第56話 俺って何歳?
人類居住区の中央食堂。
夕食時の広いフロアには、研究者や技術者、建設関係者、商人、学生たちが入り混じり、それぞれ思い思いの食事を取っていた。
その一角で、天城蓮は神崎美冬と夕食を取っている。
少し離れた席では、一人の中年男が焼き魚を肴に白飯を黙々と食べていたが、蓮がその男を気に留めることはなかった。
「そういやさ」
蓮は箸を止めた。
「俺、今何歳ってことになるんだ?」
向かいに座っていた美冬が顔を上げる。
「……何よ、突然」
「いや、なんとなく気になってさ。俺、地球を出た時は二十七だっただろ?」
「そうだったわね」
「でも、それから俺たち、とんでもない時間寝てたじゃん」
「ああ……」
美冬の箸も止まった。
「そう言われると、私も分からないわね」
二人はしばらく黙った。
周囲では学生たちが笑い、食器の触れ合う音が響いている。
地球を離れてから、この惑星では気の遠くなるような年月が過ぎた。その間に文明が生まれ、国が興り、戦争が起こり、人類そのものが神話になった。
その時間をそのまま年齢に加えるなら、ここにいる人類は全員、とんでもない高齢者ということになる。
「イザナミ」
『はい』
「俺、何歳?」
『質問の定義が不明確です』
「年齢聞いただけなのに、なんでそんな面倒くさい答えが返ってくるんだよ」
美冬が笑う。
『宇宙航行および長期休眠を経験した人類については、複数の年齢定義が存在します。暦年齢、生理年齢、活動年齢のいずれを指していますか』
「ほら、面倒くさくなった」
「聞いたあなたが悪いわね」
「じゃあさ、普通に人から『何歳ですか』って聞かれた時に答える年齢」
『その場合、休眠期間を除外した活動年齢を用いるのが妥当です』
「活動年齢?」
『出生から休眠開始までの年齢に、覚醒状態で経過した時間を地球標準時間へ換算して加えたものです』
蓮は少し考えた。
「つまり、寝てた時間は入れない?」
『概ねその認識で問題ありません』
「じゃあ俺は?」
『現在、二十七歳です』
「ほら、やっぱり二十七じゃん」
蓮は満足そうに箸を動かし始めた。
しかし。
『ただし』
「……なんだよ」
『地球標準時間換算で七日後、活動年齢が二十八歳に到達します』
箸が止まった。
「……七日後?」
『はい』
蓮は美冬を見る。
美冬も蓮を見る。
「それって……俺、来週誕生日なの?」
『厳密には、出生した月日が再び到来する従来型の誕生日とは異なります』
「急に夢のない説明するなよ」
『しかし、長期休眠経験者に対する社会的運用として、活動年齢の更新日を誕生日相当として扱うことに問題はありません』
「じゃあ、誕生日みたいなもんじゃない」
美冬が笑った。
蓮は少しだけ遠い目をした。
「二十八か……」
「何よ」
「いや。なんか変な感じだなと思って」
地球を出た時、蓮は二十七歳だった。
それからこの惑星では数千年という時間が流れた。
自分たちが送り込んだデザインヒューマンの子孫は文明を築き、人類を神として語り継いでいた。魔王が生まれ、戦争があり、国々が興亡し、海の底にさえ独自の文明が築かれている。
それなのに、自分はようやく二十八歳になる。
「俺、数千年かけて一歳しか歳取ってないのか」
「言い方によっては凄いわね」
「エルフに言ったらどうなるかな」
「ただでさえ創造神扱いされてるのに?」
「数千年生きて二十八歳」
「設定盛りすぎでしょ」
「設定じゃねえよ」
二人とも笑った。
蓮は再び箸を動かしかけて、ふと止まる。
「……待てよ」
「今度は何?」
「じゃあ、美冬は?」
「私?」
「お前だって同じだろ。今何歳扱いなんだ?」
『算出可能です』
イザナミが即座に答えた。
「じゃあ――」
そこまで言って、蓮は止まった。
何気なく周囲を見渡す。
研究者がいる。
技術者がいる。
学生もいる。
地球を出発し、この惑星まで辿り着き、長い眠りから目覚めた人間たち。
十二万人いた移民のうち、生きて目覚めることのできた者はわずか三千七百人余り。
その全員が、自分と同じなのだ。
「……これ、みんな分かってないんじゃないか?」
『何を指していますか』
「自分の年齢だよ」
美冬も周囲を見回した。
「ああ……確かに」
「地球を出た時の年齢のままだと思ってる奴もいるだろうし、覚醒してから何日経ったかなんて普通は数えてないだろ」
『各個人の活動時間は記録されています』
「だったら全員分かる?」
『可能です。出生記録、休眠開始時刻、休眠中の生体活動記録、覚醒時刻、その後の活動時間は保存されています』
「じゃあ、みんなに教えてやろう」
美冬が蓮を見る。
「全員に?」
「うん。俺だけ知るのも変だろ」
蓮は少し考えてから続けた。
「今の活動年齢と、次に一つ歳を取る日。それぞれ本人に個別で通知して」
『全生存者三千七百二十一名を対象としますか』
「全員」
『了解しました』
「ただし一覧とかにして公開するなよ。年齢を知られたくない人だっているだろうし」
美冬が少し笑った。
「そこはちゃんと気にするのね」
「当たり前だろ」
『個人情報として本人のみに通知します』
「それでいい」
蓮は味噌汁をすすった。
しかし、まだ何か引っかかっている。
「あとさ」
『はい』
「活動年齢の更新日を誕生日ってことに、勝手に決めちゃっていいのかな」
