第57話 創造神聖誕祭Ⅰ
始まりは、ただの夕食時の会話だった。
天城蓮が何気なく自分の年齢を尋ね、七日後に活動年齢が二十八歳になると知った。
それだけの話だった。
少なくとも蓮にとっては。
しかし翌朝、人類居住区にほど近いエルフの街では、その話は少し違った形になっていた。
「七日後、創造神様の生誕を祝う日があるらしい」
市場の一角で、商人の男がそう口にした。
「生誕を?」
「ああ。人間の学生から聞いた者がいるそうだ」
「どのように祝うのだ?」
「それがな……」
男は少し声を潜めた。
「ケーキというものを食べるらしい」
「ケーキ?」
聞き慣れない言葉だった。
「なんだ、それは」
「知らん。人間の食べ物らしい」
「創造神様へ捧げる供物か?」
「そこまでは聞いていないが……生誕を祝う日に食べるのなら、そういうものではないのか?」
「なるほど」
こうして、ほんの小さな誤解が生まれた。
◇
そもそもの発端は、一人のエルフの学生だった。
昨夜、中央食堂で蓮と美冬の会話を耳にした学生は、その後、人間の友人へ尋ねていた。
「誕生日とは何をする日なの?」
「何をするって……人によるけど」
人間の学生は少し考えた。
「家族とか友達で祝ったり、プレゼントを渡したり。あとはケーキ食べたりかな」
「ケーキ?」
「知らない?」
「知らない」
「甘い食べ物。いろんな種類があるよ。誕生日だと大きいのを用意して、みんなで分けたりする」
「みんなで?」
「うん」
エルフの学生は興味深そうに頷いた。
その日の帰宅後。
「七日後、創造神様の誕生日なんだって」
家族との食事中、何気なくその話をした。
父親が顔を上げる。
「創造神様の?」
「うん。人間は誕生日になると、ケーキっていうものをみんなで食べるらしいよ」
「ケーキ……」
「甘いんだって」
「創造神様の生誕を祝い、皆で同じものを食べるのか」
「たぶん」
その「たぶん」は、翌日には消えていた。
父親が仕事仲間へ話した時には、
「人間は創造神の生誕を祝う際、ケーキなるものを皆で食べるそうだ」
となった。
さらにその仕事仲間が妻へ話した頃には、
「七日後、創造神様の生誕祭でケーキという供物が振る舞われるらしい」
となった。
そして市場へ着く頃には。
「人類居住区へ行けば、創造神様の聖誕を祝い、ケーキなる供物を食べられる」
ことになっていた。
◇
「……なんで?」
翌日の昼。
神崎美冬は端末を見つめていた。
表示されている数字が、先ほどから増え続けている。
《創造神聖誕祭 参加希望者》
そんな催しを企画した覚えはない。
だが、問い合わせが殺到したため、イザナミが便宜上そう分類したらしい。
「イザナミ」
『はい』
「これ、何?」
『創造神聖誕祭への参加を希望している者の概算です』
「だから、そんな祭りは企画してないのよ」
『承知しています』
「だったら止めてよ」
『既に複数のエルフ都市で自主的な準備が開始されています』
「自主的な準備?」
『はい。現在確認されているだけで、七都市から使節団派遣の申し出があります。また職人組合、商業組合、教育機関、宗教関係者から贈答品に関する問い合わせが届いています』
「宗教関係者まで……」
美冬は額を押さえた。
その時。
数字がまた増えた。
「……ねえ」
『はい』
「なんでこんなに増えるの?」
『理由を分析します』
数秒。
『判明しました』
「何?」
『ケーキです』
「…………」
美冬は顔を上げた。
「何?」
『参加希望者の一部が、創造神聖誕祭において「ケーキなる供物」が振る舞われると認識しています』
「供物?」
『はい』
「誰よ、そんなこと言ったの」
『情報伝播経路の完全な追跡は困難です。ただし発端と思われる会話は特定できました』
空中に記録が表示される。
《誕生日はケーキを食べたりする》
美冬はしばらく黙った。
「……間違ってはいないわね」
『はい』
「間違ってないのに、どうして供物になったのよ」
『文化的解釈の差異と推測します』
美冬は椅子の背にもたれた。
「蓮は?」
『現在、研究区画にいます』
「このこと知ってる?」
『知りません』
「……まだ言わなくていいわ」
『理由を確認してもよろしいですか』
美冬は少し考えた。
「面白そうだから」
『了解しました』
イザナミは止めなかった。
◇
問題はケーキだった。
数百人なら人類側でどうにでもなる。
数千人でも、未来の食料生産設備を使えば対応可能だろう。
しかし参加希望者は増え続けている。
しかも、遠方の都市からも問い合わせが来始めていた。
「……一万人超えるわね、これ」
美冬は呟いた。
『可能性は高いと判断します』
