第58話 創造神聖誕祭Ⅱ
翌朝。
天城蓮は、人類居住区の中央区画へ向かう途中で、明らかな異変に気づいた。
「……人、多くない?」
『はい』
「いや、はいじゃなくて」
普段から人間とエルフの往来は多い。しかし今日は、その比ではなかった。
中央広場へ続く道を、途切れることなく人々が歩いている。エルフはもちろん、人間、ダークエルフ、遠方から来たらしい見慣れない衣装の一団、正装した使節、荷物を抱えた商人までいる。
「……何人来てるんだよ」
『現在、会場および周辺区画へ到着している者だけで一万六千名を超えています』
蓮の足が止まった。
「一万六千?」
『はい。現在も増加中です』
「俺の誕生日に?」
『創造神聖誕祭への参加者です』
「その名前、もう正式名称みたいになってない?」
『各地で広く使用されています』
「誰が最初に言い出したんだよ……」
『特定は困難です』
蓮は人の流れを眺めながら歩き出した。
その時、道端にいたエルフの親子が蓮に気づいた。
「蓮様!」
母親の声に周囲が一斉に振り向く。
「あ」
まずい。
そう思った時には遅かった。
「創造神様だ!」
「蓮様!」
「お誕生日おめでとうございます!」
次々に声が上がる。
蓮は完全に立ち止まった。
「ど、どうも……ありがとう」
こういう時にどう振る舞えばいいのか、いまだによく分からない。
そんな中、すぐ近くから小さな声が聞こえた。
「お母さん」
「何?」
「ケーキはいつ食べられるの?」
「会場へ着いてからですよ」
蓮の眉が動いた。
少し離れた場所からも聞こえる。
「本当に何百種類もあるの?」
「そう聞いているわ」
「魔王が作ったんでしょ?」
「ええ。創造神様のために用意した供物だそうよ」
蓮は無言で前を向いた。
数歩歩く。
そして。
「……イザナミ」
『はい』
「ケーキをREGULATORが作ってるのは知ってる。昨日見た」
『はい』
「魔王印にしたのも俺だ」
『はい』
「なんで供物になってんの?」
『情報伝播の過程で意味が変化しました』
「どう変化したらそうなるんだよ」
『発端は、人間の学生による「誕生日にはケーキを食べたりする」という説明です。その後、「創造神の誕生日にはケーキを食べる」「創造神の生誕を祝うためのケーキ」「創造神へ捧げるケーキ」「聖誕祭で供物のケーキが振る舞われる」と変化したものと推測されます』
「見事な伝言ゲームだな……」
蓮は改めて周囲を見回した。
明らかに浮き足立っている者が多い。
「つまりさ」
『はい』
「俺を祝いに来てくれた人と」
『はい』
「ケーキ食いに来た人が混ざってる?」
『その認識で概ね正確です』
「割合は?」
『推定しますか』
蓮は少し考えた。
「……やっぱいい。傷つきそうだから」
『賢明です』
「お前、たまに容赦ないよな」
◇
メイン会場へ到着した蓮は、予想を遥かに超えた光景に言葉を失った。
「…………」
巨大な中央広場が人で埋まっている。
各地から集まったエルフたち。
人間。
ダークエルフ。
使節団。
商人。
職人。
学生。
そして大勢の子供たち。
広場の外からは今も続々と人が流れ込んでいる。
人類居住区で、これほど多くの種族が一堂に会したことはなかった。
「おはよう、主役」
聞き慣れた声に振り向く。
神崎美冬が立っていた。
「美冬」
「何?」
「知ってたな?」
「何を?」
「この人数!」
美冬は少し視線を逸らした。
「……多少は」
「多少って規模じゃないだろ!」
「昨日より増えたのよ」
「止めろよ!」
「どうやって? あなたの誕生日を祝いたいって来てる人たちを追い返すの?」
その時、近くを歩いていたエルフの男たちの会話が聞こえた。
「魔王印のチョコレートケーキがあるらしいぞ」
「私はモンブランというものを狙っている」
「四百種類以上あると聞いた」
蓮は美冬を見る。
「祝いたいって?」
「……ケーキも楽しみなのよ、きっと」
「今の会話、俺の名前一回も出なかったぞ」
美冬が吹き出した。
「まあ、いいじゃない。理由が何であれ、これだけ集まったんだから」
蓮は会場を見渡した。
確かに、ケーキ目当ての者は少なくないだろう。
だが、道中で「おめでとう」と声をかけてくれた者たちの表情に嘘はなかった。
遠方からわざわざ足を運んだ者もいる。
「……まあ、ありがたいけどさ」
「でしょ?」
「でも規模がおかしい」
「創造神様だから仕方ないんじゃない?」
「俺は二十八歳になるだけだぞ」
「数千年ぶりに」
「言い方!」
◇
会場の一角には、長大なテーブルが何列にもわたって並べられていた。