『社会制度上の統一を行いますか』
「いや。逆」
蓮は首を振った。
「地球にいた頃の誕生日を大事にしたい人もいるだろ」
美冬が少しだけ表情を変えた。
地球。
もう帰ることのできない故郷。
そこで家族に祝ってもらった日。友人たちと過ごした日。
そうした記憶まで、新しい暦で上書きする必要はない。
「活動年齢が更新される日を新しい誕生日にしてもいいし、地球にいた頃の誕生日をそのまま祝ってもいい。本人が好きな方を選べばいいんじゃないか?」
『両方を祝うことも可能です』
「それでもいいよ」
美冬が吹き出した。
「一年に二回、歳を取るみたいじゃない」
「歳は一回だけでいいだろ。ケーキだけ二回食えば」
「それはちょっといいかも」
『では、活動年齢更新日の通知に加え、従来の誕生日を継続して記念日として使用する選択肢があることも案内します』
「頼む」
『処理を開始します』
それだけだった。
最高責任者命令というほど大げさなものではない。
蓮にしてみれば、自分が年齢を知ったついでに、皆にも知らせてやろうと思っただけだった。
◇
夕食を終えた頃。
人類居住区にいる三千七百二十一名の端末へ、それぞれ個別の通知が届いた。
《活動年齢に関するお知らせ》
ある研究区画では、端末を見た女性が声を上げた。
「何これ?」
《現在活動年齢 三十四歳》
《次回年齢更新日 地球標準時間換算 二十三日後》
「私、もうすぐ三十五じゃん!」
隣にいた男も自分の端末を見る。
「俺は四か月後だ」
別の場所では。
「えっ、昨日だったんだけど」
「何が?」
「俺の年齢更新日」
「過ぎてるじゃん」
「誰も祝ってくれなかった」
「今から祝えばいいだろ」
学校の居住区でも同じだった。
学生たちが互いの通知について話している。
もちろん、見せたくない者は見せない。
それでも、それまで曖昧だった自分たちの時間に、一つの区切りが戻ってきた。
長い眠りによって途切れていた暦。
地球を失い、家族を失い、友人を失った者も多い。
それでも人は生きている。
生きているなら、歳を取る。
そして歳を取ったなら、祝ってもいい。
そんな当たり前のことが、少しずつ人類の暮らしへ戻り始めていた。
◇
一方。
同じ夕食時。
中央食堂では、蓮たちの会話を偶然耳にした者が一人だけではなかった。
数席離れたテーブルでは、人間とエルフの学生たちが一緒に食事をしていた。
交流が進んだ今では、珍しい光景ではない。
そのうちの一人。
エルフの学生が、少し前に聞こえてきた言葉を思い返していた。
「……二十八歳?」
「そうみたい」
人間の学生が答える。
「七日後って言ってたよね」
「うん」
エルフの学生は少し考えた。
「それは、どういう日なの?」
「誕生日みたいなものかな」
「誕生日?」
「生まれた日を祝うんだよ。普通は毎年ね。今回は休眠があるからちょっと特殊だけど」
「……祝う?」
「家族とか友達でね。ケーキ食べたり、プレゼント渡したり」
エルフの学生は、少し離れた席にいる蓮を見る。
人類最高責任者。
この世界を造った者たちの一人。
そして多くのエルフにとっては、創造神。
「創造神様が……お生まれになった日?」
「いや、だから厳密にはちょっと違――」
「七日後?」
「そうだけど」
エルフの学生は、何かを考え込んだ。
そして食事を終え、中央食堂を出ていった。
◇
その夜。
「七日後、創造神様の誕生日らしい」
一人の学生が友人に話した。
その友人が別の者に話した。
「創造神様がお生まれになった日が近いそうです」
さらに別の者へ。
「七日後は創造神様の生誕を祝う日らしい」
翌朝には、人類居住区からほど近いエルフの街へ話が届いていた。
「創造神の聖誕日が七日後に迫っている」
昼頃には、さらに別の街へ。
「人類には、創造神の聖誕を盛大に祝う習慣があるらしい」
誰も嘘はついていなかった。
ほんの少しずつ。
伝わるたびに意味が変わっただけだった。
◇
翌朝。
蓮はいつも通り起きた。
いつも通り仕事を始めた。
自分の誕生日については、もうそれほど考えていなかった。
「二十八か……まあ、ケーキくらい食うかな」
『希望するケーキの種類を指定しますか』
「まだいいよ。七日後だろ?」
『はい』
「そんな大げさなもんでもないし」
『了解しました』
蓮は端末へ視線を戻した。
その頃。
エルフの街では、既に複数の職人組合が動き始めていた。
別の都市では、人類居住区へ向かう使節団の準備が始まっていた。
さらに別の国では、何を贈るべきかを巡って会議が開かれていた。
そして人類居住区でも。
神崎美冬の端末に、一件の問い合わせが届いた。
《創造神聖誕祭における人類側の礼式について》
美冬は画面を見た。
「…………」
もう一度読んだ。
「創造神……聖誕祭?」
少し離れた場所では、何も知らない蓮が仕事をしている。
美冬は蓮を見た。
そして端末を見た。
もう一度、蓮を見る。
「……まあ」
美冬は小さく笑った。
「七日後のお楽しみね」
問い合わせへの返信を始める。
蓮はまだ知らない。
自分が何気なく尋ねた「俺って何歳?」という一言が、既に本人の想像を遥かに超えたところまで広がり始めていることを。
――第五十六話 俺って何歳? 了




