第53話 魔王印
第七統合食料生産施設から最初の野菜が出荷されて、数週間が経った。
REGULATOR-01が生産する野菜は、当初こそ物珍しさから手に取られていた。
何しろ、箱の中央に大きく刻まれているのは、人類の文字である。
『魔』
エルフたちに漢字を読む文化はない。
彼らにとっては、どこか異国的で格好のいい記号に過ぎなかった。
それでも、人類側の住民がそれを「魔王印」と呼んでいることは、すぐに知られるようになった。
なぜ魔王なのか。
なぜこの記号なのか。
そこまで深く考える者は少なかった。
そして何より。
美味かった。
◇
「ない?」
「ないね」
市場の一角。
野菜を扱う店の前で、一人のエルフが不満そうな顔をした。
「昨日もなかったぞ」
「朝はあったんだよ。もう売れた」
「魔王印のトマトが?」
「トマトも葉物も。今日は早かったな」
店主が並べられた野菜を指差す。
「こっちならあるぞ」
客は少し悩んだ。
「……明日また来る」
「買ってけよ!」
本当に帰っていった。
店主はため息をついた。
「まったく……」
そう言いながら、昼食用に一個だけ取り置きしてある魔王印のトマトへ視線を向ける。
人のことは言えなかった。
◇
魔王印の野菜が人気になった理由は、単純に品質が高いからだった。
大きければいいというものではない。
甘ければいいというものでもない。
REGULATOR-01は人類とエルフ双方の評価を収集し、それを次の栽培へ反映していた。
甘味。
酸味。
香り。
食感。
水分量。
加熱した時の変化。
保存後の品質。
料理へ使った際の他の食材との相性。
ありとあらゆる情報が収集されている。
しかも第七統合食料生産施設では、気温、湿度、二酸化炭素濃度、光の波長、根域環境、養分供給まで個体単位で制御できる。
評価が蓄積されるほど、その結果は次の生産物へ反映される。
つまり。
魔王印の野菜は、少しずつ美味くなっていた。
料理人の間では、既に噂になっている。
「先週のより美味くなってないか?」
「気のせいだろ」
気のせいではない。
魔王は本当に、野菜の味を学習していた。
◇
当然。
REGULATOR-01本人も、自分の生産物がどのように呼ばれているかを把握していた。
『訂正を要求します』
「まだ言ってるの?」
蓮は魔王印のトマトを齧りながら答えた。
『市場において、当機構の生産物が「魔王印」と呼称されています』
「定着したな」
『不適切です』
「売れてるじゃん」
『売上は名称の正当性を保証しません』
「でも覚えやすいだろ?」
『正式名称があります』
REGULATORが表示する。
《REGULATOR統合生産規格適合農産物》
蓮はしばらくそれを見つめた。
「それ、店で言ってみ?」
『意味を理解できません』
「客が野菜屋に行ってさ。“REGULATOR統合生産規格適合農産物のトマトください”って言うと思う?」
『正式名称です』
「だから魔王印でいいんだよ」
『当機構は魔王ではありません』
「そこだけは絶対譲らないな」
『事実です』
蓮は笑いながら残りのトマトを食べた。
「ちなみに最近、“魔トマ”って呼ぶ奴もいるらしいぞ」
REGULATORが沈黙した。
「魔キャベツも」
『……』
「魔ネギも聞いた」
『正式名称の周知活動を開始します』
「やめろ。余計に広まるぞ」
『なぜですか』
「人類ってそういう生き物だから」
『主な使用者はエルフです』
「もう染まってんなあ……」
◇
そして、魔王印の存在に目をつけた者がいた。
《ラァメンマシマシ屋》。
昼時。
相変わらず店内には湯気が立ち込めている。
「マシマシ一丁!」
「あいよォ!」
厨房から威勢のいい声が飛ぶ。
