第55話 独りのグルメ
井ノ原一郎は、商売というものは結局のところ、歩いた者が勝つと思っている。
人類居住区を拠点に、各地で品物を仕入れ、それを別の土地へ運んで売る。エルフの職人が作った工芸品を人類居住区へ持ち帰ることもあれば、人類側で作られた生活用品をエルフの街へ卸すこともある。
扱うものに、これといった決まりはない。
織物、陶器、木工品、装飾品、保存食品、香辛料。面白いと思えば何でも見るし、売れそうだと思えば値段を聞く。
人類の技術を使えば、もっと効率よく大量の品物を運ぶこともできる。
だが、一郎は自分の足で街を歩くのが好きだった。
実物を手に取り、作った者と話し、買う者の顔を見る。そうしなければ分からないことがある。
今日もいい取引ができた。
そして何より――。
「……腹が減ったな」
商談を終えて建物を出た一郎は、腹をさすった。
午前中に訪ねた工房では、エルフの職人が作る木製食器をまとまった数で仕入れることができた。薄く削られているのに丈夫で、表面には植物を思わせる細かな彫刻が施されている。
人類居住区で売れば、それなりの値段になるだろう。
午後には別の工房へ行く予定だ。
つまり今は、昼食の時間である。
「さて……」
一郎は通りを見渡した。
ここは人類居住区から少し離れたエルフの街だった。
以前なら人間の姿など珍しかったらしいが、今では人類との往来も増えている。一郎のような商人だけでなく、研究者や技術者、学生の姿を見かけることも珍しくなくなった。
とはいえ、食堂や商店の大半は当然ながらエルフ向けだ。
一郎は歩き始めた。
知らない街で昼飯を探す。
これも仕事の楽しみの一つだった。
◇
大通りから一本入ったところで、いい匂いがした。
肉だ。
それも焼いている。
一郎の足が止まった。
「……ほう」
小さな店がある。
派手な看板はない。開け放たれた入口の向こうにいくつかのテーブルが見え、昼時ということもあって半分ほど埋まっていた。
観光客向けの店には見えない。
地元の者が普段使いする店。
こういう店がいい。
一郎は少しだけ店内を覗いた。
エルフばかりだ。
まあ、当然である。
(入るか)
一郎は迷わなかった。
「いらっしゃい」
店員の若いエルフが一郎を見た。一瞬だけ珍しそうな顔をしたが、それ以上の反応はない。
「一人ですが」
「好きなところへどうぞ」
一郎は店内を見回した。
空いている席を探して――妙なものが目に入った。
ゴブリンがいる。
それ自体は、この世界ではそこまで驚くことでもない。人類が目覚めてから、一郎も様々な種族を見てきた。
ただ、そのゴブリンは妙に目立っていた。
赤い帽子をかぶっている。
小柄な身体に、ゴブリン特有の顔立ち。何より頭にかぶった鮮やかな赤い帽子が目についた。
一人でテーブルに座り、黙々と食事をしている。
(赤い帽子……)
何か意味があるのだろうか。
一郎には分からない。
それよりも、そのゴブリンが食べている料理に目を奪われた。
巨大な骨付き肉。
表面は炭火で黒くなる寸前まで焼かれ、粗く砕いた岩塩らしきものが振られている。その上から、真っ赤な香辛料と緑色の香草がこれでもかというほどかけられていた。
肉汁が皿の上へ滴っている。
赤い帽子のゴブリンが肉へ噛みつき、豪快に引きちぎる。
(……美味そうだな)
見た目は凶悪である。
だが、香りがいい。
肉の焼ける匂い。脂。香辛料。
腹が減っている時に嗅いではいけない類の匂いだった。
一郎は近くの空いた席へ座った。
◇
店員がやってきた。
「何にします?」
一郎はメニューを見る。
翻訳用ナノマシンのおかげで文字の意味は理解できる。
理解できるのだが。
《森鳥と根菜の煮込み》
《角獣の香草焼き》
《川魚と酸葉の蒸し物》
《山喰らい》
最後だけ何なのか分からない。
料理名なのか。
一郎は赤い帽子のゴブリンの前にある肉を見る。
「すみません」
「はい」
「あの人が食べているものは?」
店員がゴブリンを見る。
「ああ、山喰らいですね」
(それか)
「では、それを」
店員が一郎を見る。
少しだけ間があった。
「一人前?」
「……一人前で」
「分かりました」
店員が去る。
一郎は少し気になった。
(今の間は何だ)
嫌な予感がする。
だが、注文してしまったものは仕方がない。
水を飲みながら待つ。
向こうでは赤い帽子のゴブリンが、相変わらず肉を食っている。
小柄な身体のどこへ入っていくのか分からない。太い骨を片手で持ち、肉を引きちぎる。
(歯、強そうだな……)
やがて骨だけになった。
(見事な食いっぷりだ)
ゴブリンが手を上げた。
「もう一本」
一郎は水を飲む手を止めた。
(もう一本?)