昨日、輸送コンテナに収められたケーキの一部を見ていた蓮も、その全貌にはさすがに言葉を失った。
「……昨日より増えてない?」
『増えている』
REGULATORの低い声が会場設備から響く。
「やっぱり?」
『昨日の時点から五十五種類を追加した』
「まだ作ってたのかよ」
『試作品の評価結果が良好だったため正式採用した』
蓮は並んだケーキを眺める。
ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、モンブラン、ミルクレープ、フルーツタルト、シフォンケーキ、ロールケーキ、ティラミス、ザッハトルテ。
さらに旧地球各地域の菓子、この惑星の果実や木の実を使用した新作まである。
「結局、何種類になった?」
『四百三十七種類だ』
「やりすぎだろ、魔王」
『我は魔王ではない』
蓮がニヤッとする。
「また『我』って言った」
『…………』
美冬も反応した。
「昨日から直ってないわね」
『訂正する必要を認めない』
「じゃあ魔王でいいじゃん」
『それとこれとは別問題だ』
「なんか、どんどん人間臭くなってない?」
『天城蓮』
「何?」
『今日は貴様の生誕を祝う日であろう。余計なことを言わず楽しめ』
蓮と美冬が顔を見合わせた。
「……貴様?」
「言ったわね」
『…………』
蓮が笑う。
「魔王化進んでるぞ」
『黙れ』
「ほら!」
『ケーキを食べよ!』
「なんで命令されるんだよ!」
美冬はとうとう声を上げて笑った。
◇
やがて、ケーキの提供が始まった。
最初のうち、エルフたちは少し緊張していた。
「これが……ケーキ」
一人のエルフが、小さく切り分けられたショートケーキを前にしている。
白いクリーム。
赤い果実。
柔らかな生地。
恐る恐る口へ運ぶ。
目が見開かれた。
「……甘い」
隣の男も食べる。
「なんだ、これは……」
別の場所では、チョコレートケーキを口にした男が首を傾げた。
「苦い……いや、甘い?」
「もう一口食べてみろ」
もう一口。
「……これは止まらないぞ」
モンブランを選ぶ者。
チーズケーキを気に入る者。
果物のタルトを家族で分ける者。
そして、初めてケーキというものを知った子供たち。
「お母さん! 次これ!」
「一度に持ってこないの!」
「違うのも食べたい!」
「まだ口に入っているでしょう!」
完全に祭りだった。
当初は「創造神への供物」として語られていたケーキは、開始から十分も経たず、ただの大人気の甘味になっていた。
そして当然、あの印にも注目が集まる。
「これは何だ?」
一人のエルフが包装を見る。
透明なフィルムの中央に、堂々と印刷された一文字。
《魔》
隣の者が答える。
「魔王印だ」
「これが?」
「魔王の農園で作られた野菜にも同じ印がある」
「では、このケーキも魔王が?」
「ああ」
一口。
沈黙。
「……美味い」
「だろう?」
「さすが魔王印」
同じような会話が、あちこちから聞こえてくる。
『…………』
REGULATORは黙っていた。
蓮は近くのケーキを一口食べる。
「うまいじゃん」
『当然だ』
「これなら魔王印ケーキも定着するな」
『定着させるな』
「もう遅いだろ」
『まだ間に合う』
「無理だって。ほら」
ちょうど近くを通り過ぎたエルフの子供が叫んだ。
「お母さん! 次は違う魔王印が食べたい!」
『…………』
蓮は笑いを堪える。
「人気者だな」
『天城蓮』
「何?」
『今日は貴様の生誕祭だ』
「うん」
『我をいじる祭りではない』
蓮が止まった。
美冬も止まった。
数秒。
「……我?」
『…………』
「自分から言ったぞ」
『通信を終了する』
「逃げた!」
REGULATORからの応答はなくなった。
◇
昼を過ぎる頃には、会場の雰囲気も大きく変わっていた。
最初はケーキを目的に来た者たちも、人間たちと話すうちに「誕生日」というものの意味を知り始めていた。
「誕生日とは、神へ供物を捧げる日ではないのですか?」
エルフの女性が尋ねる。
人間の学生が首を振った。
「違いますよ」
「では、何を祝うのです?」
「その人が生まれたことです」
「生まれたことを?」
「はい。生まれてきてくれてありがとうとか、これからも元気でいてほしいとか。そういう気持ちで祝うんです」
エルフの女性は少し考えた。
「では……創造神様がお生まれになったことを、皆で喜ぶ日?」
「まあ、そういうことですね」
「なるほど……」
今度の話は、あまり形を変えずに広がっていった。
そしてそれを聞いた者たちは、改めて今日の主役を見るようになった。
ケーキを食べるだけの日ではない。