店主だった。
以前より明らかに声が大きくなっている。
店を始めた頃には、ここまで威勢のいい男ではなかった。
だが、毎日大量のラァメンを作り、客から注文を受け、忙しい時間帯を一人で切り盛りしているうちに、いつの間にか完全にラァメン屋の親父らしくなっていた。
「マシ一丁!」
「あいよ!」
茹でた麺。
スープ。
肉。
そして大量のスプラウト。
地球のモヤシによく似た、この惑星の植物である。
マシマシ屋が開店した頃から使い続けてきた定番の食材だった。
そこへ、食材を届けに来た業者が一つの束を置いた。
「店主、これ試してみるか?」
「あ?」
店主が振り返る。
束になったスプラウト。
見慣れたものだ。
ただし包装には。
『魔』
「なんだこれ」
「最近流行ってるやつだよ。魔王印」
店主の眉が動いた。
「スプラウトまであんのか?」
「最近作り始めたらしい」
店主は一本取った。
生のまま口へ放り込む。
噛む。
「…………」
もう一本。
今度は指で折ってみる。
小気味のいい音。
「これ、いくらある?」
「結構持ってきたぞ」
「全部置いてけ」
「全部?」
「全部だ!」
「試すだけじゃなかったのかよ」
「食えば分かる!」
業者が苦笑する。
「最近、本当にラァメン屋っぽくなったな、あんた」
「うるせえ! 次持ってくる時もこれだ!」
「あいよ」
店主が厨房へ戻る。
すぐに鍋へ湯を張った。
茹で時間を変える。
十秒。
二十秒。
三十秒。
生。
蒸し。
スープへ直接。
何度も試す。
「……いいな」
従来品より単純に大きいわけではない。
だが歯切れがいい。
加熱しても水っぽくなりにくい。
青臭さが少なく、それでいてスプラウトらしい風味は残っている。
スープとの相性もいい。
店主の口元が上がった。
◇
翌日。
蓮が店へやってきた。
「らっしゃい!」
「……」
蓮が入口で止まる。
「なんだ?」
「いや」
「注文!」
「マシで」
「あいよォ!」
蓮は席へ座りながら店主を見る。
「なんかキャラ変わってない?」
「何がだ!」
「声とか」
「店が忙しいんだよ!」
「そういうもん?」
「そういうもんだ!」
「ならいいけど」
しばらくして丼が置かれた。
蓮はすぐに気づいた。
「スプラウト変えた?」
店主がニヤリとする。
「分かるか」
「見た目じゃほとんど分からないけど……」
食べる。
しゃきり。
「お」
もう一口。
「これ、魔王印?」
「そうだ!」
「ここまで来たか」
「美味えぞ!」
「いや、俺が作ったわけじゃないけど」
「作った奴に言っとけ! もっと寄越せ!」
「魔王に?」
「魔王でも何でもいい!」
「本人それ聞いたら怒るぞ」
「野菜が美味けりゃいい!」
強い。
蓮は少し笑った。
以前なら、REGULATOR-01が生産者だと知れば多少は驚いたかもしれない。
今は完全に食材としてしか見ていない。
◇
数日後。
店主は市場へ仕入れに来ていた。
目的は魔王印のスプラウト。
既に店の標準食材として切り替えるつもりだった。
「今日はあるか!」
「朝から声でかいな!」
「魔スプラウト!」
「その呼び方までできたのかよ」
店主が束を確認する。
「全部くれ」
「予約分以外ならな」
「もっと仕入れろ!」
「生産者に言え!」
「言う!」
その時。
店主の目が隣へ向いた。
見慣れない野菜が置かれている。
丸い。
幾重にも葉が重なっている。
そして中央に。
『魔』
「これは?」
「キャベツ」
「キャベツ?」
「人類が持ち込んだ作物らしい。これも魔王印」
店主が手に取る。
重さを確認。
一枚剥がす。
「おい、勝手に――」
もう食べていた。
ばり。
店主が止まる。
もう一口。
「…………」
野菜屋が嫌な予感を覚えた。