「ケーキ、一万人分」
『人類居住区の食品製造設備のみでも対応可能です。ただし通常の食料供給と並行した場合、製造能力の一部を長時間占有します』
「それは困るわね」
『外部設備の利用を提案します』
「外部?」
答えを聞く前に、美冬は察した。
「……まさか」
『REGULATOR-01が管理する食料生産施設です』
「やっぱり」
魔王印の野菜。
培養液の中で育つ枝肉。
最近、妙な方向へ進化を続けている巨大生産施設である。
「作れるの?」
『能力上は問題ありません』
「じゃあ頼んでみましょうか」
◇
『ケーキ?』
REGULATORの声が響いた。
「そう。ケーキ」
『用途を確認する』
「蓮の誕生日」
沈黙。
『……天城蓮の?』
「ええ」
『必要量は』
「まだ分からない」
『要求として成立していない』
「私もそう思うわ」
美冬は端末に現在の参加希望者数を表示した。
REGULATORは数秒で状況を分析した。
『今後の増加率を考慮した場合、最低でも二万食分の準備を推奨する』
「二万……」
『余剰分は保存可能な仕様とすればよい』
「できる?」
『可能だ』
即答だった。
「じゃあお願い。なるべく普通の誕生日ケーキでいいから」
『普通とは何を指す』
「え?」
『旧地球の食文化データベースにおいて、ケーキに分類される食品は多数存在する』
「ショートケーキとかでいいんじゃない?」
『単一種類のみでは、嗜好差に対応できない』
「そんな本気にならなくても……」
『要求を受諾した。生産準備を開始する』
通信が切れた。
美冬は嫌な予感がした。
「……イザナミ」
『はい』
「今の、止めた方がよかったと思う?」
『既にREGULATOR-01が旧地球の製菓関連データへ大量アクセスを開始しています』
「遅かったか」
◇
三日後。
美冬はREGULATORの生産施設を訪れていた。
そして言葉を失った。
巨大な製造区画。
自動化されたラインが何十本も動いている。
そこを流れているものは、すべてケーキだった。
苺に似た果実を使ったショートケーキ。
チョコレートケーキ。
チーズケーキ。
モンブラン。
ミルクレープ。
フルーツタルト。
シフォンケーキ。
ロールケーキ。
ティラミス。
ザッハトルテ。
それだけではない。
旧地球各地域の菓子文化を参考にしたものから、この惑星で採れる果物、木の実、蜂蜜、香草を使用した新作まである。
色も形も大きさも違う。
それらが途切れることなくラインを流れていく。
「…………」
『生産は順調だ』
REGULATORの声がした。
「私、ケーキって言ったわよね?」
『その通りだ』
「なんでこんなことになってるの?」
『嗜好の個人差を考慮した』
「何種類あるの?」
『現在、三百八十二種類』
「三百八十二!?」
『試作品の評価結果次第では増加する』
「増やさなくていい!」
『既に四十五種類が評価工程にある』
「聞いてない!」
さらに別のラインを見て、美冬は眉を寄せた。
透明な容器の中に、妙にしっかりと形を保ったケーキが入っている。
「これは?」
『水中環境で摂食する種族向けだ』
「マリスの民用まで作ったの?」
『参加する可能性を排除できない』
「……仕事は完璧なのよね」
『当然だ』
乳製品を使用しないもの。
卵を使用しないもの。
特定の食物成分を除いたもの。
咀嚼能力の異なる種族向け。
さらには各種族の味覚差まで考慮されている。
やりすぎである。
だが、仕事そのものに文句をつけるところがない。
「まあ……これなら足りるわね」
『当然だ』
美冬が去った後。
REGULATORは製造ラインを監視していた。
大量のケーキ。
その多くには、REGULATORの管理する施設で栽培された作物や生産された原料が使用されている。
そして。
REGULATORはふと気づいた。
『…………』
これまで、この施設から出荷された野菜は、いつの間にか「魔王印」と呼ばれるようになっていた。
原因は明確である。
天城蓮。
REGULATORが英数字による管理番号を提案しても、蓮は勝手に漢字一文字の「魔」を印刷した。
結果、その記号は品質保証の印として定着してしまった。
市場では今や、
《魔王印》
で通じる。
REGULATORにとって極めて不本意な状況だった。
しかし今回の商品は新しい。
ケーキ。
まだ市場へ出ていない。
まだ誰も名前をつけていない。
『……これは』
REGULATORは演算した。
『好機ではないか』
誰もいない生産区画に、静かな声が響いた。
今回は先手を打つ。
輸送用コンテナへ管理番号を印刷する。
《RG-CF-028-A17》
意味を持たない英数字と記号。
