第61話 地球
「よし。今日は西側の第四十八号ダンジョンに行こう」
朝食を終えた蓮は、さも当然のようにそう言った。
向かいに座っていたアルベルトが顔を上げる。
「第四十八号? あそこは先日、第五階層より下への通路が発見された場所ではないか」
「そうそう。まだ誰も最深部まで行ってないらしい。今日は予定もないし、ちょうどいいだろ」
「よかろう。ならば私も――」
「天城蓮さん」
背後から声がした。
蓮の動きが止まった。
振り返ると、中央学園の教職員が三人立っていた。人間が二人、エルフが一人。先頭にいる人間の教師とは、蓮も何度か顔を合わせたことがある。
「……おはようございます」
「おはようございます。迎えに来ました」
「誰を?」
「あなたを」
「何で?」
「本日の歴史科特別授業です」
「ああ」
蓮は思い出した。
そして何事もなかったかのように立ち上がった。
「じゃあアルベルト、行こうか」
「どこへ行くつもりですか」
「ダンジョン」
「学校です」
「いやいや、地球の歴史なら先生の方が詳しいだろ。先生だって地球にいたんだから」
「もちろん私も授業をします」
「じゃあ俺いらないじゃん」
「学生から、当時を知る人間の話をもっと聞きたいという希望が出ています。それに、あなたは技術者だったでしょう」
「ただの技術屋だぞ」
「十分です」
「歴史の授業に技術屋を呼んでどうすんだよ」
「当時の技術について質問された時に答えてください」
「資料に書いてあるだろ」
「資料に『こんなもの本当に作れるのかと思った』とは書いてありません」
蓮は黙った。
横でアルベルトが吹き出した。
「今、笑ったな?」
「笑っておらぬ」
「じゃあ代わりにお前が行け」
「私は地球を知らぬ」
「知らない方が学生目線でいいだろ」
「無茶を言うな」
教職員二人が蓮の左右へ立った。
「参りましょう」
「逃げないって」
「前回もそう言って途中でダンジョンへ向かわれました」
「……信用ないな、俺」
「実績があります」
反論できなかった。
こうして創造神は、中央学園の教職員に両側を固められ、学校へ連行された。
◇
教室には、人間とエルフの学生がいた。
人間の学生にとって、地球は歴史上の世界ではない。つい最近まで自分たちが暮らしていた故郷だ。
もちろん体感としての話である。
四千年以上という時間が経過しているものの、その大半を眠って過ごした彼らにとって、地球を離れたのは数年前の出来事にすぎない。
一方、エルフの学生にとって地球はまったく違う。
夜空の遥か彼方にある、人類が生まれたという世界。
存在することは理解していても、その実感はほとんどない。
そのため中央学園では、人間とエルフが互いの歴史を学ぶ授業が増えていた。
蓮が教室へ入ると、一斉に視線が集まった。
「……やっぱ帰っていい?」
「駄目です」
担当教師に即答される。
大型表示装置には、本日の題目が表示されていた。
『地球』
「ずいぶん大きく出たな」
「一時間ですべて扱うつもりはありません。本日は地球環境が悪化した時代を中心に扱います」
「それなら最初からそう書けばいいのに」
「座ってください」
「はい」
蓮は素直に用意された席へ座った。
教師が学生たちを見る。
「この教室には、実際に地球で生活していた人が何人もいます。私もその一人です。ですから今日は、地球そのものについて天城さんに説明してもらうために来ていただいたわけではありません」
エルフの学生たちが蓮を見る。
「天城さんは当時、技術者として働いていました。政治家でも移民計画の責任者でもありません。そのため政策上の意思決定については通常の歴史資料を基に私が説明します。天城さんには、当時の生活や技術について、本人が知る範囲で補足していただきます」
「そういうこと。だから『なぜ人類はこう決断したんですか』とか俺に聞くなよ。知らないから」
「天城さん」
「何?」
「まだ質問は始まっていません」
教室から笑いが起こった。
◇
最初に表示されたのは、古い地球だった。
青い海。
緑の大陸。
白い雲。
現在のこの惑星と、驚くほどよく似ている。
エルフの女子学生が手を挙げた。
「本当に、このような世界だったのですか?」
教師が頷く。
「そうです。ただし、私たちが生活していた時代には、すでにかなり環境が変化していました」
表示が切り替わった。
同じ地球。
しかし海岸線が違う。
「長期間にわたる気候変動と氷床の融解により、海面は大幅に上昇しました。低地に存在した都市の多くが失われています」
地図が日本列島へ移動する。
教師が蓮を見る。
「天城さん。日本についてお願いします」
「俺?」
「日本人でしょう」
「先生もだろ」
「私は先ほどから説明しています」
「はいはい」
蓮が立ち上がった。
「これが日本。俺たちが住んでた国」
