第52話 魔王、農業を始める
海底での一件から、しばらく経った。
蓮の右手に残った異種ナノマシンについては、今のところ大きな変化はない。時折、妙な違和感を覚えることはあるものの、イザナミの監視でも身体への悪影響は確認されていなかった。
本人も最初の数日こそ気にしていたが、何も起こらないとなれば扱いも雑になる。
「鎮まれ……俺の右手」
『その遊びはまだ続いていたのですか』
「たまにやらないと本当に鎮まってるか分からないだろ」
『医学的根拠がありません』
そんな馬鹿なことを言える程度には、日常が戻ってきていた。
そんなある日。
蓮のもとへ、一件の報告が届いた。
差出人は――REGULATOR-01。
かつてエルフたちから《魔王》と呼ばれ、科学技術の復興を試みた者たちを機械兵によって徹底的に排除していた惑星管理機構。
蓮たちとの接触によって、その行動が本来の目的から大きく逸脱していたことが判明し、現在は敵対行動を停止している。
とはいえ、過去が消えるわけではない。
今でもREGULATORを恐れるエルフは多かった。
特に魔王戦争を知る者たちにとって、その姿は恐怖そのものだった。
そのREGULATORから届いた報告は、あまりにも簡潔だった。
『新規施設の稼働を開始しました』
それだけ。
「何の施設だよ」
説明がない。
嫌な予感がした。
REGULATORが人類との接触後、独自に何かを始めていることは知っていた。しかし蓮も海底ダンジョンの調査などで忙しく、細かいところまでは把握していなかった。
「……見に行くか」
『最高責任者自ら確認する必要性は低いと判断します』
「暇だし」
『先ほどまで未処理の報告書が四十七件ありました』
「急に忙しくなった気がする」
『処理してください』
「現地視察も最高責任者の大切な仕事だよ」
『逃避とも呼びます』
「じゃ、行ってくる」
『……』
イザナミは、それ以上何も言わなかった。
◇
目的地が近づくにつれ、蓮は窓の外を見ながら首を傾げ始めた。
「……あれ?」
地形そのものは以前と変わらない。
だが。
巨大なものがある。
「イザナミ」
『はい』
「前に来た時、あんなのあった?」
『ありません』
「だよな」
地平線の一部が、不自然に輝いていた。
近づくにつれて、その正体が見えてくる。
巨大な建造物。
一棟ではない。
複数の巨大施設が連結し、一つの構造体を形成している。
全長は数キロメートル。
外殻は透明に見えるが、通常のガラスではない。場所によって透明度が異なり、一部は鏡のように空を反射している。
周囲には飛行型機械が無数に飛び交い、施設の外壁を点検していた。
地上でも大型機械兵が資材を運んでいる。
かつて勇者たちが命懸けで戦った魔王軍。
その光景を知る者が見れば、間違いなく身構えただろう。
だが。
運んでいるのは肥料だった。
「……何やってんの、あいつ」
『施設用途を確認しています』
数秒。
『食料生産施設です』
「は?」
『正式名称、第七統合食料生産施設』
蓮はもう一度、窓の外を見る。
数キロに及ぶ巨大構造物。
「これ全部?」
『そのようです』
「農場?」
『分類上は』
「規模がおかしいだろ」
『REGULATOR-01にとっては適正規模なのでしょう』
蓮は頭を掻いた。
「魔王、何してんだよ……」
◇
施設へ降りると、REGULATOR-01が待っていた。
人型ではない。
巨大な機械の身体。
かつて多くのエルフが、その姿を見るだけで絶望した。
『創造主権限保持者、天城蓮。来訪を確認』
「久しぶり」
『前回の直接接触から五十三日と七時間二十二分が経過しています』
「そういうところは相変わらずだな」
蓮は巨大施設を見上げた。
「で。何これ」
『第七統合食料生産施設です』
「それは聞いた。なんで農業してんの?」
短い沈黙。
『質問の意図が不明です』
「お前、魔王だろ」
『訂正します。当機構はREGULATOR-01です』
「じゃあREGULATOR。なんで野菜作ってんの?」
『当機構の基本任務には惑星環境の維持、および生態系の安定化が含まれます』
「うん」
『現存知的生命体の食料供給状況を調査した結果、改善の余地を確認しました』