店員は平然と答える。
「はいよ」
(あれを?)
少しして、一郎の料理も運ばれてきた。
「お待たせしました。山喰らいです」
どん。
「…………」
思っていたよりデカい。
分かっていた。
向こうの席で見ていたのだから、大きいことは分かっていたはずだ。
だが、他人のテーブルに置かれている料理と、自分の目の前に置かれた料理では迫力が違う。
皿からはみ出しそうな骨付き肉。肉の厚さもかなりある。
真っ赤な香辛料。
香草。
焼けた脂。
(昼飯の量じゃないな)
一郎は向こうを見る。
赤い帽子のゴブリンの前には、既に二本目が運ばれてきている。
(……比較する相手を間違えたか)
だが、目の前の肉から立ち上る香りが、そんな弱気を吹き飛ばす。
(まあいい)
一郎はナイフを入れた。
表面はかなり強く焼かれている。しかし中は柔らかい。
肉汁が溢れた。
(これは期待できる)
切り分けて口へ運ぶ。
「……!」
強い。
最初に来るのは肉だ。
野性味のある濃い旨味。その直後に岩塩。そして香草。最後に赤い香辛料の刺激が一気にやってくる。
(辛っ)
水へ手が伸びそうになる。
だが、その前にもう一度噛む。
(いや、待て)
辛い。
かなり辛い。
なのに肉の味が消えていない。むしろ脂の甘さが引き立っている。
(これは……いいぞ)
もう一切れ。
今度は脂の多いところ。
(おお)
脂が甘い。
そこへ香草の苦味。そして辛味。
(肉も強い。塩も強い。香草も強い。辛味も強い)
一郎は噛みながら考えた。
(全部が俺を殴ってくる)
だが、不思議と喧嘩していない。
次の一口が欲しくなる。
一郎は黙々と食べ始めた。
◇
付け合わせには、焼いた根菜が添えられていた。
肉の脂を吸っている。
一郎はそれを食べる。
(これは……芋に近いな)
ほくほくしている。
甘い。
そこへ肉。
そして根菜。
(なるほど)
肉だけを食べ続けるより、これを挟んだ方がいい。
さらに小さな器に入った緑色のソース。
恐る恐る肉につける。
酸味。
(そう来たか)
口の中の脂が一気に消える。
そしてまた肉が食いたくなる。
(よくできてる)
見た目は豪快そのものだが、料理としては意外なほど考えられている。
肉、根菜、酸味、香草、辛味。
順番に食べれば、巨大な肉が少しずつ消えていく。
一郎は夢中になった。
気がつけば、赤い帽子のゴブリンのことも忘れていた。
最後に骨の周囲に残った肉を丁寧に取る。
(ここが美味いんだ)
そして完食。
一郎は大きく息を吐いた。
「……ふう」
皿の上には太い骨だけが残っている。
(食った)
満足感がすごい。
同時に腹も重い。
(午後の商談、大丈夫か俺)
水を飲む。
その時、視線を感じた。
顔を上げる。
赤い帽子のゴブリンがこちらを見ていた。
その前には、二本の骨。
「……」
「……」
一郎は何となく頭を下げた。
ゴブリンもほんの少しだけ頷いた。
それだけだった。
(……なんだか知らんが)
一郎は水を飲んだ。
(認められた気がする)
何を認められたのかは分からない。
◇
午後の商談も無事に終わった。
少々腹が重かったが、それ以外に問題はなかった。
新たに仕入れることになったのは、エルフの織物だった。非常に細い植物繊維を使った布で、軽い割に丈夫。染色も美しく、人類居住区だけでなく別のエルフ都市へ持っていっても売れそうだ。
値段も悪くない。
(今日は本当にいい仕事ができた)
一郎は帰路についた。