エルフの学生が地図を見る。
「小さいですね」
「地球にいた頃からよく言われたよ」
蓮が関東地方を指す。
「で、この辺に東京っていう大都市があった」
「首都ですか?」
「昔のな」
「昔?」
「俺が生まれた頃には、昔の東京の大部分はもう海の底」
エルフの学生たちがざわついた。
人間の学生たちは驚かない。
彼らにとっては常識だった。
「海面が上がってな。東京だけじゃない。大阪とか名古屋とか、沿岸部にあった昔の都市はかなり失われた」
「日本という国そのものは?」
「残ってたよ。むしろ世界的に見れば、まだ恵まれてた方だった」
教師が説明を補足する。
「日本列島は山地の割合が高く、国土のすべてが失われたわけではありませんでした。人口の内陸移動も早くから行われています」
「北海道とか東北にも大きな居住圏が作られたしな」
蓮は続けて、太平洋上を指した。
「あと、この辺にも街があった」
エルフの学生が首を傾げる。
「海ですが」
「海だよ」
「船で生活していたのですか?」
「いや、街を作った」
「海の上に?」
「そう」
「どのくらいの?」
「大きいところなら数百万人は住んでたかな」
エルフの学生たちが顔を見合わせる。
その時、人間の学生の一人が手を挙げた。
「私、海上都市育ちです」
一斉に視線が向く。
「本当に海の上なのですか?」
「そうですよ。普通の街です。学校も病院も商業区画もありました」
「揺れないのですか?」
「普段はほとんど」
蓮が笑う。
「住んでる側からしたら別に珍しくもなかったんだよ。飲み水は海水から作れるし、電力もどうにでもなった。問題は食料だな」
「農地は?」
「ほとんど施設の中」
教師が映像を切り替える。
巨大な建造物の内部に、何層にも重なった栽培区画が広がっていた。
「当時は天候が非常に不安定でした。露地農業だけで人口を安定して支えることは困難になり、完全環境制御型の食料生産施設が世界各地で使われていました」
エルフの学生が蓮を見る。
「だから人間の皆さんは、こちらでも巨大な栽培施設を作ったのですね」
「そういうこと。俺たちからすると、何百万人分もの食料を天気任せで作る方が怖いんだよ」
何人かのエルフが納得したように頷いた。
◇
授業はさらに進んだ。
気温上昇。
海面上昇。
海洋環境の変化。
土壌の劣化。
生態系の崩壊。
巨大な暴風雨。
干ばつ。
豪雨。
人間はそのたびに技術で対応した。
海水を淡水へ変えた。
都市を移した。
食料生産を屋内へ移した。
居住区域を閉鎖環境化した。
大気中の物質を回収した。
失われた生物を遺伝子情報から復元しようともした。
それでも状況は悪化し続けた。
エルフの男子学生が手を挙げた。
「質問があります」
「どうぞ」
「それほどの技術があったのなら、なぜ地球そのものを元に戻さなかったのですか?」
教師が答えた。
「もちろん、試みられていました。人類は地球を放棄すると決めるまで、長期間にわたって環境修復を続けています」
教師は蓮を見る。
「技術者として、当時はどう感じていましたか?」
「俺?」
「実際に関連技術を扱っていたでしょう」
蓮は腕を組んだ。
「先に言っとくけど、俺は決める側じゃないぞ」
「分かっています」
「本当にただの技術屋だったからな。偉い人たちが決めた計画が下りてきて、仕様書見て『また無茶言ってんな』って文句言いながら作る側」
人間の学生たちから笑いが起こった。
「でも、技術的にどうだったのですか?」
エルフの学生が聞く。
蓮の表情が少し真面目になる。
「難しかったよ」
表示されている地球を見る。
「一個直せばいいって話じゃなかったからな」
「一個?」
「例えば気温だけ下げれば元通りになるなら、まだ話は簡単だった。でも海も変わってる。土も変わってる。大気も変わってる。生態系も壊れてる。それが全部つながってるんだ」
一つの問題を抑える。
すると別の問題が表面化する。
その対策をする。
その間にも、別の場所で環境が変化する。
「俺たち技術屋からすると、穴を塞いでる間に別の場所に穴が開くような感じだった」
「修復できなかったのですか?」
「できないとは言い切れない」
蓮は少し考えた。
「何千年とか、それ以上かけるつもりなら、もしかしたら何とかなったかもしれない。でも俺には分からん。そこは研究者によっても意見が違ったしな」
教師が頷く。
「そして、その長期間をどう生き延びるのかという問題もありました」
「そういうこと」
蓮は肩をすくめる。
「だから地球を直す計画も続けながら、宇宙へ出る計画も進んだ。どっちを選ぶか決めたのは俺じゃないけどな」
「天城さんは、どう思っていたのですか?」
突然の質問だった。
蓮は少し黙った。
「俺?」
「はい」
「……仕事だったからなあ」
学生たちが拍子抜けした顔をする。