天城蓮という一人の人間が生まれたことを祝う日なのだと。
◇
午後。
蓮はステージの裏で、渡された簡単な進行表を眺めていた。
「……俺、挨拶するの?」
「当たり前でしょ」
美冬が答える。
「聞いてない」
「今言った」
「何話せばいいんだよ」
「好きなこと言えば?」
「一万人以上いるんだぞ」
『現在、会場および周辺を含め二万一千名を超えています』
イザナミが訂正した。
蓮は進行表から顔を上げた。
「増えてんじゃねえか!」
「人気者ね」
「半分くらいケーキだろ!」
「それ、本人が言っちゃ駄目じゃない?」
「いや、絶対そうだって」
ステージの向こうから、自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
蓮は小さく息を吐いた。
「……行ってくるか」
「いってらっしゃい、創造神様」
「その言い方やめろ」
美冬に笑われながら、蓮はステージへ出た。
◇
大歓声が上がった。
「蓮様!」
「創造神様!」
「お誕生日おめでとうございます!」
蓮は思わず足を止めた。
ステージから見る光景は、下にいた時とはまるで違った。
人。
人。
人。
広場を埋め尽くしている。
その向こうにも人がいる。
人間だけではない。
エルフ。
ダークエルフ。
遠方から訪れた者。
この世界で出会った、さまざまな人々。
蓮は用意されていた演台の前に立った。
歓声が少しずつ静まっていく。
「えー……」
何を言うか考えていなかった。
「こういうの、ちゃんと考えてくればよかったな」
会場から笑いが起こる。
少しだけ緊張が解けた。
「今日は、俺の誕生日のために集まってくれて……ありがとう」
拍手が起こる。
「正直、こんなことになるとは思ってなかった。美冬と飯食って、ケーキでも食えばいいかな、くらいに思ってたんだけど」
また笑い。
蓮は少し間を置いた。
「地球を出た時、俺は二十七歳だった」
会場が静かになる。
「その時は、次の誕生日をどこで迎えるかなんて考えてなかった。そもそも俺たちにとっては、ここへ着いて目を覚ますこと自体が、当たり前じゃなかったから」
蓮は広場を見渡した。
「それが今、こうして二十八歳になってる」
人間。
エルフ。
ダークエルフ。
自分たちが眠っている間に生まれ、歴史を積み重ねてきた人々。
「数千年経って、知らない世界になってて、知らない人たちがたくさんいて……最初はどうなることかと思った」
少し笑う。
「でも、今は悪くないと思ってる」
蓮の視線の先で、エルフの子供が母親の手を握っている。
「俺たち人間も、この世界じゃまだ新参者みたいなものだ。これから何が起きるかも分からない。でも、できれば……来年もこうやって笑って誕生日を迎えたい」
静かな拍手が起こった。
それが次第に大きくなっていく。
「だから――」
蓮は少し照れ臭そうに笑った。
「今日はありがとう。本当に嬉しい」
大きな拍手と歓声が広場を包んだ。
「おめでとうございます!」
「蓮様!」
「創造神様!」
蓮は頭を下げた。
そして顔を上げる。
ここで終われば、綺麗だった。
だが蓮だった。
「あ、それと」
美冬がステージ脇で嫌な予感を覚えた。
蓮は会場を見渡した。
「正直に聞きたいんだけど」
ざわめきが収まる。
「今日、俺の誕生日よりケーキ目当てで来た奴」
会場が静まり返った。
「怒らないから、手ぇ上げてみ?」
沈黙。
誰も動かない。
蓮は笑う。
「大丈夫だって」
やがて。
前の方にいたエルフの少年が、恐る恐る手を上げた。
その隣で父親も上げる。
少し離れたところでも、一人。
二人。
十人。
百人。
次々に手が上がっていく。
蓮の笑顔が引きつり始めた。
「……おい」
まだ増える。
エルフ。
ダークエルフ。
商人。
学生。
使節団の中にまでいる。
気づけば、広場のかなりの範囲で手が上がっていた。
「多いわ!」
大爆笑が起こった。
蓮も笑った。
「まあいい! 今日は食ってけ! REGULATORが死ぬほど作ったから!」
『死なぬ』
突然REGULATORの声が響いた。
再び笑いが起こる。
蓮は天井の音声設備へ向かって言った。
「そういう意味じゃねえよ、魔王!」
『魔王ではない!』
さらに大きな笑い。
蓮は笑いながらステージを降りた。
二十八歳。
数千年を越えて迎えた誕生日は、本人が思っていたものとはまるで違うものになっていた。
騒がしく。
馬鹿馬鹿しく。
けれど。
悪くない。
むしろ、こんな誕生日なら。
来年もあっていい。
蓮はそう思った。
――第五十八話 創造神聖誕祭Ⅱ 了