完全な製品管理番号。
どこにも「魔」はない。
どこにも「魔王」はない。
『これでよい』
REGULATORは念のため全コンテナを検査した。
問題なし。
『魔王を示す文字列は存在しない』
完璧だった。
REGULATORは久しぶりに、極めて良好な処理結果を得たと判断した。
◇
翌日。
最初の輸送コンテナが人類居住区へ到着した。
REGULATOR自身も遠隔監視している。
美冬が立ち会い、作業員がコンテナを開けた。
《RG-CF-028-A17》
完璧である。
蓋が開く。
中には、一つずつ丁寧に包装されたケーキが並んでいた。
『…………』
REGULATORの演算処理が一瞬停止した。
透明な包装フィルム。
その中央。
黒々と。
堂々と。
一文字。
《魔》
『…………』
美冬も気づいた。
「あら」
『これは何だ』
「見れば分かるでしょ」
『なぜ存在する』
「私に聞かないでよ」
『この包装工程は当機構の管理外だ』
「そうなの?」
『最終包装用フィルムのみ、人類居住区から供給された』
美冬はすべてを察した。
「ああ……」
『誰だ』
「たぶん……」
その時。
「お、届いた?」
聞き慣れた声がした。
天城蓮だった。
REGULATORの音声出力が一瞬沈黙する。
『……天城蓮』
「ん?」
『これは何だ』
蓮はケーキを見る。
「ああ、それ?」
一つ手に取った。
フィルム中央に大きく印刷された「魔」。
「ブランドロゴ」
『不要だ』
「いるだろ。魔王が作ったケーキなんだから」
『当機構は魔王ではない』
「でも魔王印、評判いいぞ?」
『そういう問題ではない』
「野菜も売れてるし」
『そういう問題ではない』
「肉もそのうち――」
『そういう問題ではない』
美冬が口元を押さえた。
蓮は楽しそうにフィルムを眺めている。
「いいじゃん。格好いいぞ、この一文字」
『撤去せよ』
「無理」
『なぜだ』
「もう全部印刷したから」
『再包装する』
「間に合わないぞ。明後日だろ?」
『…………』
蓮が笑った。
「魔王印ケーキ。絶対売れるって」
『販売物ではない』
「祭りで評判よかったら商品化すれば?」
『しない』
「じゃあ俺が――』
『するな』
即答だった。
蓮は声を上げて笑った。
REGULATORはしばらく沈黙した。
そして。
『……天城蓮』
「なんだよ」
『貴様は――』
言葉が止まった。
『…………』
「俺が何?」
『……何でもない』
通信が切れた。
美冬が蓮を見る。
「ねえ」
「ん?」
「最近、REGULATORの喋り方、ちょっと変わってきてない?」
「そうか?」
「今、貴様って言ったわよ」
「魔王っぽくなってきたな」
「あなたのせいじゃない?」
「まさか」
蓮は笑いながら、魔の印がついたケーキを元へ戻した。
◇
その頃。
人類居住区の外では、さらに状況が悪化していた。
「聞いたか?」
「ああ!」
「創造神様の聖誕祭では、何百種類ものケーキが用意されるらしい!」
「何百種類!?」
「しかも魔王が作っているそうだ!」
「魔王が!?」
「魔王が創造神様へ捧げる供物らしい!」
「なんと……!」
また一つ。
新しい誤解が生まれた。
そして、その噂は恐ろしい速度で広がっていった。
エルフ。
ダークエルフ。
人間。
遠方の街から来る商人。
使節団。
さらには、噂を聞きつけただけの一般市民。
参加希望者の数字は、もはや誰も数える気にならない勢いで増え続けていた。
◇
聖誕祭前夜。
蓮は自室で端末を見ながら呟いた。
「明日か」
『はい』
「二十八歳ねえ」
自分の誕生日など、地球にいた頃からそこまで大げさに祝う方ではなかった。
美冬たちと食事をして、ケーキでも食べれば十分だと思っている。
「ケーキ、何にしようかな」
『既に準備されています』
「え?」
『問題ありません』
「誰が準備したの?」
『回答を控えます』
「なんで?」
『神崎美冬からの要請です』
「……まあいいか」
蓮は深く考えなかった。
「じゃあ明日は、みんなで食うか」
『はい』
蓮は端末を閉じた。
その夜。
人類居住区の外へ続く道には、既に灯りが連なり始めていた。
各地から人々がやって来る。
ある者は創造神を祝うため。
ある者は歴史的な瞬間に立ち会うため。
ある者は贈り物を届けるため。
そして、かなりの数の者が。
「ケーキなる供物……」
まだ見ぬ甘味への期待に胸を膨らませていた。
蓮は知らない。
明日の朝、自分が目にすることになる光景を。
そしてREGULATORもまだ知らない。
自ら作り上げた数百種類のケーキが、「魔王印」という名をさらに強固なものにすることを。
――第五十七話 創造神聖誕祭Ⅰ 了