「そんな顔するなよ。本当にそうだったんだから。明日世界が終わりますって話じゃない。飯も食ってたし、仕事にも行ってた。学校だってあった。人間は普通に生活してたんだよ」
少し間を置く。
「ただ、百年後、二百年後も同じように暮らせるかって聞かれたら、誰も自信を持って答えられなかった。それだけだ」
教室が静かになった。
◇
「地球にいた人間は、全員が宇宙へ出たのですか?」
別のエルフの学生が尋ねた。
教師が首を振る。
「いいえ。そんなことは不可能でした」
蓮も頷く。
「出られなかった人もいたし、出るつもりがない人もいた」
「残った人々は?」
「いろいろだよ。地上の居住区を維持しようとした連中もいた。海上都市を使い続ける連中もいた。軌道上へ生活圏を移そうとしてた連中もいた」
そこで蓮は少し間を置いた。
「それから、人間の方を変えようとしてた連中もいたな」
「人間を?」
「地球を人間が暮らせる環境に戻すんじゃなく、人間をその時代の地球で暮らせる生き物に変える」
エルフの学生たちが静かになる。
「遺伝子を弄るんだ。高温への耐性、毒性物質への耐性、放射線への耐性、少ない水でも生きられる身体。そういう研究は俺たちが出発する頃にはもうあった」
「姿も変わるのですか?」
「必要なら変えるだろうな」
「それでも、人間なのですか?」
蓮はその質問にはすぐ答えなかった。
「さあ」
「分からないのですか?」
「どこまで変わったら人間じゃなくなるのかなんて、俺に聞くなよ」
少し笑ってから続ける。
「本人たちが人間だと思ってるなら、人間なんじゃないか?」
人間の教師が小さく頷いた。
「当時も、それについては多くの議論がありました」
「結論は?」
エルフの学生が尋ねる。
教師は苦笑した。
「人類が簡単に結論を出せる問題ではありませんでした」
◇
教室の後方で授業を見学していたリシェルが手を挙げた。
「一つ、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「今の地球がどうなっているのかは、誰にも分からないのですね」
「分からないな」
蓮が答えた。
「もう誰も生きていない可能性も?」
「ある」
リシェルは少し寂しそうな顔をした。
「でも逆もあるぞ」
「逆?」
「俺たちが出発したあと、残った連中が地球の軌道上に巨大な居住施設でも作って、そこから地球をテラフォーミングしたかもしれない」
「でも先ほど、何千年も必要かもしれないと」
「だから寝るんだよ」
リシェルが目を瞬いた。
「寝る?」
「千年単位で」
蓮は何でもないことのように言った。
「修復設備だけ動かして、人間は長期休眠。何百年かして一度起きて状況確認して、まだ駄目ならまた寝る。そんなことやった連中がいても別におかしくない」
「千年も眠ることが、おかしくないのですか?」
「俺たちだって結局、四千年以上寝てたんだから」
教室が静かになった。
人間の学生たちには分かっている話だ。
しかしエルフにとっては、改めて聞いても途方もない時間だった。
人間の教師が苦笑する。
「実際に四千年眠った人に言われると、千年が短く聞こえて困りますね」
「だろ?」
リシェルが窓の外を見る。
青い空。
白い雲。
森。
遠くを飛ぶ鳥。
「では今頃、地球も再び青い星になっているかもしれないのですね」
蓮も窓の外へ目を向けた。
「かもな」
「蓮様は、そう思いますか?」
「さあな」
少しだけ笑う。
「でもまあ、人間ってしぶといからな」
蓮は青空を見ながら言った。
「案外、何とかしてるんじゃないか」
◇
授業終了を知らせる音が鳴った。
「よし、終わった!」
先ほどまでの空気が嘘のように、蓮が立ち上がった。
「アルベルト! まだ昼前だ! 第四十八号行くぞ!」
廊下で待っていたアルベルトが顔を出す。
「おお! ようやく終わったか!」
「天城さん」
背後から教師の声がした。
蓮が止まる。
「……何でしょう」
「質疑応答が残っています」
「今、授業終了の音鳴っただろ」
「講義時間の終了です」
「そんなの聞いてない」
「予定表に記載されています」
蓮は教師を見る。
扉を見る。
もう一度、教師を見る。
「アルベルト」
「なんだ」
「走れ」
「承知した!」
二人が同時に駆け出した。
「待ちなさい!」
教職員たちも廊下へ飛び出す。
「天城さんを逃がさないでください!」
「アルベルトさんもです!」
「なぜ私まで追われるのだ!」
「共犯だからです!」
「何の罪だ!」
騒がしい声が廊下の向こうへ遠ざかっていく。
教室に残った学生たちから笑いが起こった。
人間の教師は深いため息をついた。
そして、ふと窓の外を見る。
青い空が広がっていた。
かつて自分たちが生まれた星にも、確かにあった色だった。
――第六十一話 地球 了




