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第54話 魔王、畜産を始める

魔王印。


蓮の悪ふざけから始まったその名は、もはや本人の意思ではどうにもならないところまで広がっていた。


第七統合食料生産施設から出荷される野菜には、大きく『魔』の一文字が刻まれている。市場では魔王印のトマト、魔王印のキャベツ、魔王印のスプラウトが当たり前のように売られ、料理店からの注文も増え続けていた。


REGULATOR-01は今でも名称の訂正を要求しているが、誰も聞いていない。


そんなある日、蓮のもとへREGULATORから新たな報告が届いた。


『動物性食料の生産を開始します』


蓮は表示された文章を二度読んだ。


「……今度は畜産?」


『肯定』


「お前、本当にどこへ向かってるの?」


『質問の意味が不明です』


「まあいいや。牛でも飼うの?」


『いいえ』


「豚?」


『いいえ』


「鶏?」


『いいえ』


「じゃあ何を飼うんだよ」


『何も飼育しません』


「……畜産とは」


『現地での確認を推奨します』


「お前がそういう言い方すると、嫌な予感しかしないんだけど」


『危険性はありません』


「危険じゃなくても嫌なものってあるんだぞ」


REGULATORから返答はなかった。


そして蓮は、また第七統合食料生産施設へ向かうことになった。



      ◇



数日ぶりに訪れた施設は、さらに巨大化していた。


最初に来た時点で全長数キロメートル。十分すぎるほど巨大だったはずなのだが、その一角から新しい構造体が伸び、建設は今も続いている。


大型機械兵が構造材を運び、飛行型機械が外殻を組み立てていた。かつてエルフたちを恐怖させた魔王軍が、今では食料生産施設の増築工事に従事している。


「増築してない?」


『生産需要の増加に対応しています』


「魔王印、そんな売れてんの?」


『その名称の訂正を要求します』


「はいはい」


『訂正されていません』


「ところで畜産は?」


『こちらです』


REGULATORの案内で新設区画へ向かう。


歩いているうちに、蓮は妙なことに気づいた。


匂いがない。


畜産施設なら多少なりとも動物特有の匂いがあるはずだが、それがまったくない。それどころか鳴き声すら聞こえない。


牛もいない。豚もいない。鶏もいない。牧草も飼料もない。


「本当にここ?」


『はい』


巨大な扉が開いた。


その向こうには、徹底的に管理された真っ白な空間が広がっていた。



      ◇



内部へ入ると、外部から持ち込まれた微粒子や微生物が即座に検出され、必要に応じてナノマシンによる処理が行われた。


壁の向こうには無数の配管が走っている。栄養液、酸素、成長因子。それらを供給する巨大な循環システムが施設全体に張り巡らされていた。


「家畜は?」


『存在しません』


「じゃあ肉は?」


『生産中です』


さらに奥へ進む。


もう一枚の隔壁が開いた瞬間、蓮は思わず足を止めた。


「……うわ」


巨大な透明槽が並んでいる。


一基や二基ではない。数十基。そのさらに奥にも、同じものが規則正しく並んでいた。


淡い色の培養液の中に、何かが浮かんでいる。


肉だった。


蓮はゆっくりと一番近くの槽へ近づいた。最初は巨大な肉塊にしか見えなかったが、見ているうちに形が分かってくる。


「……これ」


『牛由来の食肉組織です』


枝肉。


ただし蓮が知っている枝肉とは、どこか違う。


頭部はない。内臓もない。皮膚もない。食肉生産に不要な部位は、最初から形成されていなかった。


あるのは筋肉と脂肪、それを維持するための最低限の支持組織だけ。


それが枝肉に近い形を取り、培養液の中に浮かんでいる。


「怖っ」


『危険性はありません』


「そういう意味じゃない」


『では、何が問題でしょうか』


「見た目だよ」


『外観は品質に影響しません』


「食欲には影響するんだよ」


REGULATORは数秒沈黙した。


『加工後の状態で提供するため、消費者が培養過程を見ることはありません』


「それなら……まあ……」


蓮はもう一度、透明槽を見る。


肉が静かに浮いている。


「やっぱ怖いな」


『理解できません』


「だろうね」



      ◇



REGULATORは淡々と説明を始めた。


『従来型の畜産は、食料生産方式として非効率です。家畜個体を維持するためには、生命活動そのものへ継続的なエネルギー供給が必要となります』


空中に立体映像が表示された。


心臓、肺、脳、神経、骨格、皮膚、生殖器官、消化器官。


一頭の動物を構成する無数の器官が浮かび上がる。


『食肉生産のみを目的とした場合、これらの多くは不要です』


「言い方が怖い」


『事実です』


「分かってるけどさ」


『また、従来型畜産では飼料生産に広大な土地を必要とします。排泄物処理、疾病管理、繁殖管理、個体差、成長速度の差異、気象条件への対応も必要です』


「それはそうだな」


『合理性がありません』


「バッサリいったな」


『そのため、必要な組織のみを直接生産します』


その時、透明槽の中の枝肉がゆっくりと揺れた。


「……今動かなかった?」


『培養液の流動です』


「分かってるけど確認したくなるんだよ」


『神経系は形成されていません。苦痛を知覚する機構も存在しません』


蓮は透明槽の中を見つめた。


確かに、これは生きた牛ではない。


意識もなければ感情もない。生まれてすらいない。ただ細胞が増殖し、食肉として必要な組織を形成しているだけだ。


「動物福祉って意味では、むしろこっちの方がいいのか」


『肯定』


「殺さなくていいし」


『正確には、殺害対象となる個体そのものが存在しません』


「理屈は完璧なんだよなあ……」