「それで?」
『改善しました』
蓮は施設を見る。
「加減って知ってる?」
『定義を要求します』
「いいや、もう」
嫌な予感しかしない。
だが。
少し面白くなってきた。
◇
内部へ入った瞬間、蓮の認識していた「農業」という言葉が役に立たなくなった。
土がない。
少なくとも、最初に案内された区画には一粒も見当たらなかった。
数百メートル先まで、植物が規則正しく並んでいる。
根は特殊な培地へ固定され、養液が個別に供給されていた。
天井そのものが発光している。
単なる照明ではない。
太陽光も利用しているが、不足する波長だけ人工光で補完し、逆に過剰な波長は外殻で遮断している。
気流も一定ではない。
植物の種類や生育段階に合わせ、区画ごとに微細な風が作られていた。
「温度は?」
『区画ごとに異なります』
「湿度」
『同様です』
「二酸化炭素」
『光合成効率を基準に局所制御しています』
「水は?」
『根域の吸収量を個体単位で算出し、必要量のみ供給しています』
「個体単位?」
『はい』
蓮は目の前の植物を見る。
「この一本ずつ?」
『はい』
「……変態だな」
『意味を理解できません』
蓮はしゃがみ込んだ。
葉。
茎。
果実。
どれを見ても揃っている。
病斑もない。
葉色のばらつきすらほとんどない。
「農薬は?」
『使用していません』
「病気出たら?」
『検出時点で対処します』
「どうやって?」
その時だった。
『非栽培生物を検出』
REGULATORが告げる。
「え?」
蓮が振り向いた。
小さな虫が一匹、葉へ降りようとしている。
天井付近で何かが光った。
チッ。
一瞬。
虫が消えた。
「…………」
『排除完了』
「今、レーザー撃った?」
『はい』
「虫一匹に?」
『はい』
「殺意高くない?」
『施設内への侵入を許可していません』
「お前、やっぱ魔王だろ」
『REGULATOR-01です』
さらに歩いていると、今度は栽培槽の端から小さな芽が出ているのを見つけた。
「これ雑草じゃない?」
『確認済みです』
「抜かないの?」
『その必要はありません』
また光った。
根元だけが一瞬で焼き切られる。
蓮は黙った。
『非栽培植物を排除しました』
「雑草一本にレーザー……」
『手作業より効率的です』
「未来ってこういうことなのかなあ」
『質問であれば回答可能です』
「独り言だからいい」
◇
別の区画では収穫が行われていた。
人はいない。
ロボットアームが果実を一つずつ認識し、傷つけることなく収穫している。
『成熟度九八・二パーセント。収穫適期』
機械が果実を摘み取る。
そのまま搬送。
別の果実は残された。
「見た目ほとんど同じだけど」
『糖度、酸度、硬度、香気成分および内部組織の成熟度が基準値に達していません』
「そこまで見てるの?」
『当然です』
「当然なんだ……」
次の区画。
葉物野菜。
さらに次。
果菜類。
穀物。
豆類。
香味野菜。
施設ごとに完全に環境が分離されている。
露地栽培はない。
天候に左右される必要がない。
病害虫を外から持ち込む必要もない。
水も肥料も必要量だけ循環させる。
排水すらほぼ存在しない。
「廃棄物は?」
『植物残渣は分解し、必要元素を再利用します』
「水は?」
『回収率九九・七パーセント』
「電力」
『施設外発電設備および軌道エネルギー供給網から取得』
「……農業って何だっけ」
『食料その他の有用物資を得るため、植物――』
「説明しなくていい」
『了解しました』
◇
やがてREGULATORが一つの果実を差し出した。
トマトだった。
見た目は普通。
大きさも極端ではない。
「食えって?」
『試食を推奨します』
蓮は受け取った。
一口。
そして。
止まった。
REGULATORが待っている。
蓮はもう一口食べた。
「……美味いな」
『評価を数値化してください』
「無茶言うな」
甘い。
だが、ただ糖度が高いだけではない。
酸味がある。
香りも強い。
果肉もしっかりしている。
「これ、お前が作ったの?」
『既存品種を基礎として栽培条件を最適化しました』
「遺伝子は?」
『変更していません』