「お前、まさか」
「これもくれ」
「やっぱりか!」
「スプラウトと一緒に使う」
「何に?」
店主は当然のように答えた。
「ラァメンだ!」
「キャベツ入れんの?」
「入れて美味けりゃ入れる!」
「雑だなあ」
「雑じゃねえ! 美味えか美味くねえかだ!」
店主は魔王印のスプラウトとキャベツを抱えて帰っていった。
◇
その日の夜。
閉店後のマシマシ屋。
店主は一人、厨房に立っていた。
大量の魔王印スプラウト。
刻んだ魔王印キャベツ。
茹でる。
食べる。
時間を変える。
また食べる。
一緒に茹でる。
別々に茹でる。
スープへ入れる。
脂と合わせる。
ニンニクを増やす。
減らす。
麺と一緒に頬張る。
何度も。
何度も。
そして。
深夜。
一つの丼が完成した。
麺。
濃厚なスープ。
肉。
大量の魔王印スプラウト。
その間に混ざる魔王印キャベツ。
従来のマシマシとは、少し違う。
店主は腕を組んだ。
「……いいじゃねえか」
翌朝。
店の前に新しい看板が出た。
《新作》
《魔王マシマシ》
◇
昼。
蓮はその看板の前に立っていた。
「……やりやがった」
リシェルが隣から看板を見る。
「魔王マシマシ」
「読めるようになったんだ」
「最近よく見る言葉ですから」
「教育に悪いなあ」
「強そうですね」
「ラァメンに対する感想じゃないんだよ、それ」
店へ入る。
「らっしゃい!」
店主が威勢よく叫ぶ。
蓮が席へ座る。
「魔王マシマシ、マシで」
「マシマシじゃねえのか!」
「商品名にマシマシ入ってるのに、さらにマシマシしたら怖いんだよ!」
「情けねえな!」
「最高責任者にも胃袋の限界がある!」
「あいよォ!」
しばらくして。
丼が置かれた。
山。
魔王印スプラウト。
魔王印キャベツ。
湯気。
脂。
スープ。
蓮は箸を入れる。
まずスプラウト。
しゃきり。
次にキャベツ。
柔らかくなっているが、食感は残っている。
甘い。
スープの脂とよく合う。
一緒に食べる。
「……美味いな」
「だろ!」
店主が嬉しそうに笑った。
「キャベツ、今まで使ってなかったよね?」
「なかったからな!」
「それだけ?」
「今まではスプラウトで完成してた! でもこいつは入れた方が美味え!」
蓮は笑った。
「単純だなあ」
「美味えもん作るのに難しい理由がいるか!」
「……いらないね」
蓮はもう一口食べた。
確かに美味い。
◇
その日の夕方。
REGULATOR-01へ新しい情報が送信された。
《生産物利用状況》
《魔王印スプラウト――ラァメン用途で需要急増》
《魔王印キャベツ――同用途で需要増加》
そして。
《新規料理名称――魔王マシマシ》
REGULATORは数秒間沈黙した。
『……』
さらに市場情報を取得する。
《魔トマ》
《魔キャベツ》
《魔ネギ》
《魔スプラウト》
《魔王マシマシ》
『……』
蓮へ通信。
『創造主権限保持者、天城蓮』
「何?」
『名称変更を要求します』
「どれ?」
『すべてです』
「もう無理だと思うよ」
『当機構は魔王ではありません』
「知ってる」
『では訂正してください』
「俺に言われてもなあ」
『発端はあなたです』
「そうだったっけ?」
『記録があります』
「記録消せない?」
『却下します』
蓮は笑った。
市場では今日も『魔』の印が売れている。
ラァメンマシマシ屋では、店主の威勢のいい声が響いていた。
「魔王マシマシ一丁!」
「あいよォ!」
かつて世界を恐怖に陥れた《魔王》。
その名は今。
EDENで最も品質の良い野菜のブランドになり。
とうとう。
ラァメンの名前にまでなっていた。
REGULATOR-01がそれを受け入れる日は。
まだまだ遠そうだった。
――第五十三話 魔王印 了