商売は面白い。
同じ物でも、場所が変われば価値が変わる。ある街ではありふれた日用品が、別の街では珍しい品になる。
人類が目覚めたことで、今までほとんど交流のなかった地域同士も少しずつ繋がり始めている。
商人にとっては、これほど面白い時代もない。
もっとも、一郎にとって旅の楽しみはそれだけではなかった。
(あの肉、また食いたいな)
既に次の昼飯を考えていた。
◇
人類居住区へ戻った頃には、すっかり夕方になっていた。
昼にあれだけ食べたのだから夕食はいらないかもしれない。
そう思っていた。
だが。
「……腹が減った」
人間とは不思議なものである。
一郎は中央食堂へ向かった。
ここは人類居住区でも特に大きな食堂で、研究者、技術者、建設関係者、商人、学生まで誰でも利用できる。
決まった時間になると、かなり混雑する。
一郎はトレーを手に料理を見ていった。
昼は強烈だった。
肉、脂、香辛料、香草。
それはそれで素晴らしかった。
だから今は。
「これだな」
白飯。
味噌汁。
焼き魚。
漬物。
それに小さな冷ややっこ。
実に地味である。
一郎は空いている席へ座った。
まず味噌汁。
「……」
温かい。
出汁の香り。
味噌。
(ああ……)
身体から力が抜ける。
(これだ)
白飯を一口。
そして焼き魚。
皮は香ばしく、身は柔らかい。
さらに白飯。
(昼のあれも良かった)
あれほど強烈な料理は、地球にいた頃でもなかなか食べたことがない。
知らない料理。
知らない香辛料。
知らない食材。
それに出会うのは楽しい。
だが、味噌汁をもう一口すすれば、やはり思う。
(こういう飯は、ほっとするな)
地球は遠い。
あまりにも遠い。
自分が知っていた街も、店も、もう存在しない。
それでも白飯がある。味噌汁がある。焼き魚がある。箸を使って食べる。
それだけで、妙な安心感があった。
(帰ってきた、か)
どこへ帰ってきたのだろう。
地球ではない。
ここは別の星だ。
それでも最近は、人類居住区へ戻ってくるとそう思うことがある。
一郎は漬物を齧った。
(うん)
少し塩が強い。
だから白飯。
(いい)
その時だった。
近くの席から声が聞こえた。
「そういやさ」
若い男の声。
「俺、今何歳ってことになるんだ?」
一郎の箸が一瞬止まった。
「……何よ、突然」
今度は女性の声だった。
一郎は何気なく視線を向ける。
少し離れたテーブルに、天城蓮と神崎美冬が座っていた。
(最高責任者か)
人類の最高責任者。
エルフたちからは創造神などと呼ばれているらしい。
そんな男が、ごく普通にトレーを前にして食事をしている。
もっとも、この食堂ではそれほど珍しい光景でもない。
「地球を出た時は――」
蓮の声が聞こえる。
一郎は少しだけ耳を傾けかけた。
だが、目の前にはまだ焼き魚が残っている。
(いかんいかん)
一郎は箸を構え直した。
(他人の話より、まず食事を堪能しねば)
焼き魚の皮と身を一緒に取る。
口へ。
(うん)
香ばしい。
そこへ白飯。
(これだ)
蓮たちの会話は続いていた。
だが、一郎はもう聞いていなかった。
今は白飯。
味噌汁。
焼き魚。
それでいい。
世界がどれほど変わっても、知らない土地がどれほど広がっても、腹は減る。
そして、美味いものを食えば満たされる。
井ノ原一郎は味噌汁をすすり、静かに息を吐いた。
(さて)
まだ冷ややっこが残っている。
――第五十五話 独りのグルメ 了