蓮は少し安心した。
「勝手に弄ってたら止めようと思った」
『理由を要求します』
「お前に任せると最適化しすぎるから」
『最適化は問題でしょうか』
「問題になる場合もある。一個食えば一日分の栄養全部取れるトマトとか作りそうだし」
REGULATORが沈黙した。
蓮も黙った。
「……おい」
『何でしょう』
「今の間は何?」
『回答を検討していました』
「もう作った?」
『試作品が存在します』
「作ったの!?」
『栄養摂取効率の向上を目的として――』
「そういうのは先に相談!」
『了解しました』
「絶対だぞ」
『記録しました』
蓮はため息をつきながら、残りのトマトを食べた。
それでも美味い。
腹立たしいほど美味い。
◇
「で、これどうするの?」
『生産物は周辺居住地域へ供給します』
「売るんだ?」
『無償供給は既存生産者の経済活動を阻害する可能性があります。適正価格での流通が合理的と判断しました』
蓮は少し感心した。
「そこまで考えてるんだ」
『当然です』
REGULATORが表示した出荷計画を見る。
品質。
供給量。
価格。
流通経路。
問題はなさそうだった。
一つを除いて。
「商品名は?」
『商品名?』
「市場で売るんだろ。ブランドとか」
『識別番号が存在します』
表示される。
《REG-7-TM-00421》
蓮は真顔になった。
「誰がそんな名前のトマト買うんだよ」
『品質に影響はありません』
「そういう問題じゃない」
蓮は考えた。
REGULATORを見る。
かつての魔王。
その背後には巨大な食料生産施設。
さらに奥では、かつて人々を襲っていた機械兵たちが収穫物を運んでいる。
蓮の口元が少し上がった。
嫌な笑顔だった。
『天城蓮』
「ん?」
『不適切な思考を検出したように感じます』
「気のせい」
『当機構に感情推定機能は――』
「これでいいじゃん」
蓮が空中へ指を動かした。
人類側の文字。
漢字。
一文字。
大きく。
『魔』
REGULATORが沈黙した。
「これ箱に入れよう」
『意味の説明を要求します』
「ブランドマーク」
『文字情報を検索しています』
数秒。
『却下します』
「なんで?」
『当該文字は、魔物、魔性、悪魔等の概念に使用されます』
「覚えてたんだ」
『当然です』
「でもエルフたちは漢字読めないだろ」
『それは採用理由になりません』
「見た目格好いいし」
『却下します』
「魔王印」
『却下します』
「魔王トマト」
『却下します』
「魔王野菜」
『却下します』
「いいじゃん、売れそうだぞ」
『当機構は魔王ではありません』
「知ってる」
『では訂正してください』
「でも魔王印」
『訂正を要求します』
蓮は笑いながら出荷用パッケージの試作データへ『魔』の一文字を貼り付けた。
白い容器の中央に、黒々とした『魔』。
妙に格好いい。
「ほら。いいじゃん」
『削除してください』
「採用」
『創造主権限の不適切な使用を確認』
「最高責任者権限でも採用」
『職権濫用です』
「そんな言葉まで覚えたの?」
『あなたとの接触後、使用頻度が上昇しました』
「誰のせいだろうな」
『あなたです』
即答だった。
◇
その日の夕方。
第七統合食料生産施設から、最初の出荷品が送り出された。
トマト。
葉物野菜。
香味野菜。
その他、十数種類。
どれも徹底した環境管理によって育てられ、品質は極めて高い。
その箱には、一つの共通した印があった。
『魔』
当然、エルフたちはその意味を知らない。
彼らにとっては、人類が使っていた古代文字の一つに過ぎなかった。
だから誰も恐れない。
誰も忌避しない。
むしろ。
「この印、なんだか格好いいな」
そんな感想すら出た。
そのことを、この時の蓮はまだ知らなかった。
そしてREGULATOR-01も知らなかった。
この一文字が。
数週間後には市場のあちこちで見られるようになり。
さらにその後。
「あの印の野菜は美味い」
という評判とともに、とんでもない勢いで広がっていくことを。
もちろん。
REGULATOR-01本人だけは。
最後まで。
その名称を認めなかった。
――第五十二話 魔王、農業を始める 了