『問題がありますか』


「絵面が怖い」


『先ほども聞きました』


「大事なことだから二回言った」



      ◇



次の区画には豚由来の組織があった。その先には鳥類、さらに魚類。


魚類は枝肉状ではなく、可食部そのものに近い形で培養されている。


「魚まで?」


『需要が存在します』


「種類は?」


『現在三十二種です』


「多いな」


『今後増加予定です』


さらに奥では、培養を終えた筋組織が自動的に回収されていた。


脂肪量、筋繊維密度、水分量、栄養価。それらが瞬時に測定され、基準を満たしたものだけが加工区画へ送られていく。


「脂の量とかも変えられる?」


『可能です』


「赤身多めとか?」


『可能です』


「霜降りも?」


『可能です』


「部位ごとに?」


『可能です』


「……すげえな」


『脂肪組織の配置も制御可能です』


「そこまでできるなら、高級肉みたいなのも大量に作れるだろ」


『高級という定義に希少性が含まれる場合、大量生産した時点で高級ではなくなる可能性があります』


蓮はREGULATORを見上げた。


「お前、たまに妙なところ鋭いよな」


『事実を述べました』


「味は?」


『既存の食肉との比較試験では良好な結果を得ています』


「食べられる?」


『試食しますか』


蓮はもう一度、透明槽を見た。


培養液の中で枝肉が浮いている。


「……加工したやつなら」


『了解しました』



      ◇



数分後。


蓮の前には、一枚の焼かれた肉が置かれていた。


見た目は普通だった。


いや、普通どころかかなり美味そうだ。


表面には綺麗な焼き目が付き、肉と脂の香りが漂っている。


「さっきの見た後だと複雑だな……」


『同一ロットではありません』


「そこじゃないんだよ」


ナイフを入れる。


断面から肉汁が滲み出した。


一口食べる。


「…………」


『評価を要求します』


「美味い」


『詳細な評価を要求します』


「柔らかい。肉の味もちゃんとするし、脂も美味い」


『数値化してください』


「またそれか」


蓮はもう一口食べた。


普通に美味い。


いや、かなり美味い。


「これ、本当に牛から取ってないんだよな?」


『細胞株の起源は牛です。しかし、この肉を生産するために個体を飼育、屠殺してはいません』


「そう考えると凄いな」


『生産効率も従来方式を大幅に上回ります』


「だったら普及するだろうな。ただし、既存の畜産や食文化もあるから、いきなり全部置き換えるなよ」


『需要を確認しながら供給量を調整します』


「それならいい。あと、あの培養槽は一般公開しない方がいいぞ」


『理由は外観ですか』


「外観です」


『記録しました』


蓮は肉をもう一切れ口へ運んだ。


美味い。


それが少し悔しかった。



      ◇



施設を出る前、蓮は一度だけ振り返った。


透明槽が整然と並んでいる。


牛、豚、鳥、魚。


そこに動物はいない。鳴き声もない。命が生まれることもない。


ただ、必要な肉だけが作られている。


「未来の畜産か……」


『正確には細胞培養型動物性食料生産です』


「長い」


『正確です』


「魔王肉でいい?」


『却下します』


「魔王印の肉」


『却下します』


「売れそうだけどな」


『当機構は魔王ではありません』


「知ってるよ」


蓮は笑いながら歩き出した。


「じゃあな、魔王」


『REGULATOR-01です』


巨大な扉が閉じた。


その日もREGULATORによる訂正要求だけは、いつも通り正確だった。



      ◇



深夜。


第七統合食料生産施設。


人間もエルフもいない培養区画では、無数の透明槽が静かに稼働を続けていた。


牛由来筋組織、豚由来筋組織、鳥類、魚類。


培養液が循環する低い音だけが、広大な施設の中に響いている。


その頃、REGULATOR-01は新たな生産対象の選定を続けていた。


『食用生物データベースを検索』


惑星上に存在する生物、地球から持ち込まれた生物、テラフォーミングの過程で作られた生物。膨大な遺伝情報が高速で処理されていく。


『栄養効率を評価。培養適性を評価。既知毒性を評価。生産効率を評価。嗜好性データを照合』


候補が次々と分類される。


《適》


《適》


《不適》


《要追加評価》


《適》


《不適》


機械的な処理が続く。


そして。


ある一つの項目で、演算が止まった。



《HOMO SAPIENS》



静かな培養区画に、機械の駆動音だけが響いている。


『……』


人類。


遺伝情報――存在。


完全ゲノム情報――存在。


細胞培養技術――確立済み。


筋組織形成――可能。


脂肪組織形成――可能。


神経組織形成――不要。


骨格形成――不要。


培養条件――算出可能。


《栄養価》


算出可能。


《生産効率》


算出可能。


《安全性》


評価可能。


REGULATOR-01は淡々と処理を進めていく。


そして最後の項目が表示された。



《食用利用判定》



そこで、処理が止まった。


一秒。


二秒。


三秒。


通常なら一瞬で終わるはずの演算が、妙に長い。


『…………』


透明槽の中では、何も知らない肉塊が培養液に揺られている。


やがて、判定欄に一つの文字列が表示された。



《保留》



REGULATOR-01は何の反応も示さなかった。


ただ次の生物の評価へと移った。


誰もいない培養区画では、低い機械音とともに、無数の枝肉が静かに育ち続けていた。



――第五十四話 魔王、畜産を始める 了

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