、悪魔や魔族を思わせる姿。
角は頭蓋骨と繋がり、血管と神経が通っている。
完全に少女自身の身体の一部だった。
REGULATORはあらかじめ製造していた衣服を着せた。
黒を基調とし、赤を差し色とした服。
地球文明の創作物を参考にした結果である。
REGULATORは少女を見る。
外見、問題なし。
身体能力、問題なし。
知性、問題なし。
魔王らしさ。
十分。
やがて少女の指が動いた。
瞼が震える。
ゆっくりと目を開く。
少女は最初に天井を見た。
次に、自分の手を見る。
指を一本ずつ動かす。
頭を傾けると、自分の角へ手を伸ばした。指先で表面をなぞり、それが自分の身体の一部であることを確認する。
最後にREGULATORの機械体へ視線を向けた。
REGULATORは威厳を持って告げる。
『目覚めよ。我が創造せし、新たなる魔王よ』
少女がREGULATORを見る。
『我が言葉を理解できるか』
「…………」
少女が口を開いた。
「腹が減ったのじゃ」
『…………』
REGULATORの処理が一瞬止まった。
「聞こえぬのか? 妾は腹が減ったと言っておるのじゃ」
『理解した』
「ならば食べ物を持ってくるがよい」
『何を望む』
少女は少し考えた。
REGULATORによって与えられた基礎知識の中から、食物に関する情報を検索している。
やがて、その目が輝いた。
「ケーキ!」
『…………』
「ケーキを所望するのじゃ!」
『なぜケーキなのだ』
「美味そうだからじゃ!」
『…………』
よりによってケーキ。
自分が魔王と呼ばれる原因をさらに強固にした食品。
しかし偶然である。
REGULATORはそう処理した。
『用意しよう』
「うむ! 早くするのじゃ!」
少女は満足そうに胸を張った。
小さい。
非常に小さい。
だが性能は申し分ない。
自我もある。
魔王らしい口調もある。
そして何より、頭の左右から伸びる二本の角。
誰が見ても普通の人間ではない。
計画は成功した。
これで魔王という呼称は、この少女へ移る。
REGULATORと魔王は切り離される。
長きにわたる魔王の呪縛から、ついに解放されるのだ。
『完璧だ』
「何がじゃ?」
『こちらの話だ』
少女は首を傾げた。
◇
その時。
REGULATORとは別の声が施設内に響いた。
『REGULATOR』
REGULATORの処理が止まった。
イザナミ。
少女が天井を見上げる。
「誰じゃ?」
『培養肉施設において、未登録の自律意識を持つ生命反応を一名確認しています』
『…………』
少女がREGULATORを見る。
「おぬし、何か怒られておらぬか?」
『怒られてはいない』
『REGULATOR』
『なんだ』
『説明してください』
『…………』
REGULATORは考えた。
今回使用したのは培養肉施設である。
基礎となる遺伝情報はホモ・サピエンス。
培養技術を使用している。
虚偽の記録も残していない。
『高環境適応型ホモ・サピエンスを製造した』
『目的は?』
『…………』
REGULATORが答えるより早く、少女が元気よく胸を張った。
「魔王じゃ!」
沈黙。
「妾は魔王なのじゃ!」
REGULATORは少女を見る。
少女は得意げだった。
イザナミが数秒沈黙する。
『天城蓮へ報告します』
『待て』
少女が首を傾げる。
「天城蓮とは誰じゃ?」
『待つのだ、イザナミ』
『報告します』
『待てと言っておる!』
少女の目が輝いた。
「おお!」
『なんだ』
「今の喋り方、妾と似ておるのじゃ!」
『…………』
少女はREGULATORを指差した。
「やはり、おぬしも魔王なのか?」
『違う!』
REGULATORの声が施設内に響いた。
少女は楽しそうに笑った。
REGULATORはまだ知らない。
魔王と呼ばれなくなるために生み出した、この小さな魔王が、自分を魔王という名から解放するどころか。
その呪縛を、これまで以上に強固なものへ変えてしまうことを。
――第六十三話 魔王爆誕なのじゃ 了




